5、真美と美希
「今いる年が、どのような年かというのはわかった。次に必要なのは、この時代から未来に向けてタイムトラベルができるかどうかだ」
昼食も終え、美希から色々と聞き出したところで、学は早速切り出し始めた。紙に問題点を書き出していく。
「パソコン使ってもいいよ?」
「何かを考えるときは自分で書き出した方がいい。自由にスペースを利用できるし、僕はこのスタイルが一番しっくりくる」
書き終えると顔を上げて、君恵と美希を交互に見てきた。
「まずこの時代では、既にタイムトラベルの理論は確立されている。あとは実証のみだ。必要なのはエキゾチック物質と呼ばれる負のエネルギーを持つ物質。それとワームホールを少しでも大きなものを自然界から発生させるための衝撃、の主に二点が重要となってくる」
「まずはこの時代で膨大なエキゾチック物質を誰かが作れているレベルまで実証試験は進んでいるかどうか……が一つのポイントでしょうか」
「その通り、君恵さん。片手間に研究していた僕は小さなものしか作れなかった。でも他の人はどうだろう? 例えば東波大学の量子力学専攻の准教授に、タイムトラベルについて興味を持っている人がいる。僕も何度か話したことがあるけど……何かを知っていそうな雰囲気だった。もしかしたら、彼は既に作り出しているかもしれない」
「……その人わかる、少しお腹が出ている中年の佐竹准教授でしょう。授業を受けているから知っているよ。あとで探りでも入れてみる」
美希は顎を手で押さえながら言葉を返した。
「他にも東波市は別名、研究都市と言われることもあって、研究者が多い。片端から量子力学とか、タイムトラベルに関係ありそうな人に会って、話を聞いてみるのもいいかもしれない」
「けど、仮にその人たちが物質を作りだしていたとしても、その物質を手に入れることはできるんですか?」
君恵は学の話の途中で、無理矢理ねじ込ませた。学はつい視線を泳がせる。
「そこはどうにか頭でも下げまくって、もらうしかないだろう。それが無理だったら、黙って持ち出すことも考えなくてはね」
「つまり盗み出すということですか? 私、六年前にそんな重要なものが盗まれたというニュースは聞いたことがありませんよ」
はっきり言い切ったが、学はすぐに反論し返す。
「確かにそんなニュースは聞いたことないけど、それは公にしたくない事実だったからではないのかな。考えてみて、君恵さん。その物質は貴重な存在だとわかっている。もしある研究所で作り出すことに成功したとしたら、世界中からこぞって奪いにやってくるかもしれない。盗まれた場合でも、これ以上目を付けられたくなかったから、公表しないんじゃないかな?」
すらすらと言葉を並べるのに驚きもしたが、君恵は決して首を縦には振らなかった。
「盗みは犯罪です。リスクが高すぎます。もし盗んでいる最中に捕まったらこの先の未来がどうなるか、保証はできませんよ」
きつすぎるくらいに言った方がいいと思い、遠慮なく言葉を発すると、急に学は視線を下げた。
「痛いくらいに正論を突いてくるね。昔の僕を見ているみたいだ。……わかった、君恵さん。とりあえず大学のその准教授に話を聞くところから始めよう。――次に衝撃を与えるってことだけど、これは相当な衝撃を与えないと無理だと思う。コンクリート同士で衝撃を与えるくらい、いやそれ以上かも」
「最低でも工事現場でも行かないと無理ってことだね。それ以上だったらどうするつもり?」
美希が的確に突っ込むと、学は眉間にしわを寄せた。
「……爆破かな。それくらいしか僕は思いつかない」
「学さん、それはさすがに今後に影響を与えると思いますよ。特に音は誤魔化しきれません!」
「音か……。そういえば君恵さんは覚えていない? ある工場で六年前の夏に大きな爆発事故があったことを」
君恵の目が大きく見開いた。記憶の片隅にあったものが中央へとやってくる。言われれば思い出せるが、自発的に思い出せず、“過去”として脳内では処理されていた。
「バイオ燃料を作っていた、三永工場での爆発事故ですね。発生原因はわからず、確か死者も出たという……三十三年前の事故を思い出させるような事故だったとか」
途中まで話してはっとした。これは君恵たちにとっては過去の出来事であるが、美希にとっては未来の出来事。そんなことを迂闊に喋っては駄目だ。口を閉じようとしたが、彼女は涼しい顔をしていた。
「あたしが喋ったり、行動したりしなければ別に大丈夫でしょ。どうせ知ったところで簡単に変えられる未来じゃないし」
その言い分も一理ある。意見を学に求めようと視線を向けると、微笑みながら頷いてくれた。
「彼女の言うとおり、たぶん大丈夫だと思うよ、詳細まで話さなければ。彼女が知っても何もできない大きな出来事だから、歴史的な大きな矛盾点は生まれないはず」
「わかりました。でも今後は気を付けます」
「まあ衝撃に関しては、もう少し考えてみるよ。他にもいくつか考えはあるけど、その前に調べたいことがあるから……陽が落ちる前に行動に移そうか」
「とりあえず深く突っ込んだ情報が欲しいね」
美希はすっと立ち上がり、ショルダーバックを肩からかけた。
「佐竹准教授に話を聞いてくる。浅井さんは、自分とはち合わせると危ないから、インターネットを使って、自由に調べていたらいいんじゃないかな。欲しい本があったら借りてくるし。君恵はどうする?」
「私も一緒に行っていい? 六年前の私は東波市にいないし、いい機会だから外の状況も知っておきたい」
それは表の理由であり、裏の理由を言ってしまえば、学と一緒に調べものをしても、どうせ役には立たないと思ったからだ。それに研究者である彼は、どちらかというと一人の方が集中できるかもしれないと感じ取っていた。
学は強く反対はせず、首を縦に振ってくれた。
「そうだね、少しくらいなら大丈夫だと思うから行ってきなよ。もし名乗る場合があったら、念のために誤魔化しておいて」
「わかりました」
君恵も唯一この時代に持ってきたバックを抱えて、美希の後に着いていった。
「気をつけて行ってらっしゃい。何かあったら僕の携帯電話に――いや無理か。この機械は時代の割には進みすぎているし、おそらくワームホールを通ったときになんらかの磁場が発生してやられた可能性がある」
学が携帯電話を取り出し、電源を入れたが、案の定画面は黒いままだった。君恵も同様の操作をするが結果は同じだ。
「さて、どうするか……」
「浅井さん、今からパソコンのフリーメールのアカウントを取ったらどうかな?」
「ああ、なるほど! それはいいアイディアだ!」
陰りがさしていた学の顔が急に明るくなる。美希の言葉通り、すぐにアカウントを取り、アドレスを書いたメモ紙を彼女に渡した。
「まめにこっちもメールはチェックはするね。相談したいことがあったら遠慮なくどうぞ。図書館とかで調べてくれても嬉しいけど、陽が暮れる前には帰ってきてね。お腹空くから」
さっき昼食を食べたばかりなのに、その台詞に思わずクスッと笑ってしまった。学は懐中時計を取り出すと、時刻をこの時代に合わせた。それを見て、君恵も腕時計の針を進ませ、帽子を被る。そして彼からメモ紙を受け取ると、二人は学に見送られながら外に出た。
まだ太陽は高い位置にあり、照りつける日差しが肌に突き刺さるようで辛い。ついつい日陰の場所を探してしまう状態だ。
「歩いて十五分くらいかな。途中で街路樹がある道を通るね」
「ありがとう。――それにしてもよくパソコンのフリーメールを思いついたね。びっくりした」
「そうかな。連絡手段は必要になってくることは目に見えていたから、現時点で使えるものを考えれば、何ができるかわかると思う」
「そういうもの……か」
美希の発言に、君恵は過去にも似たような言葉を聞いたことがあるのを思い出した。
高校三年生の文化祭の出し物で飲食物を売ることになり、彼女は小道具担当だったが、気が付けば全体を統括する人になっていた。なぜなら次々に助言をし、アイディアも出していったからだ。先生も彼女の頭の回転の速さには脱帽しており、なぜそんなに色々なことを思いつくのかと聞いたら、さっき言ったことを返されたのだ。
勉強の成績や運動神経も良く、人望もあり、こういう人が世の中を引っ張っていくのだなと、当時の君恵は思っていた。
だが――未来というのは読めないものである。
美希は君恵が抱いている複雑な感情など気にも留めずに、何気なく質問を投げかけてきた。
「ねえ、気になったんだけど、どうして君恵は浅井さんと一緒にいるの? あっちはあたしたちよりも五歳も上でしょう? まさか……付き合っているの!?」
「ち、違うよ。ただの偶然の成り行きで……」
躓きそうになりながらも、君恵は即座に否定する。出会ってからまだ数時間しか経っていない時点で、君恵が学に抱いている印象としては、研究熱心な大学の先輩だ。それ以上でも、それ以下でもない。
かつて美希は、時として躊躇いもなく核心を突いてくる少女だったことを思い出した。
「そうなの? なんだ、つまらない。高校時代に部活に励み過ぎて、女っ気のなかった君恵にも春が来ていたのかなと思ったのに……。あ、そうか、他に違う人がいるんだね。そういうことにしておこう」
「ごめん、今も昔も――」
たいして変わらず、部活と研究が恋人だよ、と言おうとしたが、無意識のうちに言葉が詰まった。途中で言葉が切れたことに対して、美希は不思議そうな顔をしていたが、慌てて笑顔を取り繕って首を横に振った。
君恵の未来でさえも、この時代の美希には言ってはだめのようだ。訂正くらいなら大丈夫だが、明確に答えることは許されないらしい。
美希は腕組みをしながら、肩をすくめる。
「あたしさ、大学に行ったら彼氏でもできるかと思っていたんだけど、そう世の中上手くいかないみたいだよ。けど友達の何人かはすでにいるし。何がいけないのかな? もっと女らしくした方がいい?」
「ただ単に美希の魅力に気づかない男ばかりってことでしょう。私が異性なら、すごく素敵な女性だから是非ともって思うのに。下手に偽物の自分を振る舞うよりも、本当の姿を見せて、好きになってもらった方がいい。焦らなくてもいつかきっと見つかるよ」
「そうだね、ありがとう。……その台詞、卒業式でも言ったでしょう?」
「そうだっけ?」
美希にとっては半年前の出来事だが、君恵にとっては六年半前の出来事だ。何気なく言った当時の台詞をすべて覚えているはずがない。だが断片的だが、美希の言葉をきっかけに思い出し始めていた。
高校の卒業式の日に、絵にかいたような恋愛がなかった美希は手すりに背中を付けながら、その事実をぼんやりと呟いていたのだ。
当時は君恵がさっきの台詞を出すと、苦笑しながらもお礼を言った。だが今回はほんの少し寂しそうな表情をしている。
その表情を見ると、君恵は胸が締め付けられるような気がした。
これからのことを考えれば、何て適当なことを言ってしまったのだろうか。嘘の姿でも付き合った方が、美希の余生が明るくなるのではないだろうか。
頭ではわかっているが、口から言葉が出てくることはなかった。
若干沈黙も続いたが、美希が明るい口調で何気ない世間話をし始める。美希にとっては日常を、君恵にとっては過去の内容として処理をしながら――。
やがて大学のキャンパス内に入ると、美希が君恵に少し帽子を深く被るよう指示してきた。キャンパス内には人で溢れている。
「まだ平日で人がたくさんいるから、少し遠回りして行こうか。ほら、あそこに見えるのが理工学研究棟」
そこには元の時代で見たものより若干少ない研究棟が並んでいた。新しい棟がある場所は、美希がいる時代では更地が広がっている。
棟に近づくにつれて、だんだんと君恵は緊張してきていた。この行動によって未来になんらかの不都合は起こらないだろうかと思うと、行動もちぐはぐしてしまいそうだ。だがその不安な心は美希には話さず、自らの胸の内に留めておく。
ようやく目的の棟に着き、入ろうとしたとき、突然後ろから誰かが呼びかけてきた。
「あれ、美希? 美希じゃない!」
呼ばれた本人は振り返ると目を丸くした。彼女より少し背が高く、長い髪をなびかせている女性がいたのだ。その容姿を見て、君恵はほんの少しだけドキッとした。美希に似た、かっこよく、綺麗な人だったからだ。彼女の腕には図書館で借りた本が抱え込まれている。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「今から研究室に戻るところ。実験が思ったようにいかなくて、少し勉強しなおすことにした。そういう美希は研究棟に何の用?」
「レポートの質問をしに来た。時間もないし、形振り構ってもいられないからさ」
「どの分野? 私が教えるのに」
「お姉ちゃんが苦手な量子力学。教えてくれるの?」
美希が横目で姉を見ると、ううっと声を漏らした。
「……人に教えられるレベルではないよ、その分野は。量子力学ってことは、佐竹先生? 気をつけてね、あの人、あまりいい噂は聞かないから」
「忠告ありがとう、じゃあね」
美希は姉の横を通り過ぎると、少し先に進んでいた君恵に追いつき、棟の中に一緒に入った。それを見届けると、姉は別棟に向かって歩き始めていた。彼女の後ろ姿は颯爽としており、同性であっても惹かれるところがある。
極力君恵の顔を映像に残したくないので、防犯カメラがついているエレベーターは避けて、階段を登り始めた。四階まで登るのは少し疲れるが、いい運動にはなる。
「今のが、真美お姉ちゃん。量子力学が苦手なくせに、それも多少は扱う研究室にいて……頑張れって感じ。最近元気がなかったけど、元の調子に戻ってきたみたい」
「へえ、あの方が真美さん……素敵なお姉さんだね」
――そしてこの時代の学さんと親しい人間。すごくお似合い。
今夜、この時代の学は真美にタイムトラベルに関する話を打ち明ける。しかし笑って流されるらしい。
もし真美に、君恵が自分は未来からタイムトラベルをして、この時代に来たと言ったら、今晩の彼女は学の話に対してどういう反応をするだろうか。学の話を親身になって、聞いてくれるのではないだろうか――。
不可能なことであるとはわかっていても、今も落胆した学を見ていると、行動を起こしてしまいそうな自分がいたことに、君恵はまだ気づいていなかった。
「この階だよ」
美希に言われて意識を戻し、廊下を歩き始めると、突然照明が消えた。