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June bride

作者: デン助

 俺達は教室にいた。

 子供の頃の話だ。小学校を卒業する日を間近に控えたあの日を、そっと思い出す。初夏の夕暮れ、浅葱色の日差しが窓から差し込んでくる小学校の片隅で、俺は彼女に告白したのだ。

 結果は惨敗。それどころか笑われた。苦い追憶だった。


 それから彼女とは中学校が別になった。俺は共学で、彼女は女子大付属の中学校。幼馴染みだったあの子と離れ離れになると焦った俺は、何か繋がりが欲しくて告白に走ってしまい、見事玉砕したという訳だ。

 正直、彼女を他の男に渡したくなかったというのもある。中学にあがってからも幼馴染みなので何かと会う機会は多く、しかし顔を合わせる度に俺が告白した話を持ち出してきて笑いのネタにされた。そう不快にならない程度だったので、俺は顔を顰める程度でやり過ごしている。

 すると、周囲に広められた。近所、親類縁者にも。惨い仕打ちだった。


 中学も二年にあがった頃、自主性が出てきたからと親に携帯電話を買ってもらった。慣れない手つきで弄くり回し、やがてアドレス帳を開くとそこには両親の番号と、もう一つ。

 彼女の名前だ。未だに忘れられずにいる、好きな人の携帯番号だった。

 暑い、夏の日の事である。


 それから無理やり理由をつけて電話したり、地元でも有名な銅像を待ち合わせ場所にして何度かデートもした。

 小学校の頃から頭の良かった彼女は今、看護師を目指しているという。堂々と将来の事を語る彼女が大人びて見え、そういえばこういうところに惚れたんだったな、と油断しているとまた告白の話を持ち出されて、笑われた。


 俺は自分の将来をどう考えていくべきだろうか。漠然と、大きな会社に入れればいいな、というものしか浮かんでこない。これでは彼女に笑われると、俺は焦った。

 小学校の頃から美人だったあの子はやがて、周囲が放っておかないだろうと思える程に美しくなっていった。その意味でも俺は焦った。

 でも、俺に出来る事なんて何も無い。精々が自分の周りであった事を話す自分語りだけ。時間が、距離が、共通の話題をどんどん削っていった。


 あれから四度目の夏。俺は高校にあがると美術部に入り、水彩画を専攻した。元々絵を描くのは好きだったので、時間を忘れて没頭していった。遠くに引っ越していった彼女との連絡も次第に途切れ途切れになっていく日々。そしてコンクールに出す作品を部の各員で描く事になり、題材は人物画と伝えられた時、俺の脳裏には未だ忘れられないでいる、彼女の姿が浮かび上がった。

 あの日の想いを女々しくも断ち切れないまま、俺はここまで来てしまった。

 いつまでもこのままでいい筈がない。俺には転機が必要だった。彼女の影を振り切る為に、振り返るのはこれで最後というつもりで、彼女をモデルに描く事にした。

 もう、君の事はこれを限りに想い出さない。サヨナラをしよう。

 けれどキャンバスに筆を引く度、実感していく想いの強さに何度か筆を折りそうになった。

 嗚呼、俺は彼女をこれ程までに好いている。その想いをどうして自ら踏み潰そうとするのか。好きなら好きなままで、いいんじゃないか?

 小学校のアルバムで君が笑う。中学校を抜け出してデートをしたあの日の君が笑っている。

 携帯電話のアドレス帳で、君だけに指定した着信音が鳴らなくなって、もうどれだけ経つだろう。

 まだ絵は完成しない。描くのがつらくて、何度か筆を折ろうと思った。期日までもう日が無い。もう間に合わない。もう――諦めてしまえ。

 でも、諦め切れなかった。


 コンクールに出した絵は、銀賞に輝いた。顧問の先生が我が事のように肩を叩く。部員達も喜んでくれた。絵の中の彼女も、嬉しそうに笑ってくれている。

 諦めなくて良かった。だから、俺はまだ彼女の事を好きでいようと思った。自分の気持ちに嘘はつけないのだから、どうせなら素直でいよう。ずっと悩んでいた問題が解けて、俺も一緒に笑った。


 七度目の夏が来た。高校を卒業した俺はそれなりの会社に就職し、それなりの仕事が出来る事務員になっていた。絵で食っていくには才能と自信のなかった俺は、趣味の範囲でそれを続けている。

 キャンバスの中で君が笑う。アパートの部屋には沢山の君がいる。君への手紙も出せないまま、崩れる程になった。

 これ程の君に包まれて、でも、この部屋のどこにも君はいない――


 それからすぐ小学校の同窓会があった。喜々として参加した俺は一目でも今の彼女を見たかったのだが、どこにもその姿は見えなかった。

 今でも連絡を取り合っている同窓生が言うには、遅れて来るらしい。

 そして不意に、俺が告白して玉砕したあの懐かしい話をされた。どうやら今でも話のネタにしているらしい。今や同窓生の全員が知っているようで、意図せず苦笑が漏れる。

 彼女に忘れられていなかっただけでも、どこか救われた気持ちになったのだ。だから、しょうがないな、と思う事にした。

 結局、彼女は来なかった。

 会えるという期待が砕かれて、でもこれで良かったのかもしれないと考え直す。その時の俺は、今度こそ彼女の影を追いかける事を止めようと思っていた。


 数日後、再び同窓会を開くという通達が来た。以前とは違うメールアドレスだ。

 この間やったばかりでは? そう返信するものの、返事は帰って来ない。いぶかしみながらも以前顔を合わせた同窓生に連絡すると、確かにもう一度開くと言う。

 頑張れよ、と同窓生は言った。違う同窓生のアドレスからも応援のメールが来る。

何かがおかしいと首を傾げるものの、とりあえずは適当な返答を返す。指定された同窓会の日、俺はその場所に向かった。


 待ち合わせ場所の、地元でも有名な銅像を見上げる。いつかの日、彼女と待ち合わせたのもこの場所だったな、と記憶を遡っていると、背中から声をかけられた。

 いつか聞いた声。あの日の君が、あの日よりずっと美しくなって、そこに居た。

 七度目の、暑い夏の日の事である。

 

 高級レストランの席を予約していると語る彼女は、皆に仕組んでもらった、と微笑交じりに続けた。皆の不可解な態度はこの為だったのだ。

 少し意地が悪いところも、変わらない笑い声のリズムも、今は心地良く、時に切なく胸を満たす。

 彼女の左手薬指に、指輪は無い。それを確認して安堵し、まだ燻っていた自分の下心に呆れた。


 それから彼女は色んな事を話した。同窓会の日は急患が入って来れなくなった事、携帯電話をうっかり壊して新しいものに変えた事、絵画コンクールで俺が銀賞に輝いた記事が新聞の隅に小さく載っていた事、看護師の道は険しく、必死に勉強した事、そして母親が亡くなり、家庭の事情で引っ越す事になった事――

 俺はそれをずっと聞いていた。時に相槌を打ったり、慰めたり、労わったり。

 そして、久しぶりに彼女の口から、あの日の告白の話を聞いた。

 本当は嬉しかった、と彼女は言った。照れ隠しに馬鹿にしてしまった事を謝り、あれからどんな事があったのかを、それまでの空白を埋めるように、お互い語り合っていった。

 レストランが閉店したら今度は居酒屋に移り、やがて俺の部屋へとシフトしていく。そのうち、話題は異性関係に変遷していった。

 俺は今まで誰とも付き合った事がない事を、酒の勢いに任せて語った。そしてそれは彼女も同じだった。

 お互いに、忘れられなかったのだ。

 先制パンチを決められてたから、と彼女が言う。俺の告白が、あの夏の日の言葉が、ずっと彼女を縛り付けていたのだと思うと――申し訳なさと同時に嬉しさがこみ上げてきた。

 だから、俺は再び言う事にした。正座をしてあの時と同じ言葉を紡ぐ。彼女は断りもせず、頷きもせず――堪え切れないように、笑い出した。


    *    *    *


 八度目の夏が来た。あれからも彼女には告白のネタで馬鹿にされている。俺は惚れた弱みで強く言い返せず、またそれは当然のように近所の人や親類縁者にも広まっていた。

 彼女があの告白の返事をしてくれるのは、いつだろうか。俺はそればかり気になっている。地元に戻ってきた彼女はそのまま病院に勤めるようになり、毎日忙しそうに働いていた。

 俺が、戻ってきて欲しいと強く言ったからだろう。

 俺は宝飾店から出ると、夏の日差しに眼を細めつつ、家路についた。


 彼女は告白の返事をしてくれない。未だにネタにされて笑われ続ける。節度を弁えてか不快にならない程度のそれを、また今日も聞かされる事になるだろう。

 夕食が並ぶテーブルの向かいで、また今日も君は笑う。

 だから俺は、その小さな箱を差し出した。

 あの日と同じ告白を、口にのせて。


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― 新着の感想 ―
[良い点] わーい再会型幼馴染だ(爆) こういう話好きです(笑) ダイジェスト的に二人の過ごした日々がテンポよく描かれていたので、4000文字の作品とは思えないくらいに主人公と幼馴染の「歴史」がイメ…
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