11、真実を導く者
翌朝、三人は東波大学へと向かっていた。夏休みも真っ盛り、キャンパス内には研究室に所属している四年生や大学院生くらいしか見られないため、午前中とあっても比較的静かである。
あの後、美希が買い物から戻ってくる頃には、君恵の涙は乾いており、普通に振る舞うことができていた。だが彼女は目敏く洗濯物にタオルが増えているのを見ると、にやにやした表情を浮かべているのが背中越しからもわかっていた。それに関しては一切相手にせず、元の時代に戻ることを再び検討し始める。
その話題の中で門上の名が上がると、学は元の時代に戻ったら彼に色々とタイムトラベルに関する話を聞こうと意気込んでいた。一方で、どうして自分が出した話を受け入れてくれなかったのかと自問自答している様子も垣間見えている。
君恵は真美から聞いた話からの推測だが、門上の想いを伝えようと思ったが、あくまで推測。元の時代に戻ったら、はっきりと本人の口から聞くことを期待することにした。
図書館に向かう途中で君恵は学と美希と別れ、昼食までに合流すると約束した。本当は学も行きたかったようだが、そこはぐっと堪え、聞きたいことをメモした紙を君恵に手渡している。
「何かあったら、お姉ちゃんを呼んでね。ああいう性格だけど、面倒見はいいから」
「美希、もう少しお姉さんのことを優しく扱ったら?」
「そんなことしたら図に乗るって。いつまでも一緒にいられないんだから」
姉に対して厳しい発言は、どう言っても変わらないようだ。
その姿勢や言葉に対して、まるで美希は自分自身の今後のことをわかっているのではないかと、錯覚してしまいそうである。
研究棟への道のりは、一昨日美希と一緒に行ったため、迷うことはなかった。また棟に入ってから部屋までは学が描いた地図をもとに進んでいく。
朝とあってか、棟の中は暗く、非常に静かであり、ほとんど人とすれ違うことはなかった。
元の時代で学と共に歩いた廊下を、今度は一人で歩いていく。ある大きめの部屋を通りすぎる際、君恵は窓越しに青年を見て、思わず足を止めてしまった。
六年前の学である。君恵が会った学よりも、まだ幼さが残っており、髪も真っ黒だ。パソコンと睨み合いながら、多方面に散らばっている論文をちら見している。
「学さん、俺の領域まで侵入しないでくださいよ」
「はいはい、ごめんね」
「無視っすか! ……まあスイッチ入ると、あの真美さんの声さえ無視ですからね。今日はやけに気合い入っていますから、特別に許してあげますよ。それにしても真美さん、遅いな、どうしたんだ?」
少しだけ開いているドアの隙間から聞こえてきた会話は、学が適当に相槌をして、後輩らしき少年が折れる形で終わっている。
時に髪をかきあげつつ、紙を睨みつけながら書いている姿は、あの穏やかな表情を浮かべる、君恵が知っている学の姿ではなかった。
「実験している姿はもっと凄いのかしら。あれが――研究者としての浅井学」
二日間だけしか過ごしていなければ、知らなくて当然かもしれないが、どことなく寂しい想いでもあった。
学生がいる部屋を通り過ぎて、三部屋隣にある小さな部屋に門上の居室はあった。“在室”のところにマグネットが貼ってある。君恵が軽くノックをすると、部屋の中から返事があった。
「失礼します」
中に入ると、整理整頓された部屋の奥に、柔和な笑みを浮かべている門上が座っていた。
「わざわざすまないね、夏休みのところ」
「いえ、特に予定はありませんので」
もしかしたら元の世界に戻るための手がかりになる話が聞けるかもしれない――そう思うと、居ても立ってもいられなかった。
勧められた席に座ると、門上は脇に置いてあった書類を手に取った。
「まずは昨日の出来事を話してほしい。特に田原と出会った辺りを詳しく」
「わかりました」
門上に言われたとおり、始めは軽く話し、地下室に入ってからは詳しく話す。オルゴールのことは、君恵にしか聞こえなかった可能性があるので、そこだけは避けて話を続ける。また学の存在も親しい友人とし、名前は伏せた。
度々門上が質問を入れつつ答えていくと、より深みのある中身になっていたのだ。
「――というわけで、皆様のおかげで無事に事なきに物事を終えることができました」
「無事だったのは何よりだ。もし機械が発動して、貴女があの場から消えていたら、時空の中で身体が分解したり、さまよったりする可能性が大いにあり得たからね」
「タイムトラベルのリスクというのは、何年経っても変わらないものですか?」
「もしかしたら研究次第によっては、何十年後にはかなりの改善が見られているかもしれないけど、数年ぐらいでどうこうなるレベルではない」
では君恵と学はなぜ成功したのだろうか。
そしてこの時代から、元の時代まで戻ることはできるのだろうか。
改めて考えたくはなかったが、タイムトラベルをすることが、非現実的な行為ではないかと、脳裏をよぎってしまう。
「まあ世の中には偶然に不思議なことが起こるというから、はっきりは言えないがね」
門上は書類を机の上に置くと、両手を組んで、そこに微笑んでいる自分の顔を乗せた。
「時沢君恵さん」
「はい」
「――君はいったいいつの時代の時沢君恵さん?」
微笑んではいるが、眼鏡の奥にある瞳からは鋭い視線で君恵を貫いていた。視線を逸らせば認めたことになる。
ごくりと唾を飲み込む。
しらを切るか、本当のことを話すか。
「大学の学生ではないことは既にわかっている。矢上真美君から聞いた話だと、妹の高校時代の同級生だと聞いているが、この時代の時沢君恵はまだ受験生だ。今は勉強の息抜きかね?」
「……そうですね、東波大学に入学を希望していて、キャンパスや周りの見学を……」
「昨日、君の自宅に電話をかけたが、ずっと家にいたというが?」
しらを切るつもりが、まんまと罠にはまった。視線が下がりそうになったが、どうにか維持し続ける。
「身分証明書を持っているなら、見せてくれ」
鞄の中に学生証と免許証はある。しかしその発行年日は、この時代より先だ。
「時沢君恵さん?」
ここで本当のことを言ったらどうなるのだろうか。
そもそも本当のことを言えるのだろうか。
そして、門上がなぜその事実を知りたがっているのだろうか。
学に怒られるかもしれない、とんでもないことをするかもしれない。だが――君恵は自分の直感に賭けてみたかった。
「私は――」
だが喋る前に突然大地を揺るがす程の爆音が聞こえてきたのだ。
座っていた君恵と門上でさえ、あまりの揺れに反射的に机の下に潜ろうとした。本棚からは何冊か本や物が投げ出され床に散らばる。
――いったい何事……!
そう思わずにはいられないほど、初めて感じる恐怖であったが、幸い揺れはすぐに収まったため、被害を受けることはなかった。
「大丈夫かね?」
「は、はい……。いったい何だったんですか?」
門上は立ち上がり、目を細めて窓から外を眺める。そして君恵を手で拱いた。その指示に従って外を見ると、君恵は目を大きく見開いた。真っ黒い煙が大量に発生しているのだ。その脇から見えるのは赤い炎。
「あれはどこかの工場が爆発したのかな? だいぶ範囲が広そうだ」
「工場……何の工場ですか!?」
君恵の顔がさっと青くなった。あれだけ激しい爆発があったのだ、工場の種類によっては、さらなる被害が予想される。門上はパソコンを開き、インターネットを繋いだ。軽く検索すると、すぐにその場所が判明した。
そこは――三永工場だった。
「三永!?」
片隅に追いやられていた記憶を徐々に思い出していく。以前、学が話しに出した工場の名前だ。死者も出た爆発事故――それが今起こっているのか。
学は少しでも大きなワームホールを自然界から発生させるために、大きな衝撃が必要であると言っていた。そこで発生する音を誤魔化す候補として、この事故があげられた。しかし今、何も準備ができていない状態で事故が起こってしまったのならば、もう利用することはできない。
「爆発の原因はまだ不明なようだ。だが数時間前にチェックしたときには、特に目立った変化はなかったらしい」
「なら、老朽化とかですか?」
原因は六年経った君恵がいた時代でもまだわかっていない。門上は視線を下げた状態で腕を組んだ。
「――あの工場は藻類のバイオ燃料を大量に製造しているところだ。もしかしたら誰かが油に引火させたのかもしれない」
「それは事件じゃないですか! そんな話聞いたことがありません!」
「そんな話とは、どんな話、いつの話?」
目を細めて門上が君恵を見てくる。はっとして口を押さえるがもはや遅い。完全にボロが出てしまった。しかし未来に関する事なのに、未だに体は異常をきたしていない。
――これは話してもいいという事?
君恵は唇を噛みしめながら、意を決して見上げた。もうこの人には小細工はきかない。直球で勝負するまでだ。
「私のことを話す前に聞かせてください。門上教授はどうしてタイムトラベルの研究をしているんですか、どこまで研究されているんですか?」
逆に切り替えしてきたのに驚いたのか、門上は目を瞬かせていた。そして次の瞬間、にこりと微笑んだ。
「昔、タイムトラベルを主とした小説を読んで興味を持ち、それが実際に行えるかどうか検証したかったからだ。それと不可能なことを可能にしてみたかった」
どこかで聞いたことがある内容を聞き、君恵は門上とあの人が被ったような気がした。
「そして次の質問の答えは――」
「教授!」
門上の言葉は突然現れた男子学生によって遮られた。さっきこの時代の学の隣にいた学生だ。おどけた様子ではなく、彼の顔はひきつっていた。
「た、大変です!」
「落ち着きなさい、どうしたんだ?」
「ま、真美さん……じゃなくて矢上さんが、さっき爆発があった工場に寄ってから研究室に来るらしいのですが、まだ来ていないんです! しかも今、携帯電話に連絡しても繋がらなくて!」
「なんだって!?」
門上は虚を突かれたような表情をしていた。君恵でさえ、思わず口を抑える。
「このことは誰かに言ったかい?」
「研究室にいた人たちは知っています。どこで爆発があったか一緒に調べていたので」
「皆、研究室にいるのか?」
「いえ、浅井さんは……」
俯きながら答える様子だけで、すべてを察することができた。真美は当時の学にとって親しい人だ。心配して飛び出していくのはある意味当然だ。
「――気になることがあるから、私も現場に行ってくる」
「教授!?」
彼はひっくり返った声を出す。だが門上はそんな彼の様子を見向きもせずに、支度をした後に鞄を持って、部屋を出ようとした。ふと君恵の前を通り過ぎる時にちらっと視線を向けられる。
「君も来た方がいい。一緒に行くかい?」
「いや、連れが……」
図書館で調べものをしている、学と美希の顔を思い浮かべた。彼らと離れて行動するのは、昨日の経験から危険だとわかっていた。しかし次の門上の言葉は驚きのあまり返答できなかった。
「その人たちを連れて、一緒に来た方がいい……戻りたいのなら」
呆然としている君恵に背を向け、門上は足早に部屋から去っていった。男子学生もつられて廊下に出ている。
――門上教授はいったい何者? それよりもこの事故が、元の時代に戻るのに必要な出来事?
もう向かうべき場所は決まっていた。廊下に出ると、駆け出し始め、一目散に図書館へと向かったのだ。




