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2、光のオルゴール

 やがて学を見送ると、自分の研究棟に足を向ける。しかし彼のあの表情が脳内からなかなか消えなかった。

 探し物とはなんだろうか。あの表情からすると、とても大切なもののように思われる。もし探すのが大変なら、手伝ってあげるべきじゃないだろうか――?

 ついつい名残惜しくも立ち止まり、振り返って研究棟を見た。

 だが突然、鼓膜に突き刺さるような爆音が聞こえてきたのだ。君恵の顔色が一瞬で青くなる。

「いったい何の音!? 理工学研究棟の中庭? あそこには確か実験用のプレハブ小屋があったような……。もしかしたら危険な実験でもしているの?」

 学がどの方向に進んだかはわからないが、直進していけばプレハブ小屋に突き当たるかもしれない。今さっき、この地に来た研究熱心な彼が、プレハブ小屋を覗く可能性は大いにあった。

 数秒躊躇ったがすぐに決断を下し、学の後を追った。そのおかげか、白いワイシャツを着た彼を早々に見つけることができた。既に物品を出し終えて数週間経っている研究棟の中は暗く、太陽の光が唯一の光源となっている。廊下を走ってくる音に気づいた彼は、目を瞬かせながら振り返った。

「君恵さん、どうしたの?」

「中庭のプレハブ小屋で危険な実験をしているようなので、それを知らせに」

「さっきの爆発音のことか、かなり大きなスケールの実験をしているようだね。ご忠告ありがとう。ここの棟になかったら、プレハブ小屋を避けて移動する」

 学は君恵の気持ちを有り難く受け取りつつも、特に進路を変えることなく階段を上っていく。君恵も引き返しても良かったが、探すのを手伝おうと思ってきたため、そのまま彼の後を追った。

 鬱蒼としている三階において、学は鍵のかかっていない、ある研究室のドアを開けた。

 机が規則正しく置かれ、その上は埃で覆われている。随分前に引っ越してしまったようだ。だが彼は迷いもせず一つの机に向かった。窓際にあり、ちょうどそこだけ光が照らしている。そしてその引き出しを手前に引いた。

 そこには一冊のノートと伏せられた一枚の写真が入っていたのだ。

 学はノートを取り上げると、恐る恐るページを開こうとした。

 それと同じ頃、君恵の耳に優しくも切ない音が飛び込んでくる。

「オルゴールの音?」

 聞き覚えのあるメロディーに惹かれて思わず廊下に出た。廊下の奥の方から聞こえてくる。自然とそっちに向かって進み始めていた。

――ずっと昔に聞いたことがある。何の曲かしら?

 音は少しずつ大きくなっていくが、音を出している物体は見つからない。

 ふと、途中で何かを蹴ったのか、音をたてて何かが転がっていく。視線を下げれば、手のひらに乗る程度の大きさの石が転がっている。手に取って石を見ると、透き通っているがやや黒みがかったものだった。

「君恵さん、どうかしたの?」

 学がノートと写真を持って近寄ってくる。

「オルゴールの音が聞こえたので、誰かいるのかと思いまして」

「僕は聞こえないけど?」

「でも確かに音が……」

 今も流れ続けている軽やかなメロディー。どこまでも響き渡っているようだ。君恵はさらに奥に向かって歩く。学もつられて進んでいると、彼女が握っている石を見て目を丸くした。

「その石は?」

「さっき拾いました。珍しい色ですから、誰かの忘れ物ですかね。――ほらさっきよりもはっきりと音が聞こえます。きっとあの太陽が照らしている廊下の先ですよ」

 光の加減からか、廊下の先がよく見えないが、君恵ははっきりと言い切った。

 オルゴールは突然音が鳴り始めた、つまり誰かが意図的にネジを巻いたということだ。その人に聞けば、この音楽が何かを教えてくれるだろう。

 学の制止を振り切り、君恵はその光のもとに行くと、ちょうどプレハブ小屋からまた爆音が聞こえた。外をちらっと見つつ、二人は廊下を渡りきった――。



 やがて光で照らされている廊下から出ると、君恵は突然変わった光景に目を丸くした。さっきまでいたC棟の廊下には荷物はなく埃が溜まっているだけだったが、この棟に入った途端、掃除された廊下の中に荷物が大量に置かれているのだ。おまけに人がいる気配すらあり、冷房まできいている。

 表示された看板を見れば、そこには“理工学研究科D棟”の文字が。

「改修工事をするのはC棟とD棟のはずなのに、まだD棟の引っ越しは終わっていない?」

 首を傾げるが、さらなる異変に気づく。オルゴールの音が聞こえなくなっていたのだ。確かにこの棟から聞こえてきたはずだ。なぜ突然聞こえなくなったのだろうか。

 横にいる学を見ると、彼は険しい顔をしながら、きょろきょろと辺りを見渡している。そして君恵と視線が合うと、目を大きく見開いて迫ってきた。

「どうかしましたか?」

「君恵さん、さっきの石を見せて」

 驚く間もなく腕を捕まれて、学の視線の高さまで手を持っていかれる。思わぬ接近により君恵の頬が赤らむが、彼は焦った表情で彼女の手を凝視していた。握っていた手を開くと、そこには――何もなかった。

 これには持っていた君恵の方が驚きを露わにする。

「さっきまで持っていたのに! 手を開けるまで、確かに石を持っていた感触が……」

「感触は所詮人の思いこみだ。――もしかして用が済んだから無くなった? それならあの石はやっぱり……」

 君恵など存在しないかのように、一人で考え込み始めた。しかし腕は握られたままである。軽く動かして、手をふりほどこうと思ったが意外と強い力で握られていた。

「あの……」

 学は急に顔を上げて君恵の方をじっと見つめた。意図に気づいてくれたのだろうと思い、胸を撫で下ろそうとした。だが途端に学は焦った表情のまま廊下を見渡し、そして君恵の腕を握ったまま大股で歩き始めたのだ。

「学さ――」

「黙って!」

 穏和だった学にぴしゃりとはねのけられ、若干衝撃を受ける。そんな君恵の心境など知らずに、彼はある小部屋のドアを軽くノックをして誰もいないことと、ノブを回して中に入れることを確認した。そして次の瞬間、腕を強く引っ張って、君恵を部屋の中に押し込んだのだ。

 思ってもいなかった展開に脳内は混乱するばかり。部屋は物置なのか、埃を被った段ボールでいっぱいだ。程なくして学も入り、静かにドアを閉め、鍵をかけた。

 学はドアに背をつけつつ、眼鏡越しに真っ黒な瞳で君恵を射ぬいてきた。真剣な眼差しで見つめられ、君恵の鼓動は心なしか速く動いている。

 理由を聞くために口を開こうとすると、学が人差し指を唇に置いた。まだ黙っていろというとか。

 すると廊下から一団の声が大きくなって聞こえてきた。お腹が空いた、今日は何を食べようか、俺は食堂の豚丼を食べるなど、内容からして昼ご飯を食べにいく団体のようだ。

 そういえば朝から何も食べていなかった――そう君恵は考えた途端、お腹が鳴りそうになったが、ぐっと堪えて鳴るのを極力小さくする。その時、不意に君恵の頭の中に何かが引っかかった。

 しばらくして団体が通り過ぎ、声も聞こえなくなると、学は息を吐き出し、頭を抱えながらドアに背をつけたまま座り込んだ。

「偶然の可能性がかなり高いけど、まさか技術的に確立できていたなんて……」

「学さん、いったいどういうことですか?」

「……君恵さん、積まれている新聞から一番新しいのを取ってくれるかな? たしかこの隣にある研究室は一ヶ月経った新聞はこの物置部屋に入れているはずだから」

 君恵は頭の中で何かが引っかかったまま、言われたとおりに新聞の束を探し出し、最もドアの手前に置かれている日付が新しそうなものを取り上げた。

 一面の記事を見た瞬間、君恵は固まった。

 その様子を横目で見ていた学は肩を竦める。

「やっぱり思っていた通りか」

「いえ、古い新聞を取ってしまっただけですよ。新しいのを探してきます!」

 君恵がその新聞を放り出して、また別の日付のものを探し始める。だが探しても、探しても、それより日付が新しい新聞はない。ふと思い出したように手を叩いた。

「ここの部屋に入れた新聞は、この束が最後だったのではないですか? それなら――」

「君恵さん、窓の外を見てごらん。何が見える?」

 うっすらと笑みを浮かべている学がカーテンによって閉じられた窓を指で示す。段ボールの間をすり抜けて、光が漏れているカーテンにそっと手を付けた。鼓動を落ち着けるために、大きく深呼吸をする。

 そして少しだけカーテンを開けて、そこから外の景色を眺めると、君恵は愕然とした。

 廊下から聞こえた話の内容の違和感、新聞の日付はいずれも気のせいだったとできるが、外の景色は誤魔化せなかった。

「新しく建てられた研究棟がない……。それに外が騒がしい、こんなにさっきまで人はいなかったのに! どうして?」

「正確な日時は言えないけど、おそらく僕らは――」

 廊下からまた別の団体の騒がしい声が聞こえる。内容としては今年の夏のオリンピックについてだった。その開催地は君恵が六年前にテレビを通じてみていた場所――。


「――過去に戻ってしまったのかもしれない」


 窓越しから蝉がやかましくないている。

 だがそんな音など、今の君恵の耳には入ってこなかった。

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