閑談 地獄の使者・無間
目が覚めると眼前には満点の星が浮かんでいる空あった。その星々から小さな光の結晶が降り注ぎ、俺の周りに落ちては砕けて消えていく。
ちゃぶ台とビールの空き缶が散乱している四畳半、お気付きの通りあのクソ詐欺天使野郎の住まいに俺は居る。
なぜ再びこの女の前に登場する事になったのかは俺にもわからない。ただ普段通りにベットに横になって目が覚めたらこの場所に居た。
「やあ京介君。久しぶりやなー、その後の調子はどうや?」
「てめえ……どの口が言ってんだよ。あんたの所為でこっちは毎日毎日アホみたいに走り回って金を溜めてるんだぞ! なのに宿代や飯代に装備代で全然金が溜まらねえ。むしろ毎日赤字だよ! 生前の生活よりも厳しいよ!」
「それはあかんな。はよう借金返してもらわんと。こっちも毎日毎日催促されて困ってるんですわ」
「ふっざけんな! 勝手に押し付けられた借金をなんで俺だけ返してんだよ! アンタが払っていくのが普通だろ!」
「そうどすよ。こないな若い子を騙すなんて最低や」
……ん、今の声誰だ?
声のした方を見ると俺とミカエルの隣に着物の女性が湯呑みで茶を飲みながら正座している。さっき迄誰も居なかったはずなのに突然現れたのだ。
女性は一口茶を啜ると、微笑みかけてきた。
「はん! 騙される方が悪いんや」
「えっと……。どなたですか……?」
「お初お目にかかります。地獄の金融部門を担当したはる、無間と申します。以後よろしゅう頼みます」
深々とお辞儀をされ、慌てて姿勢を正して礼を返す。目の前の詐欺天使と対照的にものすごく丁寧な女性だ。真っ白な肌と薄紅を塗った唇で微笑まれると思わず恥ずかしくなって赤くなってしまう。ミカエルも外面はいいのだが、この腐った性格の所為で全然美人に見えない。
だが無間さんはめちゃくちゃ綺麗だ……。しかも胸も大きい。
「それで、この子がミカエルはんの保証人になった子なんどす?」
「せや。思春期真っ盛り男子高校生の体や、無間も文句ないやろ」
「んー……? ちょい失礼しますよ」
「え、ちょ、ちょっとなんすか!?」
無間さんはすこし考え込んだ後、行き成り俺の体を触ってきた。白く細長い指で体中を触られて冷たくてくすぐったい。そんなことはお構いなしに無間さんは服の間から胸元や太ももなどを触ってくる。
このままじゃ女性の前では反応してはいけないアノ場所が反応してしまう!
「そやね、もう少し筋肉が欲しいとこやけどしっかりした健康的な体やねぇ。これならうちも文句ありまへん」
「せやったら取り立てもう少し待ってえな。次、次のレースで絶対取り返してみせるから!」
「ミカエルはんよう言いはりますけど、この前も大負けしてはりましたやないですか……」
「あの、話が見えないんですが……」
二人の間でどんどん会話が進んでいくのに耐えきれず口を出してしまった。いや、まず話題に上がっているのは俺だ。でないとさっき体を弄られた意味がわからない。
「うちが京介はんを借金の形に貰い受けようという話どす」
「借金が払えへんかったら君は地獄の鬼さんの仲間入りっちゅうわけや」
「いやいや、待て待て! なに本人のあずかり知らぬ所で勝手に決めちゃってるんですか! 地獄なんて行きたくないっすよ!」
地獄には勿論行ったことはないからどういう所かは知らないが、絶対に心地よい場所では無いだろう。古くから想像されているような血の池やら針の山やら石を積み重ねては崩されたりするような場所が本当にあるのかもしれない。だとしたら絶対に嫌だ。
以前の俺だったら地獄の金融部門という言葉を冗談に受け取っていただろうが。ここ一ヶ月での生活により俺の人間としての適応力がかなり高まったのだ。それに目の前には本物の天使も居る。地獄の人間が居たってなんもおかしくはない。
「大丈夫です。京介はんはうちの私物にします。地獄にゃ連れていきまへんので安心してください」
「は、私物? それほんまに言うてんの」
「本気ですよー。結構可愛い顔しとりますし、気に入りましたわ」
俺は一瞬こんな美人な人に貰われるなら別にいいかな。なんて思ってしまったが無間さんに見つめられた瞬間にそんな考えなど消し飛んだ。
無間さんの細い目が開かれたと思うと、蛇の様な金色に光る瞳を覗かせた。蛇に睨まれた蛙という言葉通りに見つめられて動けなくなる。
つかこええ。
無間さんにビビってるとミカエルが耳打ちしてくる。
「無間はドエスやから注意しとき……」
「ドエスって……怒らせたら怖いタイプか」
「いや、むしろ怒らせた方が怖くあらへん。ご機嫌な時の方が何考えてるかわからへんのや……」
「聞こえてますよ」
「ヒッ!」
気が付けば目を戻した無間さんがさっきと変わらない優しそうな笑みを浮かべて茶を啜っている。雰囲気は先程と同じだが、浮かべている笑みは偽物にしか見えない。
この人には逆らわないほうが良さそうだ……。
「それじゃ、うちはこの辺りでお暇します。京介はん、お近づきのしるしにこちらを差し上げますわ」
そう言って手渡されたのが招き猫ならぬ招き狐の貯金箱だった。白い招き狐はまるで今の無間さんのような笑みを浮かべて、首元に勾玉を身に着けている。
「貯金箱?」
「その子にお金を入れると自動でこちらにお金が振り込まれるんどす。この自堕落な天使に渡すと中抜きされても可笑しくあらしまへんから」
「んなことせえへんわ!」
無間さんはスッと立ち上がって俺に近づいてくる。そして隣に座ると胸を押し付けるようにしてしなだれ掛かってくる。俺はめちゃくちゃ慌てて避けることも出来ずに受け止めてしまい、そのまま畳の上に押し倒されてしまった。
無間さんの吐息が頬を撫でるくらいに近づかれ、鼓動がどんどん早くなっていく。怖いけどめちゃくちゃ綺麗なんだよこの人!
そのまま石のように固まった俺の視界を掌で塞ぎ、耳打ちしてくる。とてもか細い声で囁いてくるため、呼吸の様子まで伝わってくる。
やばい、ドキドキが止まらない。
「その子をうちと思って身近に置いとくれやす」
「は……はい!」
「かいらしいお人ですなぁ……。いつかほんまにうちの物にしてあげます。ほな……きぃつけてかえんなはい。お返済おきばりやす――」
ふっと息を耳に吹きかけられると同時に俺の意識が失われていく。気絶ではなくて眠りに入るような心地よさの中で落ちていくような浮遊感を味わいながら、俺は再び眠りについた。