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絶海の孤島と魔導少女 -短編集-  作者: 羽柴和泉
すみれ色の恋模様(完結)
17/21

それが彼の出した結論ならば

Attention


・2016年12月8日~2017年3月30日までの間に投稿した短編を纏めて再投稿したものです。


・夏目漱石著「こころ」、小林多喜二著「蟹工船」、志賀直哉著「暗夜行路」などを読んでいるので、その影響を多大に受けている可能性あり。著しく文体や描写の仕方に表れていますが、まあ温かい目で見てくれると幸いです。


・アールグラスがぐだぐだ悩む話。ミヤラは出てきません。


・なんかすごい長くなってしまった、と原稿完成直後そう思っていたのに、いざ公開してみたら前回とたいして文章量は変わらなかったという罠。チクショーメー!


・時間軸の流れは、以下の通りです。

瑞紀の戦技教導(夜。本文中にて消灯時間前と明記)

→ヴェスリーに相談(次の日の夕方)

→レオ訪問(夜。本文中に9時前と明記)



総文字数は、11,556字です。

だいぶ長いので、作業の合間にでもどうぞ。

「アールグラスさん!」


声をかけられ、僕は振り返った。

振り返った先には、華奢(きゃしゃ)体躯(たいく)には決して似合うとは言えない、ブロードソードを模した長剣を手にしている少女がいた。

彼女はこの〔魔導師事務捜査隊〕に所属する新人魔導師、『獅醒(しせい)(ほふ)り手』羽柴瑞紀(はしばみずき)だ。


「じゃあ、行くよ」


「はい、お手合わせ、お願いしますっ!」


ぺこり、と彼女は礼をした。


顔を上げて、今まで張り付けていたふにゃふにゃとした笑顔をさっと消し、唇を弓のように引き絞り目をキッと細める。

集中態勢を取った彼女は剣戟一閃(けんげきいっせん)、切り込んできた。

風の抵抗をなるべく少なく、動作を小さく果敢に突撃してくる姿は、獲物を虎視眈々(こしたんたん)と狙う猫を連想させる。


それをただジッと待ち受けていられるほど、僕は強くない。

手の中で構築した魔力で、簡素な槍を形成し、それを二つ三つ投擲(とうてき)した。

軽やかな動きでそれを避け、僕の正面に舞い踊った彼女が自然な流れで剣をさばき、白刃戦に持ち込んでくる。


火花が散るほどの猛烈な鍔迫(つばぜ)り合い。


槍を持つ手を両手から片手に持ち替え、空いた手を背後に回し、もう一つ槍を構築する。

それを彼女の股から背後に行くように投げれば、地面に低角度で突き刺さった。


刹那、響く爆発音。

飛び散る金属片。

濛々と上がる白煙。


それらが発生する前に軽くなった、彼女の武器を受け止めていた右手。


どうやら彼女は僕が別の槍を投擲(とうてき)した時点でその危険性に気が付き、煙と共に姿を眩ましたらしい。

だが僕もこの事態を見越している。

だから、発生する煙も、姿が見え辛い黒煙ではなく、察知しやすい白煙にしたのだ。


さて、どこからやってくる? 

普段の彼女なら背後から斬りかかるのが常套手段だが、たぶん――……。


「はァッ!!」


僕が天井を見上げ、槍を構えるのとほぼ同時に、隕石をまともに受け止めたかのような重い衝撃が伝わった。

ピキ、という嫌な音が聞こえて、耐久性に欠けている僕の槍が、圧力がかかった地点からぽっきりと折れる。

だが、折れたせいで彼女もバランスを崩し、僕の前に落下した。


武器を失った僕と、敵に隙を見せる彼女。


普通なら引き分けに終わる勝負であるが、僕は武器ならいくらでも魔力で生成できる。

つまり。


「いやー、やっぱりアールグラスさんは強いですねぇ」


落下した時に頭を強打したらしい、手でその箇所を押さえながら彼女はむくりと起き上がった。

その顔がいつもの笑顔を浮かべていることから、彼女は(いさぎよ)く負けを認めたようだ。


「いやいや、僕も一歩間違えれば負けるところだったよ。研修の時から思っていたけれど、君は成長が早いね」


「ありがとうございます。でも、まだまだですよ」


拳を振り上げ、歯を見せてニッと笑う。

僕は瑞紀の、決して力に溺れない姿勢に、密かな尊敬の念を抱いていた。

どこまでも頂点を目指して努力し続ける彼女に、何度刺激されたことか。


「あ。アールグラスさん、今何時です?」


「ん? 10時45分だね。どうかした?」


「やっばい! そろそろ消灯時間だ! まーたミヤラに小言言われるよー」


途端、敬語も忘れて焦る彼女に微笑ましい気持ちを抱いたが、続いて出てきた人名にドキリとする。

そのことを自覚した時、知らず口から言葉が出ていた。


「ミヤラは、時間に厳しいのかい?」


今、そんなことを聞いている場合じゃないのに。


瑞紀は慌てている。

消灯時間だから、急いで戻らないと、と。

そんな彼女を引き留めるべきではない、むしろ快く送り出すべきである。


なのに。


「そうなんですよー、いつもうるさいんですよ。ちょっと遅れたぐらいで、グチグチグチグチ。

 母親以上に母親みたい、ってこの前言ったら、なんて言ったと思います。私はアンタの母親じゃないわよ!!って。突っ込むのはそこじゃないですよね」


嫌な顔一つせず答えてくれた彼女にも、ろくな言葉すら発せず、ただ生返事を返すのみ。

僕のそんな様子を見て、質問や用件はもうないと判断したのか、ばたばたと音を立てて、彼女は駆け足で去っていった。


彼女の足音がもう聞こえなくなったのを聞き届けると、僕ははあという重い息を吐いて顔を覆った。


『お悩みですかな、アールグラス・ヴィンゼル君』


耳元から、正確には耳のピアスから老紳士の声が聞こえる。

剣技指導、そして今の手合わせ中一切の言葉を発しなかった僕の相棒〝琵穹(びきゅう)(かん)〟グルスミンの声だ。

情緒不安定だった僕の少年時代から共にいるだけのことはある、最近の僕の妙な心情についてもお見通しなのだろう。


「はい……そうです、このところずっと……」


『ミヤラ・グロートモング嬢のことですな』


世間話でもするかのようにさらっと出された人の名前に、知らず心臓が跳ねる。

またこれだ、と頭を抱えた。

最初は何とも思っていなかったのに、最近じゃ、あの子の名前を聞くだけで反応してしまう。


僕の周りは昔から、女性男性問わず年上のエースばかりだったから、単純に年下で階級の低い女性が珍しいだけかと言い訳していたが、瑞紀については何とも思わない。

こうして二人きりで手合わせして、二人きりで会話をしていたのにも関わらず、何の変化も起こらないのだ。


いや、違う。

出会った当初は、瑞紀もミヤラも、同じような感情を抱いていた。

素質があり、向上心もある。

将来は立派なエースになるだろうと、いつも通りの期待をかけただけのはず。


それがいつからだろう。

こんなに心乱れされるようになったのは。


ミヤラと出会って数ヵ月ぐらいの頃は、やけに熱の籠もった目をぶつけてくるな、と思った程度だ。

でもそれは別段特別なことじゃあない。

僕のエースという地位や、単なる外見で熱っぽい視線を向けて来る女性は今までにもいたから。


でもそれは所詮、一時の夢にしか過ぎない。

僕の「力」に囚われ続けた過去と、傲慢(ごうまん)な振る舞いをしたという噂を聞くや否や、心が離れるのが彼女たちの常である。


『でも、彼女は違った』


僕の思考の流れを読むように、機先を制してグルスミンが言った。


「…………」


『あなたの過去を知ってもなお、心が離れるどころか、親近感を感じると言って更に近付いてきた』


黙り込む僕に構わず、彼は続ける。


この言葉に、僕ははっとした。

なるほど、今までの女性たちとは違う対応を取ったから、僕は彼女を特別視していただけなのだ。

別に、それ以上の感情なんか――


『抱いていない、と逃げるのですかな?』


挑発的な声音で、彼が質問を投げかけてきた。

ぐっと唇を噛み、気に入らない発言をした時のように、グルスミンを内蔵したピアスに手を伸ばす。


『あなたは、それで良いのですか? どのような選択をしようと、私はあなたを責めないし、叱らないし、蔑まない。

 ただ、問うのです。それで、良いのですかな?』


彼は、いつもそうだった。


いつだって、僕を責めないし、叱らないし、蔑みもしなかった。

ただ、事の成り行きを見守ってくれる。


世話焼きのように好んで助言はしないものの、尋ねれば明確な答えを提示してくれる。

彼のその常が、今は憎い。


「……分からないよ……」


絞り出した声は、震えていた。



◆◆◆



「んで、俺に相談しにきたって訳かィ」


呆れが入った表情で、彼――ヴェスリー訓練司令官は言った。


ここは〔魔導師事務捜査隊〕隊内唯一の休憩室、数多くの隊員が利用する憩いの場である。

そしてそれゆえに人の目もあり、相談事には不向きな場所であるが、多忙な彼を捕まえて意見を乞う、という目的を達成するためにはこの場所しかなかったのだ。


彼は喫煙場所に指定されている窓際に陣取り、ぷかぷかと煙を吹かしていたが、僕に相談を持ち掛けられた為か、火をもみ消して傾聴姿勢を取ってくれた。


「……一応言っておくが、本来こういう場所は色恋沙汰禁止なんだがなァ」


分かっているだろうが、とわざわざ釘を刺した辺り、僕がこの事実を失念していたことを把握しているらしい。

当然知っておくべき規則すら忘却の彼方に持っていかれるとは、これは相当厄介な事柄だ。


「二人くっついちまって、周りが嫉妬するくれぇラブラブだってなンなら止めねぇよ。馬に蹴られて死ンじまうってんだ。

 だがな、片思いとか、三角関係とかは厳禁だァ。そンな複雑な事情抱えて戦える程人は強い生きモンじゃねぇ。

 それにここは言わば最前線だ。最悪死んじまうってぇこともある」


いつのなく真剣な彼の表情を、僕は食い入るように見た。

というより、見ざるを得ない程の剣幕だったと言っていい。


「片思いをするくらいならば、すっぱり諦めろ、ということでしょうか」


(しばら)く続いた静寂の後、絞り出したように出した僕の回答は、どうやら不正解だったらしい。


彼は一瞬真顔になり、うんうんと考え、遂には顎に手を当て熟考し始めてしまった。

手持無沙汰な僕が、今己が出した回答を振り返ったり、あんまりにも無言が続くので、いっそ飲み物の一つ二つ確保してから相談を持ち掛けるべきだったかと後悔したりしていると、突然彼は膝を叩いた。


パン、という軽い音に驚くと、次に彼は豪快な笑い声を休憩室中に響かせる。

まるで雷鳴が轟いたような、その細い体躯のどこから出しているのか、と心底不思議に思うほどの声量で。


当然、そんな大声量に気付かない程〔魔導師事務捜査隊〕の隊員は間抜けではない。

何事かと、こちらに顔を向けて、伺うような視線を投げかけてくる。


「いや、……いや、悪ィ。おまえさんの思考回路がブッ飛ンでやがったからよォ、理解すンのに時間掛かっちまった」


ひとしきり大笑した後、彼ははち切れるのではないかと思うくらいの笑みでくしゃくしゃになった顔を、つるりと撫でた。

彼に起こった心情の変化が上手く汲み取れない僕は、やや憮然(ぶぜん)とした表情でその様子を眺める。

その間も、興味と不審の混じった視線は止まない。


それも無理はないだろう。

ヴェスリー訓練司令官の訓練は厳しいの一言で片づけられるほど過酷で心身に負担がかかる内容だ。

教導する彼も、平生眉間に(しわ)を寄せているような、不機嫌そうな顔をしているから、そもそも彼が大口開けて大音声の笑い声を轟かせるという光景に一種の違和感を抱いたに違いない。

彼らにとってこの状況は、まるで夏に雪が降ったかのような不自然さなのである。


気になるのは凄く分かる。

だが、流石にそんなに注目しないで欲しいな、頼むから。


僕にだって威厳はある。

百戦錬磨の投槍使いと謳われている僕が、色恋沙汰(?)で夜も眠れないという醜態(しゅうたい)を晒していることが隊内に知れ渡ったら。

想像するだけで背筋が寒くなってしまう。


「何もそこまで言っちゃいねェよ、おめえさんが何を勘違いしてンのか知らねェが、俺はそういうことを言ってンじゃねえ」


「……? (こじ)れて、捻じ曲がった色恋沙汰は厳禁なのでは?」


うぐっ、んぐふふ。

彼の笑い声を、一つの言葉として書き起こすならばまさにそんな感じだ。

何かを堪えるような、思い出し笑いをするような、悪だくみをしている時の子どものような。


絶対にこれと断定できない、どうとでも捉えられるような表情を彼は隠すように腕で押さえた。


「そうだィ、それは変わらず規則として在る。変わらねェ、変わっちゃいけねェ事実としてな。だがなァ、人の心は変わるもんだ。良い方にも、悪い方にも、な」


未だ呑み込めていない、理解が追いついていない僕の様子を見て、彼は言葉を付け足した。


「さっき、俺が言ったろ。

 周りが妬いちまうくれェラブラブなら誰も文句は言わねえ。罰する規則もねェし、あっちゃいけねえ。……なァ、分かんだろ?」


彼は初めから、僕に答えなど期待していないらしい。

僕が口を開くよりも先に、用は済んだとばかりに煙草を咥え、ライターで火をつけて煙をふかし始めた。

ヴェスリー訓練司令官が平生に戻ったところで、皆の視線も各々の場面に移る。


大衆の注目から一気に蚊帳の外のような状況に立たされた僕は、ただぽつんと一人佇んでいた。

そうするしかなかったのだ。

とても、新しく何か行動を起こすという気にはとてもなれなかった。


彼からもらった言葉を頭の中で反芻(はんすう)して、自分が絞り出した回答をなぜ彼が笑ったのか熟考して、それらを合わせて、「彼女」との今後の付き合い方をどうすれば良いか整理する。


今回僕は、それが自分の中で答えを見いだせなかったがゆえに、ヴェスリーさんに相談を持ち掛けた。

だがその相談も、他ならぬ彼の判断で中途半端のまま打ち切られた。


恐らく――これはあくまで推論だが、限りなく答えに近いと思う――今の僕のままでは、話にならないと思ったのだろう。

最初の質問に対する答えを聞いて、彼は笑うしかないくらい呆れたのだ。

一流魔導師になるための人生相談やら教導や指導、ある程度の恋愛相談は今まで何度も付き合ってきたのだろうが、流石に今回の僕は異例らしい。


よくよく考えてみれば、当然のことだ。

思わず衝動的に、突発的に相談を持ち掛けてしまったけれど、自分の中である程度の整理もできていない、考えをまとめられていない状態で相談を持ち掛けられても、応答のしようがないではないか。


「ミヤラのことを好きかもしれないし、そういう感情で見ていないかもしれない。自分ではどう思っているか分からないけど、この問題をどう見ますか」――なんて言っているようなものだ。

そんなの、第三者からしてみれば、まず内々の問題で段階的な決着をつけてから、話を持ち掛けてくれと切に願うに違いない。


まずいな、ヴェスリーさんの寛容さに甘んじて失敗してしまった。


まずは、同じ悩みを持っているであろう人と意見交流をし、自分の中で考えをまとめるべきだった。


「さて、どうしたものか……」


ここであまり声を大きくすればまた皆の視線を集めてしまう。

限りなく小さく潜めた声で独り言を呟いてから、僕は意見を乞う相手を頭の中で探してみる。


任務でよく一緒になる同僚たちはどうだろうか。

いや、確かに同性だし、同じような悩みを持った経験もあるし、それを乗り越えてきたこともあるだろうが、その人らに相談するというのは、地位や隊内での立場、階級が邪魔をする。

それに恐らく、僕の心の中にあるプライドや自尊心も、嫌悪感を示す。


ということは上司か部下かということになるが、僕の上司は総大将とヴェスリーさんくらいしかいない。


では部下か? 

やはり僕の色々な負の感情が邪魔をするだろう。


いや待て、部下と言えど、同じような悩みを持つ青年が一人いなかったか? 


当たりを付けた僕は、静かに休憩室を出て「青年」のいる場所に向かう。

道中興味に満ちた視線が注がれた気がするが、気にしないことにした。



◆◆◆



コンコン、と彼がいるであろう部屋のドアを叩く。

もう遅い時間であるから、訓練に追われるような生活をしている彼らはもう自室に下がっているだろうと当たりをつけたのだが、当たったようだ。


来客が誰だか分かっていないような、はーい、と間延びした声が返ってきて、間をおかずにドアが開かれた。

身体を横にして、滑り込ませるようにすればようやく入れるスペースくらいになった時、突然うわっという悲鳴が上がり、ドアが勢いよく閉じられた。


……うん、まあそうだよね。

そうなるよね。

僕が君の立場だったら、間違いなくそうしたと思う。


「えーと? 気持ちは分からないでもないけど、とりあえずドア、開けてくれないかな?」


相手の気持ちが理解できたところでどうしようもないので、とりあえず声を掛ける。

すると、自分でも後悔するくらいの情けない声が出た。


ドアの向こうですみませんすみませんと平謝りする声が聞こえてきて、その後、お化け屋敷のドアを潜るようにゆっくりと開かれ、部屋の主に招かれる。


「こ、こんばんは……。えと、アールグラスさん? どうされたんですか?」


彼が戸惑っているのは、遅い時間だからという訳ではない。

むしろ、人の部屋を訪ねるのに適している時間とすら言える。

時計の針は九時の手前を指しているのだから。


彼が戸惑ったのは、僕が彼の部屋を訪ねるような理由がないから、というのもあるし、普段僕が訪れるようなことも無いからだ。


「いや、ええと……。レオランスくん、君に相談したいことがあるんだ」


「えええ!? アールグラスさんが!? 俺に!?」


信じられないという風に彼――レオランス・ダーロンウィルはのけぞって驚く。


……いちいち反応がオーバーリアクションだなぁ。

そこが彼の良いところなのだけれど、なるべく穏便に、静かに事を済ませたい僕には逆効果だ。


ドアが勢いよく閉められた時の音と今の大声で、何事かと隣近所の個室で寝泊まりしている人たちがドアを開けて視線をぶつけてくる。

あれ、これなんてデジャヴ。


「と、とりあえず、部屋に入らせてもらっていいかな。ここじゃ何だし……」


普通こういうセリフは部屋の主が言うものだが、困窮(こんきゅう)した僕は図々しくもこんなことを言った。

訪問している立場にも関わらず彼を押し込むように部屋に入り、後ろ手でドアを閉める。


「アールグラスさん、こちらにお掛けください」


この部屋には椅子は一つしかないが、階級も地位も上の先輩をよもや地べたに座らせるということは気が引けたらしい。

勉強机に備えつけられていたコロコロ椅子を転がしてきて、彼は僕に座るよう勧めた。

別に僕は二人床に座っての座談会でも構わなかったのだけれど、ここは彼の厚意に甘えよう。


唯一の椅子を僕に譲った彼はというと、ポットで二人分のコーヒーを入れた後、ベットに腰かけていた。

彼と目線を合わせるため、椅子の高さを調節してから、ありがとうと軽く礼を一つ言ってコーヒーを受け取る。


彼は男らしい乱雑な所作で砂糖とミルクをカップに流し入れ、ゆるゆるとスプーンでかき混ぜていた。

ただ作業をしていると見せかけて、実は僕が話を切り出すのを待っている、ということに気付いたのは、彼が窺うような視線を向けてきた時だった。


「時間も遅いし……単刀直入に言うよ。……ミヤラのことだけれど……」


(しば)逡巡(しゅんじゅん)した後、決心した僕は口を開いた。

開いたはいいが、次の言葉が見当たらない。


はてさてこの場合は、どのような言葉をぶつければ僕の悩みを上手く表現できて、相手に事実を伝えることができるのだろうか。

脳内に飛び交う言葉の数々を、僕の理性が一つずつ打ち消していく。

浮かんでくるのは、僕の理性が即座に適当でない、と切り捨ててしまうほど幼稚で、要領を得ない言葉ばかり。


ただ、この状況を客観的――具体的に言うならばレオの立場から見るならば――僕が次の言葉を言い澱んでいるようにも見える。

というより、そのようにしか見えなかった。


「あの、もしかして、うちのミヤラが何か粗相(そそう)を? もしそうなら、あいつにきつく言い含めておきますよ」


いつまで経っても僕が次の言葉を紡がないのを、違う方向で受け取ってしまった彼は、ひどく申し訳なさそうな顔をしていた。


違う、違うんだよレオ、と心の中の僕が必死に弁明している横で、同じく心の中の僕が、確かにレオという立場からするとそういう受け取り方しかできないよな、と冷静に推測している。


言葉は誤解を生む。

だが、誤解を恐れて言葉少なでいては、さらなる誤解を招いてしまう。

それが最悪の事態に繋がることもある。


自慢ではないが、そういう経験は人より豊富だ。

当然、それから得た教訓も数多くある。

相変わらず僕の羞恥心が邪魔をしてくるが、伝えなければ伝わらない。


意を決して、僕は口火を切った。


「そういう訳じゃないんだ。

 ミヤラが何かしたというより、僕が――。僕が、僕から行動を起こさなきゃいけないことについて、なんだけど」


かと言って、上手く言葉にできれば最初からしている。

できないから悩んでいるのであって、最初から出来るのであればどんなに楽であっただろうか。


ほら、レオは僕の言葉を呑み込めずにきょとんとしていた。

実際にはそんなのないけれど、疑問符がたくさん頭上に浮かんでいるような気さえする。


「え、えと、自分でこんなことを言うのは恥ずかしいけどさ、ミヤラって、僕に好意を寄せてくれているじゃない? そろそろ何らかの行動を起こすべきかと思ってさ」


焦って口走ってしまったが、かえってこの場合の方が僕の思考や今までの経緯を詳しく説明できた気がして、なんとなく不愉快な気持ちになった。


しかし、彼の方とは言うと、今の僕の言葉と、先の僕の言葉を何度も何度も反芻(はんすう)して、ようやく僕の意図を察することができたらしく、難解を紐解けたようなすっきりとした顔をしている。

ぱあっと花が咲いたような、眩しい表情になったのもつかの間、彼は急に険しい顔になって、ぽつりと言った。


「何らかの行動を起こすべき、って仰いましたよね。

 もしかしてそれは、エースとして(つちか)ってきた責任感からですか? 

 それとも、いつまで経っても事態が進まないことをかわいそうだとか思っている同情心からですか?」


彼の声がするりと耳を通り抜け、脳に到達した瞬間――身体に大きな衝撃が奔った。


痛いところを突かれたような、だが、今の今まで自分は痛いところだと認識していなかったところを不意に指摘されたような、そんな鋭い痛みだった。

全身を強力な電撃に苛まれているかのような衝撃に、僕がしばらく声を失っていると、彼は冷たい表情で言葉を続ける。


「もし、アールグラスさんが行動を起こそうと思った理由が、責任感や同情心からくるものなら、ミヤラの心を深くえぐることになるし、アールグラスさん自身の心にも大きな傷跡をを残すことになりますよ。とにかく、(ろく)な結果になんてなりません。

 

 後輩の分際でエラそうなことを言ってすみませんが、あえて言わせていただきます。いいですか、ミヤラがあなたに抱いている気持ちというのは、理屈では決して説明できない、直感的で、衝動的で、言葉で言い表せない、単純なようで複雑な気持ちなんです。

 

 自分の気持ちを整理したうえで、それで何らかの行動を起こすべきだと直感的に思ったのであれば、どう振舞おうとあなたの勝手ですが、もし小難しい理屈や感情論で動こうとしているなら、俺は全力でその行為を否定します」


彼が紡ぐたくさんの言葉は、切っ先が鋭く尖った(やじり)となって僕の心に突き刺さった。

激しいショックを覚えるのと同時に、僕は全てを理解した気がした。


瑞紀といる時でさえミヤラの名前が出てきたら意識せずにいられないこと。

ヴェスリーさんの質問に真面目に答えたら、大きな声で笑い飛ばされたこと。

相手にすらならないとばかりに、ヴェスリーさんに相談を打ち切られてしまったこと。


そのすべての出来事と、それらの出来事に至るまでの様々な事柄が、僕の心に雪崩のように流れ込んできた。


「……そうだ……、ぼくは……」


今、僕は、どんな顔をしているのだろう。

きっと、物凄く情けないような表情をしているに違いない。


プライドの高い子どもが、周囲に泣いているのを気付かせまいと、必死に歯を食いしばって耐えているような。


「僕は……きっと、ミヤラが好きなんだ……」


ミヤラの、彼女の話題が出て意識がそこに向いてしまうのも、きっとそうだったのだ。


それだのに、その気持ちを押し込めて、気が付かないふりをしていたから、ヴェスリーさんにあんなに笑われたのだ。

人の感情の機微に敏感で、聡明な彼のことだ、きっと僕がミヤラを好きだということを理解していたのだろう。


純粋な老婆心で、後輩の恋愛相談を受けようとしてくれたのに、当の本人である僕が彼女の事を意識しようともしていなかった。

冷静に見て、僕はなんて馬鹿げたことをしたのだろうと自分を叱りたくなった。

これでは、厚意を裏切ったも同然ではないか。


相談を早々に打ち切られたのも、早く自分の気持ちに気付け、という彼なりの叱咤なのだろう。


気付かないことには始まらない。

気付かないままに事を進めても無駄だと彼は考えたのだ。


「アールグラスさん……? 大丈夫ですか?」


今までいくら考えても答えのできなかったものが、一瞬にして全てが理解できた興奮からか、心配そうに見つめているレオの声にすぐさま反応することができなかった。


胸の内からふつふつと湧き上がってくる、激流のように凄まじいほどの感情を制御できないのだ。


僕は、先ほどの無礼な態度や言動を詫びる彼の声など聞こえもしなかった。

聴こうともしなかった。


ただ、ようやく気付いた一つの事実に、一人打ち震えることしかできなかった。

(※当時の後書きより抜粋)

短期間で仕上げた前回と違い、およそ二ヶ月ぐらいの長い間をあけて執筆したので文体がごちゃごちゃですが、だからといってこの話を無かったことにするわけにもいかず、根性で仕上げました。

アールグラスがミヤラへの恋慕を自覚する話は、どうしても不可欠なんです。


次は告白シーンかぁ。

うまくかけるといいなぁ(白目)


それでは、おそまつ!

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