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幽霊の歩く道  作者: sacon
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幽霊の歩く道――三

 

 多分、皆瀬というのは俺の妹なのだろう。

 河原の片隅、多分花火はここからは見えないのであろう、人はいなかった。けれどもまあ、考えるにはもってこいだ、

 実感は沸いてこない。ただ、何でか分からないが、先程の新聞が引き金となって、生前の事をうっすらと思い出し始めてしまっている自分がいる。

 記憶の縁にゆっくりと手が伸びて行く、そんな感覚を覚えた。

 一月前のその記憶が、ゆっくりと浮かび上がってきた。


 幽霊になって、どれぐらい経ったのだろうか。

 寝れもしないのだから、時間間隔なんてずれているし、どれくらいの時間が経過したのか、なんて忘れてしまった。

 けれど、やっと実を結んだ。

 俺の家族がどこに居るのかが分かった。理由は分からないが、引っ越してしまっていた。元の家は、俺が状況を理解するまでの本の数日間の間に、引き払われてしまっていた。

 この体は、かなり不便だ。何せ他人との会話が出来やしない。情報を集めるは、これ以上不便なことはない。

 今日、それはついに実を結んだ。俺の家族はどうなったのかを、ようやく知ることができる。

 

 引っ越した先は、随分と古いアパートだ。何故、とは思う。元の家の方がよほど……

 これではまるで何か止むに止まれぬ事情で越してしまったかのような。

 不安は募らない事はない。しかし、知らない訳にもいかない。

 俺の未練は、即死だったが故に妹が生きているのかどうかを確認できなかったことにあるからだ。

 暑い日で、窓は開けられていた。部屋に誰も居ないことを確認し、そっと網戸をずらして中へと入る。

 まだ、朝早い時間だった。だというのに、居るのは台所の母さんだけだった。玄関を見るも、靴は一組しか見当らない。

 父さんは、明美は?

 声に出しても仕方ない事は分かっているが。そう尋ねたくなるほどに不自然だ。部屋を間違えたのだろうか。しかし、母親の見た目は変わっちゃ居ない。間違いは無いはずだ。

 もう少し、様子を見てからにしよう。

 そう考え、少し待っていると、母が玄関から出ていった。少し考え、ついていくことにした。

 流し目で表札を見ると、皆瀬、という苗字が書かれている。

 まるで理解が追いつかないが、皆瀬、というのはどこか引っかかるものがあった。

  

 ついていった先は、病院で。

 病棟には、見慣れた人物がいて。その人物は、眠っていて。

 そのまま、目を覚まさなかった。

 

 あっけない。

 俺の未練は、もう、果たされることなど無いわけで。

 どうしてだ。


 今なら分かる。ようやく、思い出した。

 俺は、耐え切れなかったのだ。

 あのときの俺は、自分が轢かれたとき、何が起きているのかを判別することができていなかった。つまるところ、妹の生死すらも。

 それを確認すること、それが、俺の未練。

 ただ、それがちょっとまずい方向に動いてしまったようで。

 最初は生死の確認が目的だったんだ。けれど、俺の家族はそれどころじゃなかった。。俺が死んだことを皮切りに、妹の病気は悪化して、両親もだんだん心をやられていってしまった。

 そんな状況を見せられて、成仏できるはずがなかった。

 そして仕舞いには明美は死んでしまった。

 幽霊にとって、未練というのは存在理由だ。存在理由が消えてたのだから、俺は消えるしかなかった。

 それを防ぐためだったのだろうか、記憶が消えた。未練が果たせなくなった。という現状が消し飛んだ。

 少々無理がある。しかし、これが真実だと思う。

 皆瀬、いや、須郷 明美は、俺の妹だ。


人ごみは嫌いだった。

 だからまあ、ちょいと抜け出してきたわけなのだが、ひょっとして、ひょっとすると。ここは俗に言う穴場というやつなのではないだろうか。まだ赤みを残している空を眺めながら、そう思う。

 出店も大分出始めているし、いよいよ花火大会といった風情だ。

 残念ながら私の服装にはまるで風情が感じられないが。

「姉ちゃん、こんなところにいたの?」

「あ、光一君」

 先程のように何かを急いで探しているかのような感じだ。ただ、息が上がっていたりする辺り、急いでいる度合いは先程より高いような気がする。

「ごめん、皆瀬ちゃん見てない?」

 花火大会で、女子を探す、と。なんと初々しいことか。

 いやまさか。考えすぎだろう。

「見てないけど……なんでまた、告白か何か?」

「へ?……ち、違うよ!兄ちゃんが探してるんだけど」

 話し方から察するに、どうやら笑い事じゃあないようで。

「了解、どこ探せばいい?」

「じゃあ僕は露天回り探すから、姉ちゃんはそれ以外の人少ないところをお願い」

 言うが早いか、どこかに行ってしまった。

 ……見つけたところでどうすればいいのかを聞かずに行ってしまったが、それはいいのだろうか。

 まあいいか、何で探すのかとかも分かってないが、仕方ない。この場所、誰かに見つからないように、と念じながら、そこを後にした。


 河谷がそこに辿りついたとき、既に空は暗くなっていて、周囲のざわめきはだんだんと広がっていく頃だった。

 見つけた。

 会場からは少し離れた川辺にぽつんと立っている木。そこに彼女はいた。

「どうしたの、ほら、花火が始まるから、早くいこ」

 そう、声を掛けて、そっと皆瀬は振り返った。

「ああ、河谷さん、ごめんなさい。わざわざ探してくれたの?」

「そりゃあね、来なさいとは言ったし。でも皆が言うには来てないみたいだったから、どうしたのかと思った」

 皆瀬はそれはごめんなさいとだけ言って、それからこう続けた。

「ん、ちょっとね、花火、か。綺麗だろうなあ」

「だろうけど、あれ、貴方花火見たことないの?」

「うん、病気がちでね、ほとんど外に出てこれなかった」

 どういうこと、と聞こうとして、止めた。須郷がそこに来ているのを見てとったからだ。

「いつから来てたの」

「ついさっきだよ。もし俺が生身だったら今はまだ息切らして話すどころじゃないな」

 そっけなく須郷は言って、皆瀬のほうに向かっていった。

「確認したい、ことがあるんだ」

 特に何を言うでもなく、そう切り出した。まるで、何かを疑っているかのように、何かを、否定して欲しいかのように。

 皆瀬は、答えない。

「お前の苗字は、本当に皆瀬なのか?それは、母方の旧姓じゃ、なかったのか?」

「……そうだよ」 

 その言葉は嫌に重々しく。祭りの場に適合しているとは思えなかった。

「ねえ、兄貴は大体思い出したのかな」

「ああ」

「探してたんだ、言いたいことがあって。だけど思い出してないうちから言うのもどうかって思ったんだ」

 そう言って、皆瀬は少し笑いを浮かべた。その笑いにどんな意味が含まれているのか、分からない。

「私、兄貴を恨んでた」

 そして、そう、言葉を結んだ。

「兄貴が死んだから、私の病気は再発した。兄貴が死んだから、私の友達は離れていった。兄貴が死んだから、お母さんとお父さんの仲は悪くなっていった。兄貴が死んだから、お父さんは自殺した」

「待て、それは」

 覚悟が無かったわけではなかった。自分の記憶の中のことが全て真実であると告げられる覚悟が。

 けれど、覚悟していたところで実際に受ける衝撃が変化するものなのかといえば、そんなことはないのだ。 

「全部、本当にあった事。あまりにたくさんのことが一度に起こりすぎたのよ」

「俺が、死んだから、なのか」

 辛うじて紡ぎ出した言葉は、掠れていた。

「兄貴が死ななければ、何も無かった。全てが上手くいったはずだった。……そう思わないと、押しつぶされそうだったのっ!」

 幽霊の涙とは、どのような存在なのだろうか。 

 そもそも本質的には存在しないもののはずの幽霊が、何かを生み出すはずは無い。無いのだが。

 その時、確かに彼女の瞼からは何かが落ちた。

 それは自身の不幸を呪ったものなのか、はたまた別のものなのか。

「……好きに使ってくれて構わない」

 突然の言葉に、彼女の顔が上がった。

「え?」

 辛くないわけは無い。それは当然だ。

 ただ、いつまでも現実を前にして感傷的になっていていい理由にならない。

 それに、せめて妹の前では虚勢を張っていてもいいじゃないか。

 そう、思った。

「だから、好きに使ってくれて構わないんだ。死人に口なし。ってね」

 その言葉を聞いて、水瀬は少し固まり、それからまた言った。

「はは、私は理不尽に感情爆発させてただけっていうのにさ」

「ま、人間なんてそんなもんだろう」

「ほんとに兄貴は相変わらずだなあ、優しすぎるんだよ」

 そう言って、彼女は笑った。

「兄弟の話は済んだ?」

 待ちかねていたように、河谷が割り込んでいった。

「あれ、河谷、居たの?」

「最初からいたわよ、ご挨拶ね。終わったんだったら、花火見ましょ、そろそろ始まるし」

「じゃあ光一も探さないと」

「そうね、皆瀬……じゃなくて、明美さんでいいんだっけ?」

 火が落ち、暗くなった河原を、三人は歩き出す。浮かぶ表情は、毒気を抜かれたような笑顔だった。

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