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第11章

 言葉通りの「泣き寝入り」となった翌朝、私はいくらかすっきりした気分で朝食をとっていた。

 ふと窓の外に目をやる。文句の無い快晴だ。


 やっぱり朝日というものはいい。夜は嫌いだ。いろいろなことを考えてしまうし、心が少し不安定になってしまうから。昔は、そんなときは父の元へすり寄って甘えることができたけれど、父がいなくなってしまってからは、私は孤独の中にいつも独りぼっちだった。

 同じ孤独を背負っていたはずの義母は、とうとうすがれる相手を見つけ出した。私は相変わらず独りきり。だからますます彼女が憎かった。父のことだけじゃない――私は、自分のことでも、義母を許せないと思っていたんだ。


 私は、食後の紅茶にゆっくりと口をつけた。

 朝日の中の健全な頭で考えれば、なぜ昨晩はああも悲観的になっていたのだろうと思う。


 セルダン伯爵が遊びまわっていることなんて、初めから分かりきっていたことじゃないか。私に対する甘い言動は全て、賭けに勝つための「手段」に過ぎないことだって。ええ、確かに私はセルダン伯爵に口づけを落とされて、動揺しましたよ。でも、しょうがないじゃない。私は男慣れしていない筋金入りの箱入り娘なんだから。一人で気合入れて喧嘩売ってから回って、滑稽にもほどがある。


 ――――フッ。


 ……ああ、なんだか、悟ってしまった。

 そうだ、セルダン伯爵に振り回されている訳じゃない。私が一人、勝手に彼の前でから回っているだけなのだ。あの人は、そんな私をただ見ていただけ。それで「愚かな娘だ」と鼻をならしていただけだ。


「あーあ。ばっかみたい!」


 声に出してつぶやいてみた。そう、本当に、馬鹿みたいだ。


 今日は従兄のエルバートが帰ってくる日だ。

 ベックフォード侯爵があの高級服飾店の庭園を貸しきってくれたから、そこで会う予定になっている。考えるべきは、セルダン伯爵のことなんかじゃなく、そちらではないか。エルバートに会ったら、笑顔で迎えよう。きれいになったね、なんて言われなくていい。変わってないね、と笑って言ってくれたら、それで最高に幸せだから。


 私は朝食の最後に紅茶を飲みほし、立ち上がった。

 ベックフォード侯爵が大枚はたいてプレゼントしてくれたドレス一式、せっかくだから着なければ悪いだろう。私にあれが似合うか未だにはなはだ疑問だが、腹をくくるしかない。私はメイドを呼んで手伝いを頼んだ。ドレスに合うように軽く化粧もしてほしいとお願いしたら、メイドは少し驚いたような表情を見せたけれど、すぐに嬉しそうに頷いてくれた。


 そして――その日の、午後。


 私は慎重に馬車のステップを下り、サンクローゼの庭園に降り立った。――ああ、なんて立派な庭だろう。まるで、林の見える野原にいるみたいだ。整然と区分された人工的な庭が今の主流なだけに、これほど開放的な自然の庭は圧巻だった。少し歩くと、控えめな噴水が穏やかに水の雫をはじき出しているのが見える。その側には大仰な花壇があるわけでもなく、ただただ緑が美しい。

(バルコニーから見るより、すごく素敵だわ)

 ここへ来た目的も忘れて、もっと奥へ行ってみようと足を踏み出した、その時。


「……フィーリア」


 私の背中に、穏やかな柔らかい声がかけられた。

 この、声は。


 一気に心拍数が跳ね上がる。早鐘のよう、とはまさに言い得て妙だが、このときの私の心臓の早打ちっぷりといったら、鐘なんかで例えることはとてもできそうになかった。もしもこれが本当に鐘だったならば、ガラガラガラブチッガラガッシャーン、と大きな騒音と共に無残にも壊れていたことだろう。ううん、もしかして本当に壊れるかも……。

 一瞬のうちにそんなわけの分からない考えが頭に浮かんだが、それをなんとか振り切って後ろを振り返ることに成功した。


 そこに立っていたのは――まさしく、エルバートで。

 ほんの少しだけ癖のある栗色の髪に、少し下がり気味の目尻。

 変わっていない。優しそうな物腰も、その笑顔も。エルバートそのものだった。


「……エルバートお兄様……」

「フィーリア、――きれいに、なったね」

「えっ?」


 思いもかけないその一言に、私の早鐘はガッシャーンどころかドッカーンと粉砕した……かに思えた。が、どうやらなんとか耐え抜いたらしい。けれど瞬時に頭へと血が上っていくのは止められなかった。


「ああ、ごめん。一言目に言う台詞じゃないね。――久しぶり、元気だったかい?」

 そう言ってから、エルバートはくすりと苦笑する。

「……なんて、いまさら挨拶しても白々しいかな。フィーリア、少し合わない間にすっかり大人の女性になったんだね。びっくりしたよ。もしかして人違いしたかなと思ってしまったほどに」

「ありがとうお兄様。すごく嬉しいわ」

 照れながら、私はドレスのすそを少しつまみ上げた。

「でも本当は、何も変わってないのよ。ただいつもとちょっと違うドレスを着て、化粧をしてみただけ」

「そんなことないよ。どこから見ても、立派なレディそのものだ」

「そんな!」

 私は真っ赤になって首を振る。ああ、首を振るとますます血が集まってきてしまう。エルバートがこんなことを言ってくれるなんて、もしかして私はまだベッドの中で夢を見ているのではなかろうか。


「お兄様は、お変わりない? カナンテでは色々あったんでしょうね」

「たいしたことは何もなかったよ。ただ仕事に打ち込むのみだった。だからフィーリアから手紙が来るのがいつも楽しみだったんだ」

「本当に? 私も、お兄様からのお手紙、いつも楽しく読ませてもらっていたのよ。今までにもらった手紙は全部とってあるわ。時々読み返すのも楽しくって。私、ずっとこの土地で暮らしているでしょう。だから、港町のことを想像しながら読むと、私もそこへ行った気分になれて嬉しかったの」

「喜んでもらえたのならよかったよ。しょっちゅう手紙を出していたから迷惑になっていないか心配だったんだ。それでも、ついつい書いてしまったんだけどね」

 にっこりと微笑むエルバートは本当に穏やかで、私は心の底からほっとした。変わらないこの笑顔が、父のいなくなった私にとって、どれほどの支えになることか。そう思うと、私は目頭が熱くなるのを抑えきれなかった。つと、涙が頬を伝う。


「フィーリア? どうしたの」

「ごめんなさい。……ただ、すごく、心が……じーんとして。嬉しいの。お兄様の笑顔はずっと変わらないから。お父様が、いなくなってから、ずっと見れなかった笑顔だったの。まるでお父様が側にいてくれてるみたいで、ほっとする……」

「……フィーリア」


 エルバートはそっと私の頭をなでてくれた。大人になったね、なんて言ってくれたけれど、エルバートにとっての私は、いつまでたっても子供なんだろうなぁと思う。それでもいいや。こんなに温かい手で、いつでも包み込んでくれるなら。


「そうだね、まだ叔父さんのことがあってから二年と少ししか経っていないんだよね。――時間というのは残酷なものでもある。傷を癒せるのは時間だけなのに、癒しが必要な人に対しては、ひどくじれったく、ゆっくりと流れていくんだ」

「でも平気よ。お兄様の笑顔を見たら、元気になった」

 私は本当に自然に笑うことができた。エルバートも柔らかく微笑み返してくれる。最近、セルダン伯爵やベックフォード侯爵と会っていたから余計に思うけれど、やっぱり人は顔じゃない。だって、エルバートお兄様は、あの二人のようなとびきりの美形というわけではないけれど、こんなにも素敵なんだから。


「そういえば最近はどうしていたんだい?」

「えっ、最近?」


 エルバートは何気なく聞いてみただけなのだろうけれど、思わず私は腰かけたベンチの上で固まってしまった。最近していたこと、といえば、主に一つしかないのだから。


「そうね。別に特に変わったことは。本を読んだりお芝居を観に行ったり、そんな感じよ」

「そう。聞いたところによると、エレナさん婚約したんだってね?」


 うっ。


「え、ええ。まあ。一応」

「確か相手はセルダン伯爵とか。エレナさんには本当に驚かされるよね、色々と」

「本当に。義娘むすめの私にも理解できない人だから」

「セルダン伯爵は、どうなんだい。フィーリアともうまくいきそう?」

 やはり避けられなかったか。ついにこの話題に突入してしまった。

「ええ、まあ。一応。それなりに」

「――本当に?」

 不意に真剣な表情で、エルバートはこちらを見つめる。

「う……ん」

「うなずいてみたけど、実はあまりうまくいきそうにない。……というところ?」

「……はい」

 観念してうなずくと、エルバートは小さくため息をついた。

「それも無理はない。長らく共に暮らしてきた義母の再婚相手に二十四歳の男性、なんて、さすがに受け入れがたいだろう。私と同い年なんだからね。むしろエレナさんではなくフィーリアと夫婦になると考えた方がしっくりくる」

「そっ、そうね」

 さらりと口にしたエルバートの発言に、私はますます固まった。だって、私とエルバートが夫婦になるのが自然って言った? 言った?


 ――いやいや、落ち着かなければ。そんなことは言っていないじゃないか。年齢的には親子よりも夫婦だよね、と言っただけなんだから。「年齢的には」、これ重要。そうだそうだ、全く、私ってばこの間から頭の中がちょっとおかしいみたいだ。


「……やっぱり、混乱しているみたいだね」

 心配そうにエルバートが言った。

 混乱の内容がだいぶ違ったんだけれど、そんなことは口にできるはずがない。適当にうなずいて、どうにかお茶を濁した。


「エレナさんもセルダン伯爵も、本気なのかな。本気ならとやかく言うのは気がひけるけど、フィーリアの気持ちを考えると黙ってもいられない。一度、二人とは話をしたいな」

「お兄様……」


 私はまた目の奥が熱くなるのを感じた。

 一体、いままでに私のことを思いやってくれた人がどこにいただろう? 父が亡くなってからの二年半、誰も私のことなど見向きもしてくれなかった。――もちろん、セルダン伯爵の「気にかけ様」は問題外だ。


「大丈夫よ、私のことは自分できっちり気持ちの整理をつける。もしも、セルダン伯爵とお義母様が本当に結婚することになったとしたらの話だけど。……正直言って、本当に二人が結婚するとは言い切れないし」

 というかむしろしないだろう。セルダン伯爵本人が、「ただの遊び」と言い切っているんだから。


「――いや。ちょうどいいみたいだよ」


 ふと、エルバートは私から目線を外してつぶやいた。一体どういう意味なのか図りかねて、私はきょとんとしたまぬけ顔で続きを促すばかりだ。


「きちんと話をする、いい機会がちょうど今になったみたいだね」


 エルバートの目線の先を追って、私は後ろを振り返った――ら。

 なんと、信じられないことに、ステラと――セルダン伯爵が姿を現したのである。

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