13、光の道の彼方へ
君恵は自分があまりに突飛な発言をしている事に気づき、その発言を誘導した門上に食いかかった。
「そんな推測だけで決めつけないでください。今は真美さんを救出――」
「三十三年前の大惨事も、未来から来た人が多少は関与しているかもしれないと言ったら、耳を傾けてくれるかい?」
これには学も君恵も目を丸くした。門上は建物の周りを辿りながら、中に入れるドアを探していく。
「当時、二十代半ばだった私はちょうどあの火力発電所に見学をしに行っている際、事故に居合わせてしまい軽傷を負った。事故が起こる前に、不意に三人組が光の中から突然現れるのを見てしまったのだ。彼らは一刻も早く発電所の設計書を探し出そうと言っていたが……それから間もなくして大爆発が起こった。重傷者、死者は多数。だが――その人たちの名前はどこにも載っていなかった」
鍵が開いている裏口を発見すると、門上はドアを引いた。ここまでは煙が回っていないのか、中に入っても代わり映えのない廊下が続いている。
「死者の中には身元不明者もいたそうだ。おそらくそれが彼らだろうが……、まったく身元がわからないのはおかしな事で、ずっと不思議に思っていたよ。その後、たまたま学会でタイムトラベルについて研究している人に会って話を聞き、そこからある仮説を立てたんだ」
「その時代の人間ではないから、身元は公表できなかった……と」
君恵は堅い表情でそっと自分の腕をさすった。今は生きているが、もしこの時代で命を落とすようなことがあれば、誰にも見届けられることなく、葬られる。思わずぞっとした。
「そう私は仮定している。一方で、私は発電所の事故と彼らの存在が、偶然ではないかもしれないと思った。あくまでも仮定だ、真実はわからない。だが彼らは過去の遺失物を未来に持ち出そうとしていた。実行できたなら、未来も変わってしまう可能性がある――それを防ぐために、あのような激しい爆発が起きてしまったのではないかと思ってしまうのだよ。今回も状況が似すぎているから、同じことを考えてしまっただけだ」
君恵の言う通り、門上の発言はほとんどが推測であり、何も根拠はない。だがタイムトラベルに関しての研究がどの程度進んだとしても、それらを証明するのは非常に難しいことではないかと君恵も思う。本当ならば、学に意見を聞きたいところだが、彼と親しい人間が目の前にいる状況ではできなかった。
「――さて、話が長くなったね。これからが本題だ。まず矢上君を助けようと思う。彼女のいるところは検討が付くが、おそらく未だに救出されていないところを見ると、運悪く火や煙に囲まれた部屋にいる可能性が高い」
俯いていた学がぱっと顔を上げた。そして顎に手を当てる仕草をすると、なるべく低く、君恵だけに聞こえるように声を出した。
「……僕が知っている過去では、運が良かったと聞いている。もう少し火の周りが早かったら危険だったと」
「そんな……!」
過去が確実に悪い方向へと変わっている。早くしなければ――焦る想いだけが先行し、考えが上手くまとまらなくなっていた。
どうにかして、ない知恵を振り絞っていると、不意に聞こえてきたのだ、場違いなほどに心を癒す音が――。
「え……またあのオルゴールの音?」
「時沢君、何を言っているんだい? どこからオルゴールの音が流れてくるんだ?」
「何も聞こえないよ?」
また君恵だけしか聞こえないのだろうか。これで三度目だ。元の時代から、この時代へタイムトラベルする前に聞こえ、そして研究所でタイムトラベルに関して研究している部屋に辿り着くまでに聞こえていた、あのオルゴールの音色。
その時唐突に君恵は、門上や学の制止の声を聞かずに走り始めていた。
何も根拠はない。だがあの音は君恵を再びどこかに導いていると感じ取ったからだ。
間もなくして、通路の角を曲がったところで美希と鉢合わせした。
「君恵!?」
「美希、何をやっているの! 危ないでしょう!」
「そういう君恵だって、なんでいるの。ここから先は煙が回っていて、先に進めない……」
美希は悔しそうな表情で歯噛みをしながら、後ろに視線を送る。彼女の言うとおり、黒い煙が廊下にまで漏れていた。
「あの先が小会議室のはずだ」
ついてきた学がぼそっと言うと、美希が回れ右をして戻ろうとする。だが君恵は彼女の腕を両手で握りしめた。
「行かせて!」
「行っちゃだめ! 美希が死んじゃう!」
「人の命なんて、いつ尽きるかわからないんだから、行かせて!」
その言葉が君恵の心の中に突き刺さる。美希の発言の一つ一つが、確実に刻まれていた。
必死に抵抗するが、少しずつ腕から手がずり落ちていく。もう数秒も持たない――その時、門上が声を投げかけた。
「待ちなさい、その部屋に行くために一つ考えがある」
美希は抵抗するのをやめ、鋭い視線で門上を見据えた。彼は複雑な顔をしながらポケットから手のひらより一回り小さい物を取り出し、それを三人に見せてきたのだ。
君恵と美希は形の悪い石のようなものに眉を潜める。だが学は信じられないという表情で、呟いていた。
「まさか……エキゾチック物質?」
「その通り。小さいが私が密かに作っていたものだ。これで君たちを元の時代に戻そうと考えていたが……」
「エキゾチック物質は空間に存在するワームホールを拡大する物質。ワームホールが未来と過去を繋ぐのはむしろ稀で、本来ならば同じ空間に存在するある場所とある場所を繋ぐ役割をしている」
学が声色を極力低くして簡単に説明した。言ってしまえば、この物質は空間同士を繋ぐものを拡大する鍵、これを利用すれば真美の元へと行ける可能性がある。
「――使いましょう、これを」
躊躇いもなく君恵が発言した内容に対して、誰よりも驚いたのは美希だった。
「待って、そんなことしたら、君恵たちが戻れなくなるじゃない!」
「二度と戻れないわけじゃない。遅くなるだけよ。これだって門上教授が作ってくれたもの。時間をかけて、また作れば戻れるでしょう」
「時沢君、私が言うのも変だが、もう少し時間をかけて考えたらどうだ? これは偶然に作り出せたもので、私の仮説によれば過去と未来を移動したら、なるべく早く戻らないと望んだ時代に戻るのは困難になる。ワームホールにも繋ぐ時代が決まっていて、時間が経つにつれてずれる可能性があるんだぞ!?」
「お姉ちゃんを助ける方法はまだある。――そうだ壁をぶち破ろう!」
門上と美希が必死に君恵を止めに入っているが、想いは譲れなかった。
本来あるべき未来とは違う、姉が事故で亡くなるという過去になるのは、あってはならない。そして君恵たちがきっかけでそれが起きてしまったのなら、こちらとしては謝っても謝り切れない。
君恵は学を見上げた。学の方が二十センチ近く高いため、見上げると自然と帽子の隙間から彼の表情が目に入ってくる。
彼は――静かに微笑んでいた。
「いいの、君恵さん?」
それに対してしっかり頷いた。
「たとえこの決断が今後にとって辛い道に続いていたとしても、決して後悔はしません。だって自分で選んだ道だから。それに人生なんて険しい道ばかり。そう簡単に上手い話はない――」
そして命に変わるものは何もないから――。
君恵は顔が強ばっている門上と美希に対して、にこやかな顔をし、エキゾチック物質を取り上げた。
「さあ真美さんを助けに行きましょう」
「さあって……。けどワームホールっていうのをどうやって作るの!」
「何らかの衝撃で、少しでも大きなものを作り出せばいいんですよね」
学ではなく門上に意見を求めると、頷いて返された。
「そう言われている。爆発が一つの有力候補かもしれない」
その時タイミング良く、爆音が聞こえた。引火範囲が広がっているのかもしれない。このままではこの建物に居続けることも危険である。
「あとは運しかない」
門上は天井を見上げて嘆息をする。一つの手段を投げかけたが、はっきり言って現実的ではない。
――本当にそれは運なのかしら。偶然でも運でも、振り返ればそれが必然になるのではないかしら?
物質をぎゅっと握りしめ、溢れ出てくる黒い煙の方に目をやった。既に呼吸が通常通りにできなくなっている気がする。
「お姉ちゃんが……。やっぱりあたし、中に行く!」
「それは駄目だって! 今度検査とはいえ入院するんでしょう。もう少し体を労って!」
君恵が必死に美希を止めていると、何の前触れもなく今まで体験したことのない爆音と衝撃が君恵たちを襲ってきたのだ。
その瞬間君恵は垣間見た。本当に目に見えるか見えないか程度の小さな白い穴が。
「ワームホール!」
無意識に叫ぶと、皆の意識がそこに集められる。エキゾチック物質を持った手を近づけると穴が大きくなり、手のひらほどの大きさになった。
「これがワームホール?」
美希は初めて見るものに対して、目を見張った。君恵もまじまじと見るのは初めてであったが、ここでゆっくりと眺めている場合ではない。
学は爆発の衝撃で座り込んでいる君恵から物質を取り上げると、それを穴のすぐ傍に近づけた。すると見る見るうちに穴は大きくなり、人がどうにか通れるほどの大きさになったのだ。
「真美のいるところまで繋いでください!」
必死に叫ぶが一見して特に変わった様子はない。穴の先は白い靄がかかっており、その先は見ることができなかった。
「……行ってみよう」
学が堅い表情のまま、ワームホールを見据える。君恵は美希と手を取って正面まで歩む。門上も進もうとしたが、君恵はちらりと振り返って言葉を投げかけた。
「門上教授は何かあったら困りますので、ここにいてください。美希も……って言いたいけど、無理そうね」
「当たり前よ。お姉ちゃんを助けるのはあたしなんだから!」
何か言いたそうな顔をしている門上に対して、君恵は頬を緩ました。
「貴重なお話をありがとうございました。また戻ってきたら、今後どうすればいいか教えてください。六年後の時代に戻らなければならないので。よろしくお願いします」
「くれぐれも気を付けて。良き道が通じているように――」
先ほど広がったワームホールであるが、再び小さくなろうとし始めた。その前に学が先陣を切って穴をくぐる、最後にちらりと門上の顔を見て。君恵と美希も鼓動が速くなる中、鞄を抱えて同時にくぐった――。
くぐった瞬間、天井は一面黒い煙で覆われている部屋に辿り着いた。無事に小会議室に着いたと判断していいだろう。体を屈めて、手分けして探すことにする。
「真美さんーー!」
「真美ーー!」
「お姉ちゃーーん!」
三者三様で真美を呼ぶが返事はない。あまり広くはない部屋だが、返事がないことから、二パターンが考えられる。部屋を間違えたか、それか――。
「真美!」
だが最悪の事態を考える前に、学の悲痛な叫びが君恵の耳に飛び込んでくる。君恵は口元をタオルで覆いながら駆け寄ると、美希も近くにおり、二人でぐったりと倒れ込んでいる真美を呼びかけていた。
「お姉ちゃん!」
「真美、真美!」
妹と良き同期が、彼女に向かって呼びかけている。ほんの少ししか話をしたことがない君恵には立ち入れない状況だった。激しく煙が出ている場所から近かったため、とりあえず部屋の中央に移動するよう促す。
君恵は部屋の中を眺め、出入り口の近くが煙で覆われていることを確認した。あそこを突破しなければ外には出られない。だが非常にリスクが高かった。
「勢いで行動するのも考えものね」
できればもう一度ワームホールが開いてほしい。だが学が持っているあの石は、だいぶ小さくなっていた。四人通るのに必要な時間を維持し続けるには困難かもしれない。
「お姉ちゃん! あたしのこと、わかる!?」
今後のことについて考えを巡らせていた君恵は、美希の飛び上がるような声を聞いて振り返った。真美がうっすらと目を開けているのだ。
「美希……君恵さん……それに――学?」
呼ばれた本人はとっさに真美から後退る。この時代の彼と親しい存在の真美、ここで邂逅してしまえば、今後に不和が生じる可能性があった。
だが真美の意識は若干朦朧としているのか、学をぼんやりと眺めているだけで、成長した彼を指摘することはなかった。
「いったいどうなっているの?」
「工場の油が引火して、爆発したらしい。それで火事が発生して……」
「つまり爆発の衝撃で気を失っていたというところね。よかったわ、重度な一酸化炭素中毒ではなさそうで」
真美は美希に支えられながら起きあがる。せき込みながら口元に手を当てた。
「助けに来てくれたのは嬉しいけど、脱出はできるの?」
「うん、それがね……」
美希が歯切れ悪く返答するのは、彼女もこの状況の危険さがわかっているからだろう。真美は深く溜息を吐いた。
「後先考えないで行動するなんて、美希らしいというか、学らしいというか……。あなたたち、少しは成長しなさいよ」
力はあまり入っていないが、真美が笑っているのがせめてもの救いだった。
少し離れたところで様子を見ていた君恵だが、今後の行動を話し合うために三人の元へと向かおうとした。
だがその時、再び激しい爆発音がした。
今までで最も大きな衝撃により、歩いていた君恵は吹き飛ばされ、近くにあった棚に激しく背をぶつけたのだ。
「……痛っ!」
「君恵!」
あまりの痛みに悶絶しながら、そのまま床に倒れ込む。背中から痛みが全身に駆け巡る。
ふと頭上から何か妙な音が聞こえているのに気づいた。目をうっすら開けると、棚の上に積んであった本が落下してきたのだ。
顔が一気に強ばった。逃げるのは不可能と判断し、とっさに顔を隠す。それでも今からくる激痛には歯を食いしばって耐えなければ――だが直前で誰かが君恵を抱きしめたのだ。
「……え?」
確認する間もなく、本は降り注ぎ、君恵ではなく、君恵を抱きしめた誰かの上を直撃した。
すぐ近くからくぐもった声が聞こえる。男としては華奢な手であるが、君恵の手よりは遙かに大きな手。そして優しく包み込んでくれている、少し茶色がかった髪の青年が目に入る。
本による強襲が済むと、彼は呻き声をあげながら、ゆっくりと起きあがった。君恵もそれと共に起きあがる。
「学さん、どうして……」
帽子は外れ、痛々しい表情を間近で見ると、つい涙が目元に溜まり始めてしまった。
「どうしてって、助けたかったから。何もしなかったら、絶対に後悔すると思ったから」
痛みのあまり君恵に向かって倒れ込んでくる。そんな彼を優しく受け止めた。
「無理しないください。研究室に籠もってばかりの人で、体力なんてないんでしょうから」
「……その通りだね」
ほんの少しだけ心が落ち着く時間だった。
その時、何気なく周囲に見えたのは、黒い煙やちらつき始めた赤い炎。そしてどこから見える、明るい光の穴と白い穴。
――穴?
君恵は顔を上げ、違和感があった方に視線を向けた。そこには人の顔ほどの小ささであるが燦々と輝いている光の穴と、そこから少し離れたところにある先ほど使った白い穴と同様のものが出現しているのだ。
「ワームホールが開いた? ……だ、誰か、エキゾチック物質で穴の維持を!」
美希は立ち上がり、学が君恵を助ける際に投げ出した物質を取り上げて、穴の近くにまでいった。すると白い穴は少しずつ大きくなり始める。一方で何もしていない光の穴の大きさは同じままだった。
「物質が小さいから、片方しか効果がないのかもしれない……」
懸命に美希が願うと白い穴は大きくなっていき、やがて人の大きさほどになる。真美は目を丸くして、穴に近づいていく。
「これは何?」
「空間同士を繋ぐトンネルだって。これを通れば安全な場所に辿り着くはず」
「それって、ワームホールっていうのかしら。本当にあったんだ……」
感嘆している真美の元まで、君恵は学を支えながら歩いていく。
「穴が二つあるけど、白いほうを通ればいいんだよね」
「たぶん。こっちは大きくなっていないから」
美希は真美の手を引き、白いワームホールに踏み込もうとした。
君恵も続こうとしたとき、急に学の胸元が光り始めたのだ。何事かと思った彼は、そこからあるものを取り出す。――懐中時計だった。それが燦々と光り輝いているのだ。その輝き具合はもう片方の穴とよく似ている。
「学さん、これはただの懐中時計ですよね?」
「そうだよ、真美を通じて教授からもらった記念品。旅立つ僕へ渡した品――」
君恵もその時計を持ってみたが、見た目よりも若干重かった。まるで内部が何かで詰め込まれているような、たとえば細かな粒子とか――。
「この中にあるの、エキゾチック物質じゃないですか?」
「まさか!」
君恵が思いついたことを言うと、学は即座に否定する。だが、その時計を燦々と輝いている光の穴に何気なく近づけると拡大したのだ。これには学は虚を突かれたような表情をしている。
「嘘だ……。だってこれは教授からもらったもので、教授は僕が立てた理論を、物質を真っ向から否定して……興味ないって言い切ったのに、どうしてだ!」
「だからそれはただの表面上の言葉ですよ。真実は自分で聞いてください」
今はそれしか言い切れなかった。
君恵は矢上姉妹を見渡した。話に付いていけなく首を傾げている真美と、驚いた顔をしていたが今ではにっこりと笑っている美希。
「どうやらここでお別れかな。きっと無事に戻れるよ、あたしは信じている。ほんの数日だけだったけど楽しかった」
「こっちこそ、美希……色々とありがとう。あなたがいなかったら、たぶん無理だった」
光輝く穴は人の大きさほど広がる一方、白い空間が続いている穴は小さくなり始めていた。
「そうかな。君恵だったら、あたしがいなくても大丈夫だったよ。最後はきちんとやり遂げる人だって知っているもの。――もう行かなきゃ。教授には適当に言っておいてあげる」
そして美希は真美と穴に片足に踏み入れた時、君恵は堪えきれずに伝えきれなかった最後の言葉を発していた。
「――美希と再会できてよかった。本当にありがとう! 卒業式に伝えてくれた言葉、突っぱねて返したけど、本当はすごく嬉しかった。それがあって今も頑張れている。美希は私にとっての道標だよ。ずっと、ずっと……忘れない」
「大袈裟ね、そっちの時代でも会えるでしょう。――またね」
そう言い、真美と美希は白いワームホールへと踏み入れ、白い空間の中へと消えていった。
君恵と学は視線を合わせるとお互いに頷きあい、光り輝く穴へと踏み入れる。
温かな光の中に入った瞬間、あのオルゴールの音が聞こえてきた。元の時代にはいない、一生忘れない友人である、美希が好きだった音楽のオルゴールバージョンが――。
途中で一枚の紙が舞っていたが、君恵は見向きもしなかった。決して振り返りもせず、一つの通過点として進んでいく。
そして懐中時計から発する光に導かれながら、君恵と学は光の道の彼方に向かって歩き続けていった――。