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約束は時に延期されることがある・・・

 午後八時半になり、俺は指定した場所へバットを取りに行った。ボーリング場のある店から自転車で十五分くらいの所にある公園にバットを置くように指示した。念のために、バットを置く係りを清水ではなく佐川に任せた。清水を教室で助けたことで俺と清水の関係が学校やライフ側にばれた可能性を考慮しての判断であった。佐川には八時半ぴったりに金属バットをゴミ箱に置くよう指示したのである。佐川ならマークされている心配はない。後は俺がバットを手にし、明日の中央突破に望めばいい。

 午後八時四十五分に俺は指定した公園に到着した。自転車から降りた俺は暗い中、虫が溜まっている電灯を頼りにゴミ箱を探すと、滑り台のすぐ近くに空き缶入れを見つけた。

 そして、ゴミ箱の横に古くなった金属バットを手にした俺は再び自転車に乗り込み、花火大会があった河川敷へと向かった。

 この公園に留まる選択肢もあったが、深夜になると不良のたまり場になるので移動する必要があったのだ。

 人に迷惑をかけるしか能のない不良こそ、生命譲渡の対象にすべきだと俺は思う。不良は新たな不良を作り出し、人を不幸にする。そんなやつらに生きている資格はないし価値もない。

 生きる価値のある人間が生き、生きる価値のない人間が死ぬ。これこそ、究極の平和社会を築く考え方ではないだろうか? 

 もちろん、極論であり倫理に反しているのは十分承知だ。しかし、根っからの不良が真人間になる確率など非常に低いのが現状だ。大半の不良が更生されるなら、俺もそんな極論など言い出さない。しかし、現実はそう甘くはない。

 不良のほとんどはそのまま大人になり、暴走族ややくざになって人の人生を壊す害悪となってくる。

 もし、本気で悪のいない社会を作ろうとするならば、俺の極論を実行するか、悪が生まれない社会を作るしかない。後者の考えが正しいのは明白だ。しかし、誰もそれを実行しようとはしないし、できない。人間にはそれだけの心と時間の余裕がないからだ。その点、俺の極論の方が実行しやすく、簡単だ。その代わり、倫理に反し、反体制派が生まれ、混沌とした社会を作ってしまうだろう。

 この社会に何が正しくて何が間違っているのか俺には分からない。その答えを大人は教えてくれないし、知ってもいない。

 そんな社会に生命譲渡装置が生まれたのだ。これは幸福だったのか不幸だったのか俺は知らない。けれど、社会の変化点になることだけは確かだ。

 時代は着実に変わっていく。しかし、その変化を否定しようとする人間も必ず現れる。これは必然であり、人間全体の本能なのかもしれない。だからこそ、この変化した流れを止めては駄目なのだ。

 しばらくして、河川敷に着くことができた。

 正直、心身ともに疲れており、汗で濡れていた制服も今は乾いている。

 俺は自転車を止め、河川敷の橋のしたに腰をおろし、斜頚になっている芝生に体を大の字になってねっころがった。

 すると、上の方で物音がした。ブルーシートで寝泊りしているホームレスのおじさんがいたのだ。

「そこに誰がいるのか?」

 おじさんは懐中電灯で俺を照らした。

「あ、すいません」

 俺は返事をした。

「何で学生がここにいるんだ?」

「ライフから逃げてきたんです」

「ライフ? ああ、あの団体か? じゃあ、お前は死ぬんか?」

「明日、生命譲渡します」

「もったいねーことするなぁ、最近の若い者は」

 老人がよく言う台詞だ。

「何でそんなに死にたがる?」

「この社会が嫌いだからです」

 俺は正直に答えた。

「いいじゃないか。俺だってこんなんだけど生きてるんだぜ」

 妙に説得力を感じる。こういう教師が学校には必要なのかもしれない。

「楽しみもなければ生きる目的もないんです」

「さびしいこと言うねぇ。いいじゃねーか目的なんか無くたって」

「おじさんはあるんですか。目的?」

「わしはもう年だから大きな目標なんてねーけど、そうだな。この光景を毎日見るのが目標だな」

「光景?」

「俺には何もないけどさ。この景色だけは好きでたまらんのよ。今は夜だから分からないだろうけど、朝見たら本当にきれいだぜ」

「そうなんですか」

 正直、自然が美しいとかそういうのはどうでもいい。ただ、この人は社会の役には立たないが、人を不幸にする人間には見えなかった。その人の過去は知らないが。

「今日、ここにいるんだろ。だったら、明日の朝ここの景色を見ろ。そうしたら、自分の価値観が変わるから」

 そう言うと、おじさんはブルーシートに戻っていった。

 価値観が変わる・・・・・景色を見るだけで変わるものか!

 俺は立ち上がり、橋の下から少しはなれた場所へ移動して行った。すると、夜空に星がいくつか見える。少し感動したが、それだけであった。

 疲れが溜まっていたので俺はそこで大の字になり、眠ってしまった。


 そして、運命の朝がやってきた。

 程よい日差しで目を覚ました俺は昨日ホームレスのおじさんが言っていた意味を理解するのであった。

 河川敷一体の芝生がとてもきれいだったのだ。太陽が美しく光り、芝生の草が風になびいている。まるで、芝生たちが演奏会をしているようであった。

「お、起きたか。少年」

 ホームレスのおじさんが挨拶してきた。

「おはようございます」

「どうだ、いい景色だろ」

「そうですね」

 本当にきれいであった。俺は家族旅行やキャンプなどをしたことなかったので自然に触れることがほとんどなかった。

「どうだ。これでもまだ死にたいか?」

 おじさんははっきりと質問してくる。だから、俺は即答した。

「はい、死にたいです」

「そうか。まあ、お前が決めることだから俺はもう何も言わねぇ」

「この景色を見たから決心したんですよ」

「どういう意味だい?」

「この景色を見れただけでもう十分なんです。これで思い残すことはなくなりました」

 こんなきれいな場所を見れただけで満足であった。

「おじさん。昨日はありがとうござました」

 俺は金属バットを持って置いていた自転車に乗った。

「そのバット何に使うんだい?」

「合理主義のために使うんです」

 そう俺は言って。おじさんと別れを告げた。

 自転車を走らせて五分くらい経っておなかがすいたので近くにあるコンビに立ち寄った。

 時計を確認すると、七時十分。まだまだ時間がある。八時半にセンターは開き、九時に執行される。

 俺はチーズパンとスポーツドリンクを購入し、外でそれを口に入れた。

 もうすぐ、この世界とさよならできる。この感動は生命還元クラブのメンバー以外理解できないだろう。

 死ぬことは罪ではないのだ。新たな世界への第一歩だ。悔しいが俺は天国の存在を信じることにしたのだ。黒井に屈してしまったことにある。しかし、悔しさと同時に深い喜びを感じる。皆が俺を待っているからだ。

 天国も河川敷のように美しい場所なのだろうか? それとも、まったく別次元の美しさを秘めた場所かもしれない。

 ヘブンズロードを読み終わらなかったことを俺は後悔し始めた。しかし、楽しみは後に取っておくという考えがすぐに浮かんだ。

 俺は思うのだ。人類は生と死を操るようになった。今度は生と死の境を作り出すのではないだろうか? つまり、生きた人間が天国に行くということだ。

 何百年もかかるだろうし、批判する連中だって生まれるだろう。しかし、人間を進化させてきたのはいつも『科学の進歩』であった。

 この考えだけは譲るわけにはいかない。

 人間は宇宙の超え、死後の世界の仕組みすら解明してしまうだろう。

 俺はそう信じている。

 時間を調整しながら、自転車にまたがり、進んでいく。

 誰からも邪魔されない状態が続き、八時にはセンター近くの書店にたどり着いていた。

 もう少しで死ねる。俺は新たなる新世界へと足を運ぶんだ。しかし、そんな俺に現実が降りかかってきた。

「長屋君がいた!」

 何と学校の生徒たちが現れたのだ。彼らは走って俺の所までやってくる。

 くそ、こんな時に。

 俺は自転車をフルスピードでこぎながらセンターへと向かった。死という希望を目前にしながら生という恐怖が俺を追いかけてくる。

 明らかに俺が来るのを分かっての行動であった。そこまでして俺を苦しめたいのか!

 数分して、ようやくセンターへたどり着くことができた。自転車を乗り捨て、バットだけを持ち、走りながらセンターのゲートに近づいていく。すると、数人の人々が俺の前に立ちはだかった。しかも、その中には大崎先生がいた。

「長屋、馬鹿なことはやめるんだ!」

「馬鹿なのはどっちだ。自分のエゴしか知らない教師が!」

「生きることは可能性に満ちているんだ。今すぐ死ぬ必要はない」

 俺は周りを見てあることに気がついた。家族が誰も着ていない。やはり、俺は必要のない人間なのだ。

 この瞬間、俺は家族という言葉を完全に断ち切った。

「生きるか死ぬかは俺が決める。引っ込んでろ!」

 俺は一歩前進した。すると、ライフのスタッフたちが俺を取り押さえようとしたので、俺はバットで反撃した。彼らの腕や足に金属バットは命中した。

「そこをどけ! 時代遅れの人間どもめ!」

「死んだら終わりだぞ。お前は死を分かっていない」

 大崎先生の愚劣な言葉は続く。

「分からないから逝くんじゃないか。お前みたいな教師には一生理解できないよ」

 俺は大崎先生に金属バットを命中させ、退けた。

 とても爽快で感動した。

 ライフのスタッフたちは俺の凶暴ぶりに恐れをなしたのか後方に後ずさりした。

 それでいい。それで。

 俺はゆっくりとセンターのゲートまで足を運んでいった。若干疲労していたが、まだ戦える力は残っている。すると、俺のクラスのメンバーたちが次々と自転車でやってきたのだ。昨日俺に暴行された桜井や菊池もいた。

 学園ドラマみたいな展開に俺は憤りを感じた。

「ここから先は通さないわ」

 自動ドア前に桜井女子グループと石川良太のグループが数名立ちはだかっていた。

「お前たちはどこまでエゴイストなんだ。俺の邪魔ばかりしやがって」

 俺は前進し、バットを振り上げた。男女関係なく、俺は無差別に攻撃していった。彼らはなす素手もなく倒れていったが、運動神経のいい菊池と石川の二人が余裕の表情で立ちはだかっている。もし、これで俺が失敗でもしたら、石川たちの武勇伝として語られてしまう。そんな恥をさらして生きてはいけない。すると、予想外の援軍が俺を待っていた。

 清水と佐川が自転車で二人にぶつかってきたのだ。そして、双方も見合いになった。

「長屋、早くセンターへ」

「長屋君。さとみたちの所へ」

「皆、ありがとう!」

 俺は金属バットを投げ捨て、走って自動だの前に立った。

 そして、俺にとっての『死への扉』がついに開かれ、俺はその扉の中へ入っていった。希望に満ちた死に向かって。


 長命と短命では、必ずと言っていいほど長命が求められる。長生きがしたい。死にたくない。それが人間の本能なのかもしれない。しかし、別の見方が世間にはある。無駄に長生きするより、目的を持ち充実した短命の方に意味があると。

しかし、かつての日本では『安楽死』は認められていなかった。自分の人生を捨てるかどうかはその人の意思ではなく身体だけにゆだねる時代が。例え、痴呆になったり、数多くのチューブにつながれ、ただの人形になっていてもだ。

 安楽死は倫理に反すると言うが、病気になり、寝たきりや無理やりの延命処置もまた倫理に反する。人の命さえ救えればそれでいい。それが日本人の考え方だ。それこそが日本人の正しき倫理観なのだ。

 本人やその家族に多大なる障害があろうと、その日本式倫理観の前では関係ない。日本人にとって死は『悪』なのだ。

 しかし、生命譲渡装置と安楽死の合法化で日本の倫理観か二分化した。死を単に悪とする考えと、人の命で他者を助ける合理的な死を正義とする価値観。

 この先も、この二つの価値観は衝突し合うだろう。これが民主主義の性であり、人類の選択しなのだ。

 俺の生命譲渡センター事件後、佐川ともみと清水博一の二人は学校側やPTAなどで問題視された。しかし、二人は卒業するまで『生命還元クラブ』のことは口にせず、秘密を守ってくれた。そして、後継者を作り中学を卒業した。

 俺がいなくなった後でもあの部活を守ってくれたことに俺は心から感謝している。

 俺にとってあの場所ですべてが始まったのだから。

 事件後の日本はまだ二分化された状態であった。選挙のもっぱらのマニフェストは生命譲渡センターや安楽死の肯定する与党と、身内をセンターで失った人々から指示を得ている野党との攻防戦だ。マニフェストには必ずと言っていいほど安楽死のことを載せている。与党は『安楽死をよりしやすい環境を整える』というマニフェストを掲げている。安楽死の肯定により、高齢社会を脱却し、年金制度の維持と縮小に成功した。次に彼らが望むのは『環境を整える』こと。つまり、ライフたちを一掃することである。日本人の価値観を根底から変えようとする与党に対し、野党は真っ向から反対している。脱生命譲渡装置、脱生命譲渡センター。これをスローガンにしている。しかし、経済的実績は与党にあり、野党は古き価値観、すなわち悪=死とする人々からのみの指示しかえられない。けれど、慈善団体ライフは野党を支持し、与党を倒そうとしている。

 慈善団体ライフは今もなお活動を行っている。しかし、与党からの規制が強くなり、生命譲渡センターは今も守られ、存在し続けている。そのため、ライフから多数の逮捕者が続出している。けれど、ライフの最高指導者である井上は逮捕されず、隠れたり、国外逃亡を繰り返している。

インターネットの世界でも生命譲渡センター、ライフ、井上と検索すると、数多くのサイトや意見が表示しており、ブログの炎上などもはや、日常茶飯事だ。ネットでは反安楽死を掲げる人々による人生相談サイドが数多く存在し、自殺防止に努めている人々もいる。

最近は、身内を自殺でなくした人々による後追い生命譲渡による自殺が流行っているそうだ。自分の子供が生命譲渡で自殺し、生きる希望を失った親たちが同じ死を選択する。今はそれが社会現象を起こし、野党やライフには追い風となっている。

 そのため、慈善団体ライフやPTAや教育委員会は脱生命譲渡法案に向けて決起を起こしている。数多くの脱生命譲渡運動を引き起こし、沈まない戦いを繰り広げている。

 価値観が一致しないこの日本では、それもまた仕方がないのかもしれない。

 正しい一つの答えなどこの世には存在しなのかもしれない。人間一人ひとりが一つの答えを持っている。それを統一するなんてことは初めから無理なのかもしれない。

 だからこそ、示さなければならない。正しい選択肢を。

 今から始まるテレビは数年後のテレビ番組だ。もちろん、テーマは『生命譲渡法案』だ。今もなお存在してくれたことに心から感謝している。

 今日集まるのは与党、野党の代表、反生命譲渡法案派の有名芸能人たち、そして慈善団体ライフの代表代理だ。慈善団体ライフ代表の井上は指名手配されており、現在も行方不明である。そのため、代理が出演することになったのだ。慈善団体ライフのメンバーがかくまっていることは容易に想像がつく。

 そして、ついにあの団体が公の場に立つときがきたのだ。

『では、今日も激論をしてもらいまいしょう!』

 司会者がハイテンションで各著名人たちを紹介した。

『そして、今日はインターネットなどで噂になっている団体を紹介します。慈善団体リサイクル代表、長屋満さんです』

 俺は今、生命譲渡法案を推進する慈善団体『リサイクル』の代表になっていた。そう、俺は死ねなかったのだ。怖かったわけではない。あの時は本当に死を選択しようとしていた。しかし、ある理由からそれができなくなった。

 大人になった俺は代表としてのプレッシャーと風格を維持しながら、カメラの前に映っている。

 そして、数多くの俺に対する憎悪の眼差しが突き刺さる。それはまるで汚らわしい悪魔を見るかのような目だ。しかし、そのような態度には慣れている。古き価値観に囚われた哀れな人間たちの濁った瞳と思考。気にする価値もない。

 俺は自分の席に座った。

 そして、議論が始まった。

『まずは、新たな団体であるリサイクルについて、代表の長屋満さんにお伺いしましょう』

 そして、俺はカメラを意識しながら、自分の信念を訴え始めた。

『私が代表の長屋です。私は先代の代表からこの団体を任されました。我々の使命は生命譲渡法案やセンターを守り、この生命譲渡をよりよい使い方へと導くことを使命にして活動をしています』

『例えば、どのようなことをなさっているのですか?』

司会者からの質問に俺は明確な回答を出した。

『死へ誘うことです』

 その率直すぎる言葉に大勢の反生命譲渡法案派のゲストたちが俺を非難し始めた。

『自殺を増徴させる言葉だ!』

 野党の議員からの発言だ。

『その通りです。私の言葉は自殺を助長させる。それが目的だからね』

 俺は本音しか言わない。嘘やきれいごとを言うつもりはない。数多くの・・・いや、日本人のほとんどを敵に回してもかまわない。俺に恐れや恐怖、罪悪感など存在しない。なぜなら、俺はある意味で一度死んでいのだから。死を受け入れている人間は一種の精神的無敵状態になる。中学時代に学んだことだ。今思えば非常に懐かしい。その歪んだ感情は今も俺を支えている。

『あなた、ネット上でなんて呼ばれているか知ってるか?』

 年を重ねた芸能人の一人が偉そうに俺に質問してきた。だから、即答してみせた。

『死神!』

 俺の言葉は周りを凍りつかせた。別にかまわない。空気を読むつもりなどもうとうない。

『それを知っていながら、お前は!』

『どう呼ばれるかは重要ではないんですよ。そんなこと、どうだっていい。私にとって重要なのは人の死をよりよくリサイクルすることなのです』

『あなたは人の生死を弄んでいる!』

 慈善団体ライフの代表代理の男性からであった。

『生命譲渡装置がなかった時代から人の生死は弄ばれていますよ。歴史がそれを証明している』

 俺は冷静に発言している。

『それに死を望む者の意見を無視し、死を悪と一方的に考えることこそ問題があると私は思います』

『神への冒涜です。それは』

 反生命譲渡法案派の有名な精神科の女医が言っている。

『あなたの言う神とは何ですか?』

『それは・・・・・』

 すぐに答えられない。当然の反応だ。神は人間が作った偶像という名の希望なのだ。それを口には出せまい。

『仮に神に冒涜したとして、一体何が起こるんですか? 天変地異、地球の崩壊? そんなことは起きません。この世界を動かしているのは地球の生命体であって、神というなの偶像は何もしてはくれません。重要なのは、人々にとって生命譲渡装置が有益なものかどうかです。論理に反する発言は時間の無駄なので今後は控えてください』

年上の女性に対して俺は強気に対応した。

『では、生命譲渡装置が有益かどうかという話にしましょう』

 司会者がずれた論議を修正した。

 すると、先ほどの精神科の女性が手を上げ、発言した。

『現在の日本にはブラック企業と呼ばれる劣悪な環境で社員を働かせる企業が存在します。そのブラック企業のせいでうつ病の若者が続出しています。我々精神科やNPO法人の方々が相談をしていますが、容易な安楽死のせいで、安易に自殺を選ぶ若者が増えています。このまま生命譲渡法案が残り続ければ、自殺率が上がりますよ。そうすればブラック企業がますます増加します。死んでも代わりを用意すればいいと』

 すると、今度は野党の政治家が発言した。

『経済格差と同様に生命格差が広がっていることをご存知ですか? お金のあるものは生命エネルギーを購入し、長生きをする。逆に貧困層は社会に絶望し、命を売ってしまう。そのために、経済格差と比例して今生命格差が広がっているんです。生命譲渡装置はある意味で違法薬物と同じ誘惑なんです』

 言いたいことは理解できる。間違ったことは言ってはいない。しかし・・・・言葉不足だ。この程度のことは俺だって知っている。その意見が来るなど想定内だ。

『あなた方はおっしゃることは理解できます。生命譲渡法案は完璧じゃない。しかし、この世の中に完璧なものはどこにも存在しない。何事にも欠点がある。だからこそ、生命譲渡装置が開発されたんです。政府の力でも自殺を食い止められない時代がありましたね。自殺が食い止められないなら、その自殺を利用して他の人々を救う。それが今の社会です。合理的なのです。この法案は。もし、この法案を撤廃すれば過去の無意味な自殺に救う価値ある人々が救えなくなる。その愚かな歴史を繰り返す必要はない。しかし、方々の言った問題点があるのもまた周知の事実。だから、我々もその改善に全力を尽くしている』

『どういう意味ですか?』

 精神科の女医が質問してきた。

『我々リサイクルの活動内容を詳しく話す必要がありましたね。我々は単に生命譲渡を斡旋している団体ではありません。先代も私も死への強制をしたことはありません』

 すると、多数の野次が飛んできた。

『この偽善者め』

『人でなし!』

 しかし、その程度でひるむ俺ではない。

『話はまだ終わっていません。人の話を最後まで聴いてから批判してください』

 丁寧にしかもプレッシャーを与える言い方で口を開いたので周りの野次が治まった。

『話を続けます。我々の活動の一つは生命譲渡センターで身柄を無理やり確保された人々を救出することです。私の言っている意味はお分かりのはずです。偽善団体ライフの方々のことです』

 その言葉に、ライフの代表代理は怒りを露わにした。

『我々は安易に自殺をしようとしている人々を救っているだけだ!』

『それは少し違いますね。確かに安易に自殺をしようとしている人々はいるのもまた事実。しかし、真剣に死を望む人々も大勢いる。その選択や覚悟を知らずに一方的に拘束するのはただの犯罪であり、ある意味で悪です』

 その言葉に野次が再び飛び交う。

 進歩と学習を忘れた旧人類が。何を言ってもスタジオの連中が変わらないことは分かっている。彼らはエゴの塊であり、自分の考えが第一に正しいと思っている。そのようなやつらを説得し、正しいことを言ったとしても彼らは異論を認めない。しかし、そんなことは分かっている。彼らのような連中を説得するつもりはない。俺はこのテレビを見ている全国民に示しているのだ。俺のやっていること。そして、俺がいかに正しいことをしているかということだ。

『だから、我々リサイクルは自殺願望者たちを、一方的確保をもくろむライフたちから救出しています。だから、ライフの信奉者との小競り合いは絶えませんがね』

 俺は笑みを浮かべた。その言動がライフ代表代理には気にいらなかったようだ。殺意に近い目つきで俺を見ている。

『しかし、我々の活動はそれだけではありません。ライフから救った人々を救い、選択肢を提示するのです』

『それはどういう意味ですか?』

『救った人たちをただ生命譲渡センターに送るだけが我々の仕事ではありません。彼らの正しき道へ導くのが我々の使命です。彼らに提示する選択肢とはまず、死への意思が固い人物には我々が別の生命譲渡センターへ導きます。しかし、中にはブラック企業に勤めてしまい、自分自身を自己否定してしまい、死を選択してしまう人を自殺以外に救うことも選択肢の一つに入れてあります。私は人殺しじゃない。自殺を斡旋していることは事実です。しかし、生きる価値ある人々には生きていてもらいたい。生きていける人たちを救うために、我々も相談員の充実、また地域の数多くの相談所の紹介などを行っています。安楽死は一つの選択肢だと我々は考えています。安楽死を必要する人々は大勢います。もちろん、必要としない人々も。無理強いは絶対するなというのが、亡き先代からの言葉でした』

 すると、司会者が少しあわただしい様子でいた。

『ただいま、この番組の視聴者の方々から数多くのご意見が届いております。その中から一つ選別させていただきました。読み上げます』

 司会者は一呼吸してから口を開いた。

『慈善団体リサイクルの代表である長屋満さんに質問があります。あなたは生命譲渡法案に対して、賛成の立場で数多くの人々を死へと誘ってきたと伺っております。しかし、長屋さん自身は死を選択するということはしなかったのでしょうか? 死を肯定している人がこうして生きていることは矛盾していると思うのですが、その辺りの考えについてぜひ伺いたいのです』

 この質問者は的を得ている。正しい人の思考だ。

『そうだ。死ぬならお前が死ね!』

 反生命譲渡法案派の連中から激しいバッシングを受けた。それがやつらの本性なのだ。死んでいい命はないと言いながら、こうして俺に向かって死ねと言う。それこそ、矛盾する行動だ。しかし、所詮はその程度の連中だ。相手にするだけ人生の無駄遣いだ。

『皆さん、お静かにお願いします』

 司会者は中立の立場でしかも丁寧に誘導した。これがプロの仕事なのだろう。

『分かりました。なぜ、私がこの団体の代表になって活動をしているかについて話しましょう』

 そして、俺は自分の身の上話をし始めた。


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