醒 弐
入り口が炎帝の巨体で見事に塞がるような洞窟だけあって、中の通路は炎帝にはぎりぎりのサイズだった。
もしかしたら、炎帝の為にむりやり広げたのでは無かろうかとオーディーンは思った。
「炎帝、余り畏まらないで貰えないか」
薄暗い洞窟を通りながら、ぼやくようにオーディーンは言った。
炎帝は歩を進めながら、後ろをちらりと振り返った。
「今の俺は、単なる居酒屋の店長だからさ」
「は?」
予想もしなかったオーディーンの言葉に、炎帝は思わず足を止めた。
オーディーンは、炎帝にぶつかる寸前に歩みを止めた。
「あのさ、急いでるから、止まるのやめてくんない?」
不機嫌さを顕にして、オーディーンは炎帝を見上げた。
「居酒屋の店長?」
炎帝のゆったりしたペースに、オーディーンはもはや溜め息を付くのも諦めた。
ソウタに店に来るよう言ったその足で、オーディーンはこの山へ来ていた。
探すのに手間取った上、炎帝ののんびりさで、ソウタに言った時間に間に合うか怪しくなってきたなと、オーディーンは内心焦っていたのだ。
「そ、居酒屋の店長。人の世界の水曜日は全天界にも出張で店出してるから、気が向いたら来なよ」
諦めついでに、オーディーンはちゃっかり店の宣伝をしてみた。
「畏まりました」
炎帝は生真面目に答え、首を左右に傾げつつも、頭でオーディーンの話を反芻しつつ前に進んで行った。
オーディーンはせめて娘は話がスムーズに進む子であってほしいと心底願いながら、炎帝の後をついて行った。
明かりも何も無く、炎帝にしっかり前を塞がれている割に、何故か真っ暗ではない通路をしばらく進むと、突然開けた空間に出た。
広い空間に出た割に、眩しさを感じなかったには、部屋に明かりが灯っていなかったからだ。
その部屋には真っ白な寝具が一つだけ置いてる以外は、他に何もなかった。
「随分、シンプルな部屋なんだな」
オーディーンは静かに言いながら、娘の枕元に立った。
「炎帝、あんたは娘のために、この山、代わりに守れるよな?」
質問系ではあったが、オーディーンの言葉は確認であり、命令でもあった。
「あまり長くは難しい。百年、二百年なら出来ぬことではないが、何故でしょうか」
炎帝は困惑しながら訊ねた。
オーディーンはちらりと炎帝を見て、悠然とした笑みを浮かべた。
「そんなには要らないさ」
炎帝はとりあえず頷いた。
オーディーンは更に言葉を続けた。
「俺は酒の神でも有るが、人の神でも有るからな。困った人を見掛けるとほっとけないだけだ」
炎帝は黙って聞いていた。
オーディーンは真っ直ぐに炎帝を見た。
「あんたの娘を起こしに来た」
炎帝の目が大きく見開かれた。
「この娘を夢から開放してやるよ」
そう言うと、オーディーンは娘に向き直り、娘の額に左手の人差し指をとんと置くと、自らの目を閉じた。
オーディーンの人差し指の先に小さな灯りが灯った。
炎帝がしばらく見ていると、娘がゆっくりと目を開いた。
「姫っ」
炎帝は思わず娘の元に駆け寄ると、心配そうに娘の顔を覗き込んだ。
娘は炎帝を見て、にっこりと微笑んだ。
炎帝は安堵の溜め息を付いた。
「先程伝えた通りだ、姫。どうする?」
娘から指を離すと、オーディーンは炎帝と娘の感動の対面に割り込むように娘に聞いた。
娘はゆっくりと起き上がると、オーディーンを見上げて、何かを考えるように俯いた。
「余り、時間はあげられない。こんなことを急かせて悪いが、すぐに答えが欲しい」
オーディーンは、そっと娘の頭に手をのせて、優しく気遣うように言った。
炎帝は出会った時に感じた、人らしいオーディーンを、また感じていた。
この神は一体何故、こんな豊かな表情をするのだろうかと思った。
「会って、みたい、です」
震える声を抑え込むように、切れ切れに娘が答えた。
「もし、君達二人が共に生きると決めた時に、俺は、暫し人の世に、人として君が留まることを、君に名を与えることにより約束しよう。期間は、彼の命が尽きるまで」
オーディーンのその言葉に、娘は涙を滲ませた目で、嬉しそうに頷いた。
「契約の対価は何でしょう」
娘は涙を拭い、真剣な眼差しで、少し強ばった声でオーディーンに訊ねた。
オーディーンはちらりと炎帝見て、少し意地悪そうに笑んだ。
「もう、眠り続けて父上を困らせないことだな」
その言葉に炎帝は何度も何度も頷いた。
「姫、急ぐぞ。ソウタとの約束に時間に遅れそうだ」
言うとオーディーンは姫をさっと横抱きにし、炎帝を見上げた。
「しばし貴方の娘、お預かりするよ」
それだけ言い捨て、オーディーンは入り口向かって駈け出した。
残された炎帝は娘が目覚めたことは喜ばしいが、複雑な表情で先程まで姫が寝ていた寝台に腰かけた。