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第9章

 エルバートお兄様が帰って来る。

 あれだけ喜んでおきながらしばらくは半信半疑だった私だけれど、その数日後に実際にエルバートからその旨をしたためた手紙が届いたのだから、これはもう手放しで喜んでいいだろう。


 ああ、嬉しい! どうしよう、嬉しい!


 相変わらずセルダン伯爵は来ないけれど、来たってまともに相手をできる自信はなかったので全然かまわない。

 だが、伯爵が音沙汰無しの一方で、ベックフォード侯爵はいやに私にかまってくる。先日も、私がいつも適当な店で適当な服を買っていると言ったところ、彼がよい仕立て屋を紹介してくれることになってしまった。「せっかくだ、エルバートとの再会に向けて、男心をがっちり掴む最高のドレスを見立ててあげよう」なんて言っていたから、どうやら単に店の紹介だけでは収まらないらしい。


 まあ、それもどうでもいい。なんといっても、エルバートが帰って来るんだから!


 そして、買い物当日。

 ベックフォード侯爵の馬車が私を迎えにやってきた。


「なんだ、ずいぶん楽しそうだな。そんなに私と出かけるのが嬉しいのか?」

「はいはい、それで結構ですわ。ですから早く行きましょう」

「まったく、いい態度だ」

 肩をすくめたが、別に気を悪くしたわけではないようだ。この程度で怒るような人でないことは、短い付き合いながらもう分かっている。


「今日は、わざわざお付き合いくださってありがとうございます」

 馬車に乗り込んだ私は、まずは今日のお礼を伝えた。

「なに、私も件の店にはしばらく顔を見せていなかったからいい機会だ。それにレディのドレスを見立てるなんて滅多にないことだしな」

 やはり、彼がドレスを見立てる方向で決定らしい。

「どんなドレスを見立ててくださるんですの?」

「そうだなぁ。エルバートが好みそうなものといえば、清楚な感じのドレスだろうな。あいつは派手なのを好まない」

 よかった。ド派手でグラマラスな赤いドレスでも選ばれたらどうしようかと思っていた。

 それに、意外にもエルバートお兄様の好みを正しく理解しているようなので、私の中でベックフォード侯爵の好感度が少し上がった。

「君がよく着ている茶系の服は、似合ってはいるが、少々地味すぎる。今日は薄いピンクのドレスにしよう。それで小物はシンプルだが品のいいものを揃えて」

「え、私、ピンクなんて似合いませんわ」

 はっきり言って私はあまり、そういう感じは似合わない。ド派手な赤は論外として、可愛い系も落ち着かないのだ。だからいつも無難な色の服や小物を身にまとっている。一応、自分自身のことは自分で分かっているつもりである。

「似合うさ。フィーリアは何でも似合うタイプの娘だと思うぞ。こう、派手に主張する部分がないからな。色んなものに適応できる顔だ」

 それって、何のとりえもない地味な顔ということになるのでは。

 微妙な表情を浮かべていると、ベックフォード侯爵は豪快に笑い飛ばした。

「褒めているんだ、そんな顔をするな。――さあ、着いたぞ」


 馬車が止まった先は、立派な貴族の邸宅ともいえる建物だった。

 もしかしなくとも、ここは、超一流貴族御用達で有名な、超高級服飾店ではなかろうか。そう、特に、王室の方々の衣装を扱っているような。


「こ、ここ、ですか?」

「ああ」

「ここは、ちょっと」

「なんだ?」

「……予算が……」


 恥ずかしいが、言うしかない。予算が足りません。そりゃあ、侯爵様のご紹介というからにはそれなりの覚悟はしていましたが、この店は無理です。

 しかし、かすれた声で「予算が」と口にしただけで、ベックフォード侯爵は全てを察した様子で、「まったく」と首を振り私を制した。


「一体何を気にしているんだ。まさか一緒に買い物に来て、君に払わせるとでも思っているのか? 余計な心配はしなくていい」

「えっ? だ、駄目ですそんなの。私、自分で払います」

「もちろん私が払う」

「だめですってば。払ってもらう義理はありませんし!」

 ベックフォード侯爵は珍しく渋面を作った。

「義理ってお前な。色気も何もないことを言うんじゃない。フィーリアは女で、私は男だ。それだけで十分じゃないか」

 そういうものだろう、と、侯爵はごく当たり前のように言う。しかし、色気だ何だと言っても、今日買おうというドレスは、エルバートと会うときのものだ。他の男のためのドレスを買ってやる男なんて、そもそも変じゃないか。


「絶対だめです」

「本気で払うつもりで来たのか」

 もちろん、と、私は厳粛な面持ちで頷いた。――本気に決まっている!

「私に恥をかかせる気か?」

「だって」

「だってじゃない」

「でも」

「でもじゃない」

「あのう」

「あのうじゃな……ん?」


 突然私たちの背後から別の声がかかった。

 振り向くと、一人の老紳士が遠慮がちに立っているのが目に入る。

 しまった、店の前で喧嘩なんかして! よく見れば、老紳士のほかにも数人の店員らしき人たちがいるではないか。聞いていませんというようにきっちりと入り口に立っているが、聞いていたのは火を見るよりも明らか。……最悪だ。


「いらっしゃいませ」

 だがしかし、老紳士はまったく何事もなかったかのように礼儀正しくお辞儀をした。

「お久しぶりでございます、ベックフォード侯爵」

「ああ、本当に久しぶりだな。一年近く経ってしまったか」

「左様でございます。もう少しお越しが遅ければ、私は棺桶の中からお出迎えをしなければならないところでした」

「さっそくの毒舌とは手厳しい」

 おそらくこの老紳士は、店の支配人か何かだろう。これくらいの高級店の重役ともなると、侯爵相手にこんな皮肉めいた会話が許されてしまうのか。……私の日ごろの言いようはどうなんだという疑問は置いておくとして。

「ですが、このように素敵なレディとご来店頂けるとは、大変光栄でございます」

「どうだ、少し寿命が延びただろう」

「ええ。この老いぼれの寿命が尽きないうちに、ぜひまたご協力を」

 ベックフォード侯爵は鷹揚に笑った。


「それで、本日はどのように」

「ああ、清楚な感じのする、薄いピンクのドレスがいいかと思っているんだが」

「なるほど、お客様にはぴったりでございますな」

「普段が見ての通り地味で子供っぽいからな、今回はもう少し華やかで女性らしい形で」

 むっ。

「そのように」

「あと、ドレスに合いそうな小物も数点見せてくれ」

「かしこまりました」

 老紳士は一礼して下がったかと思うと、すぐに布を手にして戻ってきた。

「こちらはいかがでしょう」

 きれいな薄づきのピンク色。触らずとも見ただけでその柔らかさが分かるような、素晴らしい布だ。思わず見とれていると、ささっと脇から店員たちがやってきて、その布を私に巻きつけ始めた。

 巧みに布を私に当て、大鏡にその姿を写す。まるで、もうドレスをまとっているかのように見える。

「うん、いいな」

 その様子を見て侯爵は満足げにうなずいた。


 確かに布はこの上なくすばらしいが、それが私に似合っているかとなると、やはりどうも違う気がする。しかしあまりにスムーズに話が進んでいくので、私は口を挟むことさえ許されなかった。そして、そうこうしているうちに、髪飾りやらネックレスまでが選ばれていく。


「ベックフォード侯爵、ドレスだけで十分ですっ」

「靴はどうしようか。赤にするか、それとも」

「足元の派手色は全体的に派手に見られる要因になります。清楚さを求めておられるならば、白系がよろしいかと」

「赤も白もいりません!」

「そうだな、それじゃあ白でいこう。華奢な作りのものがいい」

「かしこまりました」


 一応口を挟んでみたが、やっぱりダメだ。ドレスを着る当の本人がこんなにも主張しているのにすべて無視。すぐに用意された靴は、おとぎの国のお姫さまが履いていそうな、華奢で美しいものだった。……これを私が履くって?


「侯爵、いいですか、私はただ従兄と会うだけですのよ。こんな、国王主催の舞踏会ですら人目を引くような豪華な装備はおかしいです」

「大丈夫だ、ドレスのデザインは大人しめにしてもらうからな。十分普段使いができるぞ」

「私にはできませんわ! どの晴れ着よりも高価になりそうですもの」

「きっとエルバートは喜ぶぞ。かわいい妹だった娘が、久しぶりに会って立派なレディになっていたら」


 うっ。――ちょっと素敵なフレーズだ。でも。


「……ドレスだけで、私は変われませんわ。逆に浮いてしまうに決まってる」

「ドレスだけで十分女性は変われるさ」

「人によります!」

「まったく、本当に、どうして口だけはこんなに達者に育ったものかな」

 私を説得することを諦めたのか、ベックフォード侯爵は再び無視の姿勢をとり始めた。老紳士とああでもないこうでもないとドレスのデザインについて話し合っている。

「……ちょっと風に当たってきます」

 どうあがいても埒が明かないようなので、私も諦めてその場を離れた。もう好きにしてくれ。ベックフォード侯爵が払ってくれるっていうなら、なんでも好きなもの買ってください、ええ。


・  ・  ・


 バルコニーに出ると、少し強い風が私の身体にまとわりついた。しかしそれも一瞬で、すぐに穏やかで暖かい日差しが私を迎えてくれる。もう秋も中ごろだが、日中はまだまだ暖かい。


「わあ、素敵」


 バルコニーから見える景色は、一面立派な庭園だった。

 そういえば話に聞いたことがあるが、ここの庭園は広くとても美しいので有名で、この店の常連客ならばいつでも気軽に遊びに来てもいいらしい。とはいえ、こんな高級店を贔屓にしている貴族はさすがにあまりいないから、人気ひとけはないといってよかった。


(なんだか変な感じだわ、私がこんなところにいるなんて)


 私はバルコニーの柵にもたれかかって頬杖をついた。

 ぐるりと庭園を眺めていると、二つの人影が目に入る。ああ、やっぱりいるものなんだなぁ、などと思いながら、庭園を散策している二人の男女を目で追っていたら――


 あの二人は、まさか。

 ――セルダン伯爵と、ステラではないか!


 私は本の虫だが視力はいい。

 遠目ながらも、確信が持てた。


(こんなところで、二人でなにを)


 セルダン伯爵は、公爵の娘にダンスを教えるので忙しいのではなかったのか。それに、ステラが「全然伯爵が逢いに来てくれない」と泣いていたのは、つい先日のことだったのに。


 疑問に思いながらも、同時にすぐに、私の中に答えは見つかっていた。

 二人の関係が戻った、と、ただそれだけのことだろう。

 仲睦まじく歩く姿は、まるで一枚の絵画のようだ。


(そうか、ステラは本当にセルダン伯爵のところに乗り込んだんだ。それで、想いが報われたっていうことなのね)


 ここからでは遠すぎて、二人の表情までははっきりと見えない。しかし、セルダン伯爵がとても柔らかな物腰でステラに接しているということは、雰囲気からでも見て取れた。ステラもステラで、それを当然のように受け入れている。


 付き合って、別れて、またよりを戻して。

 男の方には、婚約者が別にいて。


 男女の仲というのは、なんてお手軽なものなのか。恋愛感情ではないけれど、四年間もエルバートを恋しがっていた私のほうがおかしいのだろうか?


(それが正しい恋愛の駆け引きだというのなら、やっぱり私には無理だわ)


 お似合いすぎる男女が、これまたぴったりの美しい庭園で優雅に散歩するさまを見学していたって、まるで楽しくない。


 私はすぐに店内へ戻ってしまった。

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