偽りの希望は誰にも止められない・・・
家に戻り、孤独の時間を俺は送っていた。
この歪んだ家で過ごす時間も次第に減ってきている。思い返せばつらいことばかりだった。何一ついい思い出がない。近くにいるはずなのに心はとても遠い家族。もう一年以上家族といっしょに食事をしていない。今ではそれが当たり前で家族としては崩壊している。しかし、家族といっしょに食事ができたとしても、何も話すことがないし、話したくない。会話をすれば、勉強のことばかり言ってきて一方通行会話が無限に続く。なら、初めから話さなければいい。
家族って一体何なのだろうか?
俺は食事をすませ、風呂にも入り、頭が濡れた状態で自分の部屋にいる。テレビをつけると、飲酒運転事故による生命譲渡裁判について報道されていた。
飲酒運転した男とその家族の命をよこせと言う裁判であったが、この裁判も長くなりそうであった。
飲酒運転した男はどの道死ぬだろう。当然の結果だ。家族を殺された男の気持ちは半分分かる。しかし、家庭の良さを理解できない俺には半分の理解しかできない。
もし、俺の家族が飲酒運転の事故に巻き込まれたとしても、俺は誰も救おうとはしないだろう。救う価値のない人間だ。俺も含めて。
俺が生きているうちにこの裁判の決着がつけばいいと思う。この裁判を俺は見届けたいのだ。裁判官がどのような判決をくだすのか?
大げさに考えるなら、この裁判は日本の行く末を左右すると言っても過言ではないだろう。ライフは被害者の夫に対して批判的だ。しかし、その男性に対して賛成的立場をとっているものだっている。
確かに、命の価値観は生命譲渡装置の誕生で大きく変わっていったことは事実だ。しかし、命は命。救える命もあれば消える命もある。そのリズム的価値観は変わってはいない。
俺はただ、この裁判を見守るだけだ。しかし、ライフのように生命譲渡装置そのものを否定するだけの裁判結果だけは避けてほしかった。
テレビを消し、ベットの上に大の字で寝た俺は、中村をどのようにセンターへ送り届けるかについて再び考えていた。
今週の土曜にならなければどうにもならないことは分かっていたけれど、どうしても考えたくなる衝動に駆られてしまったのだ。
この問題は後々、俺と黒井に波及するからだ。
しかし、学校というのはつくづく愚か者の集まりだ。
確かに国松は死んだ。俺たちが手助けし、死を促した。殺したと言われても仕方がない。しかし、国松の死よりも救える命に喜びを見い出したらどうなのだ? 死んだ人間を生き返らせる、自然の摂理や倫理観を超越した社会なのだ。これを否定すれば、人類はこれ以上進化することはできないのだ。ライフの活動はその妨げにしかならないのだ。
優秀で生きる希望を持った人間こそ生き延びるべきであり、生きる資格のないもの、生きる気のない人間は、その人間の踏み台になるべきだ。そうすれば、生命譲渡装置を超える新たな発明をする者が生まれる確率だって高くなる。
しかし、人は自殺を恐れる。それが子供ならなおのこと。自殺を悪だとか馬鹿がすることだという小さい価値観を取り払う新たな価値観が必要なのだ。
その新たなる価値観を生み出す人間は何年立てば現れるのだろうか? 時が経てば俗人の価値観は変わるかもしれないが、ライフが存在する限り、その価値観は土に埋葬されてしまう。
誰かいるはずだ。愚かな市民に新たな価値観を植え付ける人間が・・・・
しかし、今の俺には何もできない。中村を助けることと死ぬくらいしか。だから、俺は今の政府が打ち出した生命譲渡法案をやりぬくことが一市民としての責務であり、生きがいだ。
必ず、中村、黒井、そして俺は生命を還元してみせる。これが俺にできる社会貢献なのだから。
土曜の八時少し前に俺は図書館で二人を待っていると、二人が仲良く自転車でやってきた。
「おはよう」
「おはようございます」
「さて、図書館にでも入るとしますか?」
俺たち三人は図書館に入館し、以前俺が使っていた場所へ二人を案内した。すると、朝早かったために俺たち以外は誰も来ていなかった。俺は椅子を二つ移動させ、三人いっしょに座り、センターを窓越しから確認した。
「長屋君は前もこんな感じで見張ってたの?」
黒井に聞かれたので俺は即答した。
「そうだよ。一日中ずっと見張ってたよ。まあ、その間に図書館の本を読み漁ってたけど」
「そうか、大変だったんじゃない?」
「学校にいるよりはマシだよ」
「勉強、嫌い?」
「大嫌いだよ。俺頭悪いし、興味もないからぜんぜん駄目」
「私は勉強好きだけどな」
じゃあ、何で死ぬんだよ! と突っ込みたかったが止めた。
「俺もそれなりに勉強好きですけどね」
中村までそう言う。
「うらやましいな。お前たちが」
俺は生まれてから一度も勉強が楽しいと思ったことはない。思えないし、思いたくもない。学校にいると、勉強が楽しいと思うやつがどれほど恵まれているかよく分かる。
無理やり勉強させられ、ついにはドロップアウト。一体何のために勉強していたのか分からない。しかし、それも人生の一種の通過点だと思えば後悔はない。そう思えるようになったのは生命譲渡法案とこの生命還元クラブがあったからだ。
「長屋君はどうして勉強嫌いなの?」
まさか、黒井にそんなことを聞かれるとは思ってもみなかった。
「退屈なのと、理解できないのと、後意味を感じないから」
「意味を感じない?」
「そう。例えば、そうだな・・・国語を例に出すとすると、言語を勉強することは本や仕事の書類に書かれていることを理解するために読解力は必要だと俺は思う。でも、古文とか漢文まで勉強しなくちゃいけないじゃん。でも、古文漢文なんて日常生活で使わないじゃん。日本史を勉強したい人は必要かもしれないけど、大人で使用している数はごくわずかさ。理科とか数学だってそう。一次方程式なんて実生活で使う必要はないし、専門的なことは将来技術者や科学者になりたいと思っているやつだけやればいいじゃない。無駄が多すぎるんだよ。学校の勉強は。家庭科だって縫い物できなくたって死ぬわけじゃないし、調理しなくてもインスタント食品でまかなえる。毎日が無駄な日々に思えるんだ。俺には」
「長屋君は大切なことを忘れてる」
「え?」
俺は黒井の発言に驚いた。
「重要なのは内容だけじゃないのよ」
「どういう意味だ?」
「例えば、歴史を勉強しておけば、自分がどのような人生を送るべきとかどの政党に票を入れるべきかが分かるのよ。どのようにして民主主義が誕生したか? 独裁政治がなぜいけないのか。結果的に何をもたらしたか? 数学とか理科だったら、数字自体は生活には使わないけど、数学的な考え方を身に着けるためよ。脳みそのトレーニングみたいなもの。無意味なものなんてないのよ」
「なるほどね。そういう考え方はなかったな。俺」
しかし、無意味であることに変わりはない。なぜなら、俺たちは死ぬのだから。知識など今となってはどうだっていいことなのだ。
その後、俺たち三人はセンターを見張ることにした。すると、八時十五分頃からセンターの自動ドア前に数人の大人たちが立ちふさがっていた。
「あの人たち・・・まさか・・・」
「ああ、間違いない。ライフの信奉者たちだ」
ライフの旗を掲げながら、我が物顔で立ちはだかっているやつらこそ、諸悪の根源であり、俺たちの最大の敵、偽善団体ライフだ。
「やっぱり、現れたか。本当に困ったやつらだ」
すると、センターにやせ細った一人の男が現れた。明らかに自殺願望者であった。ライフの信奉者たちは彼を囲み、センターの中には通さずに捕まえた。
「捕まったか?」
その後、その男は無理やり、どこかに連れて行かれている。無抵抗のまま。
「あれがライフのやり方か・・・・」
そして、その男はどこかへ連れてかれ、視界から消え去った。
「普通にゲートをくぐろうとしても、彼らに捕まるし、早めにセンターに来ても門は開いていない。どうするかな?」
この難問をクリアしなければ、意味ある死を送ることはできない。
その後も、何人かの自殺願望者がセンターへやってきたが、次々と取り押さえられ、どこかへ連行されていく。
「くそ、またか!」
自殺願望者の邪魔をするライフの信奉者はその手を緩めることはなかった。
「俺、ちょっと外に出てくる」
「どうして?」
「彼らが連れて行った人々をどうしているのかを知りたいんだ」
「俺も行きます」
「中村君は顔が割れるとまずいだろ。何ヶ月も先に予約をしている俺の方がいい。だから、ちょっと行ってきます」
俺は席から離れ、外に出た。そして、センター近くまで移動し、センターゲートではなく、右側にある道に向かうとそこには大きなトラックがあった。
俺は無理やり笑みを浮かべながら、ライフの信奉者に話しかけた。
「活動ご苦労様です。あのトラックは何なんですか?」
すると、ライフのスタッフである女性の一人が答えた。
「あのトラックは一言で言えばカウンセリングする場所なの。センターへ向かおうとしている人々を確保してカウンセリングする。そうして、自殺を思いとどまってもらうためのものよ」
「とても、すばらしい活動をしているんですね」
なんという愚かなことを。他人の人生にどこまでも干渉する団体だ。やはり、敵だ。俺は自殺願望者であることを悟られないように笑みを浮かべ続けた。しかし、正直とても辛かった。
「私たちの活動に賛成なのかな?」
「はい、賛成です。少ないながらも学校でも募金活動をしています」
まあ、俺は一銭も払ってないけどね。
「それはすばらしいことだわ」
「いいえ。俺は中学生なんでできることは限られているんですけどね」
猿芝居もいいところだ。しかし、その女性は俺の本性に気がついていない。ましてや疑ってもいない。馬鹿な大人だ。
「あの、すいません。少し、センターの外回りを手伝ってもいいでしょうかね?」
「あら、手伝ってくれるの?」
「予定があるのであんまり手伝えないんですけど、少しでもお役に立てればと思いまして」
心にもないことを俺は平気で言っている。まるで悪魔になったかのように。
「ええ、良いですよ。でも、自動ドアには見張りがいるから気をつけて」
「分かりました。まあ、俺はセンター自体に用はないんで近づいても、入ったりは絶対しません」
大嘘をついた俺は一旦ゲート前を通り過ぎた。すると、何人かのライフスタッフたちが近づいてきたので
「ご苦労様です!」
と元気よく挨拶をした。すると、彼らは俺がセンターに入ろうとしていないことに気づき、そのまま立ち往生した。
それでいい。それで。
俺はゲートを完全に横切り、センターの駐車場まで移動してきた。
駐車場にはセンターのトイレの窓ガラスがあり、透明ではあるが、内部はほとんど見えない構造になっている。もちろん、覗きが目的ではない。俺の目的は侵入口の確保である。センターゲートは朝早くからライフスタッフたちが守っているため中央突破は難しい。なら、別の入り口から進入するしかない。その一つがこの窓ガラスだ。ガラスを割るかして朝早くから進入できれば、中村の生命譲渡は成功する。もう一つの方法は職員入り口からの侵入だ。
俺はセンターの側面にある駐車場から、センターの裏側にある職員入り口に向かった。すると、灰色で塗られた職員ドアを見つけた俺は周りに誰もいないことを確認すると、ドアを開けてみた。すると、職員扉は普通に開き、中を見渡すことができた。しかし、職員専用だけに内部構造が理解できない。以前センターに来たときに、トイレを使用したので、トイレから受付まで移動することは可能である。しかし、職員扉からでは不審者として扱われる可能性が高い。
しかし、鍵がかけられていないことが確認できたことだけでも大きな手柄になった。
その後、俺はライフのスタッフたちに見られないようにいろいろと遠回りしながら、図書館へと戻っていった。
「どうだった?」
黒井たちに聞かれたので細かく説明した。
「あいつら、自殺願望者たちを専用のトラックに集めてカウンセリングしてるんだってさ」
「本当?」
「ああ、まさかあそこまでやっているとはな。相当な額の寄付金で動いていることがよく分かったよ」
「よく働いてますね」
中村が呆れ顔で言った。
「後、進入方法だが、いい案が二つ思いついたぜ」
「何?」
「一つは男子トイレの窓ガラスから進入することだ。鍵がかかっていたらバットか何かで入れば大丈夫だろう。トイレに防犯系統のものなんてないだろうからな。二つ目は職員入り口からの侵入だ。どちらもライフのスタッフたちは見張ってはいなかった。しかし、どの方法にせよ。朝早くから入る必要があるけど」
「長屋さんすごいですよ。よく、そんな方法を思いつきますね」
喜んでいいのか正直わからない。
「どちらにするかは中村君次第だよ」
「俺はトイレからの侵入を希望します。一応バットとか用意して割って入ります」
「仮にバットでガラスを割って入るとしたら、駐車場で目立つから、窓を開けっぱなしにした方が良いかもしれないな。そうすれば、しばらくは気づかれないだろうし」
「じゃあ、それでいきましょう」
黒井も賛成してくれた。
「それじゃあ、センターの下見は一旦終了でいいか?」
俺がそういうと、二人は同意した。
「これからどうする?」
「近くの書店に行かない?」
黒井が発案した。
「俺は良いけど」
どうせ、家に帰ってもやることがない。
「俺も参加します」
中村も同意したので、俺たち三人は図書館を後にした。
自転車で五分もかからないところに書店があり、この町では一番大きな店舗の一つだ。
専用の自転車置き場に自転車を下り、俺たち三人は書店へと足を運んだ。書店に来るのは久しぶりであった。ヘブンズロードを買って以来、一度も来ていなかったからだ。
「ここからは各自、自由行動」
と黒井が言ったので、俺たち三人はばらばらになった。
俺はとりあえず、文庫本コーナーへと足を運んだ。特別読みたい本があるわけではなかったが、本が並んでいる雰囲気をただ楽しみたかった。数多くの作家が描いた芸術作品が凝縮されたこの独特の世界が好きなのだ。なので、普段は本をあまり読まない。
俺はア行の作家名から順に本を眺めていった。しばらくして、ナ行の作家にまで来ていた俺は自分の持っているヘブンズロードの著者である野道三郎の所に目をやった。ヘブンズロードやその他の作品が載っていた。
野道三郎っていろいろ書いているんだな。
著者の作品をいろいろ見ていると、ある共通点を見つけた。この作家はSF・ファンタジーものしか書いていないことだ。
一体なぜだろうか? まあ、作家の作風と言ってしまえばそれまでだが。俺はテレビで見た作者しか知らないから、この人がどのような人生を送ってきたかは知らない。買った本にも著者の経歴くらいしか載っていなかった。
俺たちと同じ生命譲渡法案に賛成の立場の人に、俺は興味を持たずにいられなくなった。
何かこの作家の経歴が分かるものはないだろうか?
俺はヘブンズロード以外の本の表紙を確認し、経歴などを調べたが、有益なものは見つからなかった。
せめて、自伝小説を書いていればな・・・・
俺は文庫本コーナーを離れ、単行本コーナーへと移動した。この人の作品は一度単行本として販売されてから文庫本になる。なら、単行本で野道三郎の作品か経歴を示す本があるかもしれない。そう思い、単行本コーナーについた俺は辺りを見渡した。数多くの作家たちの新作本がずらりと並んでいた。中には生命譲渡法案に関する本もあり、興味をそそられたが、今は野道三郎に関する本が先だ。
しかし、いくら探してもそれらしき本は見つからなかった。仕方がないので、俺は単行本コーナーにあった生命譲渡法案に関する本をいろいろ見てまわることにした。
すると、いろいろなタイトルの本があった。
『生命譲渡法案は日本を滅ぼす』
『生命譲渡装置は本当に必要なのか?』
『命の交換装置』
『自殺者のほとんどは生命譲渡装置による生命抜き取り自殺』
『自殺者の数=救える命』
『生命譲渡装置の乱用』
などなど。
それだけ、生命譲渡装置が偉大な発明かが分かる。だからこそ、俺は装置にも法案にも反対しない。できるわけがない。
俺は生命譲渡装置に対する反対本を無視して他の本を探すことにした。すると、少しユニークな本を見つけた。
『動物と生命譲渡装置』
俺はその本を手に取り、目次を確認すると、いろいろと載っていた。
『保健所に預けられた動物たち』
『生命譲渡は人間だけではない。動物業界でも同じことが行われている』
俺はすっかり忘れていた。生命譲渡装置は動物にも使用されることを。犬なら犬の生命エネルギー。猫なら猫と。自分のペットを救うために同じ動物を殺して救っていることを。
俺は動物やペットに興味はなかったし、家にもいない。だから、見てみぬ振りをしていたが、こういうところにも実態があることを認識させられた。
その本を手に取り、俺は立ち読みし始めた。
『皆さん。保健所に預けられる犬や猫がその後どうなっているかご存知でしょうか? 昔は薬によって殺され、処分されていました。しかし、生命譲渡装置の開発によって、保健所の動物たちは生命エネルギーを強制的に抜かれ、保存されているのです。その後、動物病院や研究所などで売買されているのです。元々、生命譲渡装置は実験用モルモットを使用して開発されました。モルモットから犬や猫と動物実験が繰り返され、そしてついには人間へとたどり着いたのです。そのため、飼育に困った飼い主たちは保健所にペットを売り、保健所はそのペットを生命エネルギーを抽出しているのが現状です。その動物たちも人間同様、生命エネルギーを抜かれた動物たちも灰化し、蘇生不可能となります。実はそういった動物ビジネスが近年増加傾向なのです。メスの犬猫を飼い、子供がたくさん出来ます。昔は飼い主が赤ちゃんのペットを捨ててしまったり、他の人に上げたりしたものですが、最近は保健所に生命エネルギー用動物として売買され、それで生計を立てている人々が急増しているのです。動物病院や研究所で動物の生命エネルギーは管理され、需要があり、人に比べると規制があまいので、動物ビジネスは今後も増え続けるでしょう。しかし、生命譲渡法案反対運動を行っている慈善団体ライフや動物愛護団体は警鐘を鳴らしています。しかし、人間ではなくあくまで動物なのであまりマスコミに取り上げられないのが現状です。話は変わりますが、先ほど研究所で売買されていると話をしました。現在、動物から採取した生命エネルギーで人間を蘇生させる研究が行われています。実はそこにはとてもえげつない話があるのです。人間から採取した生命エネルギーで遺体を蘇生することは可能になりました。しかし、その実験に成功させるために人体実験はもちろん、政府が用意した『遺体』を使用していたことはご存知でしょうか? 読者が食事前にこの本を読んでいることを祈りますが、実は身元不明の遺体が蘇生してしまうということが某研究所
であったそうです。つまり、その人が人類で最初の『再生人』になったのです。しかも、脳が腐敗していたために以前の記憶や知識が完全に抜けていたようです。その人物の名を明かすことはできませんが、現在は自立して生活を送っているようです。こうした人体実験を現在も政府の許可の下、行われています。無論、動物から採取した生命エネルギーで』
すると、俺の肩を誰かが叩いたので振り向くと、黒井が立っていた。
「何かおもしろい本見つけた?」
「ああ、これ、なかなかおもしろい本だぜ」
俺は『動物と生命譲渡』を見せた。
「ノンフィクション系の本が好きなんだ?」
「ノンフィクションは好きだねぇ」
俺がそう言うと、
「ねえ、そろそろ昼ごろだし三人で食事しない?」
「別にいいけど」
同年齢から食事に誘われたのは生まれて初めてだったのでとてもうれしかった。
その後、二人で中村を探すと、中村はライトノベルコーナーで立ち読みをしていた。ライトノベルコーナーにある本の表紙はアニメキャラのものばかりだ。
「中村君。いっしょに昼食にしない?」
黒井が言った。
「いいですよ」
中村は読みかけの本を元に戻し、俺たち三人は書店を後にした。
「どこで食べる?」
「向こうにあるファミレスでいいんじゃないですか?」
「俺は何でも良いよ」
普段あまりお金を使わないので少々高いものを口にしても大丈夫だ。
「じゃあ、そうしましょう」
俺たちは会話をしながら、近くにあるファミリーレストランまで徒歩で移動した。正直、先ほど読んでいた本をもっと読んでいたかったが仕方あるまい。また、来ればいいだけのことだ。今は彼らとの時間の方が大切だと思ったのだ。中村と過ごせる時間は残り少ない。そういう話をすると、黒井が『天国で会えるから大丈夫』と口すっぱく言ってくる。実は今でも俺は天国の存在を信じていない。どうしても信じられないのだ。非科学的なことが。そういう自分がとても頑固で不器用なのも承知している。しかし、それでも譲れないことは誰しもあるはずだ。
数分後、俺たちはファミリーレストランの中で四人用のテーブルについていた。十二時前だったので待ち時間がなく席につくことができたのだ。
「何にしようかな?」
黒井がニコニコしながら、メニューを選んでいる。俺もメニュー表を取り出し、食べ物を探した。
最近になって、食事を見ると必ずある言葉が頭を駆け巡る。それは『最後の晩餐』である。もちろん、俺はまだ死なないが、今日ここでこうしていても必ずその言葉が出てくるのだ。しかし、最後の晩餐は着実に近づいている。それを実感するだけで死ねるうれしさと妙な悲しさを感じるのだ。この生命還元クラブに入ってからこの場所が生きがいで大切な宝のように思えるのだ。しかし、生命還元クラブの目的は生命譲渡で死ぬことだ。物は必ず劣化し、いずれは滅びる。このクラブも俺の代で終わりを告げるであろう。ライフの監視はより強化され、生徒会や学校、PTAたちも自殺防止のために力を強めるために、俺が死ぬ頃にはもう俺の学校で生命譲渡自殺することはできない。本来なら、その方がいいに決まっている。誰もが生きがいと将来への希望を持ち、自殺する理由すらない学校と生徒。しかし、そんな場所は絶対に存在しない。必ず、どこかで俺たちのようなやつは生まれてくる。国松が死んで以来、本当にあれで良かったのかと疑問がわいてくる。彼の決断だったので止めるつもりは毛頭なかったが、一番良かったのは彼のうつ症状が改善することだったはずだ。しかし、俺たちは自殺する理由より先に『死』があった。死が先頭に立っていたのだ。
「俺はハンバーグとご飯のセットだな」
俺は好物のハンバーグを食べることに決めた。
「じゃあ、私はたらこスパゲッティ」
「俺はステーキとご飯のセットですね」
俺は店員の呼び出し音を押し、メニューを伝えると、店員が置いていった水を口に入れた。氷が入っていて、とても心地よい冷たさだ。
「長屋君のおかげで中村君も無事天国に行けるね」
黒井はいつもどおりの笑みを浮かべながら言った。
「本当に。長屋先輩ありがとうございます」
「い、いいんだよ別に」
本当にこれでいいのだろうか。いや、いいんだ。俺は間違っていない。しかし、どうしても聞き出さなければいけないことがある。
「ここで話すのも難だけど国松君に聞きたいことがあるんだ」
「何ですか? 先輩」
「どうして、死にたいんだ?」
重い空気が辺りを覆うと思ったけれど、まったく違っていた。中村は笑顔で心から幸せを感じているようであった。
「俺は・・・英雄になりたいんです」
「英雄?」
「そうです。俺はヒーローにあこがれてるんです」
意味がさっぱりであった。
「いつか、遠い将来。地球が破滅のときが来ると思うんですよ。それは巨大隕石の落下だったり、太陽がなくなっちゃったりして。でも、人類は滅びの道を回避する方法があると思うんです。それは科学の発展です。そう言う話をよくいとこと話してたんです。俺のいとこはバイオ関係の研究を部活で行っているすごい優秀なやつなんですよ。性格も良くて、嫌味なところもない。運動は苦手だったけどその研究の全国大会なんかで優勝して外国の大会に行ったくらい優秀で。高校生なんですけど、とにかく誰に対してもやさしいやつあんです。でも、病気で突然倒れて死んじゃったんです。彼には両親がいなくて父方の祖父母に育てられてたんですけど、お金がないんで生命譲渡による蘇生ができないんですよ。冷凍保存料金を支払うのが精一杯で。祖父母の方の生命エネルギーでは蘇生できたとしても質の問題ですぐに寿命を尽きてしまうかもしれない。だから、決めたんです。俺には何のとりえもない、生きていてもしょうがない人間です。そんな人間が無駄に生きるより、有能な人間が生き残ればいい。そして、いずれ訪れる滅びの時に彼の発明した何かで世界を救う。俺がその踏み台になるんです」
「つまり、君の命でいとこの高校生の命を救うと?」
「そうです」
なんて重い話を聴いてしまったんだ俺は・・・・自分が価値なき人間だから優秀ないとこに生きてもらう。俺にはなかった発想だ。そんな彼を死なせて良いのか?
「中村君はそれでいいのかい。本当に?」
「いいんですよ。それに俺は家族でも浮いている存在なんで。優秀な人間を俺の命と引き換えに救う。まさに究極の英雄の姿だと思うんです」
友人を好きたい気持ちと英雄になりたい気持ちが交差した結果か。
「だから、予約したときにいとこに命を上げるよう調整してもらったんです」
「家族で浮いている存在ってどういう意味?」
「俺、父親と血が繋がっていないんです。俺が幼い頃、父親と母親が離婚して俺は母親に引き取られたんです。その後、母親は再婚して子供を三人も作ったんです。種違いの。なので俺は今の父親とは赤の他人で実際、家族でも俺だけ抜け者って感じなんです」
俺は血が繋がっていても抜けものだ。しかし、中村は俺なんかよりもとても重い人生を背負っている。そんな彼が英雄自殺を図ろうとしている。これは本当に正しいことなのだろうか?
俺はつい無言になってしまった。すると、それを察したのか、中村が口を開いた。
「先輩、気にしなくてもいいんですよ。自分で決めたことですから。生きなきゃいけない人間はたくさんいます。でも、俺は生きる必要のない人間ですから。それに今の社会は俺、嫌いです。黒井さんの言う天国を俺は信じています。天国できっと純粋な国松は待っていてくれますから」
中村がそう言うなら仕方がない。そうだよ。俺たちは死を肯定した存在だ。そこで悲しんでいては生命還元クラブにいる価値がなくなってしまう。
「悪かったよ」
その後、黒井が頼んだたらこスパゲッティが先に来た。
「先にいただきます」
「どうぞ」
黒井はフォークを使いながらおいしそうに食べている。
苦しみから逃れるために死んだ国松。友人を生き返らせ、世界を救おうとする中村。天国に行きたがっている黒井。そして、生きる意味を見失った俺。歪んでいるがゴールは一つ。それが死だ。黒井が言うように本当に天国はあるのだろうか? 俺はまだ信じることができない。
「ライフの活動っていつまで続くんだろうな?」
俺は自分のために話題を変えた。すると、黒井が持っているフォークを止める。
「そうね。もしかしたらずっとかもね。生命譲渡装置がなくなるまでとか」
「ありうるな。でも、その頃にはもっと科学が進化していて、動物の生命エネルギーで生き返ったりするかもな」
俺は無理に笑みを作りながら話した。
「そうかもしれないですね。でも、科学の進歩って結構時間かかりますからね」
「どういうことだい?」
「生命譲渡装置は二十一世紀の大発明じゃないですか。でも、そういう大発明をするために研究者って何十年も実験を繰り返して成果を出すらしいですし、成果がでなければ資金打ち切りですからね」
「研究所苦ってのも大変なんだな」
「そうなんですよ。しかも、研究成果を英語で発表するんですからね」
「マジで?」
俺は初めてそれを知った。
「まあ、研究する人は頭が良いですから大丈夫ですけどね。凡人とは違いますから」
凡人か・・・・・俺も凡人なのかな? もしくはそれ以下か?
「最近はどんな研究とかされてんの?」
黒井が中村に聞いてきた。
「最近だと、確か・・・・鞭毛の研究をしている大学があるって聞きましたよ」
「鞭毛?」
「まあ、食事中に言うような話じゃないんですが」
「私、そういうの気にしないから」
「俺もだ」
俺と黒井はある意味無神経だ。
「まあ、おたまじゃくしのロボットの研究ですよ。正確に言えば、おたまじゃくしの泳ぎ方をロボット化する研究です。確か、人工筋肉を使ってるとか」
「人工筋肉って何?」
「正確なことは覚えてないんですけど、その人工筋肉に電気を流して収縮する原理を利用して推進するって話です。でも、まあ、その大学での鞭毛の目的は血管の中にロボットが入って推進するらしいいのですが、実際に作ってみると、二三十センチくらいの馬鹿でかいものでしかけど」
まったく意味が分からない。しかし、科学のすばらしさは伝わってくる。
「しかもですよ。実際に泳がしたんですが、一秒間で数センチしか推進しないんですよ。だから、まだまだ研究段階らしいです」
「本当に科学ってすごいんだな」
絶対俺にはできない。
「まだ、ありますよ。ゴミ問題ってあるじゃないですか」
「ああ、あるね。埋立地の問題とか」
「ゴミとか、後原子力発電所から出た使用済み核燃料とか。先輩たちならどうやってその問題を解決しますか?」
その問いに俺が答えられるわけがない。
「私なら・・・・・日本に埋立地を作ってそこにゴミを置く・・・かな?」
「俺も分からなかったんですが、最近は宇宙に捨てればいいんじゃないかって話があるそうですよ」
なるほど! ぜんぜん浮かんでこなかった。
「宇宙の太陽とかに飛ばしてしまえばいいんじゃないかってテレビで放送してました。太陽じゃなくても銀河系のはるか向こうに飛ばすとか?」
「じゃあ、スペースシャトルが必要だな」
すると、中村が頼んでいたステーキのセットがやってきた。中村はフォークとナイフを使ってステーキを切っている。
「そこが問題なんですよ。毎回スペースシャトルを飛ばすのに億単位以上の費用がかかりますからね。宇宙ステーションを作ったとしても、ゴミとか核燃料を宇宙まで運ぶための何かが必要なんです」
科学って案外おもしろいんだな。しかし、研究したいとは思わない。
「タワーみたいなのを建てたらいいんじゃないかしら?」
「それ、良いですね。でも、時間と費用が異常なほどかかりそうですけどね。それにタワー型だと風とか地震に弱そうですからね」
「何だかレベルの高い会話になってきて俺、ついて来れないぞ!」
やばい、いろんな意味でやばい。
「他の話にしますか?」
「いや、科学の進歩の話を続けよう。ついてはいけないが、おもしろい」
「じゃあ、こういう話はどうですか? 人類は滅亡するか?ってのは」
「いいじゃない。滅亡系は大好きだ」
「じゃあ、まず黒井先輩から」
「え、私・・・・そうね。私は巨大隕石落下で滅亡すると思う」
黒井の笑みは相変わらずだ。
「いつごろですか?」
中村が質問した。
「それは分からないけど、後百年くらい?」
テキトーな回答である。
「じゃあ、長屋先輩は?」
「お、俺か・・・・そうだな・・・・核戦争かな。やっぱり。アメリカがやっちまうと思うな。中東辺りに。それが他の国にも連鎖して地球は核に汚染される・・かな?」
俺の貧困な発想力ではこの程度だ。
「俺は地球と太陽との距離がわずかに離れて、氷河期がくるじゃないかな? 太陽からの光を失った地球は寒くて、農作物も取れない。つまり、人間は寒さと飢えで絶滅する」
もう、ついていけないよ。
「でも、俺は天才たちが人類の滅亡を阻止すると信じているよ」
科学の進歩はすばらしい。生命譲渡装置もそうであるが、画期的発明は人類を変える。良くも悪くもだが。しかし、必ず反体制派がそれを邪魔してくるだろう。ライフのように。
中村の話を聴いていれば、核汚染も完全に除染できる時代がくると信じられるようになってくる。
それから約一ヵ月後、彼はついに旅立ってしまった。死への扉の鍵を黒井に渡し、土曜の朝、バットを持ってセンター内に進入し、死んだ。