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閑話3 キースレイ=セルダンの独白

 彼女を気にかけるようになった一番最初のきっかけは、確かに、王妃主催の舞踏会での出会いだった。


 見るものすべてが初めてだと言わんばかりの初々しさでホールを見渡し、声をかける者があれば、誰にも等しく輝くような瞳と紅潮した頬で懸命に応えている。その姿に、確かにあの時、私は心惹かれた。


 しかし、それが何だと言われれば、別にどうというわけでもなかった。

 その純朴さと誠実さは当時の私には物珍しいものだったが、同時に、それ以上でもそれ以下でもないというのが本音だった。あの時彼女に惚れたのかと問われれば、答えは「否」ということになるだろう。


 むしろ、本当に興味をひかれたのは、その一年後に再会した瞬間だったのかもしれない。


 当時私は、日に日にアプローチの激しくなるドラモンド公爵令嬢への対応にほとほと手を焼いていた。変な男に粉をかけられぬようにと、遅くまで社交界デビューを見送らせてきた両親に育てられた箱入り娘。当然、恋の駆け引きなどできるはずもなく、ただ権力ちから任せに目当ての男を手に入れようと、おいえぐるみで迫ってくるのだからたまらない。


 そんな中にあって、エレナ=アーヴィングという若き未亡人は、私の目にはひどく魅力的に映った。かつて社交界一の華だったという評価も頷ける。三十を過ぎてもなお彼女の美しさは衰えず、伴侶を亡くした暗い過去が、より一層彼女に深みを与えているようにさえ見えた。

 それで私は、彼女を口説くことで、日々の鬱憤を多少なりと晴らしてやろうと考えた。彼女は今でも亡き夫を想い続け、どんな男にも目をくれないと有名だったから、それなりに口説きがいがあると思ったのだ。

 しかし、案外簡単にこちらになびく彼女の様子を見て、私はすっかり興が削がれてしまった。公爵令嬢の件で若干女性不振に陥っていたのかもしれない。自分に気のある素振りを見せる女性は、例え相手がどんな美女であろうと、軒並み軽蔑の対象になりつつあった。


 そんな折だった。エレナから婚約話を持ち掛けられたのは。

 私はさすがに驚いた。

 その時すでに私は彼女に興味を失っていたし、エレナもそれを分かっていたはずだったからだ。しかしエレナは冷静に言った。


 私が提案しているのは、婚約という名の「契約」だ――と。


 婚約期間中、本物の恋人のように扱ってくれなくていい。当然、他の女性と遊んでも構わない。そしていつか本当に結婚したいと思える相手に出会ったなら、決して煩わせることなく別れると誓う。けれどもし、本気の相手に出会うことなく身を固めることになったならば、その時は、私とそのまま結婚してしまいましょう。


 そして私は、エレナとの「婚約」を承諾した。

 正式な届出まではせず、あくまで口約束の「婚約」。しかしながら、公爵令嬢からの隠れ蓑としての役割は十二分に果たしてくれた。あちらは社交界デビューもしていない娘で、こちらは既に婚約済の男。さすがに公爵家も大きく出るわけにはいかなかったようで、それからしばらくは彼らに煩わされることも格段に減った。


 そして、フィーリア=アーヴィングと出会ったのだ。


 彼女は、私との最初の邂逅について、ほんの一かけらも覚えてはいなかった。

 社交界デビューのダンスの相手といえば、普通の少女ならばそう簡単に忘れられるものではないと思うのだが、どうやらそれは男側の自惚れでしかなかったようだ。彼女が再会後に初めて私に向けた眼差しは、怒りと嫌悪と軽蔑の入り混じったものだった。


 面白い、と思った。


 私がとびきりの紳士面で微笑んで見せても、彼女はますます冷えた視線を寄越すばかり。しかも、それは小手先の駆け引きなどではない。嘘偽りなく、彼女は本気で私を嫌っていたのだ。彼女の感情は、いつも本物だった。

 だから私も取り繕うのは止めた。この少女の気持ちを、もっとかき乱してみたい。私の言動に一喜一憂して、揺れ動く姿を見てみたい。いつかのあの舞踏会で見せたような熱いまなざしを、他の誰にも平等に与えられるものではなく、ただ自分だけのものとして独占したい――と。我ながら、気持ちの悪い執着だと思う。けれどその思いは、彼女と過ごす時間が長くなるほどに、また違う「何か」へと変化していった。


 彼女は、相手が伯爵だろうと侯爵だろうと物怖じしない気の強い娘だ。

 しかしその奥には、誰にも触れさせない「弱さ」が潜んでいる。本当の彼女は、自分に自信がなく、後ろ向きで、何事も諦観しているような少女だった。それでいて、そんな自分を変えようと懸命に努力し続けている。彼女はいつも、目先にいる私のようなくだらない男ではなく、もっと遠い先を見つめているのだ。そう気づいてからは、私の言葉で彼女の表面的な感情を揺り動かすだけでは満足できなくなっていた。


 ――むしろ、何でもない時、例えば、新しいドレスを選びながら楽しそうにしている彼女や、美しい庭園を穏やかに散策している彼女、何でもない午後のティータイムにゆっくりお茶を味わっている彼女と、ただ共にありたいと思う。


 それがどういう感情か、さすがの私も知っている。


 きっと、どんなに言葉を尽くしても、今の彼女には届かない想いなのだろうけれど。


 私は愚かだった。

 最初の一歩目から、すでに過ちを犯していた。

 彼女に相応しい男は別にいる。もしくは、これから彼女が出会う「誰か」こそが彼女に最も相応しいパートナーとなり得るのかもしれない。


 少なくとも、私は「相応しく」はないのだろう。

 ならば、潔く身を引いて、何も言わずに立ち去るべきなのか。


 しかしそれはできない。

 初めて、本気で手に入れたいと思った娘なのだ。

 彼女に一番相応しい男でなくても、彼女を一番幸せにすることはできる。


 私は実に身勝手な男だ。

 分かっているから、なお性質たちが悪いのだと自覚もしている。


 これが、キースレイ=セルダンという男なのだった。


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