君の身長を超えたなら
くっそー、静まれ。俺の心臓。バクバクと派手な音を立ててんなよ。
俺、十二歳のエルランドは街にある花屋の前で、両の拳を握りしめた。
だって、男ならかっこよく告白するのが筋ってもんだろ。
ちなみに告白の相手はウルスラ。夕焼けみたいな髪の色で、瞳は湖水のような青。 ちなみに俺はウルスラの先生なんだ。花屋で働くウルスラは計算がすごく苦手だ。
「えーと、ヤナギランが三本と、くちなしが一鉢、それにアジサイが一本。で、お預かりしたのが三十ルースで」
明らかに頭が混乱しているのか、首を傾げながら、紙にそれぞれの花の値段を計算している。
「ウルスラさん。ここ、計算を間違ってるわよ」
「ああっ!」
これまで書いた数式を、ぐりぐりと消しながら、ウルスラは新しい紙を取りだした。
まったく、しょうがねぇなぁ。
こういう時のために、俺が教えた算盤があるんだろ?
俺はカバンから算盤を取りだして、裏がえしにして石畳の地面に置いた。
こうすれば珠が、馬車で言うところの車輪になるってわけだ。
方角と距離を確認し、力を込めてウルスラの方へと押しだす。
ちょうど道を行く人が少ないから、誰にも邪魔されることなく、算盤はウルスラの足にこつんとぶつかった。
「まぁ、これは! 東洋の神秘、計算の奇跡。算盤だわ」
ウルスラは、辺りをきょろきょろと見回している。俺を捜しているのかもしれない。
済まないな、ウルスラ。ヒーローは軽々しく姿を見せちゃいけないんだ。それが美学ってもんさ。
まぁ、俺が学校で習っている算盤が役に立ってよかったぜ。
時々、ウルスラに算盤を教えてやってるもんな。素直なウルスラは、なかなかにいい生徒なんだ。
これでも俺、成績はいいんだぜ。金糸のような柔らかな髪に、すらりとした体つき。見た目だって悪くない。
黙っていれば王子さまみたい、ってよく褒められるんだ。
むしろ、お願いだから喋らないで、動かないでと女子に言われてる。
明日が夏至だからか、花屋の店頭には野の花がたくさん飾られている。
なんでも夏至の前夜、野原で七種類の花を摘み、それを枕元に置いて眠ると、将来の結婚相手の夢が見れるんだと。
学校の女子が騒いでた。
これまでの俺なら「馬鹿馬鹿しい」って思ってたけどな。今年は違うぜ。
題して『将来の夫の夢を見させて、その気にさせちゃおう大作戦』だ。
眠っているウルスラに、俺の夢を見させるってことさ。
そのために花を渡して「俺の夢を見ろ」と告げるわけさ。
ウルスラは俺のことが気になって、夢を見てしまう。
そう、結婚相手としての俺の夢をな。
我ながら完璧な計画だ。野の花なら薔薇ほど高くもないから、俺の小遣いでも買えるしな。
野原に入って自分で花を摘みに行くなんて、よほどの酔狂でなきゃできやしない。
蛇もいるし、蛇に噛まれるし、蛇に追いかけられるし。
ま、なんにしろ結婚はちょっと待ってもらわないといけないけどさ。俺、十二歳で初等学校の六年生だし。ウルスラは十八歳だし。
「男って何歳から結婚できるんだっけ」
ポケット四法をカバンから取り出して、ぱらぱらとめくる。ポケットって名前のくせに、ポケットに入れたら確実に糸が切れて、ポケットごと本が地面に落ちるだろう。
ちなみに四法は憲法、民法、商法、刑法だ。東の国で四法というと特許とか商標がどうとかいうのだと、聞いたことがあるけど。そういうのは分かんねー。
「……十八歳か」
空を仰いで、ため息をつく。
あと六年か。待ってられっかなー。
っていうか、その頃にはウルスラは二十四歳か。待っててくれっかなー。
「やぁ、ウルスラ。今日も可愛いね」
店にやって来たのは、常連のオッレだ。
お前、邪魔なんだよ。さっさと帰れ。ウルスラも困ってるだろ。
俺は木の幹に隠れて、様子を窺った。オッレは赤い薔薇を一本買った。そして受け取った薔薇を、そのままウルスラに手渡す。
「ウルスラ。この赤い薔薇はぼくの気持ち。どうか受け取ってほしい」
なんて気障な奴だ。虫唾が走るぜ。
「で、でも」
「遠慮しないで、可愛い人」
「困ります、オッレさん」
そうだそうだ。ウルスラの仕事の邪魔をすんなよ。俺はギリギリと奥歯を噛みしめた。
けれどオッレは引き下がらない。店内に戻ろうとするウルスラの肩を掴んで、体の向きを変えさせる。
夕焼け色の髪が揺れて、ウルスラが驚いたように目を瞠る。
てめぇ、卑怯だぞ。ウルスラより背が高くて年上だからって。
俺は背伸びしたって、ウルスラの身長には届かない。
くっそー、腹立つなぁ。
さっきのポケット四法をオッレ目がけて投げつける。
ドサッ、という音を立ててポケット四法は奴の後頭部に命中した。
「誰だっ!」
「あー、ごめんなさい。ぶつかりましたか?」
俺は上目遣いで、体をもじもじさせながら、オッレに近づいた。
いや、自分でもこの演技は気持ち悪いと思うけどさ。
「お前……たしかエルランド」
「済みません。本が重くてよろけた時に、手から滑り落ちたんです」
「滑り落ちたって……下の方から飛んできたぞ、その本。お前、わざと投げつけただろ」
オッレの目に怒りの炎が燃える。太い腕が伸ばされ、俺の服の襟を掴んだ。
俺は小さく悲鳴を上げて、身をすくめた。
ふん、こいつが弱い者いじめしてるとこを、ウルスラに見せつけてやる。
「やめてください。エルランドをいじめないで」
その時、ウルスラがオッレを突き飛ばした。けれど女性の力では、筋骨逞しい彼はびくともしない。
「エルランドはいい子です。この子が手が滑ったって言うなら、たとえ真上から本が落ちてきても、手が滑ったんです」
「おいおい、ウルスラ。君はこの少年に騙されてるんだぞ。見てみろよ、清らかな外見に反して、内心で何を企んでんのか分かったもんじゃない」
ちっ。こいつ、人を見抜く目があるな。俺は舌打ちした。
「ほら、今舌打ちしたぞ。聞こえただろ」
「聞こえました。でも、エルランドが舌打ちしたくなるくらい、オッレさんが意地悪なんです」
ウルスラは澄んだ青い瞳でオッレを睨みつけている。内心では怖いのだろう。エプロンやスカートの下から覗く膝が、小刻みに震えている。
ああ、もう抱きしめてやりたいぜ。そして頬ずりしてやるんだ。背伸びしてな。
ウルスラは顔を真っ赤にして、驚くだろう。
そして「好き」だと告白するんだ。
きっと「ありがとう」って、ウルスラは俺の頬にキスしてくれるぜ。
可愛いもんだ。
「オッレさん、もう帰ってください。薔薇は、どうぞあなたの好きな方に渡してください」
「俺はウルスラのことが」
「お気持ちはありがたいですが。わたしには好きな殿方がいるんですっ!」
眉根を寄せて、きつく瞼を閉じて、ウルスラは叫んだ。
ぐわん、ぐわん。
頭の中で鐘が鳴る。
今、何て言った? 好きな殿方がいるだと?
俺がウルスラのことを好きなのに?
ウルスラは、俺のことが好きじゃないのか?
ああ、目眩がする。目の前が真っ暗になる。
十八になったらウルスラに告白して、結婚も申し込んでって考えてたのに。あと六年なのに……
ああ、六年もあるのか。
無理だよな、こんなガキ。
だって俺、ウルスラに守られる子どもだもん。
なんで……子どもなんだろ。
心配そうにのぞき込むウルスラの顔が、滲んで見えた。
その表情と甘い花の香りが優しくて。とてもつらくなる。
「ウルスラ。手、貸して」
「え、ええ。支えた方がいいの?」
「違う」
俺はウルスラと左手同士を合わせた。指の細さや長さは似ているのに、爪の大きさが違う。
ウルスラは大人の爪で、俺のは子どもの爪。
少し荒れた肌は、花の世話でいつも冷たい水に触れているからだ。
学校の女子の手は、全然荒れてなくてきれいだけど。そっちがいいとは思わない。だって手伝いとかしてない証拠だろ。
「ねぇ、泣かないで」
ウルスラが、俺の頭を撫でる。そっと優しく。
普段だったら、子ども扱いすんなって怒るけど。
俺は……やっぱり子どもでしかないんだ。
どうせポケット四法に書いてあることも、難しくって分かんねぇ事の方が多いよ。
「ねぇ、知ってる? エルランド。今夜は枕元に七種類の花を置くと、将来の結婚相手が夢に出てくるのよ」
「……知ってる」
ふふ、とウルスラは微笑んだ。ポケット四法の表紙についた土を払いながら。
「楽しみね」
別に楽しみなんかない。
でも、ウルスラが好きなヤツの夢を見れるんなら……見たいんなら、しょうがない。
しょうがないんだよ。
俺は拳で乱暴に涙をぬぐった。
男は好きな女の前で泣いちゃいけないんだ。たとえふられてもな。
ふいに、ウルスラは店の奥に行ってしまった。
ああ、そんなもんだよな。
彼女にとって俺は、単に算盤を教えに来るだけのガキで。彼女が算盤に慣れたら、用済みなんだ。
オッレみたいに頻繁に薔薇を買いにくる金もないし、大人でもない。
俺は、ウルスラよりも身長が低くて。いつか彼女よりも背の高い男になって、かっこよく告白するって決めてるのに。
もしかしたらそんな日は、永遠に来ないかもしれない。
そっか、来ないんだ……。
戻ってきたウルスラは、紙に巻いた小さな花束を持ってきた。
白や黄色、淡い紫の野の花だ。
「よかったら、これをもらって」
「いらねー」
俺は、差し出された花を手で払った。その拍子に花束が地面に落ちてしまう。
一瞬、ウルスラが傷ついたような表情を浮かべた。
「俺は男なんだ。花なんかもらっても嬉しくない」
「そ、そうね。ごめんなさい」
ウルスラは落ちている花を拾い集めるが、まるで指先がこわばっているかのように、上手く拾えていない。
しょうがないから、手伝ってやった。
全部で七種類の花。
楽しみだったその数は、さっき大きらいになった数だ。
「ウルスラ。どうせなら好きな奴にこの花を渡せばいい。そいつに、あんたの夢を見てもらえばいいんだ」
ウルスラは戸惑ったように、俺の顔と花を見比べている。
ああ、気持ち悪いよな。初等学校のガキからこんなアドバイスをされたら。
ごめんな、俺はウルスラが思ってるほど、清らかな男じゃないんだよ。
「でも、男の人って花が好きじゃないんでしょ」
「ばっかだなー。渡し方しだいでどうにでもなるって」
「どうしたら、もらってもらえるのかな」
しゅん、とうなだれながら、ウルスラが尋ねてくる。
ああ、どこのどいつか知らないけど、その男が羨ましいぜ。
「この花ね、夜明け前に野原で摘んできたの」
「怖くなかったのか? 蛇とか……」
「そりゃあ、怖いわ。でも、日が昇りきる前の朝露を宿した花が、一番効果があるっていうから。その人の顔を思い浮かべながら、勇気を出して野原に行ったの」
俺は、奥歯を噛みしめた。
悔しいなんてもんじゃない。そこまで慕われていながら、その男はウルスラに興味がなさそうだから。
「……ウルスラ。もし恋が成就したら、その男を俺に紹介してくれよ」
「え? 紹介って。どうして?」
嘘くさい笑顔を、俺は浮かべた。子どもなんかに、恋人を紹介できないってことか。なんだよ、それ。
「ほら、俺ってウルスラの弟みたなもんだろ。だから」
「……弟」
「ウルスラ?」
ウルスラは手にした花束を、じっと見つめている。
早く水に浸けてやらないと、今にも花がしおれそうだ。
花を大事にする彼女なのに、そんなことにも今は気付かない様子だ。
「エルランドは弟なんかじゃないわ」
はは、ですよねー。ただの他人です。
「……俺、帰るわ」
ひらひらと手を振って、俺は花屋を後にした。
花屋に客が来たのか、話し声が聞こえる。
神さま、あんまりだよ。告白しようと思った日に、失恋とか。
初恋だったのに。
ああ、そうか。初恋は実らないっていうもんな。
街並みが滲んで、まるで水底を歩いているような気分になった。
もう、いいよな。好きな女の前じゃないんだから。
家と家との間の、狭い路地に入り、俺は声を上げて泣いた。
彼女と同じくらいの年齢でいたかった。せめて釣り合いの取れる、彼女の視界に入る人間になりたかった。
この恋は誰にも相談できなかった。失恋したって、誰に慰めてもらうこともできやしない。
だって、こんなガキに好かれてるなんて、ウルスラの迷惑にしかならないんだから。
「エルランド」
急に声をかけられて、俺はびくっと身をすくませた。
ふり返ると、狭い路地で息を切らしたウルスラが立っていた。
逆光を受けて、彼女の頬を流れる汗が煌めいて見える。
ふられても、ウルスラは綺麗だ。見とれてしまった俺は、慌てて涙をぬぐった。
「やっぱりね、どうしてもこの花を渡したかったの」
さっきの野の花を、ウルスラは差し出してくる。
「だから、それは好きな奴に……」
「エルランドのために摘んできたの、だから他の人には渡したくないから。……ごめんなさい、こんな言い方したら重いよね」
何を言っているのか、理解できなかった。
えーと、ふつう花屋は花を業者から仕入れる。けど、この野の花はウルスラが好きな奴を思い描きながら、野原で摘んできたヤツだ。
それを俺に渡そうしている……どうしても俺にもらってほしいと言っている。
脳がそれを理解した時、ぼっと顔が熱くなった。
もしかしたらほっぺたでパンが焼けるかもしれない。
「ウ……ウ、ウルスラ。これって」
「じゃあ、わたしは仕事に戻るね」
ウルスラは俺から顔を背けると、慌てて踵を返そうとした。
「あっ……」
自分でも気づかぬうちに、俺はウルスラのエプロンの紐を掴んでいた。
するりと紐がほどけて、ウルスラが立ち止まる。
俺はその紐を握ったまま、バカみたいに立ちつくした。
「……どうしたの?」
「どうもしない。さっさと仕事に戻れよ」
そっけなく告げるのに、俺の手は紐を離してくれない。
主の意志を尊重しないひどい手だ。指だって細いし、爪だって小さいし、全然いいところがない。
その時、ふいに体が前方に傾いた。
え?
気づいた時には、俺はウルスラの腕の中に閉じ込められていた。
柔らかな髪。ふんわりとした体の感触。
「な、なななっ! なにすんだよっ!」
顔ばかりか耳まで熱くなる。っていうか耳が熱を持ちすぎて痛いほどだ。
ウルスラを突き放そうとしたけれど、腕を突っぱねるだけの隙間もなかった。
一瞬のことだった。俺のおでこにウルスラがそっとくちづけたのは。
(え、えええっ! 夏至にキスする習慣なんかあったっけ? 知らないぞ、そんなの)
俺は、息が苦しい魚みたいに口をぱくぱくと開くことしかできなかった。
足に力が入らなくて、ウルスラの背中にぎゅっとしがみつく。
みっともない。なんだよ、これ。
かっこいい男になりたかったのに。
「弟みたいとは、思いたくないの」
「お、おお。他人だもんな」
「いつか他人じゃなくなったらいいな、って思ってる」
「お、おう……」
一応返事はするけれど、完全に上の空だ。
ウルスラの言ってることは、ポケット四法に書いてある内容より難しくて、理解できない。
「今夜はわたしの夢を見てね。約束よ」
「ウルスラの?」
「ええ。大人になるまで、待っているから」
誰のことを待つのか、と尋ねることはできなかった。
なぜって? 俺はウルスラの腕の中で倒れてしまったからだ。
これが俺の初恋の話だ。
みっともないだろ。
◇◇◇
あの頃、俺は青かった。
そう、好きな女性の腕の中で卒倒してしまうくらいにはな。
六年後。十八歳になった俺は、二十四歳のウルスラの隣に立っていた。
かつては見上げていたその姿を、今は見下ろしている。
夕焼け色の髪は、今日も柔らかで。思わず触れてしまうと、ウルスラは嬉しそうに微笑んだ。
「どうした?」
「ふふ、思い出していたの」
ウルスラが、俺の腕に手を絡めてくる。
「今のエルランドが、ちょうどあの頃の私の年齢なんだなって」
「あー」
俺はしかめっ面をして天を仰いだ。
本当は俺から告白するつもりだったんだ。なのにさ、ウルスラから七種類の花をもらって……自分の夢を見てほしいって。
それって、告白の先を越されたっていうか。
「本当はね、怖かったの」
「なんで?」
ウルスラは睫毛を伏せて、俺の腕を強く掴んだ。
「エルランドはわたしの算盤の先生で、すごく尊敬していて。わたしにとっては立派な人だったの。でも……周りはそうは思わないから」
「うん」
「だから、夜明け前の……っていっても白夜だから明るかったけど、誰も来ない野原で七種類の花を摘んだの」
「俺のために、だよな」
「うん」
「俺のことを想って、だろ」
「……うん」
「俺のことが好きだから」
とうとうウルスラはうつむいてしまった。
顔を真っ赤にして「みっともなくて、ごめんなさい」と、今にも消え入りそうな声で呟いた。
「だけど、いざとなるとエルランドに花を渡すのも気が引けて。迷惑なんじゃないか、嫌われるんじゃないかって。ほんとは、わたし……もっとあなたと年が近く生まれたかったの」
「うん……」
彼女の気持ちは、痛いほどによく分かる。
大人になってからの六歳差よりも、子どもの頃の六歳差の方が、あまりにも隔たりが大きい。
出会うのが、好きになるのが早かっただけで、この気持ちは罪とされてしまうのだから。
俺は暮れゆく空を仰いだ。
白夜のこの季節、太陽は地平線近くを西から東へ移動するだけで、沈みきることはない。また朝になると東から昇り、夜のない一日が始まる。
夕暮れとも朝焼けともつかぬ長い時間、茜色に染まった空の下で、少女たちは未来の結婚相手の夢の中、まどろむのだ。
ま、俺は少年だったけどな。
腕にしがみついているウルスラの手を外し、俺は彼女と指を絡めた。
「夢、見たぜ」
「……わたしの?」
「他にいるわけないだろ」
かつてのウルスラの年齢になって分かったことは、十八歳って意外と大人じゃないってことだ。あと、大人は思っていたほど自信が持てないとか、万能じゃないってことも。
「ウルスラの髪は、白夜の空の色なんだな」
「あ、赤くて恥ずかしいわ」
「綺麗って言ってんだよ」
俺は少し体を屈めて、ウルスラの唇にキスをした。
彼女の手は相変わらずかさついているけど、唇は柔らかい。
上唇に何度もキスを降らせると、ウルスラは指に力をこめた。
指先に触れたウルスラの爪は、今では俺よりも小さくなっている。
いや、違うか。俺がでかくなったんだな。
軽く瞼を開いて、彼女の様子を確かめる。頬を染めて、しっかりと目を閉じている様子が愛らしい。
何度も唇を重ねていると、ウルスラは足に力が入らなくなったのか、必死な様子で俺の背にしがみついてきた。
だからキスをやめてやらない。
君は気付いてないだろうな。ちょうど六年前の俺と……額にキスされた時と君が同じ状態だってこと。
俺はシャツの胸ポケットに手を突っ込んで、中から小さな箱を取りだした。
天鵞絨が張られたその箱の中にあるのは、ウルスラの髪と同じ色のオレンジスピネル。
赤とオレンジが溶け合ったような、今の空によく似た色の、美しい宝石の指輪が入っている。
ウルスラはずっと待っていてくれた。俺が大人になるその時を。
だから、俺も待とう。
君が返事をくれるまで。