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絶海の孤島と魔導少女 -短編集-  作者: 羽柴和泉
すみれ色の恋模様(完結)
18/21

願わくば、その想いが叶うまで

Attention


・2016年12月8日~2017年3月30日までの間に投稿した短編を纏めて再投稿したものです。


・前回投稿した「どう転ぶかなんて、分からないから」と「それが彼の出した結論ならば」の続きです。


・志賀直哉著「城の崎にて」「小僧の神様」「自転車」、小林多喜二著「独房」を読んでいるので、著しく文体や描写の仕方にその影響が表れていますが、まあ温かい目で見てくれると幸いです。


・アールグラスが色んな人に応援されて恋を成就させるお話。


・原稿完成直後、めっちゃ長いやん!と誇らしげだったのに、いざ公開してみたら一番最初のが一番文字量多かったという罠。チクショーメー!



総文字数は、11,815字です。

だいぶ長いので、作業の合間にでもどうぞ。

レオの部屋を訪問した、翌日の朝。


僕は、再びヴェスリー訓練司令官と会話する機会を得た。

今度こそは恋愛相談の体裁だけでも保とうと意気込み、再び彼の顔と真剣に向き合い、僕はレオの部屋で自覚したミヤラへの恋慕(れんぼ)を話した。


彼女が僕の事を好きなように、僕も彼女の事が好きなこと。

それは、誰に強制された訳ではなく、僕自身の強い責任感や優しいだけの同情心からでもなく。

僕の拙い言葉では表現できないけれど、それでも、僕は僕の確固たる意志でミヤラを好いていること。


そして、ここに居る、小難しい理屈や感情論が一切ない、単純な理由。

それら全てについて僕が語り終えるまで、彼は平生通りの、眉間に(しわ)を寄せたままの不機嫌そうな仏頂面のまま、しかしどこか真剣味を帯びた雰囲気で僕の話を聞いていた。


「…………。……ほう、そうかィ……」


やや間をおいて、ぽつりと漏らされた感嘆の息。

前回とは明らかに異なる彼の反応に、ああ、やはりこれこそが正しかったのだと、改めて噛み締めた。


「いやまァ、まずァ自覚したようで何よりでェ。そうでなきゃア、いつまで経っても解決しねェかンな」


「それで、僕はこれからどうするべきでしょうか」


「んァ? おめェさんはどうしてェンだィ?」


口元を(ほころ)ばせる彼に、安心した僕が焦って回答を迫ると、まあまあ、となだめる様に問われた。

どうしたいかと言われても、それについては、一番僕が知りたいのだ。


これからどうするべきか。

答えはイエスかノーの二択しかない。

二択しか無いからこそ、その選択肢が重いのだ。


ミヤラの想いに応えれば、そしてその応える理由が、僕も好いているからという理由ならば、彼女はとても喜ぶだろう。

だが、それ以上踏み込まれた時の、つまり俗に言う恋人同士となった場合のことについて、僕が彼女の期待通りに行動できるかと問われれば、答えは否である。


不器用な愛し方などしてしまえば、逆に彼女を傷つけてしまう。

ノーと言っても同じことだ。


そもそも僕はミヤラのことを好いているのだ。

お互いがお互いのことを好いているはずなのに、ミヤラの恋が成就しないなんておかしいだろう。

何がどうおかしいのか、僕にはとても説明できないけれど、誰がどう見てもおかしいと思う。


「……ところでよォ、俺とおめェさんの付き合いも長いモンだよなァ。

 おめェさんがまだ、魔力持ってるだけの素人だった時からか?だいぶ長ェよなァ」


何も言わないままでいると、事も無げにヴェスリーさんがそう言ってきた。

返答に焦れていた風でも、あえて話題を逸らした風でもなく、あくまでも、事も無げに。

まるで、世間話でもするかのように。


「え、ええ、そうですね……」


どういう回答をすれば良いのか分からず、といった風で僕が生返事をすると、彼はやっぱりかィ、と苦々しく呟いた。


何がやっぱりなのだろうか。

見当すら付かず、目をぱちぱちと瞬かせていると、


ガシッ!とオノマトペが付きそうな勢いで彼の皺だらけの手が僕の両頬を包み込んだ。


いや、包み込んだ、というほどの柔らかさや温もりは無い。

平手打ちを叩きつけて父が我が子を叱るような厳しさと、僅かな優しさがあった。


「てめェの思考なンざ読めてるって事でェ。どーせ、どうでもいいことでうだうだ悩んでンだろ、エエ?」


いいか、と目だけで語りかけられる。

彼の鋭い眼光に、僕は物も言えない貫禄を感じていたから、僕は首をコクコクと振ることもできずに固まっていた。


「何も始まンねェうちから悩んでンじゃねェよ。その様子だと、嬢ちゃんに想いすら伝えてねェんだろ? 

 っつーことは、今まで通り嬢ちゃんの片思いのまんまって訳でィ。でも、違ェだろ? おめェさんの気持ちは、どうなんだよ?」


「…………僕は、……ミヤラのことを、好きです……」


勢いに押され、異国の文章を拙い英文で訳したかのような言葉になってしまったが、他人の前で初めて、己の剥き出しの感情を吐露(とろ)する。

顔が燃え盛っているのかと錯覚するくらいの熱量を感じたと同時に、憑き物でも落ちたかのように、胸のつかえがスッと取れた気がした。


そうだ、彼女にこの想いを伝えることが優先なんだ。

そうでないと、僕は、ますます彼女を不安の淵に追い込んでしまうことになる。


「……そーゆーこった。

 やれやれ、こんなに拗れて、捻じれまくった恋愛なんざ初めてだったぜェ。ハァ」


彼はわざとらしく大きなため息をついた後、僕の両頬を挟んでいた手をパッと放し、凝った肩をほぐす仕草をした。


これは、何か御礼をしろという彼なりの合図だ。

僕との付き合いが長いヴェスリーさんが僕の思考回路を読み取れるのと同じくらいに、僕もヴェスリーのちょっとした所作である程度の意図は感じ取れるようになった。


それが理論的に幸福なことなのか、不幸なことなのかは分からない。

ただ、例えば満場一致で不幸なことだと結論が出たとしても、僕はそれが幸福なことだと思っている。


「ン? テメエ、いつまでそんなことに突っ立ってンだァ?」


「……えっ、?」


もしかして、思い立ったが吉日、すぐに思いを告げて来いということだろうか。


いやそれは、心の準備というものが……と、心の中で言い訳をしていたが、やはり嫌な予感というものは当たるものである。


「いつか、そのうち……なァんて悠長なこと考えてたら、そンままズルズル結論を引きずっちまって、結局何もできねェまんま終わっちまうぞ、ン?」


「も、もっともです……」


正論すぎて、何も言い返せない。


委縮(いしゅく)してそう言葉を返すも、なかなか動こうとしない僕に彼は痺れを切らしたのか、ガスッと僕のふくらはぎを蹴ってくる。

所謂(いわゆる)弁慶(べんけい)の泣き所を思い切り蹴られた僕がその痛みに悶絶(もんぜつ)し、痛みが過ぎ去ってからようやっと顔を上げると、素知らぬ振りをしている彼が煙草に火をつけようとしていた。


もうこの話は終わりらしい。

まあ、一度結論が出てしまったものを、もう一回最初から掘り返すなんて徒労に帰すだけだけれども。


ありがとうございます、と早口でお礼を言い、頭を下げて感謝の意を伝えると、彼は煙草を口に咥えたまま右手だけを上げて、おう、と短く呟いた。


(さて、どうしようか……)


いや、どうしようも何も無いのだが。

と、自分で自分にツッコミを入れる。


どうするか何て明白だ。


早い話、漠然(ばくぜん)とした将来の事なんて深く考えずに、今も一人片思いをしている彼女を安心させるために自分の想いを伝えれば良い。


それが最善かつ、最高の行動なのだが……。


「どうしましょう、グルスミン氏」


自分ではどうしようもできない局面に陥った時、すぐ癖のように相棒に頼るのは僕の悪い所だ。


頼られたら、待ってましたとばかりに答えをくれる彼も悪いと思うのだけれど。

責任転嫁するようで見苦しいが、本当にそう思う。


『……少し、時間を置くべきですな』


ほら見たことか。

すぐに答えをくれる。

だから僕は彼の優しさに甘えて、その結論に至った論理的な理由を訊いてしまう。


「なぜです?」


『確かに、ヴェスリー訓練司令官が仰ったように、あまり長い時間を掛けるのは良くないことです。感情が風化してしまう。

 資料作成時は最善と思ったのに、いざその発表するに至った時、もしかして欠陥があるのでは手直しする必要があるのではと余計なことを考えてしまう。

 そうなるリスクを抱えている以上、ヴェスリー訓練司令官が諭したことは最もですが、しかし早計過ぎるのも考え物ですな』


君の場合は特に、と付け足されて、思わず首を捻る。


僕の場合は特に……? 


確かに、資料作成の例は納得できる。

自分一人だけで作った資料には客観的な見方や思考が含まれていなかったり、勢いで仕上げたりすると論点があちらこちらにずれまくって、一体何を主張したいのかが分かりにくかったりすることがしばしばある。


だから、完成したからといって、何の添削も加筆もしなかったりするのは良くない。

時間を置いて自分で熟考したり、あるいは第三者に協力を求めて公正公平な意見を聞いたりする。


だが、今回の場合、早計過ぎると良くないというのがよく分からない。

むしろ気持ちが変化しないうちに行動を起こすべきではないだろうか。


『今回の君の場合、自分で深く考えたりするのばかりではなく、レオランス・ダーロンウィル君に意見を仰いだり、ヴェスリー訓練司令官に相談を受けてもらったりしていますね? 

 

 その気持ちが本当に君自身の、君だけの想いなのか、それとも他人の意向が混入しているのか、分からないではないですか。濾紙(ろし)でじっくり不純物と必要なものを()すように、自分の想いと自分の主張に乖離(かいり)が出ぬようにしなければならないのです』


なるほど……引用してきた文章を鵜呑(うの)みにするのではなく、どうしてその主義主張に至るのかを自分なりに整理して、空で言えるようにしろ、という訳か。


この考えをグルスミン氏にそのまま話すと、なにやらぶつぶつと『確かに根本的な部分は合っているのですが……こう、本質的な部分で違うような……』と言っていた。


どこかどうずれているのだろう。

よくヴェスリー訓練司令官に、違う、そうじゃねエ、って言われるけれど、それと似た要因なのだろうか。

グルスミン氏が否定しないということは、決して肯定できる訳ではないけれど、限りなく正解に近い不正解ということなのでそのまま放置しておく。


「さて、と。時間を置くということは、グルスミン氏、仕事に戻っても宜しいということですか?」


色々慣れぬことを立て続けに行ったせいで、頭がパンクしてしまいそうだ。

一度、通常業務に戻ることで頭を切り替えられないだろうか。


『……はあ』


いつもの明朗な返答は返ってこず、代わりとばかりに深い溜息を吐き出された。


そ、そんなに僕の見解は間違いだらけなのか。

苦手意識は持っていたし、得意じゃないという自覚もあったので、多少は手厳しい指摘を受けても、そういうものかで片付けていたけれど、さすがにこうまであからさまに呆れられるとムッとする。


やり場のない怒りを抱えながら休憩室を去り、通路を歩いて自分のデスクに戻る途中、無性に喉が渇いたので休憩室外の自動販売機で飲み物を買った。


ガチャン、という飲み物が落下する音をぼんやり聞いて、取り出すために腰を屈めるとそこに重い衝撃がかかった。


ドン、と突き飛ばされたような感覚。

反動で前につんのめり、自動販売機のガラス面に頭を強打する。


「にゃははっ、どうしたの、アールグラス。いつもは余裕な態度で避けるのにー」


痛みを堪えつつ、僕の腰に重い負荷をかけた正体を探ろうと振り返ると、そこにはしてやったりという顔をした総大将が居た。


ドンと突き飛ばしたであろうその姿勢のままで、人懐っこい笑みを浮かべている。

彼女の童顔と合わさって、いたずらしたい盛りの子どもみたいだ。

とても齢四十とは思えない可愛らしい行動に、くすりと釣られて笑ってしまう。


「いえ、少し考え事を」


笑みを浮かべながらそう答えると、未歌さんは不思議そうに首を傾げた。


「へえ、珍しいね。君が考え事なんて」


「え、ちょ、どういう意味ですかそれ」


取り出されずじまいの飲み物を、代わりに腰を屈めて取ってくれた未歌さんに、お礼の意を込めて会釈をする。


だがそれとこれとは話が別だ。

珍しいとは何だ、珍しいとは。

僕だって悩みくらいある。


未歌さんにだってあるはずだ。


「ん? 違うよ、誤解させてごめんね。恋愛絡みの考え事なんて、珍しいなぁって。

 アールグラスって、お堅いイメージあったし、そういうのとは無縁だと思ってたから」


飲み物を口に含んでいなくて良かった。

一秒早く缶に口をつけていたら、中身をブッという音とともに吹き出してしまっていただろうから。


「え、え――、えっ!?」


僕は悩みの種が筒抜けなことにまず驚愕した。


そんなに自分は分かりやすい顔をしていただろうかという疑念から酷く狼狽もした。

情けないくらいに冷や汗が出る。

ろくな反論も弁解もできずただ酸素を求める金魚のように口を開閉させることしかできなかった。


「にゃははは、大当たり、って顔だね?」


そんな僕の顔を見て――たぶん、自分でも笑えるくらい面白い顔をしているのだと思う――未歌さんが可笑しそうに笑った。

次いで、僕に気を遣ってか、この通路を通る隊員の影が見当たらなくなった頃合いを見計らって口を開く。


「だって、本当に分かりやすいんだもん! なんかこう……オーラっていうの? 

 僕、色恋で悩んでますよオーラみたいなのが出てるんだもん! おっかしーい!」


けらけらと声を立てて(はしゃ)ぐ未歌さん。


そうか、そうだったのか。

やっぱり慣れないことはするものじゃないな。


「変、ですかね……やっぱり」


自分でも正直自信が無い。


今まで一度も経験したことが無い、という経験不足からくる不安というのもあるけれど、それ以上に。

……本当に、僕が、僕なんかが、人を幸せにできるのか。


「んー? 変なんかじゃないよ」


「で、でも、その割には笑い転げていたじゃないですか。やっぱり、僕には似合わないってことなんじゃ……」


「そりゃ、似合わないよ。似合ってたところ見たことないもん」


その理屈はおかしいんじゃ……とツッコミを入れる余裕すらない。

大袈裟かもしれないが、この時僕はかなり追い詰められていた。


一度手に入れた自信が、音を立てて崩れ去っていくような気がした。


「そんなに悲観することもないよ。なるようになる、それだけじゃない」


落ち込みかけた肩をバシンと叩かれて、弾かれたように背筋が伸びる。

顔を上げると、年齢相応の静謐(せいひつ)で温和な微笑みが目の前にあった。


これがもし、他の人、例えば仕事の同僚とかに言われたのならば、綺麗事だと突っぱねていたかもしれない。

でも、その言葉で全てを割り切ってきた、その言葉の重みを何より理解できる人が静かな笑みをたたえてそう言うのならば。

それもそうかもしれないと自然に納得してしまう。


人生の辛酸(しんさん)を舐め、酸いも甘いも味わってきた過去の覇者が言うからこそ、たった一言で励まされたと感じるのだ。


元気づけられもしたし、勇気づけられもした。

全てのプラスの感情が、心の中に雪崩れ込んでくるような。

全ての不安を払拭し自信に変えるような、確信に満ちた言葉だった。


「……ありがとう、ございます」


思わず、感謝の念が口をついて出る。


ここで、え、なんのこと?と、とぼけるようなわざとらしさは披露されない。

素直にどういたしましてと彼女の口から出るのが、まさしく彼女の器の大きさが為せる業だというものだ。



◆◆◆



夕陽の暖かで、しかしどこか淋し気な光が、隊舎全体を包み込むようになった頃。


僕は隊舎一階のエントランスの雑踏(ざっとう)にて、かつかつと忙しげに動き回っていた。


せかせかと歩きながら時計を確認する様を見て、通り過ぎていく隊員たちは、ああ今日も忙しいんだなあと労わるような視線をかけてくれるが、僕は仕事なんかしちゃいない。

ただ、待ち人を待つために、先ほどからエントランスを右往左往しているのだ。

事実、僕の姿を最初から認めている受付の隊員なんかは、何をしているのだろうという疑惑の目をぶつけてくるくらいである。


エントランスの扉が開くたび、期待するようにそちらに目を遣るも待ち人が現れることはない。


何度も同じ事を繰り返すうちに、いつしか期待することをやめた頃。

途方に暮れた僕の目に、ようやっと目的の人物が映り込んだ。


「あ――」


隊指定の制服を着崩し、疲労困憊(こんぱい)といった様子でエントランスに現れた三人組。


いち早く真ん中の子が僕に気が付き、手を振ってくる。


「アールグラスさん! どうしたんですか、仕事ですか?」


着崩していた制服を手で引っ張り、何とか体裁を繕おうとする茶髪の少女――『獅醒(しせい)(ほふ)り手』羽柴瑞紀。

その右隣で、お疲れ様ですと敬礼付きで言ってくれるのは青い髪の青年――『狂瀾(きょうらん)の押し手』レオランス・ダーロンウィル。

そして、僕の姿を認めるや否や瑞紀の背中に隠れてしまった僕の待ち人――『輝硝(きしょう)の撒き手』ミヤラ・グロートモング。


「あ、うん、そんなところかな」


瑞紀の質問に歯切れ悪く答え、次いで友人の背に隠れたままの少女を見やる。

何か言いたげな僕を見て、もしや昨日の夜の出来事と直結しているのかと直ぐに察してくれたレオ。

彼は瑞紀とミヤラを引っぺがし、頭上に疑問符を浮かべている瑞紀を引っ張るようにしてどこかへと去っていった。


僕の気持ちを忖度(そんたく)してくれた彼に感謝しよう。

後日何か美味しいものでも奢った方が良いだろうか。


そしてこの場に残された、あまりにも一瞬の出来事に理解が追いつかないどころか、いきなり想い人と二人きりにされたという現状に赤面しているミヤラと、そんな彼女を見て心から愛おしいと思う僕。


柄にもないことを思うようになるとは、これはいよいよ僕も気持ちの整理がついてきたってことかな。


「えーと、ミヤラ? 今、大丈夫?」


明らかに大丈夫ではないが、一応そう確認を取ってみる。


案の定、パニックに陥る寸前の真っ赤な顔で


「ちょ、ちょっと待ってください!」


という答えが返ってきた。


平生の僕なら、彼女の気持ちを思いやって大人しく待っていたのだろうし、彼女もそれに甘える気でいたのだろう。


だけれども今の僕には余裕がない。

今まで抑え込んでいたものが、今にも爆発してしまいそうなのだ。


と言っても公衆の面前で思いの丈を暴露できるほど、僕は青くない

だから彼女が過呼吸になってしまう前に、その手を強引に掴んで、とりあえず近場の資料コーナーに隠れることにした。


高い衝立(ついたて)に囲まれている資料コーナーは、外部からのお客さん用に設置された場所で、隊員には用も縁も無い所だ。

かといって今更訪れる外部の人間もいないだろうし、人目を(はばか)るには絶好の場所である。


ふうと一息ついて、掴んでいた腕を解放してあげると、彼女は風を切るかの如き速さで僕と距離を取った。


……あれ? 

僕って好かれてるんだよね? 

なんか嫌われてるみたいなんだけど……。


「ちちち違うんです! えーと、あのっ! 

 アールグラスさん、と二人だと、その……。あの時の事、思い出し、ちゃって……」


あの時の事? と記憶を手繰る。

そんなに古い記憶ではないはず。

こんなにミヤラの様子があからさまにおかしくなったことは今までに無いからだ。


最近何があっただろうか。


「……あの、だから……。えーと、その……。潜入任務…………の、時の……」


「潜入任務? あ、ああ――」


読者の皆様はもうすっかりお忘れであろうが、あの時のあれである。

つまり、二人抱きしめ合って、キスができるくらいに触れ合った、あの日の出来事。


「でも、離れたままだと僕は大きな声を出さなきゃいけないし――」


言いながら一歩踏み出すと、怯えた子猫のように一歩後ずさる彼女。

うーん、なんだかこれだと虐めている気分だ。


「――これから重要な話をするから、できれば距離を縮めてくれると嬉しいんだけどな」


「じ、重要な話、ですか?」


「うん、重要な話」


重要な話、と繰り返し言うと、仕事の話か何かと思ったのか、ちょこちょこと距離を縮めてくる。


それにいくらか平常心を取り戻したようで、まっすぐ僕の瞳を見つめてきた。

疑いなど一切抱いていないような、無垢で澄んだ(すみれ)色の瞳にジッと見つめられて、今度は僕が照れてしまう。


逃げてしまいそうな僕を留めるのは、脳裏に浮かぶヴェスリー訓練司令官のしかめっ面。

俺がこんなに協力してやったのに、おめエさんはどこまでヘタレなンでェと叱咤されているようだ。


「え、ええと……驚かないで、聞いて欲しいんだけど……」


ここでごちゃごちゃと婉曲な言い回しをすれば、勘違いさせるだけではなく、最悪彼女を傷つけることになってしまう。


だから、誤解を生まないように。

できるだけシンプルに、単刀直入に伝えるのが最善だ。


続きを待っている彼女の顔を直視してしまうと狼狽えてしまうので、なるべく見ないようにして。


すう、と息を吸い込んで、はあ、と吐いて。

もう一度、深く息を吸い込んでから、僕は恋慕の情を率直な言葉に乗せた。


「僕は、君の事を、愛している。願わくば、ずっと一緒に居たい――」



◆◆◆



世界の針が、止まった音がした。


周囲のざわざわした喧騒が消え去ったかのように。

まるでこの空間だけを切り取って隔離されたかのように。


世界に溢れるどんな甘い睦言(むつごと)より待ち望んでいたその言葉が、現実じゃないように思えた。


夢の中を揺蕩っているような心地よさに、ああ、もしかして今の言葉は私の妄想が生んだ幻なのかとすら思ってしまう。


でも――。


「夢じゃないよ、決して、夢なんかじゃない」


そんな私の甘えを許さない温かな体温が、私の頬を優しく包み込む。


ああ、これは現実なんだ。

夢なんかじゃないんだ――。


強く閉じた瞼を開ければ、恥ずかしそうに微笑む彼の整った顔が目の前にある。


ああ、彼は本気なんだ。

耳まで真っ赤にした彼が、それでも目だけは逸らさず、私を見てくれている。

今、彼の瞳に映っているのは、私だけなんだ。


ふつふつと湧き上がった優越感が私を勇気づけてくれているけれど、心に突き刺さったままの劣等感が、こんな私で良いのだろうかと自虐思考へ向かっていく。


いや、こんな私で良いはずがない。

彼には、きっと、私よりも相応しい素敵な人が――。


「僕には、君しかいないんだ」


「――――え」


信じられない一言が、耳元で囁かれた。


さらさらと髪が揺れ動く気配がして、唇を何かで塞がれる感触がした。

私と同じ温度を持った、柔らかくて甘いそれは、彼の――。


「――!!!!」


()()が何なのか脳が理解した瞬間、頭が爆発したかのような熱量に襲われた。


今私に触れたのは、彼の唇。

温かくて優しい彼の性格を示すような、唇と唇を合わせるだけのキス。


立て続けに起こるハプニングに、私の脳内はもうキャパオーバーを宣言していた。

もう勘弁してくれと叫びたい反面、どこか心の裏で()を期待してしまっている自分がいる。


「わ、わた、私は――」


ようやっと絞り出した声は、かわいそうなくらい掠れていた。


それでも、伝えなければ。


私がこの場を逃げ出すことは、きっと容易い。

でもそんなことをしてしまったら、彼がどんなに傷つくことか。

だから私は、勇気を奮い立たせて言わねばならない。


自分の、素直な気持ちを。


「私は……私も、アールグラスさんのこと、好きで……。

 ……ず、ずっと前、から……大好きで……。いつか、想いを伝え、たくて……。

 ……でも、今、アール、グラスさんの方から、あ、愛してる、って言われて……」


ずっと、心の中にしまい込んでいた愛の告白。


言いたくて、でも言えなくて。

言えないと思っていたから、次第に諦めがついてきて。

もう言い出せないと思っていたのに、まさか彼の方から告白してくれるなんて思いもよらなくて。


言いたいことはたくさんあるのに、言葉に詰まってしまって、つい俯いてしまう。

ただ制服の裾をいじるくらいしかできなくって、自分でももどかしくって、何やってんだと怒鳴りつけたくなって。


でも言えなくて。

だんだんと情けなくなってきて、口を噤んだままでいると、不意に彼の温もりを感じた。


比喩(ひゆ)ではない。


私は彼に抱きしめられていた。


胸の中に優しく包み込まれる。

そこから伝わる、決して平静とは言えない彼の心音。


ああ、彼も一緒なんだ。

言葉の先に詰まる私と同じように、その言葉の先を待ち望んでいる彼が居るのだ。


そう思うとなんだか安心して、するりと本心を口にしてしまう。


「アールグラスさんに、愛していると言われて……嬉しかった、です……。……とても」


言い終えた私が、気恥ずかしさのあまり抱きしめ返すと、彼も抱きしめる力を強くした。


男の腕力で、しかも百戦錬磨の投槍使いと謳われる彼の力で強く抱きしめられると、正直凄く痛い。

でも、心が通じ合った嬉しさと、彼の体温の心地よさとで、痛みは次第に感じなくなっていた。


永遠にこのままで居られたら、というまるで映画のような願望を自分が抱くことになるとは。


本心からそう思うくらい、私はありったけの幸せの海を揺蕩っていた。

※読者はすっかりお忘れかと~のくだり。

 当時は、最初の話が12月に投稿したのに対し、この話は3月に投稿してるので、それを踏まえた地の文です。

 懐かしい名残なので、悩んだ末残しました。


(※当時の後書きより抜粋)

自分が恥ずかしくなるくらい極限にイチャイチャしてもらいました。

本当に恥ずかしいです。顔から火が出るくらい。

でもやってよかった。


これにてミヤラとアールグラスの恋模様を描いた短編は終了です。

最初の「どう転ぶかなんて、分からないから」から続けて読んでくれた読者様、

もしいらっしゃったら最大級の「ありがとうございます」を伝えたいと思います。

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