第X話「消えた抹茶の謎」
エイプリルフールネタの再掲載です。(*´∀`*)
本編にはほとんど関係ないけど、時系列的には五章五話の後。
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『次はスポーツの話題です。一昨年にドーピングが発覚しアニマルボクシング界を追放されたカンガルーのボナード君が、新たにダーティ・ボナード二世と名前を変え、十二月恒例の残虐ファイト、アニマル・デストロイに参加する事を表明しました。元々清廉潔白な選手としてアニマル・ボクシング界の救世主と呼ばれていたボナード君の豹変に業界も動揺しているのか、ボクシング部門からは過去に回収騒動まで発展したボナード君TシャツにDの文字だけプリントしたものを販売するという謎の告知のみを発表しています』
『私このTシャツ持ってますよ。ワゴンセールで二百円でした』
俺はソファに身を預けながら、超どうでもいいニュースが流れているテレビをボーッと眺めていた。
そういうカンガルーが一時期ドーピングで話題になった事は覚えているが、当時も今も変わらず興味がない。ニュース番組自体もだ。
これまで何を見ていたのか思い出せない。何も頭に入ってこない。……そもそも、テレビつけたの何時だっけ。
『先日ミノタウロスとしては異例の討伐指定種になったホルスタイン・ジェットさんが、研究施設から脱走するという痛ましい事件が発生しました。研究所が発表した見解では、新種であるキャミソールタウロスへの改造手術が予想以上にストレスになったのではないかとの事です。現在ホルスタイン・ジェットさんは無事捕獲され、ダンジョン内で着るキャミソールを物色中との事です』
『牛がキャミソール着てても目の保養にはならないね。ウチのカミさんと同じで目のやり場に困る』
今度は新種のモンスターの話らしいが、冒険者でない俺には直接関係ない事だ。
むしろ、改造手術のほうに興味がある。倫理の問題で簡単にはできないだろうが、誰か無気力な俺を改造してくれないだろうか。
……関係ないが、このコメンテーターいらないんじゃないかな。
『それではまた明日のこの時間にお会いしましょう』
「あ、十二時だ」
気付けば深夜だった。テレビ見始めた時は確かまだ明るかったから、最低でも八時間くらいはボーッとしてたという事か。
晩飯どころか昼飯も食った覚えがない。……腹は減っているが、冷蔵庫には何も入ってないな。買いに行くのは面倒だ。……寝るか。
何もないまま、何もしないまま一日が過ぎる。寝起きで寝癖がついていても寝るまでそのままだ。最近では風呂も数日おきである。
確か今は十二月だから、もう三ヶ月もこうしてボンヤリ過ごす日々が続いているという事になるな。壮絶なまでに怠惰に日々だ。
会社を辞めてから、寝て起きて飯食ってと人に必要な活動しかしていない。就職前は趣味だったゲームも積んだままだし、録り溜めてあるテレビ番組もそのままだ。休みになったらこれを消化する事ばかり考えていたが、いざこうして有り余る時間を手に入れても放置状態のままだ。
何もする気が起きない。何か精神的な病気だとは思うが、病院にすら行かないまま日々が過ぎていく。
俺の中に残った爪痕は大きい。あの半年間の激務は人格を変えるほどに強烈な体験だったのだ。
大学を卒業し、就職したのが今年の四月。俺が入社した就職先は大学で募集をかけていた企業の一つで、いわゆるブラック企業というやつだった。
どこがブラックなのかと聞かれたら、すべてと答えるしかない。思い出のすべてが真っ黒けである。
一から十まですべてがおかしい。正式に入社する前の研修の時点からすでにその傾向はあったのだが、いざ配属されてみると明らかに異次元の就業体制だった。
まず、同期入社は五人いたはずなのに入社時には俺を含めて二人になっていた。内定段階でなく研修にも参加していたので、新卒就職そのものを蹴ったという事である。そして、残ったもう一人も翌日には出社して来なかった。当時は無責任極まりないと思ったが、結果を見れば愚かなのは俺のほうだったのだろう。
配属された部署の人数が少ない事もあってか、いきなり新規プロジェクトのメンバーとして組み入れられ、翌週にはメンバーが半減、更に翌週にはプロジェクトリーダーとの二人体制に移行、翌月にはそのリーダーが過労で入院した事で何故か俺がリーダーに昇格していた。新人一人チームのリーダーである。一人で何をしろというのか。
企画から資料作成、客先対応、進捗報告の為の幹部会議出席など全てが俺の仕事だ。強制ソロプレイなので全体管理をする必要はないが、嬉しくはない。
入社して一ヶ月だというのに、すでに休日がないどころか家にも帰れない日々が続く。社内には狙ったように汚い簡易シャワーとベッドが用意されていて、俺はそこの住人と化していた。
もう全てを放り出して逃げ出してしまいたかったが、プロジェクトリーダーであり後任も存在しない事が精神的な歯止めとなり、逃げれない状態になっていた。引き継ぎを受けた覚えはないが、引き継ぐ相手もいない。ノウハウのバトンタッチが成立しない。
同じような生活を送っている社員がいる事も原因の一つだろう。碌に話もせずに死んだような目で過ごす同僚でも、奇妙な連帯感が生まれていたのだ。
そんな環境で半年も続ければ完璧な社畜の完成だ。半日休みができて家に帰れるというだけでボーナスを放り出して受け取ったような気分にさえなる。もちろん、本物のボーナスは存在しない。というか、入社三ヶ月は試用期間で最大六ヶ月まで会社判断で延長できる、というクソ規定のせいで給料や残業代すら一定額以上は支払われない仕組みになっていた。
実はこの規定、完全に違法らしい。給料だけでなく就業体制もそうだ。そもそも扱っている商品からして違法なんだから、合法の部分のほうが少ない。
ちなみに、それを聞かされたのは摘発後の留置場だ。俺は最終的に何事もなく釈放されたが、幹部連中は捕まったままのはずである。罪状次第では迷宮都市追放も有り得るとの事だ。
激動過ぎる新社会人生活である。掲示板に書き込んだらネタ認定される事間違いなしだ。
冷静になってから事件の詳細と会社の情報を調べて、俺はようやく真実に辿り着き受け入れた。大学の就職窓口からの推薦という事で、碌に調べもせずに決めてしまった事を深く後悔した。……担当の事務員をぶん殴ってやりたかったが、すでに逃げ出した後だ。
ホームページに記載された『未経験者歓迎。新人研修制度充実。少数精鋭で、皆仲良くやっているアットホームな職場です』というコピーと社員の成功体験コメント、無駄にいい笑顔の社員が肩を組んでガッツポーツをしている写真は、冷静なら一発でブラックだと分かるもののはずなのに、卒業間近で単位がギリギリだった俺には目を向ける余裕がなかった。
……というか誰なんだよ、あのコメントと写真。あんな社員いねーし、オフィスもあんな綺麗じゃなかっただろ。くそ。
年度の頭から就職活動を始める者がほとんどである中、そんな時期まで決まっていなかった俺が怠惰だというのは間違いない。これは俺が悪いと素直に反省すべきところだ。
友人は大学内だけの付き合いで、就職について相談するような相手がいなかったのも問題だろう。
いや、雑談程度に進路の話題はあったのだが、みんな内定した会社の良いところしか言わない。簡単に言ってしまえば自慢話しかしないのだ。就職前で情報が少ないのだから当然かもしれないが、悪いところが見えていなかったのが、話したくなかったのか、目を逸らしていたのか。
……ひょっとしたら俺と同じようにブラック企業で忙殺中の奴もいるかもしれない。さすがに役員が軒並み逮捕され、会社が倒産したのは俺くらいだろうが。
さすがに今回の件は大問題だったのか、大学からも正式に謝罪を受けた。第二新卒扱いで別の就職先を斡旋してくれるとの事だったが、入社時期は来年の四月だ。まだ面接する気力も湧かない抜け殻のまま、こうして無為に日々を過ごしている。
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四月の再就職先を紹介してもらう為、そろそろ大学に行かねばならない。普通に就職活動するなら遅過ぎると言ってもいい時期だ。
気力は湧かないままだが、このままでは第二新卒の紹介まで潰してしまう事になる。そうなれば、民間の斡旋所か就職サイトかその手の雑誌から自分で見つけ出す必要があるだろう。
母校の推薦がないので採用率は落ちる。そして、以前の就職先ほどのケースは極端だとしても、ブラック企業の割合は跳ね上がるだろう。
大学からの紹介であんな違法企業に就職してしまったわけだから完全に安全というわけではないだろうが、それでもある程度の信用はある。
とりあえず決めた条件は激務でないところ。
在校時にこんな事を言ったら社会人舐めてると思われかねないのだが、事情を知っている担当職員は引きつった笑顔で対応してくれた。
「せめて週一でも休みがあれば頑張れる気がします」
「いや、どこも基本的に週休二日なんですけど……」
だが、あの会社も募集要項には完全週休二日制、有給初年度十日と書いてあったのだ。ちゃんと実態が確認出来るところがいい。
入ってから深夜までの残業と休日出勤が常態化しています、と言われても諦めるか辞めるしかないのだ。……仮眠室のないところがいいな。
「ウチを卒業したOBが在籍している会社なら、事前確認も可能ですしある程度安心できるでしょう。見学を受け付けているところもありますので、いくつかピックアップしておきます」
確かにそれなら安心できる。少なくともその先輩は辞めていないという事なのだから。
とはいえ、大学の歴史自体が浅い以上そこまで多くの候補は存在しないだろう。そういったノウハウが確立されていないからこそ、あんな企業の募集が紛れ込むのだ。
いくら大学の経営体制や就職支援の実績が少ないからとはいえ、あそこまでブラックな奴らを紹介したのは完全にミスだ。その辺、大学側も負い目を感じているようで、かなり真摯に対応してくれた。でも、許さないから。
並行して、個人で調べられる範囲でも就職情報を漁る。情報源は
雑誌やネットの転職支援サイトだ。本当は斡旋所の主催する就職訓練にも参加したほうがいいのだろうが、そこまでの気力は湧かなかった。
迷宮都市における職業選択の幅は広い。
大手企業などはさすがに難関で途中入社するにも実績がいるが、ある程度ランクを下げるならこんな時期でも募集しているところはある。ある程度募集要項と違うところはあるかもしれないが、それでも待遇に大きな乖離はないだろう。福利厚生が充実しているのは大手の強みだ。
いっそ農業を始めるという手もある。農園などはいつでも募集しているし、そういった一次産業は特殊な環境下での仕事となる為休日も多く取れるのもメリットだ。
学校の授業で習ったが、迷宮都市の外では農家はかなりの激務らしい。耕運機などの農業機械もないし、季節や時間の影響も大きく受ける。本来それが当たり前らしいが、迷宮都市内で就職する場合は関係ないだろう。肉体労働ではあるから合う合わないはあるだろうが、候補には入れておく。
ただ、畜産業は厳しいだろう。俺には喋る家畜を解体する精神力はない。いくら協力的とはいえ、人として大切な何かを失いそうだ。
実験区画の研究部門に潜り込めるなら待遇もいいし面白そうではあるが、これは除外だ。必要な資格が多く今から目指すのは厳しいだろう。
冒険者は……登録だけなら誰でも受け入れているが、はっきりと実力主義だ。かなりの身体能力がないとデビューすらできない。肉体労働のカテゴリであっても少し運動ができるからといって手を出せる職業ではないし、何より日常的に痛い思いをするというのは厳しい。
収入も安定しない。中級以上の冒険者はかなり稼げるという話だが、そこまで行けるのは一握りだ。下級で甘んじるくらいならバイト生活のほうが現実的である。
もちろん憧れはある。迷宮都市市民にとって彼らはヒーローだ。文字通り超人と言っていい身体能力も男なら特に興味を持つ事だろう。
だが、現実的ではない。昔、社会化見学で行ったトライアルダンジョンのゴブリンですら尻込みする俺には向いていない。
登録する奴はいる。期間を決めて、その間に芽が出なければ見切りをつけるという選択肢もある。外から来た者は選択肢がないが、多くの迷宮都市出身者にとってははっきり言って最後の砦と言っていい。事実、冒険者を志した知人でデビューまで漕ぎ着けた者は皆無である。
冒険者という職業は一部の選ばれた者だけが歩む事のできる道で、成功するのは更にその一握りだけなのだ。拳闘ギルドに登録して闘技場で戦うのも厳しい。ダンジョン区画に本拠を構える職業は一般人には厳しいものばかりだ。別に情報も行き来も制限されていないのに、巨大な壁があるのが感じられる。
就職情報誌を買う為立ち寄ったコンビニで、久しぶりに冒険者関連の雑誌にも手を伸ばしてみた。
ここ一年の情報がないので、大まかな攻略情報くらいしか分からない状態だ。最近活躍している冒険者も分からない。
雑誌の特集は無限回廊一○○層に挑戦を開始したトップクランの記事だ。主要メンバーや過去の攻略速度、クランの特色など、誰でも知っているような内容である。
……あれ、< 流星騎士団 >が< アーク・セイバー >と張り合ってるのか。
一時期、パッとしなかった< 流星騎士団 >だが、どうやら俺が激務に明け暮れている間に勢いを取り戻したらしい。
< 朱の騎士 >アーシェリアに新しい主要スキルが増えているが、これが勢いの元だったりするのだろうか。知らない間に状況は変わってるものだ。
パラパラとページを捲っていると、最近注目の若手冒険者たちという記事があった。
最初に紹介されている冒険者は渡辺綱。漢字名だが、迷宮都市出身ではないらしい。なんかゴツくて凶暴そうな写真だが、年齢は十五歳だ。見かけはともかく、年は若いな。
「……なんじゃこりゃ」
記載されている経歴がどう見てもおかしい。さして詳しくもない俺でも異常だと分かる内容だ。
まだデビューから一年も経っていないのに中級冒険者に昇格。数々の記録更新。並の冒険者が数年がかりでも到達できない実績を打ち立てている。
紹介されている冒険者の内、半分ほどが同じパーティのメンバーだ。華々しいにもほどがある。……こういうのが一握りなのだろう、と実感させられる。
こういうのがいると同期の冒険者は気が気でないかもしれないが、一般人の俺からしてみたらここまで遠ければ嫉妬する気にもなれない。
なんとなくだがその雑誌も買ってみる事にした。何をするにも気力が湧かない状況だが、久しぶりに興味の惹かれる対象だ。
その日の夢は、久しぶりに仕事の夢ではなかった。
-3-
季節は過ぎ、四月。俺は新しい職場へとやって来た。
何の変哲もない飲料企業。お茶をメインのラインナップにそれなりの売上を出していて、TVでもCMを時々見かけるくらいの知名度だ。
調べても悪い噂が出てこない、少なくともブラックではない企業だ。
この会社に決めたのは……何でだっけ? ああ、そうそう、確か先輩が管理職に付いていて、事前に色々話を聞けたからだ。……あれ、でもどんな人だったか覚えてないな。
新入社員は俺一人。前回のパターンと同じように見えるが、そもそも採用枠が一名だけだったらしい。応募は結構あったらしいが、OBのコネ入社というやつだ。
会社の場所は俺の住むマンションから電車で三駅……いや四駅ほどの近場だ。あまり良く覚えていないが、じきに慣れるだろう。
今日から配属されるのはその内の企画部門。新商品の宣伝や営業などを担当する部署らしい。詳しい説明を受けたような気もするが、良く覚えていない。……何だか思考状態がフワフワした感じだが、これはきっと昨日あまり眠れなかったせいだろう。……いや、結構早めに布団に入ったような。
「本日から配属になりましたワタヌキです。よろしくお願い致します」
OBの先輩から新人教育担当を紹介され挨拶する。俺はしばらくこの担当者について回り仕事を覚える事になる。
「企画第一チームの摩耶です。よろしくお願い致します」
担当はかなり長身の眼鏡をかけた女性だ。キリッとしていて、できる女という雰囲気である。
……なんかどこかで見た事あるような気がするんだが、思い出せない。ウチの大学の卒業生ではないはずだが。
「しばらくウチのチームで研修受けた後正式配属になりますが、研修期間も少しずつ実務を回しますので実地を踏まえて仕事を覚えて下さい」
「はい」
しばらくは仕事を覚えるので大変だろうが、前職の悪夢を知っていれば大丈夫だろう。忘れたい過去だが、あの悲惨な職場を知っていれば大抵の事は耐えられる。
「では、関係部署に挨拶してからウチの部署に行きましょうか。ついでに社内の施設なども案内します」
会社の入っているのはビルの一階から三階で、一階は店舗として直販も行っているらしい。
オフィスとして使われているフロアは綺麗に掃除が行き届いていて、以前の職場のようにゴミが散らかっていたりはしない。淀んだ空気が漂っている事もなく、いかにも普通の会社といった雰囲気だ。仮眠室やシャワーがないのも俺としては高ポイントだ。
ああ、これが普通の社会人ってやつなんだよな。
いくつか関係部署を回り、新人として挨拶をする。研修中は摩耶さんのチームだが、正式採用後はどこの配属になるか分からない。できるだけいい印象を持ってもらいたい。
「最後がウチのチームです。女性ばかりですが、あまり気にせず交流して下さい」
「女性が多いんですか」
男性率100%の職場しか体験していないから新鮮である。性差が原因で虐められたりしなければ大丈夫だろう。
一年前だったらオフィス・ラブ的なイベントに期待もしたのだろうが、今は平穏無事にすごせる事が最優先だ。
摩耶さんの後について部屋の中に入ると、中には社員が五人。
……全員女性なんだが、これでは女性ばかりではなく女性だけというべきだろう。あ、俺が入るから間違いではないのか。……ってあれ? 摩耶さんが二人……いや違う、全員同じ顔だ。格好も同じだから見分けが付かない。え、何これ。六つ子って事? 珍しいってレベルじゃないぞ。
「メンバーはみんな摩耶なので、担当だけの紹介にしましょうか」
みんな摩耶って……え、六つ子とかじゃなくて、名前も一緒なの? 俺は夢でも見ているのか。
「まず私が統括・企画担当で、このチームの取りまとめ役。つまりワタヌキさんの直属の上司になります。得意技はフランケンシュタイナーです」
「は、はい」
……得意技?
「では、右側から順に自己紹介を」
「はい、営業・広報を担当の摩耶です。得意技は相手を拘束してからのサッカーボールキックです」
「事務担当の摩耶です。得意技はチキンウィングフェイスロック」
「分身です。得意技は空蝉の術」
「井の中の蛙です。得意技は巨大化と内側からの井戸粉砕」
「抹茶風味です。得意技は味覚破壊」
「以上がこのチームのメンバーになります。では次に当チームの主力商品を……」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい。何で普通に進めようとしてるんですか!? 意味が分かりませんよ」
謎塗れの自己紹介を華麗にスルーしつつ、商品説明を始めようとする摩耶さんにストップをかける。いや、全員摩耶さんらしいのだが、この場合は上司の摩耶さんだ。
「何か不明点でも?」
「すいません、こういったジョークには慣れてなくて、どこから突っ込んだものか」
「は?」
六人全員が「何言ってんだこいつ」みたいな目でこちらを見る。
……え、俺がおかしいの? 明らかに色々間違ってたよな。自己紹介に得意技が入るのは百歩譲ってアリだとしても、担当の半分以上が意味不明だ。
というか、六人全員同じ名前ってのもありえない。
「ああ、あなた自身の紹介を忘れてましたね。失礼しました」
合点がいったという風に紹介を促される。いや、そうじゃないんだが。
「え……あ、はい。ワタヌキです。第二新卒枠の若輩者ですがよろしくお願いします」
「…………」
無反応である。え、何か間違った? 自己紹介からこんな空気になるの? ハードル高いよ。
「えーと、得意技はなんでしょうか」
「と、得意技?」
それ必須事項だったのかよ。
えーと、得意技? 技ってなんだ。スキルの事か? いや、摩耶さんたちはプロレス技が得意技……いや空蝉とか井戸破壊はスキルでもプロレス技でもないよな。
得意な事を言えばいいのか? それとも小粋なジョークで場を和ませるべきなのか?
くそっ、駄目だ。俺には難易度が高過ぎる。
「と、特にありません」
「またまた。何かあるでしょう。ここは譲れませんよ」
え、何でそんなに得意技に拘るの。みんな頷いてるし、持ってて当たり前の認識なのか。
「え、えーと……その……ラジオ体操とか」
「いいですね、ラジオ体操。実に効率的な体操です」
「超スローテンポにすると結構キツイんですよ」
「私は第二が好きですね」
適当に言っただけなのに、なんでこんなに食いつきがいいんだ。
「分身すれば一人第四も可能ですよ」
「それはあなただけでしょう」
同じ顔と声だから、誰が誰か分からない。ラジオ体操はそんなに盛り上がるネタではないはずなのに。
というか俺、第二までしか知らないんだけど。
「……失礼しました。では業務に戻りましょう。ワタヌキさんは研修室……は使ってますね。そちらの応接室で、まずは取り扱い商品の勉強をしましょう」
「は、はい」
よく分からないが切り抜けられたのか? いや、切り抜けたのはいいけど謎は謎のままだ。勢いで流された感がある。
……摩耶さんたちはそれぞれ業務に戻ってしまったし、後で聞けばいいか。意味不明な事が多過ぎて何から聞けばいいか分からないし、社会人として取り扱う商品を知るほうが大切だろう。頭の中で質問事項をまとめようにもパニック状態でそれどころじゃない。
応接室と言っても、パーティションで句切られただけのスペースだ。配置されたソファに腰掛けていると、すぐに摩耶さんがやって来る。
手には何やら緑色の液体が入った瓶。お茶の会社という話だから、アレもお茶なのだろうか。
「こちらがウチのチームで販売を担当している商品になります」
「お茶ですか?」
「似たような物ですが、どちらかと言えば健康食品に近いですね。冒険者の方がメインターゲットです」
なるほど。実態には詳しくないが、冒険者が肉体労働である事は分かる。こういった健康補助にも気を使うというわけか。
本職の冒険者以外でも、こういった部分で支えている人たちがいるんだな。
「冒険者は体の作りが違うと聞きますが、これは一般人が飲んでも問題ない物ですよね?」
「もちろん問題ありません。ただ、良薬口に苦しというように、あまり美味しいものではありませんね。一応抹茶風味で味を整えてありますが、慣れないとキツイかもしれません」
「ああ、そういうものですよね。嗜好品ではなく健康食品なら、むしろそのほうが効きそうな気もしますし」
「取り扱う商品を知るのは営業として大切な事ですから、とりあえず一杯試してみて下さい」
と言って摩耶さんは瓶から湯呑みに液体を移す。手に持って臭いを嗅いでみるが、色といい普通の抹茶にしか感じられない。
美味くはないらしいが、事前に分かっていれば覚悟もできる。湯呑みを持って、そのままグイっと飲み込んでみた。
「っ!」
口に含んだ途端広がる抹茶の風味と苦味。そしてその風味は一瞬にして消え、苦味だけが暴走を始める。そして、後に続いて渋み、甘味、辛味、無数の味が口内を刺激する。
なんだこれは!? 毒なのか? まさか、俺は今毒殺されようと……。駄目だ、これを飲めば死ぬ!
「ぐぼえっ!」
思わず空中に向かって吐き出してしまった。
「げほっ! おえええええっ! し、死ぬ!」
取り繕う余裕もなく、口に残った液体を吐き出す。しかし、僅かに残った分だけでも強烈な風味がとめどなく襲ってくる。
「あー、だから最初に美味しくないって言ったじゃないですか」
「お、美味しくないってレベルじゃ……」
摩耶さんはこの反応が予想できていたのか極めて冷静だ。
というか、これ劇物ってレベルじゃないぞ。どこが健康食品だよ。健康になるとしても飲めたもんじゃねーよ!
「ちょっと、ぞうきん持ってきてー」
摩耶さんの声で、パーティションの向こうから摩耶さんが……分かり辛いが別の人がぞうきんを持ってくる。
騒ぎが気になるのか、結局全員が入って……いや一人足りないな。
「す、すいません。うがいしてもいいですか?」
「あ、どうぞ。隣が給湯室です。ウォーターサーバーもありますよ」
自分の吐き出したものの始末を任せてうがいに行くのは無礼に過ぎるが、とても耐えられない。面子とか拘ってる状態じゃなかった。
部屋を出てうがいをし、ようやく一息つけた。
……何だったんだアレは。新入社員に対する洗礼か何かなのか。アレ、売っていいものじゃないだろ。
「……失礼しました。いきなりとんだ失態を……」
「いえ、予想できた事なので大丈夫ですよ」
予想してたのかよ。分かってアレを飲ませるのか……いや、商品だしな。……飲めないと仕事にならないとか?
「あの……アレってやっぱり飲めないとまずいですかね?」
「いえ、最低限どんな感じか知って頂ければ大丈夫ですよ。何も知らずにお客様に説明はできませんし」
やっぱりアレ売るつもりなのか。どうやって営業すればいいんだ。劇物ですが健康になりますって?
「そういえば、摩耶さん……は全員そうか。……一人いないみたいですが」
摩耶さんと呼ぶと全員が振り返った。面倒なチームである。
ここにいるのは五人。さっき給湯室に行った時に見たが、部屋には残っていなかった。トイレだろうか。
「ああ、彼女は抹茶風味なので」
「はあ……」
いないのはさっきの自己紹介で抹茶風味と言っていた摩耶さんか。……得意技は味覚破壊だっけ? 味覚破壊はさっきの謎の液体だろ。
「…………」
「…………」
説明の続きを待っていたのだが、そこで会話が止まる。
「え、抹茶風味だから何ですか?」
「え?」
え、何でそこで「何言ってんだこいつ」みたいな目で見られるの? 抹茶風味だといなくなるのが当たり前なの?
後ろを振り返ってみたが、やはり誰もいない。いないが……何故か机の上に服が畳んで置いてあった。……誰かが脱いだ?
不意にさっき飲んだ液体の味が蘇る。
「……抹茶風味」
『もちろん問題ありません。ただ、良薬口に苦しというように、あまり美味しいものではありませんね。一応抹茶風味で味を整えてありますが、慣れないとキツイかもしれません』
……一応抹茶風味で味を。
いや、そんな馬鹿な。いくら抹茶風味だからって……。意味不明な担当だが、きっと仕事で別の部署に行ってるとか。
「あーあ、せっかく抹茶風味だったのに」
別の摩耶さんが片付けをしながら呟く。
まさか、そんな……ムダにホラー染みた展開……。
-4-
「うわああああっ!!」
大声で叫びながら跳ね起きると、そこは自分の部屋だった。ベッドではなくソファだ。
「ゆ……夢?」
TVを見ながら寝落ちしたのか。
なんだ。一体どういう事だ。……さっきまでの生々しい体験が夢だったという事なのか?
『では、次のニュースです。先日討伐指定され、研究施設から脱走を企てたホルスタイン・ジェットさんですが、本日の記者会見でキャミソールタウロスとしての姿をお披露目しました』
『気持ち悪かったですね』
つけっ放しになっていたTVからはニュースが流れている。
……そうだ、夢だ。大体、まだ十二月で就職も決まっていない。
「……なんだったんだ一体」
やけにリアルな夢だった。今でも口の中にあの液体の不味さが残っている気がする。寝汗も酷いが、不快感はその比じゃない。
同じ名前の同じ顔が六人出てきた時点で夢って気付けよ。というか摩耶って誰だよ。そんな知り合いいねーぞ。
おそらく気分だけの問題なのだが、入念に歯磨きをしてうがい薬まで使って幻の風味を消し去った。
……もう深夜だから寝直そう。まさかまた同じ夢見ないよな。
TVを消し、ソファの上に放置してあった雑誌を片付ける。
「…………」
何か忘れてるような気がして雑誌を捲ってみた。
「……ああ」
最近注目の若手冒険者たちのページに、先ほどまで見ていた顔があった。名前も同じ摩耶だ。
どうやらこれが変な風に作用して夢に出てきたらしい。趣味が健康食品と書いてあるから、舞台の原因はこれだ。今日紹介された就職先にお茶の会社もあったからそれと混ざってしまったのだろう。……何故六人もいたのか分からないが、そこら辺の意味不明さは夢特有のものに違いない。雑誌のどこにも家族構成についてなんて書いてないし。
冒険者なわけだから、あの会社で働いているって事もないだろう。
……別に何の思い入れもないのに、忘れられない名前になりそうだ。
数日後、大学までの道を歩いていると、見覚えのある店が目に入った。
ビルの一階にテナントとして入ったお茶の直販店だ。これも夢の原因の一つという事だな。今まで気にも留めていなかったが、視界には入っていたのだろう。
急いでいるわけでもないので、何の気なしにその店に入ってみると、中はお茶独特の匂いが立ち込めていた。
……茶葉を売ってるんだから当たり前なんだが、あの謎の液体の味が蘇るな。
入ったのが初めてだからか、店の中の配置は夢の中とは違う。オフィスと繋がっている様子もない、ただの店舗だ。
「あの……この店に摩耶って人は勤めてませんよね?」
「え? はい。在籍してませんが何か?」
「いえ、何でもありません。ちょっと気になっただけなので」
一応店員に確認したが、やはり夢だったという事だ。当たり前である。
「あれ……摩耶? ああ、ひょっとしてアレですかね。ちょっと待ってて下さい」
「アレ?」
何を思い当たったのか知らないが、店員が棚を物色し始めた。
「これの事ですかね。最近商品名が変わったんですよ」
「……摩耶……汁?」
店員が持って来たのは『摩耶汁』と書かれた袋入りの粉末飲料だった。
何だコレ……お茶じゃないみたいだが、成分表がない。……まさか摩耶さんそのものじゃねーよな。
「あれ、これの事じゃありませんか?」
「あ、はい」
何故か流れで購入する事になってしまった。
……え、何で買ってるんだよ俺。こんな怪しいもの飲みたくねえよっ!
こうして、俺の再就職活動は続く。夢にまで見たあの体験は、きっと危険回避の為の警告なのだろう。オカルトだが、ブラックな環境に適応してしまった俺の体が発した緊急アラートというわけだ。
俺は新しい就職先は飲食関係以外の会社にしようと決意した。
……最悪でもお茶屋はなしで。
エイプリルフールなんてなかった。(*´∀`*)




