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第10章

 結局その日は、ドレスのほかに、髪飾りなどの装飾品や靴に至るまで、ほぼ一式を買ってもらった。放っておくとベックフォード侯爵がどこまでも買い足していきそうだったので、最後は必死の形相で止めに入る始末。なんのゆかりもない人にお世話になるには、あまりに度が過ぎていた。

 そんな後悔と罪悪感の入り混じった気持ちももちろんあるのだが、やはり、新しい衣装というのは心躍るものだ。頼んだドレスが届くのを待ち遠しく感じてしまうなんて、枯れ果てたと思われた私でも、一応はまだ女心というものを持っていたらしい。


 けれど、心の半分ではまた別の気持ちが渦巻いていた。


 庭園で見かけた、あの二人――セルダン伯爵と、ステラのことだ。


 セルダン伯爵の不誠実ぶりにはほとほと呆れる。だって彼は、口約束とはいえ、婚約をしている身の上だ。その上、超有力貴族の娘と付き合う付き合わないの瀬戸際にもいるようだし。それでいて、また新たに一度ふった(かどうかは定かではないけれど)女性とよりを戻そうだなんて、女たらしにも程がある。第一、ステラの方は本気なのだ。 向こうも遊び半分というならまだしも、本気で自分を慕っている女性と、普通、遊びで付き合えるだろうか。


「気に入らなかったか?」


 帰りの馬車の中、喜びと憤りが入り混じった複雑な気持ちで押し黙っていると、少し困ったようにベックフォード侯爵が私に声をかけてきた。


「えっ?」

「何もかもを私が決めてしまったし、フィーリアは楽しくなかったか」

「あら、まさかそんなことはありません! すっかり全部買っていただいたことは申し訳なく思っていますけど、やっぱり、嬉しいです。はやく完成したドレスを見てみたいと思っていたところですわ」

「だといいが」

 珍しく言葉に詰まる様子の侯爵を見て、私は慌ててしまう 。

「本当です! ……ただ、ついさっき、庭でセルダン伯爵を見かけたものですから」

「キースを?」

「ええ、女の人を連れていました。それで、ちょっと納得がいかなかっただけなんです」

「やきもちか」

 やっと侯爵が笑ってくれたが、「やきもち」などという結論には納得いかない。

「違います! どういう神経をしているのかと、呆れているのですわ。その女の人というのが、ついこの間、私のところに来てセルダン伯爵にふられたと泣いていた人だったから」

「ほう」

 ベックフォード侯爵の瞳が光った気がした。

 ……余計なことを口走ったかもしれない。ごめんステラ。

「めずらしいな。あいつは一度関係の終わった女とよりを戻すことはあまりないと思ったが」

「でもその人だったんですもの」

「なにか事情が」

 ふと、侯爵は呟いたが、途中でぴたりと黙りこくった。

「――いや。そうだな、その女性がよほどの美人だったりしたら、話は別だろう」

「超美少女ですわ」

 結局、男はそんなものなのだ。まったく、これだからちょっと自分に自信のある男はいやだ。やはり男性は、何においても普通に限る。改めてそんな結論に達した私だった。


・  ・  ・


 さて、そんな買い物の日から二日後。

 思いもよらぬ出来事が待っていた。


 当のセルダン伯爵が、久しぶりに我が家を再び訪れたのである。


 もう来ないものだと思っていたから、少なからず驚いた。

 当然ながら、快く迎える気には到底なれない。


「久しぶりだね、フィーリア」

「本当に。今日はどうなさったんです? 忘れ物でもなさったことを思い出しました? でもあいにく、あなたのものは何一つこの部屋にはなくてよ」

「相変わらずのようでなによりだ」


 そういうセルダン伯爵も相変わらずのようだった。

 腹が立つくらいに、最後に会った日から何も変わっていない。


「だがつい先日、思いもかけないところでめぐり逢ったようだけど」

「え?」

「君がサンクローゼのテラスにいるのを見かけたときは、かなり驚いたよ」


 サンクローゼというのはあの服飾店の名前だから、どうやらあのとき、セルダン伯爵のほうでもこちらに気づいていたらしい。まったく、目ざとい男だ。


「だれかの紹介で?」

「ええ、まあ」


 ステラのことで彼を詰問するのもいいのだが、その前に、なぜ自分があんな高級店にいたのかを説明するのは、かなり気が進まないことだった。

 ベックフォード侯爵にドレスをプレゼントしてもらったのは褒められたことではないと分かっているから、言い出しづらい。それに、仮にそれを話したとなれば、どうしてプレゼントしてもらうに至ったのかも説明することになるだろう。エルバートのことはもっと話したくない。セルダン伯爵に弱みを握られるかのようで嫌なのだ。そんな思いから、自然と答えも歯切れの悪いものになってしまう。


「あんな高級店を紹介できる知り合いが君にいたとは意外だけど」

「そうですか」

 もう、そんな話はどうでもいいじゃないの。心の中で抗議したが、セルダン伯爵のほうは一向にこの話題を取りやめるつもりはないようだ。

「そういえば最近、オーウェンと仲がいいようだね」

 ――見透かされている。

「……仲がいいというほどでもありません」

「おたがいの家を行き来して、共に遊びに出かけているのを、仲がいいと言わずに何と言うんだ?」

 駄目だ。完全にバレている。

 私は早々に降参することにした。

「……ベックフォード侯爵から聞いたの?」

「聞いた話もあるし、風の便りで耳に入った話もある」

「もう、何だっていいじゃないの。あなたには関係ないわ」

「関係ある」

「ない」

「ある」

「ない」

「ある」

「ない」

「ある」

「……しつこいわね」

「そっちこそ」

 にこりと秀麗な笑みをたたえ、平然と切り返すセルダン伯爵。


 年頃の娘が、年頃の男性と二人きりで、どうしてこんなバカみたいな会話をしていなくてはならないのか。だがしかし、相手がセルダン伯爵である以上は、これよりも実のある会話など望めそうにもなかった。そういう二人なのだ、私たちは。


「君は一体何を考えているのかな。男が女性に服を贈る意味を考えたことがあるのか」

「ご心配なく。変に自惚れて、舞い上がるようなことはありませんから」

「私とオーウェン二人がかりでも、君を『自惚れ』させることもできないか」

「ようやくお気づきになった? それならちょうど良かったわ。これでようやく、あなたの負けを認めて頂けるということかしら」

「何のことかな?」

「――賭けのことよ」


 今更、しらばっくれるなんて許さない。

 自分が負けたと認めなさい。もう諦めたと言いなさい。そしてここへは二度と来ないと――はっきり言ってよ。


「以前頂いた花束は、あなたの身代わりだと思っていたの。でもそうじゃなかった。今日、あなたは、きちんと賭けの決着をつけるために来てくださったのよね?」

「まだ負けを認めるわけにはいかないな」

 セルダン伯爵は、余裕げな笑みを浮かべている。

「この賭けが終われば、君に会いに来る口実がなくなってしまう」

「まだそんなことを仰るの?」


 腹が立った。

 もう、いい加減にして。

 これ以上私に惨めな思いをさせないで。一切、期待も持たせないで。

 そして――


「――これ以上、あなたに幻滅させないでよ」

「おや、まだ私は、君の中で落ちるところまで落ちていなかったのか。それは嬉しいね」

「私も驚きだわ。まだ底が見えないなんて」

「どこまで落ちようとも、そこから這い上がるまでさ」

「簡単に言うのね。でも、あなたには無理よ。私はあなたみたいな人が大嫌いなの」

 嫌い、嫌い、嫌い。

「そうやって、息をするように甘い言葉を吐くところも」

 嫌い。

「誰彼構わず甘い笑顔を見せるところも」

 死ぬほど嫌い。

「どうでもいい相手に、無駄に愛想を振りまくところも――大嫌い」

「それはどうも」

 セルダン伯爵は、まったく堪えた様子もない。

「私にとっては、『嫌い』というのは誉め言葉にも等しいよ。その言葉通りの意味を為さないこともあると知っているからだ。ねえ、君のその情熱的な『嫌い』の裏には何がある?」


 ――この男は、本当に。


「……非常に前向きな解釈をなさるのね。でも、私は単純ですから、言葉通りの意味以外には考えも及びませんわ」


「フィーリア」

 セルダン伯爵は、静かに私の名を呼んだ。

「私が今日、ここへ来たのはどうしてだと思う?」

「ですから、賭けの負けを認めに来てくださったのかと」

「そうではないと言っている。ならば何故だ?」

 私はたじろいだ。

「いつものように、私をからかいたかったのでしょう」

「残念、外れだ」

 そう言うと、セルダン伯爵はこちらへ歩み寄って私の手を取った。そしてあろうことか、その手の甲に唇を寄せ、キスを落としたのである。

「!?」

「本当は、ドラモンド公爵令嬢の件が落ち着くまでは来ないつもりだった。少しの間だけだと自分に言い聞かせてね。だが我慢ならなかったよ。君が、私に黙ってオーウェンと二人で会ったりするからだ」

 セルダン伯爵は、怒ったような眼差しで私を見つめた。捕らわれたままだった手を引かれ、彼との距離が一気に縮まる。

「君が我が親友と恋に落ちたとなれば、それほど心重く苦しいことはない。この気持ち、君にはわからないかもしれないが」

 この気持ちもどの気持ちも、何がなんだか分からない。

 セルダン伯爵の囁くような声が、すぐ耳元で聞こえてくる。

「この数週間、君に逢えず寂しかったよ」


 ――これはちょっと、反則だ!


 私は思わず後ずさろうとしたが、右手をセルダン伯爵に囚われているままだったので、それは叶わなかった。一気に顔が上気していくのが自分で分かる。


「ねえフィーリア、オーウェンとはただの友人に過ぎないのだろうね? あいつの気まぐれに付き合ってやっただけだと、そう言ってくれないか」


 近い。

 近すぎる。

 前にダンスを真似て彼に身を寄せた時とは、何かが違う。

 手が震えてしまいそうだ。胸の鼓動が不自然に激しいことに、気づかれてしまいそう。


「フィーリア」


 熱のこもった声で私の名前を呼ばないで。

 お願いだから、勘違いさせないで。


 私はぎゅっと目を瞑った。


 途端、広がったのは、漆黒の暗闇。

 そして――無数の星の瞬き。


 一気に「あの日の晩」へと意識が引き戻された。


 ――彼女みたいな箱入り娘は、好みとは程遠い。

 ――ただからかって遊んでいるだけ。

 ――どうせすぐ飽きる。

 ――女としての魅力は、全くない。


 そうだ、私は。

(もう二度と、間違えたりはしない)


「……ああ、答えが分かったわ」


 私が小さく呟くと、セルダン伯爵は不思議そうに私の顔を覗き込んだ。


「あなたが今日、どうしてここへ来たのか」

 自然と、乾いた笑みが漏れた。

「負けを認めに来たわけじゃない――そうね、そうだわ。むしろあなたは、勝ちに来た。そのために一気に攻勢をかけてきたのね。恐ろしい人、こんな小娘の胸を容赦なく刺し貫こうとするなんて」

「……かすり傷も負わせられなかったようだが」

「ええ、なんとか無傷で済んで良かったわ」


 ゆるりと首を振りつつ、セルダン伯爵につかまれたままだった右手をそっと引き抜いた。

 だが、すぐにまたその手を捕えられる――先ほどよりも強く。


「なに」

「フィーリア、まだ先ほどの質問の答えを聞いていない。君、オーウェンに惚れたわけではないんだろうな?」

「……当り前じゃないの」

 セルダン伯爵の剣幕に気圧されて、私は弱々しくも素直に答えた。

「どうかな。あいつは大らかで気のいい男だ。顔の良し悪しで心動かされることのない君も、十分惹かれる要素があるのでは?」

「向こうがそのつもりもないのに、一人で舞い上がったりしないわよ」

「また、君は」

 セルダン伯爵はわずかに目を細めた。

「どうして君は、私やオーウェンが君に惹かれるはずがないと決めつけるんだ。人の心なんて、いつどうなるか分からないものだろう」

「どうにもならないことだってあるわ」

 私はセルダン伯爵を強く睨んだ。

「それを証明するために、こんな賭けをやってるんじゃないの。なのに、無理やり言葉で、私をねじ伏せようとしないで」

「……」

 私の手首を掴むセルダン伯爵の力が、わずかに緩んだ。

「……そうだな。君の言う通りだ」

 息を吐きつつ、そう呟く。

「やはり私は、この賭けに勝たねばならないようだ」

「勝てるものならね」

 挑戦的な私の台詞に、セルダン伯爵は少し笑っただけだった。


・  ・  ・


 その晩、私はベットの中でなかなか寝付けずにいた。


 私は、全然、無傷でなんていられなかった。

 長らく姿を見せなかったセルダン伯爵が、また私に会いに来たこと。彼の友人との仲を嫉妬し、心配するようなそぶりを見せたこと。私の手を取り、その甲に口づけて、耳元で囁いてきたこと。そのすべてに、私はすっかり動揺していた。

 それがどんな意味を持つのか。――考えるな、と私の頭の中で警鐘が鳴り響く。

 でも、いくら目を逸らそうとしても、結局その目線の先に見知らぬ「何か」が横たわっているのだ。それを直視してしまったら、きっと私は苦しむことになると分かっているのに。


 セルダン伯爵の言動を真に受けてはいけない。

 私とベックフォード侯爵の関係を気にする傍らで、あの人は何をやっていた? そうだ、公爵令嬢とダンスをし、美しい未亡人と逢瀬を重ね、社交界一の美少女と庭園を散策していたのだ。そんな華麗で最低な彼の日常生活の中で、私みたいな娘を本気で気に掛ける瞬間があるはずもない。


 気が付けば、涙が目尻から伝い落ちていた。

 

 悔しい。

 彼の口説き文句に動揺してしまったこと、気づかれていただろうか。

 大嫌いだという言葉を口にすることで、どうにか自分を奮い立たせていたのだって。

 強く彼を睨みつけていたのも、ただの虚勢に過ぎなかった。

 そうした全て、セルダン伯爵には見抜かれていたかもしれない。


 ――悔しい。


 私はいつの間にか、泣き疲れて眠りに落ちていたのだった。

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