表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/12

偽善者たちのエゴ・・・・

六時間目の授業も終わり、学校からようやく解放されることになった。

 学校で一番の楽しみは学校が終わることである。実に痛い話であり、休日前の金曜日が一番好きな曜日である。

 学校が終わるこの安心感。そして安堵感。部活に入っていない俺はかばんに最低限の荷物だけを入れて帰る支度をする。しかし、他のクラスメイトたちは部活があるのでジャージに着替えたり、ラケットやバットなどを手荷物として持ち歩いている。

 集団行動が大嫌いな俺には関係のないことだ。

 俺は帰る準備をしながら、ふと黒井の姿を見ると、彼女も俺と同じように帰る準備をしている。彼女が何部に入っているかは知らない。吹奏楽部などの文化部ならジャージに着替える必要もないし、荷物をそのまま部室に持っていくこともできる。

 さすがに放課後までの詮索はやめようと俺は考えていたので一人教室を後にした。

 自転車小屋まで誰とも話さず、かごに学生かばんを入れ、鍵を開けて自転車に載った。外に出てきた運動部たちをうまく避けながら、俺は一人で自転車をこぎ、自宅へと向かった。

 自転車で走行した際、自宅まで約十五分。何もない俺にとってはそれが妙に心地よかった。無理して誰かといっしょに帰ることもなければ、無駄な会話をすることもない。

 学校ではいつも一人だ。どうやって、友人を作ればいいのか分からないのだ。それにこれといって話したいこともないし、一人は気楽でいい。一匹狼を気取るつもりはないが、気がついたら一人だったということだ。

 十字路を左へと進み、単調な道路を自転車で進んでいく。すると、途中で踏切があり、電車や車が来ていないことを確認すると、それを渡り、右にへと進んでいく。しばらくすると、一軒家があり、そこが俺の家だ。

 自転車を車庫の近くに置き、玄関前までやってきて、ドアを開ける。

「ただいま」

 俺は小さな声で言った。鍵がかかっていないので母さんがいるのは分かっていた。しかし、母さんからの返事はない。返事を返さないからだ。

 俺が死を決めてから小学校時代から通っていた塾をやめると言い出してから絶好状態が続いているのだ。両親は学力主義者で小学一年生からずっと勉強付けの毎日であった。しかし、いくら勉強しても成績は向上せず、おまけに遊ぶ時間を削られてしまったことで友達もろくにできなかった。そして、私立の中学受験に失敗した時、両親は酷く俺を罵倒したのだ。あの時の光景は目に焼きついて頭から離れない。

 あの時に俺は生きる意味を見失ったのだろう。生命譲渡センターに予約を取りにいくことを決めた後、塾に行くのをやめると言い出した。それ以降、家では人扱いされない毎日を送っている。

 家に上がると、母さんが台所で夕食の準備をしているを確認した。完全に俺にそっぽを向いている。俺は二階にある自分の部屋に向かうために階段を静かに登っていった。部屋に着き、かばんを置き、制服を脱いでラフな格好でベッドの上に寝転がった。

 ふと、俺はあることに気がついた。

『死ぬまでに何か遣り残すことがあるか?』

 生命譲渡までには時間がある。しかし、俺にはやることがない。将来の夢もなく、目的のないこの人生に遣り残したことなどないのだ。小学校時代、一度友達を作ろうと思ったことがある。しかし、クラスの定期的なターゲット替えいじめがあり、友達同士であった同学年の生徒がいじめをしあう光景を目の当たりにしてしまった。それ以降、友達を作ることを諦めてしまった。

 何も成し遂げることができなかった人生。何の目的もない人生。生きがいを見出せずにただ生きた人生であった。

 どこかむなしいがこの世に何の未練もない。社会は俺を必要としていない。俺もこの社会を受け入れることができない。

 塾をやめてから俺には空虚な時間だけが残ったが特にやりたいことが見つからない。勉強は嫌いで運動も苦手、趣味もとくにはない。では、残された俺の時間は何のためにあるのだろうか。そもそも、人間は何のために存在するのだろうか? 繁殖のためか? それともただの本能のまま生きているのか? 神様っていう偶像の悪戯か? 

 そういえば、テレビ番組で反生命譲渡法案に反対する人気タレントがこんなことを言っていた。

『人間は幸せになるために生きている』のだと。

 それが人生の回答であるならば、不幸せな人間は生きている価値がないということだ。

 それと、もう一つある疑問が浮かび上がってくる。

幸せとは一体なんであろうか?

 幸せ=喜びなのか?

 お金=幸せか?

 結婚・家庭=幸せか?

 人の価値観はそれぞれ違うので一概に幸せの定義を決めることは俺にはできない。辞書でも引けばそれなりの回答があるだろう。しかし、所詮そんなものは言葉の意味を文字で示しただけもものだ。意味などないのだ。

 そもそも、幸福という言葉自体がどこか『絶対的』な感じがしてあまり好きではない。逆に不幸を送らないことが幸福と考えると理解できるかもしれない。

 不幸とは何か。俺はいろいろ考えてみた。

 苦しむこと。悲しむこと。怒り、絶望など単語はでてくる。

 しかし、また疑問が浮かび上がる。

 もし、俺の端的な考えが正しければ、苦しい仕事をしながら生活している人間は不幸ということになる。辛い仕事をし、独身であまりお金を持っていない人生は不幸ということか? 今の例えは極端であるが、世の中には必ず『苦しみ』なのどの『負』が存在する。生きることそのものが辛いことであるなら、生きること自体=不幸になってしまう。

 どんどんネガティブな考えに陥ってしまった俺は憂鬱な気分になった。

 幸福と不幸。幸福になるために人間は生きているなら、幸福になる前の人間は不幸ということになる。不幸という世界の中に存在する幸福を探し出す。それが人生というなら俺は喜んで死を選ぼう。迷いはない。死ぬことが俺の最大の幸せだ。

 人は死=不幸と解釈している。しかし、それは生きているものの単なる『エゴ』だ。確かに、死んでしまうとすべてが終わりになる。何もできず、幸福も不幸も味わうことができない。しかし、不幸に内包された幸福は所詮小さなものだ。幸福より不幸が勝ってしまう。喜びより苦しみのほうが大きい。それでは生きる価値がない。なら、始めからそんなものは必要ないのだ。幸福が不幸を勝らないのならそんな人生送る必要はない。生を持つ必要性はないじゃないか。

 俺はやはり正しい。幸福も不幸もない絶対的領域。それが『死』だ。

 そんなことを考えていてもしょうがないと思い、テレビで時間をつぶそうとした。俺の部屋にはテレビやパソコンがある。一階のリビングにも大画面のテレビがあるが、俺はそれを見ることができない。中学校のテストでの成績が上位なら見ても言いという家庭の掟が存在する。しかし、俺は中学のテストで上位どころか三桁の順位を取ってしまい、この家で人間扱いされないようになってしまった。リビングのテレビはもちろん、おこづかいは減らされ、食事も一人この部屋でとらなければならないという罰を受けているのだ。それを回避する方法は次のテストで上位をとることだ。しかし、元から頭が悪く、勉強はほとんどしない上に塾もやめてしまった俺はこの賭けに勝つことはできない。両親は学力主義者なので家庭の掟を止めさせることもできない。しかし、実はそれほど苦ではないのだ。確かに最初は異常なまでの疎外感と孤独を感じ、苦しい思いであったが、生命譲渡を決め手からは不思議なことにぜんぜん気にならなくなった。半別居状態ではあるが、余計な干渉がないので助かってはいる。親に捨てられたも同然な状態の俺はもうこの家族には必要ないのだ。

 親には生命譲渡の話はしていない。できるわけがない。両親は熱心な『ライフ』の支持者で寄付はもちろん生命譲渡センターへのデモにも参加したことがあるくらいだ。もし、俺が生命譲渡センターに行ったことがばれたら何をされるか分からない。家に監禁されることは覚悟しておいたほうがいいくらいだ。

 かつては生命譲渡センターを受ける未成年者には親の同意が必要であった。しかし、同意を得られるわけはなく、無駄に自殺者を増やすだけと判断した政府は法案を一部改正し、未成年者でも親の同意なしに生命譲渡が可能になったのだ。そのため、安易な生命譲渡者による安楽死が増加してしまったことは周知の事実である。

 俺はテレビをつけ、今日のニュースを見た。リモコンで各チャンネルを無造作に確認していく。すると、興味深いニュースが放送されていた。

『飲酒運転事故による生命譲渡裁判』

 この事件の内容はこうである。

 加害者による飲酒運転で二人の子供をつれた主婦がひき殺された事件。主婦とその子供二人ともに死亡し、しかも赤信号になっていることに気づかず、ブレーキをかけなかったため、加害者の死刑が確定したのである。もちろん、ここで言う死刑とは『強制的な生命譲渡』を意味している。死刑が確定した凶悪犯は必ず生命譲渡による『死』が待っており、彼らによって死亡してしまった被害者を蘇生させるよう法律で決まっている。今回の事件で争点になっているのは加害者一人に対し、被害者が三人であること。しかも、その三人とも死亡しており、仮に加害者の生命譲渡を行おうとしても一人しか蘇生できない。母親の命か子供の命のどちらかを救うしかないのが現状ではあるが、被害者の夫が加害者の親族、もしくは飲酒運転を見逃した者の生命譲渡を要求したのである。そのため、この裁判は連日報道され、どのような結果になるか国民が気になっているのである。

 しかし、俺が本当に気にしているのは『ライフ』による被害者夫に対する激しいバッシングである。生命譲渡そのものを反対している慈善団体『ライフ』は被害者夫に抗議の手紙を何百枚も送りつけたり、ネットによる誹謗中傷が後を絶たない。

 どこまでも『ライフ』による障害が続く。世間でも学校でも。俺はそれを許せなかった。生命譲渡センターには自殺者による生命エネルギーが保存されており、一般市民でもそれを『購入』することが可能である。しかし、億単位の金を有するため、政治家や大富豪以外は基本的に手をつけることができない。

 今回の被害者夫も生命譲渡センターの『命』を購入できれば一番良いのであるがそれができない。加害者の遺族や飲酒の見逃した人々に慰謝料を請求する方法も考えられたが、彼らもまた低所得者たちであり、億単位の資金を集めることができない。仮に借金をして払ったとしても、彼らには借金返済人生が付きまとう。

 命を選ぶか金を選ぶか? 今この裁判はこの選択に迫られているのだ。

 しかし、マスコミはあくまで反生命譲渡派なので、被害者夫に対しては批判的な立場だ。

有名タレントでこの番組のコメンテーターをしている男はこう言っている。

「被害者の旦那さんにはもうしわけないけれど、一度死んだ人を生き返らせることは言語道断だと思うんですよ。まあ、今回生命譲渡法案で一人は生き返らせることができます。私はこの法案には反対ですが、法律で決められている以上、奥さんかお子さんたちの誰か一人を生き返らせるしかないと思うんですよ。もちろん、慰謝料をもらって家族全員を蘇生させる方法も間違いなく可能でしょう。しかし、この人はお金ではなく、命をよこせといってるんでしょ。それはちょっとおかしな話ですよ。私はね、この被害者の亭主は殺したいんだと思うんですよ。親族や関係者たちを」

 確かに。慰謝料を請求できるのは間違いない。例え、親族が低所得者であっても。しかし、加害者もまた家庭の主であり、彼は間違いなく死ぬことが確定している。そうすれば、親族は稼ぎ頭を失うことになるのだ。慰謝料による借金生活に耐えられるだけの精神力が親族たちにあるのかどうか。

 俺は当事者ではないので彼らの気持ちを理解することはできない。しかし、被害者の夫は妻や子供を『事故死』ではなく『殺害』されたと思っていると俺は考える。そうでなければ、こんな裁判はなかったからだ。

 生命譲渡法案の存在がいかに大きな意味を示しているか痛感させられる。生と死の境は近いようで遠い。しかし、安易な死ができてしまう今の社会では生と死の境が限りなく近いのは確かだ。

 テレビを視聴していると、先ほどのコメンテーターが再び苦言を呈した。

「今の社会になってまだ飲酒運転による事故が多発している方が私はおかしいと思います。もっと、規制を強化すべきだと私は思いますね」

 飲酒運転による事故。確かに正論ではある。しかし、規制は厳しくなっているし、それでも飲酒運転は後を絶たない。これは規制を強化しても無駄であると俺は思う。

 規制ではなく、飲酒をさせる何かが他にあるんではないだろうか? 

 俺は未成年で飲酒したことがないのでお酒の味は分からないし、興味もない。しかし、規制を破ってまで飲んでしまう人々がいるのはお酒がそれだけ『必要性』が強いのではないだろうか? 飲酒をしなくては生きていけない社会。これが根本的問題だと俺は思う。

 なので、この有名コメンテーターの発言を俺は否定する。

 アルコール依存症とでも言うのであろうが、そういう人々を生まない社会を作る必要がある。アルコールに踊らされない社会。

 もちろん、お酒を完全に否定することはしない。取りすぎ、依存などに気をつけていればいいだけの話なのだ。お酒を否定してしまったら、お酒で生きている人々、酒愛好者たちに糾弾されてしまう。このコメンテーターだって、別の番組では大の酒好きと言っていた。だから、お酒に対してあまり強いことが言えなのだ。それでは客観的思考を持たなければならないコメンテーターとしては失格である。だから、俺はこのタレントが嫌いなのだ。

 また、嫌いなものが増えていく。そして、自分で自分を追い込んでいく。これが俺の人生だ。

 集中力が切れた俺は一階に下りて、母さんの所に向かった。

「風呂沸かすけどいい?」

 俺は針物に触れるような口調で聞いた。

「勝手にすれば」

 母さんからの非常に冷たい言葉であった。これが俺の家庭での立ち位置。低下層の正目である。

「分かった」

 俺は風呂場に向かい、冷水と温水を調整しながら水を風呂に流し込んだ。一度、ほったらかしにしてしまい、両親に酷く怒られたことがあったので風呂にお湯が満たされるまでずっと待っていた。その間に一旦自分の部屋に行き、着替えを取りに戻っていった。そして、お湯が満タンになったのを確認し、蛇口を閉めた。

「先、風呂はいるよ」

 と俺が大きな声で言うと

「とっとと入れば」

 と気のない返事が返ってくる。

「分かった」

 俺は服を脱ぎ、再び風呂に入った。


 風呂から上がり、ドライヤーで頭を乾かすと、俺はそのまま自分の部屋に戻っていった。早く、生命譲渡裁判の特集を見たかったからだ。

 俺はリモコンを手の取り、電源を入れた。

 すると、バラエティ番組が放送されていたので俺はチャンネルを変え、裁判の放送は無いか調べたが、どうでもいい情報や明日の天気予報ばかりだったので俺はテレビを消した。

 俺は一階に下り、今日の新聞を手に取り、テレビ欄を確認した。ゴールデンタイムで放送されている番組表を確認すると、俺を喜ばせるような番組を見つけた。

 タイトルは『生命譲渡法案までの軌跡』

 夜の七時から十時までの四時間番組であった。

 これを見るしかない。

 俺は新聞紙を置き、そのまま自分の部屋に戻っていった。時間が来るまで俺はテレビゲームやインターネットなどで時間をつぶした。七時になる十五分前に部屋の扉からノック音が聞こえた。母親が夕食を持ってきたのだ。俺が扉を開けると、母親の姿はなく、夕食だけが置いてあった。俺は夕食を手に取り、部屋に持ってきて食した。そして、食べ終わった食器を扉の外に置き、テレビを見る。これが俺の家庭での生活だ。

 しかし、今はテレビのことに集中したい。両親は俺が勉強することをどこかで望んでいるかもしれないがそんなこと、俺の知ったことではない。もうすぐ、俺は死ぬのだから。

 そして、七時になり『生命譲渡法案までの軌跡』が始まった。

 有名タレントの司会の下、有名芸能人のゲストのほか、先ほどの番組でコメンテーターをしていたタレントもいた。そして、何より有名芸能人とは名ばかりの一般人が数多く存在していたのである。

 見た瞬間にすぐに分かった。彼らは生命譲渡センターで安楽死を予約した人々であると。また、別の人々の塊で俺の最大の敵である慈善団体『ライフ』のメンバーたちと党首である井上一志がいたのである。

 これは非常に見ものだ。自殺者の増加が社会現象になっている今、この手の番組は数字が取れる。しかも、四時間という長時間収録。これを見ずして何を見るというのだ?

「今日はごらんの数多くのゲストの方々といっしょに生命譲渡法案について熱く語ってもらいましょう。では、まず初めに、生命譲渡装置についてVTRがあるのでそちらをご覧ください!」

 司会者が笑みを浮かべながらしゃべった。そして、生命譲渡装置開発の経緯から現在までの映像が流れた。

『生命譲渡装置開発の始まり。それは日本企業であるバイオマス化学研究会社の研究チームによる生命エネルギーの発見がすべての根源であった。マウスによる動物実験で生命エネルギーの採取に成功した研究チームはこれを全国に発表した。損傷したマウスにその生命エネルギーを注入すると、急激な自己再生が可能であると。ただし、生命エネルギーを抜き取られたマウスは急激な灰化状態となることも理解された。研究チーム代表の池山幸久はこの生命エネルギーがどれくらいの力があるかを調べた結果、驚くべきことが分かった。マウスの動物実験で死亡したマウスに生命エネルギーを注入すると、部分的壊死をしているにも関わらず、蘇生に成功したのである。これは世界に多大なる影響を与えた。池山研究長はその後、この功績を世界から認められ、ノーベル化学賞を受賞。しかし、それは自然の摂理に反すると国内外から批判が続出。賛否両論となった。しかし、日本政府とバイオマス研究会社は資金協力の下、研究が続けられ、実験は最終段階へと写りだしたのである。人体実験である。動物実験での数多くの成功で行き着く先まで来ていたのである。しかし、日本政府がこの研究に資金提供した本当の理由は『軍事利用』であったのである。当時の総理大臣であった森永正総理大臣は右翼として有名であり、憲法第九条を改正しようとしていた人物であり、好戦的であったのだ。実際は憲法第九条の改正案は否決されたが軍事力を強化したことは事実であった。核兵器の保有すら行おうとしていたため、支持率が下がり、内閣総理大臣不信任決議案が可決されてしまい、辞任することになった。しかし、バイオマス科学研究会社は生命エネルギーによる実験を続け、人体実験へと足を踏み入れたのである。そして、この実験で判明したことは人間から採取した生命エネルギーでのみ人間の身体損傷の再生が可能であること。また、年齢が若ければ若いだけ生命エネルギーの質がよく、高齢者から採取した生命エネルギーは質が悪く、不完全な組織再生が報告されたのである。また、生命エネルギーによる若返りも可能と判明した。しかし、生命エネルギーを抜き取られた被験者は皆灰化し、蘇生不可能となることも報告された。そして、バイオマス研究会社は『生命譲渡装置』の第一号を開発する。しかし、これに真っ向から対立した国が数多く存在した。中東など宗教層が根強い国からは『神への冒涜』と批判が起こった。しかし、一番日本を批判したのは先進国のアメリカであった。キリスト教徒の根強いアメリカでは反日デモが多発し、日本製の商品を購入しない『反日運動』が行われた。しかし、アメリカが日本を批判した本当の理由は日本が生命譲渡装置による軍事利用を恐れたからである。批判が続く反日騒動に、森永総理大臣に代わった永作悠介総理大臣は迅速なる『生命譲渡装置』の稼動を行ったのである。当時のアメリカは日本を批判していたが、その傍らで中東での戦争に介入し、多くのアメリカ兵の命が失われ、大統領の支持率は急激に落ち込んでいたのだ。それを見越して、永作総理大臣は日本の自殺願望者および死刑や終身刑が確定している囚人たちの生命エネルギーを採取し、ひそかにアメリカに売ったのである。すると、負傷や死傷した兵士を蘇らせることに成功し、アメリカ政府との冷戦状態が解かれたのである。バイオマス化学研究会社は生命譲渡装置の特許を取得し、技術を他の先進国に譲渡し、大成功を収めたのである。アメリカは捕らえたテロリストたちを生命エネルギーの材料とし、多くの兵士を蘇らせ、次第にアメリカ国民の支持を得られるようになったのである。日本でも自殺者の問題が多発していた。死者からの生命エネルギー採取は不可能であったため、各県に生命譲渡センターを設置し、生命エネルギーを採取し続けている。これが生命譲渡装置の誕生の軌跡である』

 すると、画面が変わり、司会者たちを映し出した。

「ここまでで皆さんいかがですか?」

 司会者がゲストに問いかけた。

「こういう経緯があるとは知りませんでした」

 どこかのモデルタレントが答えている。

「しかしです。その後、この生命譲渡装置の数々の問題点が浮き彫りになるんです。では、次もVTRもごらんください!」

『これまで、数多くの人を救ってきた生命譲渡装置。しかし、その普及で数多くの問題が出現する。その一つは生命譲渡装置で蘇生した『再生人』に対するバッシングであった。生命譲渡による蘇生はほぼ完璧であり、再生人は以前に記憶、人格、運動能力なども完全に蘇生していた。しかし、それを良しとしない人々から『再生人』を『ゾンビ』とののしり、迫害していったのである。また、熱心な宗教者たちから『悪魔』とののしられ、買い物に出かけても、品を売ってくれない店が続出し、またインターネットで『再生人』のリストが流出し、個人情報問題へと発展する。再生人の中には再び自殺してしまう者も出てきており、一方では『人の命を奪って人の命を救うのは殺人だ』などと訴える住民が続出するようになった。そして、自殺大国日本では再生人が増加した反面、自殺者は五万人を超え、社会問題となっている。また、政府が生命譲渡法案を一部改正したために、生命譲渡による年齢制限が解除され、裏社会では自分の子供の生命エネルギーを売り、至福を肥やしているものが存在する。中東地域ではテロリストは失った兵を蘇生させるために一般市民や難民などの拉致が多発している』

「以上が生命譲渡装置による数々の問題点であります」

 司会者は顔色変えずに答える。

「では、ゲストの皆さんにこのテーマで討論してもらいます」

 司会者の後ろにある巨大スクリーンに『生命譲渡装置は必要か?』と表示されていた。

「生命譲渡装置はこの世界に必要か? というテーマで皆さんに話し合ってもらいます」

 すると、有名タレント、ライフのメンバー、そして一般人から次々と手があがった。

「では、木野山さん」

 木野山はお笑いタレント出身で今はコメンテーターとして活躍している。

「私はね。この生命譲渡装置は不要だと思います」

 すると、次々と野次が飛んできたので司会者がそれをなだめた。

「話を続けます。私がなぜこの装置に反対か説明します。まず、この装置は完璧すぎるんです。生命エネルギーを吸収し、他者に注入する。すると、他者は簡単に生き返る。それはいいんです。しかし、人を殺して人を生き返らせるんですよ。それが正しいとは私は思わないのが一点。次にこの装置の誕生で命の大切さを国民が忘れてるような気がするんでうすよ。VTRにもありましたように人を殺してるんですよ。しかも、政府がこれを承認している。また、手軽に死ぬことができる。これは命を物としか考えていない人間の『エゴ』だと思うんです」

 すると、一般人から激しい野次と挙手が上がったので司会者が一般人の一人を指差した。

「ええ、あの・・・私は・・生命譲渡装置はあっていいという立場です」

 非常に弱弱しく、自身のなさそうに話している。きっと、緊張しているのであろう。

「人を殺しているといいますが、死刑囚や終身刑の罪人の命は奪っていいと思うんです」

 すると、反対派からの異常なまでの野次が飛んできたので司会者がまたなだめた。

「続けてください」

「あ・・はい、私が言いたいのは・・・その・・・死刑囚の人は死刑が確定しています。だから、ただ殺すならせめて社会の役に立ってもらったほうがいいいと思うんです」

 木野山がこれに反論した。

「あなたの言うことは理解できます。しかし、死刑っていうのは命の奪うものではなく、罰を示す証明であり、それを国民に見せしめのために存在するのです。最近、殺人事件などの凶悪犯罪が増加しています。これは生と死の境がなくなってしまったことによる増加だと私は考えています。人を殺しても簡単に蘇生できる。そして、首吊りによる死刑ではなく生命譲渡による安楽死が約束されている。これでは、いくら生命譲渡装置があっても足りないくらいです」

 確かに、ここ数年凶悪犯罪が増加傾向なのは間違いない。強盗殺人をもし誰かが起こしたとしても、その家が裕福ですぐに蘇生できるという話になれば、誰でも犯罪に手を染めやすくなる。かつて、死というものが絶対的な時代はあった。しかし、今は絶対的≠死ではないのだ。俺はそういう風には今まで考えてはいなかったので勉強になったと思う。

 すると、今度は別の一般女性が手を上げ、発言した。

「私は生命譲渡法案に賛成です。VTRであった自殺率の増加ってあったんですが、自殺している人の数だけ救われている人がたくさんいると思うんです。私は自殺するしないは個人の意思で決めることであって他者が口出しするべきことではないと思うんですよ」

『待ってました』とばかりに数多くの手が上がる。司会者は別のタレントに発言権を与えた。

「私は生まれて一度も死にたいと思ったことがないんです。だから、自殺願望者の気持ちが理解できないんですよ。せっかく生まれた命を簡単にあげてしまう心理が分かりません。生命譲渡装置は自殺願望者にとってはすばらしい機械なのでしょうけれど、だからこそ自殺を簡単に誘発してしまうと思うんです」

 すると、先ほど発言した一般女性が言葉を返した。

「死にたい人の自由を邪魔する権利は誰にもないと思います」

 この発言には周りのどよめきが激しさを増した。

「そういう考えが人を簡単に殺してしまうんですよ」

 議論が白熱した。互いのエゴのぶつかり合い。俺はテレビに釘付けになった。

 司会者が今度はまた別の一般男性に発言させた。

「俺はこの法案に大賛成です。世の中には生きている意味を見失っている人たちがいます。また、生活保護を受けて生活している人もいる。そういった人たちの大半は皆命を還元したいと思っているんですよ。この法案が可決されてから生活保護を受けるだけの生活をしていた人々が生命譲渡で安楽死をしました。そのおかげで生活保護費が削減されたことは紛れもない事実です」

 この発言でさらに反対派の罵声は酷くなった。

 合理的および資本主義思考だけならこの法案は正しい。しかし、その中に『倫理』は存在しない。それもまた事実だ。

「今の発言は人そのものを否定している!」

「働けない人間は死ねって言うことか!」

「命を何だと思っているんだ!」

 一般男性の発言の余波は俺の想像以上であった。すると、先ほど発言した一般男性が発言を繰り返した。

「この生命譲渡法案のおかげで無駄な予算がなくなったんだ。生活保護や寝たきり老人にかかる医療費も減少し、政府の財源が安定したのは紛れもない事実だ! 間違ってるのはお前たちのほうだろうが!」

 一般男性も感情的になっている。

「お前のような人間が自殺をあおるんだ! ふざけるな!」

「議論が白熱している最中ではありますが、次のVTRがあるのでこちらをご覧ください」

 司会者が進行を促した。さすがである。

『生命譲渡センターが確立されたことで失う命、救われる命があるこの社会の弊害をご紹介します。まず、とある家庭の例をご紹介します。その家庭は多額の借金を抱えており、悩んだ末に生まれたばかりの赤ちゃんの生命エネルギーを採取し、命をうばう決断をしました。生命譲渡法案ではこの例は違法ではなく、三歳児までの生命の決定権は両親にあります。このように子供の命と引き換えに多額の資金を得る親が増えているのです。しかし、中には実の子供を手にかけたことを悔やみ、心中する事件も発生しています。命のやり取りが簡単に行われている世界である一つの集団が立ち上がったのです』

 まさか・・・・・

 俺は非常に嫌な予感がした。

『慈善団体ライフです。この団体は人々からの寄付で成り立っている組織で反生命譲渡を掲げ、活動を行っています。そして、その団体の党首である井上一志さんの活動当時のインタビュー映像を公開します』

 すると、数年前くらいのVTRに変わり、井上一志がインタビューに答えている映像が映し出された。

『私がライフの代表の井上一志です。私は生命譲渡法案によって失った命のために戦います。この映像を見ている皆さん。私に賛同してください。あの悪しき法案を無くすその日まで私は命をかけて戦います。』

 すると、また別のVTRに切り替わった。

『現在、ライフは信奉者を増やし、生命譲渡法案に対するデモ活動や生命譲渡センターに向かった自殺願望者などの心のケアを行っています。しかし、それでも生命譲渡を行ってしまう人は後を絶たないそうです』

 そして、VTRはここで終了し、司会者が井上一志に話をふった。

「井上代表、現在はどのような活動を行っていますか?」

「先ほどのVTRに加えて、規模をさらに展開しています。アジアでは中国や韓国、そして欧米などでも支部を作り、活動の幅を広げています。しかし、それでも自殺願望者は後を絶ちません。そのため、私たちと行動を共にする精神科の先生方にもお願いをして家運セルによる自殺防止を各国で行っている状況です。学校でも自殺防止のポスターをお願いしたり、政治家の方々とも対話をし、活動を行っています」

 今、しゃべっている男こそ、俺の最大の敵なのだ。

「では、次のテーマは慈善団体『ライフ』の活動をどのように思っているかです。番組のスタッフたちがアンケート調査した結果がVTRで表示されますのでこちらをご覧ください」

『当番組では東京に住んでいる国民に慈善団体『ライフ』の活動についてアンケート調査を行った結果、評価するが七割、評価しないが一割、分からないが二割という結果になった。その理由として以下の意見が述べられた。まず、評価すると回答した人々の理由として『積極的な活動を行っている』『カウンセリングを独自で行っている』などがあげられ、逆に評価しないと回答した人々の意見は『成果が出ていない』『どこか偽善的』などと理由が挙げられた』

「このVTRで次のテーマはずばり『ライフの活動は正しいのか?』で皆さんで話し合ってください」

 すると、ライフの代表井上一志が高々と挙手を上げた。

「では、井上代表」

「私は自分がしていることは正しいと思っています。現に七割が賛成してくださっています。我々こそが正義です」

 すると、有名タレントの木野山がしつこく挙手してきたので司会者が指をさした。

「私もね。この団体には賛同です。寄付も月単位でこのなっていますし、団体のスタッフさんたちといっしょに町で募金活動を行っています」

 これに反対するであろう一般人から発言があった。

「私はこの団体の活動には反対です。人の命を助けるといっている割には行動が過激と聞いています。生命譲渡センターでデモ活動を行い、そのセンターの職員の仕事を妨害したり、センターを破壊したとも聞いています」

 これに黙っている代表ではない。

「誰がそんなことを言っていましたか。私はあなたに聞きたい。マスコミは一度もそういうことを報道しましたか?」

 ネットでは慈善団体ライフの過激な活動が動画や文字でアップされている。ネットでは『ライフ』は寄付目当ての偽善団体と言われている。しかし、マスコミはそういう報道をしていない。一体何が正しいのかは俺には分からない。ただ、死にたいやつの邪魔をするやからは俺の敵だ。

「私たちはあなたたちの団体の者から生命譲渡の邪魔されたんだ!」

 一般人の何人かが立ち上がり、叫びだした。

「皆さん落ち着いてください。では一般の方に話を伺いましょう」

 司会者は一般人の高齢の方に発言を許可した。

「私は今まで三回も生命譲渡センターに予約を入れたんです。しかし、約束の日になってセンターに向かうと大勢のライフの信奉者に邪魔され、生命譲渡することができませんでした。予約した日に生命譲渡が行われない場合、再度予約が必要なんです。しかし、私はその機会を何度もこの集団に奪われ、四回目の予約の時に担当者に言われたんです。高齢での生命譲渡は質の問題で生命エネルギーを採取しても他者に使用できないと言われたんですよ。それでも予約をして一ヵ月後には決行です」

 すると、一瞬辺りが静まり返った。

「私たちはあなたに死んでほしくないんですよ」

 井上が大きな声で叫んだ。

「私は生きるべき人のこの命をあげたかったんです。それを邪魔する権利があなた方団体にあるんですか?」

 高齢の一般男性は一歩も引かない。

「何が人を助けるためだ。何が善意だ。人の気持ちも知らないで己のエゴで動くあなたたちを私は絶対認めない」

 一般人たちは『そうだ、そうだ』と高々と声を上げる。他のゲストたちはただ呆然とその光景を目の当たりにするだけだ。

「では、一つお聞きしたいのですが? 一般の方々で生命譲渡センターに行ったことがある人、もしくは予約をして生命譲渡を待っている人はどのくらいいるんですかね? 挙手でお教えください」

 すると、ほぼ全員手を上げたのである。

「こんなにですか?」

 一同が唖然としている。というか、そういう連中を集めたんだろう。製作人側が。

「では、一般の方で・・・・そうですねぇ、では、あなた」

 司会者が発言権を与えたのは俺と同じ十代くらいの女性であった。

「あなたはなぜ生命譲渡を決めたんですか?」

 すると、その女性は暗い感じで答えた。

「私、下に三人の兄弟がいるんです。で、兄弟の面倒を見ながらアルバイトで何とか生計を立てているんですが、私の両親が借金を作って家を出て行ってしまったんです。すると、借金取りの人が来て私たちを脅してくるんです。体を売れとか卑猥なことばかり。そんなある日、その借金取りの人が命を売ったらいいんじゃないかと言ったんです。そうしたら、すぐに借金は返せるし、引かれてもお金が残るので私、生命譲渡センターに予約をしたんです」

 すると、辺りがまた静まり返った。こういう雰囲気の場合どのような言葉をかければいいのか俺には分からない。

「最低な両親だね」

 タレントの木野山が言った。

「実の娘にすべてを押し付けて逃げた両親。本当に最低ですよ。あなたのお名前は?」

「え・・河合といいます」

「河合さん。絶対にそんなことしちゃいけないよ。もし、あなたが生命譲渡で借金を返すことができたとして、誰が子供たちも面倒を見るんだい?」

「そ、それは・・・・」

「よく聞いて。もし、大金を手にしたことを両親が知ったらどうすると思う。あなたの両親はまた借金を作って今度は君の兄弟の命を売るかもしれない。いや、絶対にするに違いない」

 確かに。このタレントの言っていることはもっともだと俺は思った。

「そんなこと言われたって・・・・他にどうすればいいのか・・・・」

「誰か近親者はいないんですかね。あなたを助けてくれる人はあなたが思っている以上にいると思いますよ。今あなたはテレビに出ている。これはチャンスと考えなくちゃ」

 そして、木野山はカメラ目線で叫んだ。

「このテレビを見ている河合さんの両親。これを見てたらすくに娘を助けなさい。このまま見殺しをするなんて人のすることじゃない!」

 おっしゃるとおりだな。しかし、そういう人間が生まれてしまう可能性があるのがこの世界だ。生命譲渡装置は本来そんなことに使われるために生まれたわけではなかろうに。

「私たちが見つけ出しますよ」

 偽善団体『ライフ』の代表である井上一志が大声で言った。

「今なんと?」

 司会者が井上に問いかけた。

「我々『ライフ』は河合さんの両親を探し出しますといいました。我々は人々の寄付で成り立っている団体です。それをただデモ活動に使うわけではありません。探偵を団体の費用で負担しましょう。あなたを殺すわけにはいきません。だから、予約を取り消してください」

 この申し出に河合さんは驚いて口を空けている。

「それはいいですね。そうしてもらったらいいじゃないですか。人の寄付でまかなってるんですから」

 木野山が河合さんに助言した。

 すると、周りからも賛同の声が上がった。

 く・・・これでは偽善団体ライフの価値が上がる。しかし、間違ったことはしていない。本当にこの団体はいやらしい。このもどかしい感じが実に不愉快だ。

「あ、ありがとうございます」

 河合さんは泣きながら頭を下げた。

 画面の中がやわらかな雰囲気に包まれている中で一般人の中年の女性が一人手をあげていた。それに気がついた司会者が手を指した。

「雰囲気を壊すようで大変恐縮なのですが、私は生命譲渡センターで働いている者です」

 すると、ライフの信奉者たちからたちまち野次が飛んできた。

「皆さん。お静かに。続けてください」

「は、はい。私は一般者の中で先ほどの予約の件で唯一手を上げなかった者なのですが、私は慈善団体ライフに対して反対の立場で今日ここに来ました」

「反対と申しますと?」

 司会者が聞いた。

「はい、反対というのも。私はセンターの事務をしているものなのですが、毎回センターに出勤してくると、ライフの信奉者たちが私や他の職員を囲んでセンターに入れないように邪魔するんですよ」

「嘘だぁ!」

 慈善団体代表の井上一志が大声で否定した。

 いいぞいいぞ、俺はこれを待ってたんだ。

「井上さん落ち着いてください。まずはあの方のお話を伺いましょう。反論はその後でも遅くはありません」

 司会者の言うとおりだ。時間はたっぷりとある。何せ四時間番組だからな。

「続けますね。ライフの人たちの職員に対する妨害だけならまだしも、生命譲渡センターで予約をしようとする人々をどなたかが述べたように止めようとするんです。それは良い事だと私は思うんです。けれど、そのやり方が非常に・・・暴力的なんです」

「でたらめを言うんじゃない!」

 ライフ側からの罵声は続く。それでも一般のセンター職員は続ける。

「私が実際に見た光景をお話しますと、私が昼食を買いにコンビニに出かけた帰りでした。センターの正面ゲートを通ろうとすると、数人の男たちが一人の男性を暴行していたんです。その暴行を受けている男性はたまたまセンターに予約しに来た人だとすぐに気づいたんです」

 すると、その女性は目に涙を浮かべながら一瞬黙った。

「すると、ライフのメンバーがその男性に暴行を加えていたと?」

 司会者が問いかける。

「はい、そうです。毎日のように抗議デモを起こしていた人たちが今日予約を済ました男性に暴行を加えていたんです。『どうして予約したんだ!』と叫びながら殴る蹴るを繰り返していました。私が止めに入ったのでその場は収まったんですが暴行を受けた男性は『どうせ死ぬから警察に届ける必要はないです』とだけ言って去っていったのです」

 やはり、過激な事件を起こしていたのか? そんな偽善団体に寄付などと。

「我々のメンバーにそんなことをするやつはいません。暴力は禁じています!」

 井上代表は真っ向から反論した。

「私の話はすべて事実です。それに私たち職員の住所を突き止め、数々の嫌がらせも受けています。そのため、多くの職員がセンターをやめざるを得ない状況なのです」

 最低な集団だ。何が命だ。人の人生を妨害することは罪以外の何物でもないのだ。

「それについて、井上代表何かありますか?」

 しばらく、間が空いたが、井上代表は口を空けた。

「確かに、あなたの話が本当であるならば、私は謝罪しなければならない」

 そうだ。罪を認めろ。そして、偽善団体は解散してしまえ。

 俺は心からそれを願った。

「しかし、我々の部下がしたこと以上にあなたたちは罪を犯している」

 井上代表からその言葉が出てきたとき、俺は口を大きく空けてしまった。

「人殺しを手助けしているという意味です。あなたがセンターで働いていること自体がつみだと私は考えています」

「いいぞいいぞ」

「そうだそうだ」

 反生命譲渡派のゲストたちが援護した。

「そ、そんなの・・・へ・理屈です」

 一般女性は抵抗した。

「理屈は通っていますよ。自殺の手助けをあなたはしているんですから」

 く、これがこの男のやり口か。癇に障る。

「私は生命譲渡センターで働いている人すべてに宣言します。あなたたちは人殺しの手助けをしているんです。だから、今すぐその仕事を止めなさい!」

 愚かな発言を・・・・しかし、テレビ内は『ライフ』一色に輝いている。それが非常に悔しい。

「法律では犯罪ではありません」

 一般女性は反論する。

「だから、その法律自体が間違ってるんですよ。倫理的にね。政府が制定したこの生命譲渡法案こそ悪であり罪んです!」

 スタジオが大歓声の渦に取り囲まれた。

「あの、いいでしょうか?」

 三十代くらいの一般男性が細々と手を上げている。

「どうぞどうぞ」

 司会者が笑顔で了承した。

「私の友人に生命譲渡で蘇った再生人がいるんですけど」

 先ほど大歓声はあっという間に消え去っていた。

「再生人の友人はライフからの嫌がらせに困っているんです。そういうことを代表のあなたから止めさせてもらえないでしょうかね?」

 実にリアルな話だ。こういうことするからライフは嫌いだ。

「私は嫌がらせをするような支持は出していません。しかし、それが事実であるならば、収録終了時に私に住所等を教えてください。日本の各都道府県にメンバーが展開しているので厳重に注意します。しかし、メンバーがそういうことをしたがる理由も私には分かるんです」

「嫌がらせをする理由ですか?」

「そうです。嫌がらせは確かに悪質極まりない。しかしです。その再生人の友人は人殺しで得た命をもらって蘇った。それは神への冒涜を意味している。そして、結果的に罪の無い人を殺して生きている。それはある意味で『殺人』です。私は再生人を一切認めません」

 両者とも一歩も譲らない状況であった。すると、司会者が間に入り、次のテーマへと進んでいった。

「次は先ほどの発言でも出てきた『再生人』についてです。それについてのVTRをどうぞ」

『生命譲渡法案により、一度死んだ人間を蘇らせる技術を得た日本。蘇った人々は『再生人』と呼ばれ、この現代社会で生活しています。しかし、神を超えたといっても過言ではない再生人の中には元の生活には戻れないケースが現代増えているそうです。その一人としてAさんのケースを紹介します。Aさんは二十代独身のサラリーマンでした。しかし、交通事故に巻き込まれ、死亡しました。生命譲渡センターに集められた生命エネルギーが当時不足していたために補充されるまでしばらく冷凍保存されていました。そして、一ヵ月後、命の寄付が募り、Aさんは無事再生することができました。しかし、休職扱いにはなっていなかったために会社側から解雇されており、Aさんは職を失いました。当時は生命譲渡法案が可決されたばかりで人々からの理解が乏しい時代でした。そのため、Aさんは職探しに専念しましたが、再生人への偏見が酷く、うまくいかなかったようです。また、Aさんが再生人と分かると、周囲から毛嫌いされるようになり、数々の嫌がらせにあり、引っ越すことになったそうです。その後、定職につき働き始めましたが、そこでも再生人であることがばれ、孤立し会社を辞めざるを得ない状況になったそうです。現代でも、再生人に対する偏見は根強く残っており、社会問題となっています』

「では、ゲストの皆さんに再生人について話し合ってもらいましょう」

 すると、多くの人が手を上げたので司会者は一般男性に発言を許した。

「私には再生人の友人がいたんですけれども、先ほど述べた方のように嫌がらせを受けていたんです。ライフからの苦情の電話や嫌がらせは当たり前で当時の高校でも酷くいじめにあっていたんです。高校が違ったために私にはどうすることもできませんでした。そんな時、誰にも告げずに生命譲渡をして死んでしまったんです。自殺と言ってもいいでしょう。生命譲渡は皆さんがご存知のように抜き取られた被験者は灰化して再生不可能になってしまいます。せっかく生き返っても、世間から認められず、もう一度死んでしまったのです。大人になり、私は今でも救えなかった友人のことを思うと涙が出てきます」

 生き返っても帰る場所がないか・・・・・

 すると、タレントの木野山が挙手をしたので司会者が発言を許可した。

「確かに悲しい現実です。生命譲渡装置を私は決して支持はしません。人の命を奪っていることに変わりはないわけですから。ですが、救われる命もあることも事実です。法律では生命譲渡は禁じられていません。だからというのも変ですが、決して生き返った人を迫害することはいけないと私も思います。生き返ること自体は決して罪ではないのですから」

 生命譲渡は罪であるがそれを受け継ぎ生き返ることは罪ではないか・・・・矛盾しているような気がする。

 すると、反生命譲渡派のゲストたちから罵声が飛び交ってきた。

 司会者は別の有名タレントに発言させた。

「人は生き死にをコントロールすることは生命の原理に反すると私は思います。悲しいですが人は必ず死にます。その代わりに新たな生命が誕生する。そのサイクルが自然の原理です。今はいいかもしれません。しかし、いつかそのサイクルがおかしくなって自然のバランスを崩してしまう気がするんです。すいません。知識が不足しているのでたいしたことは言えませんが、私は怖いんです。人が生き返るってことが。私にとって生き返るっていうのは映画とかのゾンビとか幽霊なんかを連想させちゃうんですよ。だから、再生人が迫害されている理由の一つに『恐怖』があると思うんですよ」

 なるほど。俺は今まで死ぬことと生き返ることに対する正当性しか考えていなかった。よく考えれば、生き返るって非常に怖いことなんだよな。今はこういう社会だから恐怖心など微塵も感じないが昔の人からすれば幽霊になって出てきたと思うんだろう。人同士の討論って案外おもしろいんだよな。予想外の言葉が数多く出てくるから。

 画面を見ると、先ほどの回答に対する返答が叫ばれていた。一般人の一人から。

「確かに怖いのかもしれません。一度死んでいるわけですから。しかし、そんなことだけで再生人を迫害するのは間違っています。蘇ってもその人はその人のままなのですから」「それは少し違います」

 偽善団体『ライフ』の井上が答えた。

「今死んだ人間は何も変わらずに蘇ったとおっしゃいましたがそれは嘘です。我々の団体に協力してくれる医師の話では、脳細胞が一度壊死した場合、蘇生しても壊死する前にあった情報はリセットされるらしく、蘇ったとしても記憶の障害が残るとおっしゃっていました。自分の名前や家族など人間関係のことから、言語や数字などの学力などもすべてなくなってしまう知的障害。完全な蘇りは存在しません。そこは間違ってほしくはないです」

「それは脳が壊死した場合です。その他の場合ではそのような人格変化は聞いたことがありません。それに仮に死亡した場合でも冷凍保存されるので壊死を回避することができます。現に私の知り合いも再生人がいますが、以前と何も変わらない友人のままでした」

「完全な蘇生はありえない。一度死んでいるんです。重症でもかろうじて生きている人に他者の生命エネルギーを注入するならまだしも」

「そういうあなたのような偏見が再生人の生活を脅かすんですよ」

 そうだそうだ。もっと言ってやれ!

 俺は心の中でそう叫んだ。

 すると、機転の利く司会者がある問いをゲストたちに投げかけた。

「では、この中で再生人である人はいますか?」

 仮にいたとしても名乗りでるのであろうか?

「私が再生人だ!」

 完璧なタイミングでスタジオにある男がやってきた。俺は驚いてしまった。なぜなら、俺が今読んでいるヘブンズロードの原作者である野道三郎がやってきたのであった。

「遅れて申し訳ありません。他の仕事で忙しかったもので」

 野道三郎はベストセラー作家で著名人では唯一自身が再生人であることを公表している。もちろん、生命譲渡法案には賛成の立場だ。

「これは野道さん。わざわざスタジオにお越しになってくださって」

 野道は用意されていた椅子に座り、議論の中に入った。

「先ほどのお話は聞かせてもらいました。再生人に対する偏見が酷すぎますね」

「あんたなんかに何が分かるんだよ」

「そうだそうだ」

「化け物!」

 野道に対する罵声は酷いものがあった。しかし、野道三郎はまったく動じていない。

「あなた方も一度死んで生き返ったらいいんじゃないですか?」

 野道がさりげなく過激なことを言うのが評判で作家活動だけではなくタレントとしても活躍している。

「何を馬鹿なことを言っているんだ! 俺たちを殺すきか!」

「あなたたちの発言よりはマシだと思いますよ」

 野道がきたおかげでスタジオの雰囲気がだいぶ変わってきた。

「皆さんが知っているとおり、私は一度死にました。しかし、最新のテクノロジーでこの世に蘇ったのです。しかし、私は昔の自分と何も変わりません。書きかけの小説も普通に書けましたし、趣味や女性のタイプも変わっていません」

 すると、数人のゲストたちが笑いを隠せなかった。

「この私が何も変わっていないと言ってるんです。少しは納得したらどうですか?」

 野道は明らかにライフ代表の井上に向かって言っていた。

 この二人は他の討論番組で激論を交わしているいわば『ライバル』だ。この二人だけでも十分に視聴率が取れる。

「あなたはいつも私の前に現れる。いい加減にしてほしいです」

 井上が本音を口走った。

「だって、数字が取れるんだからしょうがない」

 余裕の野道である。すると、野道が再生人について発言した。

「私が問題だと思っているのは生命エネルギーがテロリストなどに渡っていることです。人殺しを蘇らせることこそ私は悪だと思います。この社会の最大の汚点の一つだと私は思います。それに加えてですね、私はもっと有能な人材に生命エネルギーが渡るような政策が必要だと思います」

「それは差別だ!」

 井上から批判された。

「まあ、最後まで話を聴いてください。私が言いたいのはこうです。最近はお金持ちが死にたくないと生命エネルギーを大量に購入しています。確か、最長で百三十歳でしたっけ。ギネス記録にも登録されていましたよね。この社会は資本主義なのでどうしても資金の豊富な人間が生きやすい社会になってしまいます。しかし、私は思うんですよ。果てしない目標を持った人間こそ長生きすべきだと。その一例は研究職の人です。この社会を変えてきた人は皆研究者や技術者だと私は思うんです。もちろん、それがすべてだとは言いません。しかし、歴史上の偉大な功績を残してきた人々を上げるとすると。例えば、アインシュタインやエジソン、ノーベルを例にしましょう。もし、彼らの時代に生命譲渡装置があったらなら、皆さんどう思いますか?」

 すると、スタジオが静まり返った。

「私が何を言いたいのが分かりますね。もし、彼らが長生きできていたらもっと大きな発明ができたかもしれないのです。そういう研究者はたくさんいます。人生のほとんどを研究と発見に費やす人々にとって八十歳くらいなど短いのです。発明や研究は長年かけて結果を出すものです。そういう果てしない目標を持った方々には長生きしてほしいんです。どこかの悪徳政治家や金に物を言わせるようなやからには長生きしてほしくない。はっきり言って社会の邪魔なんです。ただ、死ぬのが怖い。無意味な長生きをするために生命エネルギーを使うのではなく、若い人や目標を持った人間が優先的に生命譲渡装置による延命をしてほしいのです。これは私のエゴに他なりませんが、理にかなっていると思います」

 すると、すかさず井上が発言した。

「理にかなっているとかそういう問題じゃないんですよ。あなたはすぐ合理的に考える。世の中は合理主義だけでは片付けられないことがあるんです。有能とかそういうことじゃないんですよ。人一人の命が奪われてるんです」

「奪われているんじゃない。寄付してるんです。そこは間違ってほしくないですな」

 互いに一歩も引かない二人であった。

「この人殺し」

 井上が感情的になった。

「俺が人殺しならあんたは人の人生を邪魔する世界最高の偽善者だよ」

 すると、二人の前に司会者がやってきて討論を一旦中断した。

「白熱した議論の中大変申し訳ないのですが、VTRがあるのでそちらをご覧ください」

『世界各地で物議が交わされている生命譲渡装置。この装置を開発したバイオマス研究会社研究部部長の池山幸久さんにインタビューすることに成功しました。』

 すると、池山研究部長のインタビュー画面に切り替わった。

『池山さんは現在どのような研究をなさっているのですか?』

『今も生命エネルギーの研究を続けています』

『それはどのような内容なのでしょうか?』

『研究班をいくつかに分けているのです。まず、生命エネルギーを人工的に培養する研究チーム、次に他の動物から採取した生命エネルギーを人間に適応したエネルギーに変換する研究、生命エネルギーの純度を高める研究など深くは説明できないのですが研究を続けさせていただいています』

『最初、生命エネルギーを発見したときにはどのような心境でしたか?』

『結構昔にはなりますが、生命の神秘を感じたのを思い出します。このエネルギーで生命は生きているのかという感動。研究者一同大いに喜びましたよ』

『その後、先生たちは生命譲渡装置を開発して多くの命を救ってきたわけですが、それについてどう思いましたか』

『マウスによる生命エネルギー抽出に成功した後、すぐに他の動物での実験を行い、研究は順調すぎるくらいに進んでいき、ついに人間からの抽出と譲渡に成功しました。あの時は感動と同時に恐怖を覚えました』

『恐怖ですか』

『はい、私たちはある意味で神の領域を超えたと思ったんです。なにせ死者を蘇らせえる究極の技術を手にしてしまった。それは核兵器のような非常に危険な武器を手にしてしまったと思ったんです』

『後悔したと?』

『い、いえ。後悔はしていません。私たちは人を助けるための技術を発明したんですから』

『今の生命譲渡法案に対してどう思われますか?』

『自殺者を安易に出すような法律は改正すべきかと私は思います。もちろん、生命譲渡装置を使用すること自体は賛成です。しかし、人が安易に命を渡してしまう社会になるとは私は想像していませんでした』

『最後に社会に対して言いたいことはありますか?』

『はい。人間は今まで数多くの偉大な発明をしてきました。それは時として人を救い、ある時には人を殺す。私が皆さんに伝えたいことは物を活かすも殺すも人次第だということです』

『お忙しい中、大変ありがとうございました』

 これでVTRが終了した。

「以上でVTRは終了となります。そして、この四時間番組ももうすぐ終わりを迎えようとしています。最後にスペシャルゲストの方を紹介します。生命エネルギーを発見し、生命譲渡装置の生みの親である池山幸久先生です。どうぞ」

 すると、野道三郎と同じゲートから池山さんが登場した。

「池山先生どうぞ、どうぞ」

 司会者が誘導した。

「今までの討論会を傍聴して感じたことをお教えください」

「はい。最初に、この討論会はとても勉強になりました。私たち科学者は毎日研究のことばかり考えています。そのため、生命譲渡装置が一般に使用された時に何が起こるかを深く考えませんでした。人を救う偉大な発明だと私たち研究者は思っていましたが、今日の討論会で私たちも知らない闇の部分があること深く理解させられました」

「先生は生命譲渡装置を開発したことについて後悔はしていないとVTRでおっしゃいましたが今はどのようにお考えなんでしょうか?」

 井上代表が問い詰めた。

「後悔はしていません!」

 池山先生ははっきりと答えた。

「私から一つどうしても聞いておきたいことがあるんですよ」

 司会者からの質問であった。

「池山先生は今後も研究を続けられると思いますが、もし研究途中で病気や寿命でなくなられる場合、生命譲渡による延命を行いますか?」

 俺はその質問に息を呑んだ。

「私は・・・・延命は・・・・しません」

「それはなぜでしょうか?」

「理由はあります。先ほど野道さんがおっしゃった目的のある人間は長生きするべきだという話がありましたね。私はその中に該当するでしょう。今の研究も何年もかかるでしょうし、成功する前に私は寿命でこの世を去っている可能性が高い。けれど、私は延命しません。私が生命譲渡装置を開発した理由は『延命』ではなく『救うべき命』を救いたかったからなんです。決して、長生きしたかったわけじゃないんです」

「救うべき命とは?」

「寿命を全うせずに亡くなってしまった人々のことです。私には子供が一人いたんですが幼い時に病気で死んでしまったんです。親にとって子供の死は非常に辛いものです。だから、私は子が親より先に死んでしまうような社会を変えたかったんです。そのために、この装置を開発した。不幸にも子供はすでに火葬してしまったので二度と生命譲渡による再生は不可能です。なら、せめて他の家族にはそんな絶望を味わってほしくなかった。そのために開発したのです。しかし、現実は私が思っていたとおりにはいかなかった。生きる目的を見失った若者が安易に生命譲渡装置に手を出してしまい、私と同じ苦しみを味わう家族を増やしてしまった。これは否定できない事実です」

「では、なぜ後悔はしていないとおっしゃったんですか?」

「私は数多くの家族に恨まれました。嫌がらせも日常茶飯事で毎日が嫌になることもありました。けれど、失った命の数だけ救えることのできる命もあることに気づかされたんです。ある日、ポストを見ると、嫌がらせのはがきの束の中に一枚だけ内容の違う手紙を見つけたんです。その内容には失明した子供からの感謝の手紙でした。生命エネルギーは組織を完全再生させます。手や足、眼球なども治すことができます。そのような手紙が少しではありますが今でも来ているんです。その時、気がついたんです」

「何に気がついたんですか?」

「昔は自殺したらそこでおしまいでした。無駄に命を絶つ。しかし、今は自殺者の命を他者に受け継ぐ。いわば、命のバトンを手渡しているのだと。確かに自殺者は増えました。しかし、その命は生きる意志をもった人々に確実に受け継がれている。それは死に絶える親が子孫を残すのと同じだと思ったのです。血は繋がっていない他者に命をつなぐ。私はそういう風に考えるようになったんです」

 すると、辺りはしんみりとした雰囲気へと変わっていった。

 命をつなぐか・・・・

 そして、この四時間生放送番組は終了した。

 この番組を見た俺は、俺の中で何かが変わっていくような感じがした。

 しかし、すぐに現実に引き戻された。おもしろい番組が終了した時の脱力感が実に不愉快だ。

 まだ、夜の十時だったので、俺は他のテレビ番組を確認したが、特別おもしろいニュースはなかったので、テレビを消し、ベッドの上に寝そべった。

 学校の生徒たちも今日の番組を見たのであろうか? ライフに洗脳された学校職員、使徒たちはライフが行っている行動をどのように考えているのだろうか? ライフの実態を知った彼らは募金活動を続けるのであろうか?

 俺はベッドの上でただひたすら考えた。しかし、俺の乏しい集中力では限界があり、部屋を出てトイレへと向かった。すると、俺とは格の違う秀才の兄とばったり出くわした。

 兄は俺が失敗した私立の入学テストに合格し、私立の中学の勉強でとても忙しい。両親は出来の良い兄を心底かわいがっている。その兄と比べられる俺はいつも肩身の狭い思いをしてきた。

「おい、満そこ退けよ」

 俺の兄貴、長屋正志は両親の前ではいい子を演じているが、根はとても腐っている。小学時代、兄貴は優等生で学校の先生からひいきされていたらしい。後の担任の先生からよく言われていた。しかし、同時に黒い噂も耳にしていた。兄貴がいじめをしていたという事だ。腹黒い兄貴なのでやっていた可能性はあり、いじめられていた生徒の妹から俺に追及してきたことがあった。それもあって、俺は小学時代孤立であったのだ。

 俺は兄貴に道を開けてやると、兄貴は悪意に満ちた笑みを浮かべながら、俺の足を蹴飛ばした。

「この失敗作」

 昔から兄貴にそう呼ばれていた。この家族からすれば俺は『失敗作』なのだ。

 俺は抵抗もしなければ何も言わず、トイレへと向かった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ