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第3章

 ローディスクの舞台に行きたい、と即答してしまった私だけれど、実を言うと、そこまで本気で期待はしていなかった。多分、あの時セルダン伯爵は、つまらない話題を変えるために社交辞令で私を誘ったにすぎないだろうと思っていたから。

 だから、正式にサロンの主催者であるウィケット侯爵夫人から招待状が届いたときには、少なからず驚いた。


 全然関係のない私が行ってもいいのかと聞けば、

「もちろん、私と知り合いというだけで、資格は十分だよ」

 なんてセルダン伯爵は言っていたけれど、この人の言葉をどこまで信じていいものか。

 それに、ローディスクの名前に釣られてつい失念していたけれど、当然ながらサロンに全く知人のいない私は、セルダン伯爵に同伴してお邪魔するということになる。これが頭から抜けていたのは、本当に失敗だった。

 とは言え、わざわざ融通してもらって、既に主催者から正式にお声がかかってしまっている状況なのだ。今更辞退するという選択肢はあり得ない。

 もはや、腹をくくるしかなさそうだ。

 しばらく引きこもり生活をしていた私には、少し荷が重いイベントだった。


・  ・  ・


「うわぁ、すごい」


 セルダン伯爵の馬車に乗ってたどり着いたウィケット侯爵邸。

 大きくて華やかな、文句のつけようのないお屋敷だ。お屋敷というか、もはや城である。庭はどこまでも広く、草木がきっちり手を入れられて模様を描き、その真ん中には大きな噴水が鎮座している。我が家の玄関ホールは、おそらくあの噴水くらいの面積しかない。


 門をくぐった所に停められている馬車の数にも、また驚いた。

 思っていたよりずっとたくさんの招待客が集まっており、馬車を降りて談笑している人たちのほとんどが、いかにも位の高そうな貴族たちだ。


「人が、多いわ」

 思わず呟くと、セルダン伯爵はこともなげにさらりと答えた。

「まだまだ増えるよ。ウィケット侯爵夫人は交友関係の広い人だし、来るもの拒まずのところがあるからね」

「……そうよね、だから私みたいな赤の他人でも呼んで頂けたんだものね」

「若い男女もたくさん来る。君もここで友人の一人でも作るといい」


 はあ、信じられない。私の知っているサロンとは別格だ。せいぜい二十人くらいの会かと思っていたのに、下手をしたら百人近くは集まりそうだ。

 私がこっそりため息をついていると、少し離れた所に立っていた男の人が片手を挙げてこちらに近づいてきた。年頃は、セルダン伯爵とそう変わらないくらいか。整った顔立ちをしたなかなかの美丈夫だったが、思わずこちらが姿勢を正したくなるような、どこか迫力のある男性だった。


「キース! 久しぶりだな。元気そうじゃないか」

 その人は、セルダン伯爵を愛称で呼んで、親しげに話しかけた。

「ああ、お前こそ」

 セルダン伯爵の方も、気安い態度でそれを受け入れている。どうやら二人は旧知の仲らしい。

「フィーリア、こちらはベックフォード侯爵。私の古い友人だ」

「あ、は、はじめまして。フィーリア=アーヴィングと申します」

「君がフィーリア嬢か! はじめまして、今日は共に楽しもう」

 ベックフォード侯爵の勢いに押されて思わず声が上ずってしまったが、そんな私をさらりと交わし笑顔で応対する手慣れた様子は、セルダン伯爵と似ていなくもない。類は友を呼ぶ、というところだろうか。

「しかし驚いたな。婚約者ではなく、そのご息女を伴って現れるとは」

 ベックフォード侯爵の驚きはもっともだ。私自身でさえ、セルダン伯爵と同じ馬車に乗ってサロンを訪れているこの現状は、あまりにも意味不明なのだから。

「ローディスクの戯曲に大変興味があるらしい。そういう客人がいた方が、ウィケット侯爵夫人も喜ぶだろう」

「違いない。あの人、自分も舞台に立つらしいぞ。なんでもヒースの愛人役をやるそうだ」

「それは見ものだな」

 楽しそうに、二人は談笑している。こういう自然体のセルダン伯爵は、私にとっては珍しい。なんだ、皮肉めいた笑顔や、取り繕った笑顔でなくても、ちゃんと笑えるんじゃないの。


「ベックフォード侯爵、セルダン伯爵!」

「どうもお久しぶりです!」


 私が密かにセルダン伯爵の様子を観察していると、先ほどから遠巻きにこちらを見ていた若者たちの何人かが、駆けるようにして近づいてきた。

「ああ、君たちも来ていたのか。大丈夫か? 今日は夫人の演劇談義が尽きないぞ」

「私は芝居が好きですからね。むしろ楽しみにしていますよ」

「実を言うと、私は少々こういう方面には疎いんです。しかしせっかくお招き頂きましたので、付け焼刃ながら勉強して参りました」

「そうか。これをきっかけに興味を持てるような、いい舞台だといいね」

「ええ!」


 わいわいと、話が盛り上がっている。どうやらセルダン伯爵は、ベックフォード侯爵をはじめ、同性にもけっこう友人が多いようだ。なんとなく、彼のような男は同性に嫌われると思っていたけれど、そうでもないらしい。


「ところで、こちらの方は?」

 不意に、みなの視線が私に集まった。隠そうともせず、一様に怪訝な表情をしている。セルダン伯爵が連れている女にしてはレベルが低すぎるとでも思っているのだろう。

「はじめまして、フィーリア=アーヴィングと申します」

「へえ! あなたがあのエレナ=アーヴィングさんのご息女か」

 エレナというのは義母の名前である。

 もちろん、私達母娘に血の繋がりはない。だが、義母が嫁いできたのは随分昔のことなので、私と彼女が義理の母娘関係であることを知らない人は、案外多いのだ。

 それをいちいち訂正する気も、もはや起こらないけれど。

「これはどうも。まさかこんな所でお目にかかるとは思わなかった」

 セルダン伯爵の友人たちは、まるで街中で珍獣にでも出くわしたと言わんばかりの反応で、私を上から下まで観察する。

「ローディスクの戯曲に興味がありますもので」

「なるほど、それでセルダン伯爵がご一緒なんですね。さっそくご息女思いの父君ぶりを発揮していらっしゃるわけだ」

 ははは、と笑いが起こった。

 私は全然面白くない。とはいえ、そんなことを言っても仕方がないので、愛想笑いは浮かべておく。

「フィーリア嬢、あなたも鼻が高いでしょう。美しい母君に加えて、このように若く立派な父君ができることになったのだから」

 そんな訳がないでしょうが。

 顔に貼りついた冷たい笑みが、今にも剥がれ落ちそうだ。

 このつまらない男たちが言外に何を言いたいかは分かっている。どうせ、「お前自身は、美しい若夫婦の子供にはまるでふさわしくない娘だけれど」という台詞でも続いているに違いない。

 ――ああ、全く、いやになる。

「……セルダン伯爵、私、一足先にお屋敷へお邪魔していてもよろしいでしょうか。少し、風が冷たくなってきたようなので」

「そうだね、私も行こう。それじゃあ君たち、また後で」

「あ、はい、また」

 私が無理やり会話を終わらせたことに、セルダン伯爵は嫌な顔一つ見せなかった。どころか、それが当たり前とでもいうように、ごく自然に私に同調し、私を玄関ホールへと誘ってくれる。

 何よ、別に気を遣ってくれなくてもいいのに。

 そんな言葉を飲み込んで、私は少し俯きながら屋敷へと向かった。


・  ・  ・


「……はあ」

 

 大きなため息が、一つ。

 今は屋敷の化粧室の中だ。


 先ほど、申し分のない舞台が終わった。

 一段落着いたところを見計らって、ここへ避難しに来たのである。


 さすが侯爵夫人が用意させただけあって、舞台そのものは大変見ごたえのある素晴らしい出来だった。もちろん、舞台だけではなく、美味しいお酒や食事、一流の音楽隊の演奏など――本当に、まるで夢のような一夜だったと思う。わざわざ赤の他人の家へ押しかけるだけの価値は十分にあった。今夜はここへ来てよかったと、心から思える。

 ……はずだったんだけれど。


 セルダン伯爵の隣にいるということがどれだけ大変かというのを思い知った一日でもあった。

 芝居の間ですら、人々の視線は私の方を追っているのだ。男性陣は、「どうしてセルダン伯爵ともあろう人があんな娘を連れているのだろう」とか、「あれがあのエレナ=アーヴィングの娘らしいぞ」などといった好奇の目で私を眺めてくる。

 女性陣はもっとひどい。「なんであんな娘があのセルダン伯爵にエスコートされているのよ」といった敵意に満ちた視線を送って――いや、ガンを飛ばしてくるのだ。そういった視線を感じずにすんだのは、感動のクライマックスの間くらいだった。


 そして幕が降り、しばらく皆で談笑したあと、セルダン伯爵は私に同年代の女の子数人を紹介すると、自分はベックフォード侯爵とともに消えてしまった。どうやらサロンの常連だけが自由に使える談話室が用意されているらしく、そこで男同士、気兼ねなく近況報告でもしようということらしい。


 二人とお近づきになりたい女性たちは、彼らが立ち去ってしまうと、あからさまに肩を落として残念がっていた。私に宛がわれた友人候補の女子達も同様である。私がセルダン伯爵と同伴してきたことがそもそも面白くないのだから、こちらは朗らかに会話を楽しむというわけには到底いかなかった。それですっかり疲れてしまって、こうして途中で化粧室に避難してきたというわけだ。


 しかし、いつまでもここで篭城しているわけにもいかない。

 きっとあと少しでお開きになる頃だろうし、それまでにはホールに戻っていなくては。

 ――そう自分に言い聞かせて化粧室を出ることは出たのだが、一人でホールに戻って好奇の視線にさらされるのだけは本当に勘弁してほしい。


(となると)


 セルダン伯爵たちの様子を見に行ってみようか。

 二人も久しぶりに会ったようだし、積もる話も色々あるのかもしれないが、連れてきたレディは責任をもって最後まできちんとエスコートするべきだ。

 

 私はさっそく談話室へ向かうことにした。

 確か、廊下の途中にある階段を上った二階にいると言っていたはずだ。何かあればいつでもおいでと彼らに言われていたから、一人で向かっても構わないだろう。


 見知らぬ屋敷の長い廊下にやや気後れしながら歩いていると、不意に前方から明るい笑い声が漏れ聞こえてきた。どうやらまた別に休憩室があるらしく、そこで数人が談笑しているようだった。


「――だよな」

「そうそう。母親があれだけ美人なんだから、どこか一か所くらいはその恩恵に預かってもよかったのにな、かわいそうに」

「いや、あれは本当の娘じゃないらしいぜ。血は繋がってないとかって」


 身に覚えのある単語が耳に入って、私は思わず足を止めた。


「そうなのか、なんだ、納得。全然似てないもんな、あの母娘」

「今、十七だったか? その割には色気もないしな。あのセルダン伯爵がエスコートしてても、とても恋人とかそんな風には見えなかったよなぁ」

「ほんとにな! あれなら、三十過ぎてても母親の方がいい」

「それにしても珍しいもん見たよ。なかなかサロンとか舞踏会に顔出さないだろ? そこいらの美女よりずっとご対面する価値があるぜ、違う意味で!」

「もうそろそろ修道院にでも入りそうだもんな」

「はっははは、そうそう、そんな感じ!」


 ――絶対に、私のことだ。


 私はぐっとこぶしを握りしめた。

 こんなふうに他人に悪く言われることは、別に珍しくもない。義母とは昔からよく比べられて、しょっちゅう心無いことを言われてきたんだ。最近ではもう慣れたものだけれど、多感な時期には自分の部屋で一晩中泣いたこともあった。


 ……嫌だな。なんだかいろんなことを思い出してしまう。


 気付かれないよう休憩室の側を通り抜け、二階に上がる。

 談話室のある廊下は、全く人気ひとけもなく静かなものだった。

 せっかくのサロンだ、人脈作りが一番の目的と言える場で、わざわざ知人と談話室に籠るような人達はそういないのだろう。


 廊下にはいくつも部屋が並んでいる。そのうち一室の扉がほんの少し開いていて、そこから柔らかい照明の灯かりが一筋廊下へ洩れ出していた。セルダン伯爵たちは、あそこにいるのだろうか。


 私の足音は、絨毯に吸い込まれて全く響かない。

 必然的に、まるで忍び寄るような形になってしまう。


 そっと扉の側に立つと、男性の声がわずかに聞こえてきた。

 胸がざわつく。

 つい今しがた私を笑いものにしていた若者たちのはしゃぐ声が、耳奥に蘇ってくる。


 嫌な予感が、した。


「……それにしても、最近は女遊びが前ほど激しくなくなったみたいじゃないか。そんなに入れこんでいるのか? エレナ=アーヴィングに」

「どうかな?」

「それとも、まさか、娘のフィーリアの方なのか?」

「そうかもね」


 やはり、声の主はセルダン伯爵とベックフォード侯爵だ。

 いけないことと思いつつも、私はその場から動けずに立ちすくんでしまった。


「全く、お前はすぐそうやって人を煙にまこうとする。もし本気で言っているなら、随分女の趣味が変わったものだと驚かねばならないところだが」

「残念ながら、お前を驚かせてやれそうにはないかな」

「だろうな。彼女みたいな箱入り娘は、お前の好みとは程遠い」

「よく分かってるじゃないか」

「ただからかって遊んでいるだけか」

「その通り。でも、あの子をからかうのは実に面白いよ。そういう意味では、今一番『入れこんでいる』と言えなくもない」

「どうせすぐ飽きるんだろうに」

「かもしれないな。いつもあの子は自宅に引きこもって、紅茶ばかり飲んで過ごしてるんだ。ティータイム以外の時間に何をしているのか、見当もつかないね」

「そんな娘のどこが面白いんだ?」

「あの子は私のことを心底嫌っているから、私が何か言えば、どうにかへこまそうといろんな反応を返してくれるよ。これが意外に、よく口が回るんだ」

「その反応を見て楽しんでるというわけか。不憫な娘だ、こんな男に目をつけられて。つまりは、暇つぶしとしての魅力しかないということだろう」

「まあ、――女としての魅力は、全くない」


 私はその場から逃げ出した。


 うまく思考が働かないままに、無理やり足を動かして、談話室からひたすら遠ざかる。

 何だろう、私、ものすごく、動揺してる。

 

 セルダン伯爵は、女たらしだし嫌味ったらしいし、心の底から大っ嫌いだ。

 でも、こんな風に陰で人のことを笑いものにするような人ではないと、勝手に思っていた。


 ……思っていたのに……。


 反対側の廊下の突き当たりにあった扉を開けて、バルコニーに飛び出した。

 瞬間、冷たい風が頬をくすぐる。

 その風が、少し私を冷静にさせてくれた。


 夜空を見上げると、満天の星が美しい。

 ああ、初めから、こうして一人で時が過ぎるのを待てばよかったのだ。

 あの階段を上った時、私は進むべき道を間違えた。


 もう二度と、間違えたりはしない。

 大丈夫、きっと私は、大丈夫。

 私は遠い夜空の星をひたすら見つめながら、そう自分に言い聞かせた。

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