会
店長は、これでお終いと言うかわりに、話ながら吸っていたタバコをもみ消した。
「さっちゃん、熱燗頼むわ」
店長はそう言って店を出た。
その場に居合わせた者は、近くの者と顔を見合わせ、でも何となく声を出せずに居た。
「で、何かの役に立ったのか、さっきの話」
沈黙を破り、マサヒコはソウタに問い掛けた。
店内の客の視線がソウタに集中した。
向けられた注目に、ソウタは息をのみ俯き、目に飛び込んできたグラスを見つめた。
ソウタはゆっくりグラスを手にすると、中身を一息に飲み干して、グラスを掲げた。
「おかわり、下さい」
サツキは黙ってソウタからグラスを受け取った。
あえて時間をかけ、サツキは用意出来たグラスをソウタの前に置いた。
「お待たせしました」
ソウタはグラスを取ると軽く揺らし、中で回って揺れる氷を眺めていたが、コンとグラスを置くと、マサヒコの方に体ごと向いて、真っ直ぐにマサヒコを見た。
その視線の強さに、一瞬マサヒコは息を飲んだ。
先程までは少し頼りなげな青年だと思っていた人物が、ほんの短い時間で別人のようになった印象を受けた。
「店長さんが話して下さったのは、昔話、ですか?」
マサヒコはちらりとサツキに視線を送った。
サツキは軽く首を傾げ、溜め息を付いた。
「良いんじゃないですか?」
サツキの言葉にマサヒコは大きく頷いた。
「あの話は、まあ、大昔の話で、実話と言えば実話だが……まあ神話クラスの話だな」
マサヒコの台詞を聞いて、ミナミがガンっと勢い良くグラスでカウンターを叩いた。
ミナミは席を立ち、ソウタとマサヒコの間に来ると、二人の肩をガッチリ掴んだ。
「よく分かんないけど〜〜、インスピレーションよ、インスピレーションっ!」
肩を掴まれた二人は、驚いて声も出せず、ミナミを見ていた。
「まあまあ。ミナミちゃん、落ち着いて、ね?」
慌ててナナコはミナミの後ろに回り、ミナミを宥めた。
「いやいや、姉ちゃんの言う通りだと思うがなあ、おじさんは」
もともとミナミが座っていた席の隣にいたサラリーマンが声を上げた。
その一言から、店内はソウタの為の会議と化した。
サツキはそんな店内の空気に、さっと冷蔵庫の中を覗くふりをして、しゃがみ込んだ。
そして、胸にどんどん広がる温かい感情に押し出されるように浮かび上がった涙を、サツキは素早く腕で乱暴に拭った。
しばらくすると、店の表入口から店長が顔を出した。
「ミナミちゃん、その席使いたいんだけど、良いかい?」
「良いですよぉ。んじゃぁ、ナナコさん。隣、良いですか?」
「狭くて良いならどうぞ」
ミナミの問いに、ナナコは快く返事した。
カウンターの自分のグラスと皿を持って移動しようと、手を伸ばしたミナミの手が途中で止まった。
「こっちで移すから、カバンだけ持って」
サツキが手早く、ミナミのグラスと皿をナナコの隣に移した。
「あ、りが、と」
ミナミの酔って赤い顔が、更に赤くなった。
席の用意が出来ると、店長は入り口に立ち、一人の女性を招き入れ、自身は入れ違いに表に出た。
入り口に立ち店内を見回す女性とソウタの目が合った。
瞬間、ソウタの意識は彼女のみでいっぱいになり、回りの全てが消え去ったような感じがした。
「ソウタの隣、座りな」
裏口からカウンター内に戻った店長の声が耳に届き、ソウタの意識に周囲を捉える視覚、聴覚が戻ってきた。
「あの、失礼、します」
小さな声で、ペコリと頭を下げると、女性はソウタの隣に座った。
「ソウ、タ?」
女性は心配そうにソウタを見た。
「あっ……ごめっ。え…なんで……」
ソウタは慌てて口元を片手で覆った。
ソウタの両目から、止めどなく涙が溢れていた。
「ごめん、違うんっ」
ソウタの言葉は途中で消えてしまった。
女性が飛びつくようにソウタに抱きついたからだ。
ソウタは空いた手を、戸惑いながら、彼女の背に回した。
「だからぁ、言ったでしょう。インスピレーションだってぇ」
ミナミが得意気に言って、グラスを掲げると、誰からともなく拍手が起こった。
「にいちゃん、やったな」
「よっ、ご両人」
あちこちから二人への温かい言葉がかけられた。
「マサ、暖簾頼むわ」
「おう」
短く答え、マサヒコは暖簾を下げるために席を立ち、入り口に向かった。
「さっちゃん、こっからは貸し切りだ」
そういうと、店長はパンっと両手で派手な音を立て、店内のみんなを見渡した。
「さぁ、皆さん。良い夜だ、思う存分騒いでってくれよ」
「店長、太っ腹ぁ。私、ビール。先ずは乾杯でしょ?」
ミナミがグラスをサツキに付き出した。
サツキは早々と人数分のビールジョッキを用意していて、次々客の前に置いていった。
最後にミナミから空グラスを受け取り、ジョッキを手渡した。
「帰り、送る」
サツキは小声でミナミに言って、店長にもビールを渡した。
「……良いのか?」
いつも厳しいサツキが、自分にもジョッキを渡してくれたことに驚き、店長はサツキに聞いた。
サツキは大袈裟に溜め息を付いた。
「貸し切りなんでしょ?後は任せて下さい、お疲れ様でした」
店長は嬉しそうにビールを受け取ると、グラスを掲げ、ソウタの方を向いた。
「仲良くやんな、ソウタ。おめでとう!」
店長の乾杯の音頭に、皆は口々に賛辞を述べた。
「ありがとうございます」
女性は戸惑っていたが、ソウタはすっきりした笑顔で彼女の肩を抱いて答えた。
マサヒコはソウタの頭をポンポンと軽く叩いた。
賑やかな宴会は、真夜中過ぎまで続いた。