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3、時空旅行理論

 タイムトラベル――その名の通り日本語で言えば時空旅行。それは過去や未来へ、時空を越えて旅をするという意味だ。

 あくまでお話の中だけの存在であり、実現しないことだと君恵は思っていた。

 だが、学ははっきりと言ったのだ、「過去に戻ってしまった」と――。



 * * *



「学さん、言っている意味がよくわからないのですが」

「そのままの意味だよ、過去に戻った、つまりタイムトラベルしてしまったんだ。六年前ということは、僕が修士課程の二年で、君恵さんは大学入学前ということかな」

「けど、本当にできるはずが――」

「理論は昔からできている。後は実際に行えるかどうかだけだった。まあそこが一番難しかったんだけど」

 深いところまで知ったような口振りだ。大学まで歩いている途中で聞いた話では、学はエネルギー工学を専攻しているはずである。それと果たしてタイムトラベルがどう結びつくのか。

「理論ってどういうものなのですか?」

 理系畑で育ってきた君恵にとっては、まずはそこから気になる所だった。とにかく今は現実を認められる情報が欲しい。君恵の食いつきように、ほんの少しだけ生き生きとした表情をした。

「まず、ワームホールって聞いたことある?」

「小説や映画で名前程度は……」

 君恵は本をよく読む方であるが、SF関係の話はあまり手を付けていない。それを見越してか、学は説明を付け加える。

「簡単に説明するとワームホールというのは、時空のある一点から別の離れた一点を繋ぐトンネルのような空間領域なんだ。それを上手く利用することができれば、過去に戻るタイムトラベルも可能だと考えられている」

「それは現在と過去をワームホールで繋ぐということですか?」

「そういうこと。――ただすべてが理論上のことであって、タイムトラベルをするには、三つの問題があったんだ。一つ目がワームホールをどこから調達するか。二つ目が穴の維持や拡大をできるかどうか。三つ目がそれらを実行するための必要な物質はなんなのか」

 学が指を三本立てながら説明してくる。

 途中で部屋の前を誰かが通るときは、静かにするよう合図をしてくれた。冷静に指示をしてくれるため、君恵はとんでもない状況に置かれているにも関わらず、パニックにならずにすんでいる。

「一つ目の問題はすぐに解決することができた。非常に小さな世界、量子レベルの世界でワームホールが現れては消えるということが推察されたんだ。つまりそこから調達すればいい。しかしここで次の問題が発生する。それが二つ目だ」

 外から鐘の音が聞こえてくる。学部生の昼休みが終わった時間だろうか。君恵はちらっと腕時計を見たが、自分の時計では鐘が鳴るはずのない時間を示していた。

「二つ目の問題はワームホールの穴を維持や拡大ができるかどうか。ワームホールは理論的には発生しても瞬時に潰れて、すべてを飲み込むブラックホールに変貌すると言われている。だからその前に穴を維持し続ける必要がある。また発見された穴は非常に小さいため、拡大する必要がある。そして――それを解決するには、ある物質の存在が必要となった。そして三つ目の問題になる」

 少しだけ間を置いてから、最後の問題へと移る。

「三つ目の問題は、その必要な物質を作り出すのは非常に難しいということ。ワームホールを潰れないようにするためには、負のエネルギーを持ち、空間を押し広げる反動的な作用をする物質――俗に“エキゾチック物質”とも言われている仮説上の物質が必要ということがわかっている。しかし、その物質を作るのは非常に難しく、タイムトラベルは現実としては無理というところが数年前までの考えだった」

「何となくわかりました。つまり、ワームホールとエキゾチック物質が必要なんですね。……あのどうして学さんはそんなにも詳しいのですか?」

 学が一息吐き、そっと耳をドアに付けると、どの研究室も昼食に行ったのか廊下は静まり返っていた。視線を君恵に戻すと、笑みを浮かべながら口を開いた。

「実は僕はこの大学に在籍しているとき、エキゾチック物質の研究をしていたんだ」

 思ってもいない告白に、君恵は目を大きく見開いた。学は躊躇いながらも口を開く。

「本来は物理学から見たエネルギーの基礎研究をしていたけど、昔から興味があって片手間にそっちも勉強していたんだ。タイムトラベルの根本である量子力学は普段も必要な知識として勉強していたから、応用の一つとして勉強していた。あとは不可能なことを可能にしてみたくて。研究者として、それは譲れなかったんだ」

 修士課程時代の学ということは、今の君恵と同じ立場である。この世のことはすべて科学で証明することができる――その考えはわからなくもないが、限りなく不可能なことを自力で証明したいとは思えなかった。

――こういう人が研究者に向いているんだろうな。純粋に研究を楽しんでいる人が。

 ひょろりとした体格で眼鏡と、いかにも文化系に見える彼が、頼もしく見えた瞬間でもあった。

「そんな中でたまたまできてしまったんだ、その物質らしきものを」

「それって凄いことじゃないですか……!」

「けど本当に鍵となる物質かはわからない。それにその大きさは指先に乗る程度、つまりようやく肉眼で見える大きさ。元からあるワームホールを大きくしたとしても、せいぜいミクロの物体を十倍にするくらい。人間が通れる大きさに拡大するのは不可能だよ」

 そして学は大きく溜息を吐いた。基礎研究の観点から見れば充分な成果であると思うが、応用研究としてはまだまだ物足りないものなのかもしれない。

「その成果は誰かに話したんですか?」

「最も信頼していた二人だけ。その時の直属の教授と、同期の女性だけには話した」

 過去形の言い方が少し気になる。

「反応が悪かったんですか?」

「そうだね。驚いてはくれたけど、笑って流された。言い方も悪かったかな、興奮していて、全然理論的じゃなかった」

 苦笑いをしながら、学は髪をかきあげる。当時の彼にとっては大発見のことだった。けれど周囲からの反応が薄ければ、ただの空回りの研究であったと痛感するかもしれない。

「……さて、話を元に戻すと、タイムトラベルはいくつかの問題点さえ解決できれば、実際に行えると言われている。特にエキゾチック物質と呼ばれるものを膨大に――手のひらサイズぐらいのものができれば、人間が通れるくらいの大きさにワームホールを拡大できると推測されている」

 手のひらサイズという言葉を聞いて、君恵ははっとした。右手を開き、何もないことを確認する。ようやくこの地に来てしまった理由がわかったような気がした。

「わかったみたいだね。僕が実物を見てないからわからないけど、おそらく君恵さんが拾った石のようなものは、エキゾチック物質の固まりではないかと思うよ。――そして他の要因が偶然に生じて、ワームホールが現れ、拡大し、過去へと戻ってしまったわけ」

 学は涼しい顔でさらりとまとめを言ったが、君恵にとっては事の要因に自分が大きく関わっているのに気づき、顔がひきつり始めた。

「私のせいですよね、私があれを拾わなければ……!」

「たとえ君恵さんが拾っていなくても、僕が拾っていた可能性はある。偶然に偶然が重なっただけだから、思い詰めないで」

「けど……!」

「し、静かに!」

 学が慌てて君恵を黙らせた。緊張感が部屋の中に伝わる。

 外から聞こえるのは女性と男性の話し声。

「……まったく門上教授ったら、急にこんな雑用を押しつけて。時々抜けているあの性格、どうにかならないのかしら、学」

「時々ならいい方じゃないかな。隣の研究室なんか、よくあることらしいし」

 部屋の中にいる学の眉間にしわが寄った。二人の男女はドアの前を通り過ぎていく。

「知っている? そこの部屋、ほとんど物置状態らしいわ。数年前の新聞なんかざらにあるらしいって。いい加減に処分してほしいわね」

「そうなんだ。――ねえ、真美、今晩暇? 聞いてほしいことがあるんだけど……」

「明日早いから、少しだけね。何の話?」

「いや、資料がないと言いにくいから、夜にきちんと話す」

 廊下を歩いている二人の気配が消えるまで、学は唇をぎゅっと噤んだままだった。

「学さん……」

 重い空気の中、たまらず君恵が口を開くと、学はゆっくりと立ち上がった。

「六年前だから、僕はまだここにいるよ。気をつけなくてはね、さすがにはち合わせたら歴史上の観点からして危険だから。もしかしたら僕が消えてしまう可能性がある」

「え……」

「未来の人と過去の人が出会うのはおかしいことだろう。それならばすべて無かったことにすればいいと考える人がいても当然。――とりあえず一通り説明も終わったし、ここから出て、現代に戻る方法を考えようか。夏の暑い日にこんなところにいたら脱水症状を起こしかねない……」

 君恵は未だに不安定な精神状態のままドアの方に歩み寄り、学の顔を見上げる。すると彼は頬を緩めた。

「大丈夫、きっと何とかなるよ」

 その言葉だけが唯一の救いだった。



 なるべく人と接触しないようにしながら、廊下を走り、階段を駆け降りる。前方から人が現れた場合には、瞬時に顔を隠しながらその場をやり過ごす。特に学など、本人がその近辺にいるのだから、絶対に顔を見られてはいけない。

 やっとの思いで外に出ると、燦々と太陽の光が降り注いでいた。君恵は指の隙間から、目を細めて空を見上げた。

 ああ、確かに自分はこの時代に存在している――そう思わずにはいられなかった。

「なるべく大学から離れ、ネットカフェを利用して、この時代の正確な情報を仕入れることから始めよう」

 ネットカフェなら値段次第で個室で活動できるため、その提案には賛成だった。大学から少し離れた、学生が訪れにくそうな少し高めの店に移動する。しかしこの時代の彼も訪れるのではないかという考えがよぎった。だがそれはないとはっきりと言い切られる。

「あの日は夜遅くまで研究室にいた。その後、どこにも寄らず家ですぐに寝てしまったよ」

「よく覚えているんですね」

「……僕のタイムトラベルの理論を初めて彼女に話した日だから、覚えているよ」

 それ以上は言わずに、人目を避けた道を歩きながら、店へと向かう。

 学の複雑そうな表情を見て、君恵の心に少しだけ雲がかかった。

 タイムトラベルという、非現実めいた話をしていたのだ、おそらく真美という女性は学にとって特別な人なのだろう。そんな彼女に相手をされなかったのなら、六年経っても忘れられないほど、学にとっては衝撃的な日でもあったのかもしれない。

 だが一方で彼にとっては大事な日に戻ってきてしまったのは、果たして偶然であろうか――。

――余計なことを考えるのはやめよう。今は元の時代に戻ることだけを考える。学さんだけでもどうにか返さないと現代の科学にとって、大きな損失となるから。

 真っ白いワイシャツを着た彼の背中を見ながら、君恵はそう思った。

 人生に躓いで迷い路に入り込んでいる君恵よりも、広がり続ける世界に果敢に飛び込んでいく学の方が価値としては上だと思っているから。

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