第2章
さて、セルダン伯爵と本格的に対決するとなれば、しっかりと戦略を練らなくてはならない。
あの人がこんなに世の中をうまく渡っていけるのは、外面がいいというだけでなく、頭もいいからなのだと思う。ということは、作戦もなくあの人の相手をしていても埒が明かないだろう。なにかこう、あいつをへこませることができる、完璧な作戦。それが必要なのだ。
「……なにが効くかしら」
私はその晩、さっそくセルダン伯爵のプライドをへし折るための作戦を練り始めた。こういう時間だけはたっぷりあるのが、嬉しいような悲しいような。
セルダン伯爵が、私を落とす前に、ここへ来るのが苦痛で苦痛でついに諦めたとなれば、私の勝ち。いっこうに私がなびかないと悟って諦めたとしても、私の勝ち。
どちらにせよ、簡単なことだ。
相手は手の内を見せてしまってるわけだし。とにかく私がセルダン伯爵に惚れなければ、私の負けは絶対にないのだから。幸い、惚れない自信だけは揺るぎない鉄壁のように分厚くそびえ立っている。あんなに嫌いな人間には今までに出会ったことがないというくらい、セルダン伯爵が大嫌いなのだ。それがどう転んだら惚れることになるというのだろう?
そう。私には余裕がある。時間もある。だから、なにも急ぐ必要はないのだ。
それならば、と、中々素敵な作戦が私の頭の中に浮かんだ。
「……よし。ここへ来るのが拷問に感じられるような『おもてなし』をしてあげるわ」
・ ・ ・
「それで、今年はシンプルなドレスにフリルをポイント使いするのが大変流行するようですの。襟元や袖口に、嫌味にならない程度にフリルをあしらうのが人気なんですのよ。特に、……えーと……フレードリンという仕立て屋がデザインしたモチーフが大人気で、新作はいつも品切れ状態。上流貴族の家庭でも、二ヶ月は待たなければ手に入れることができないとか」
いつもと変わらない、ティータイム。
現在、偉大なる作戦「セルダン伯爵が全く興味のない話ばかりをする」を決行中である。
誰でも興味のない話をただ聴き続けるというのは辛いもの。
特にこの場合は一対一なのだから、ぼんやりしたり、何か他のことをするというわけにもいかない。きっと、強い苦痛を感じるだろう。
それが一日や二日なら耐えられる。人によっては一ヶ月近く耐えてしまうかもしれない。でも、長くてもそれくらいで嫌気がさしてしまうはずだ。しかもセルダン伯爵の場合、別にここへ来ることを強制されているわけでもないのだし。
そんなわけで、先ほどから延々と最近流行のファッションについて語っている私である。
私自身、ファッションの流行りに全然興味がないのが辛いところだけれど、セルダン伯爵をへこませるためならこれくらいなんでもない。この数日、夜更けまでファッションの勉強をして今日という日に挑んだのだ。もう勝負はついたも同然、そんな気がする。
「バッチがデザインしているフリルも同じく人気がありますのよ。私は、こちらの方が好きですわね。少し控えめな感じがして」
「そうだね、私も同感だよ。フレード『ラ』ンのデザインは、少し仰々しすぎる。最近は黄色や緑といった派手な色が流行っているからね。黄色いドレスにフレードランのフリルをあしらっているのなんて、最悪だよ。品性が感じられない。流行をむやみに取り入れるだけというのは実に不恰好だ」
「……」
な、なにコイツ。
どうして男のくせにこんなに女性のファッションに詳しいのだろうか。しかも私の言い間違いまでちゃっかり正してくれているし。
「ステラ=エリソン嬢を知っているかい?」
私はこくりと頷いた。
今の社交界で一番の華だ。可憐な容姿に、柔らかい天使の微笑。私の義母とはまた違ったタイプの儚げ美少女である。私は直接の面識はないが、一度遠くから見かけたことはあるし、その噂はよく聴いている。
「彼女のファッションは見習うべきだよ、フィーリア。全体の印象は清楚だが、きちんと押さえるべきところを抑えているんだ。自分に合う格好というものを知っている。前に彼女と、ロンディのデザインしたレースについて会話したことがあるんだが」
「……ロンディ?」
しまった。カバーしてない人名が出てきてしまった。誰だロンディ。
「フレードランより更に派手なデザインをする仕立て屋だよ。ステラ嬢はあまり興味がないような、ね。あえて彼の名前を出して、ああいう華やかなデザインをうまく取り入れ着こなすような女性に興味があると言ったんだ。そうしたら次に会ったとき、ステラ嬢は早速ロンディのレースを身に着けて来てくれたんだが、それが驚きだった。彼女、服には使わず、髪飾りのポイントにレースを使っていたんだ。実によく似合っていたよ。さすがの私も、そう来るとは思わなかった。フィーリア、君もそういう機知に富んだセンスのいい女性になりなさい」
「……」
興味ない話をしてへこませるつもりが、逆にへこまされてしまうとは。
しかもノロケ話つき。結局、社交界の現役トップ美少女とも仲がいいという自慢だったのではないだろうか?
駄目だ。
女たらしのセルダン伯爵だからこそ、こういう話題にも余裕でついて来れてしまうのだ。どうして最初に気づかなかったのだろう。もっと、もっと何か別の話題を探してこなければ。
・ ・ ・
と、いうことで次の日に。
やはりセルダン伯爵はやって来た。今日こそリベンジを果たさなければ。
「セルダン伯爵も、今度ご自分のお庭をじっくり観察なさるといいですわ。そもそも蟻というものは、自分の何百倍もの重さのある物体を運んでしまう力を持っているわけで、人間よりずっと偉大な生き物なのかもしれません。女王蟻という筆頭がいて、それに従事する働き蟻、それに巣を守るための見張り蟻がいるというのも興味深いですわね」
「……ねぇフィーリア」
不意に、セルダン伯爵が話を遮った。
――よし! どうやら効果が現れてきたようだ。そうだろう、こんな話、つまらないに違いない。というかつまらなくて当然だ。私も昨日、書庫から文献を引っ張り出して読んでいるとき、なんだか泣けてきたのだから。
「蟻が人間よりずっと偉大な生き物だと言うけれど、蟻には本能しか存在しない。音楽や美術を生み出すような崇高な感情が備わっている人間の方が、私は偉大だと思うね。例えばローディスクなんかどうだい? 彼の書く戯曲はすばらしいよ。三文役者が演じてもクライマックスでは感動してしまうほどだ。ああ、そうそう、今度私の知り合いのサロンで、ローディスクの戯曲を上演するらしいんだ。よかったらフィーリアもどうだい?」
「……ローディスク!? い、行きたい!」
思わず私は食いついてしまった。
――何を隠そう、私はローディスクの大ファンなのだ。
食いついてから、しまったと思ってももう後の祭り。セルダン伯爵は勝ち誇ったようににっこりと笑みを浮かべた。
……なんでこの人、私がローディスクのファンだということを知っているのだろう……?
とにもかくにも、この作戦は失敗だ。
セルダン伯爵は、相当口の回る男らしい。女との会話なんてお手のものだ。うまい具合に話を進めるわ逸らすわ変えてしまうわで、一向に勝機が見えてこない。
これは他に何か、手を考えなければならないようだ。