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藤の花の匂う頃  作者: 貫雪(つらゆき)
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身代わりの初夜

 翌朝、姫君様の部屋に侵入者があったことは、屋敷中の話題になってしまっていた。警備の人数は増員され、庭先にまで、侍や下人達の姿が見られるようになっているらしい。


 私はこれを幸いに連れ去られかけた衝撃で、気分を悪くしてして寝所の奥、御帳台みちょうだい(和風天蓋つきベッド)の中でに伏せっている事にしていた。女房達への対応はやすらぎが一手に引き受けてくれる。夜具をかぶって寝た振りをしながら、私は考えにふけっていた。


 屋敷内に内通者がいる事は疑いようがない。でなければ昨日の鮮やかな手口の説明がつかない。


 昨夜の時点で康行は侵入者に気付けなかった。他の侍や下人達もそうだ。それなのに賊は姫君の寝所にやすやすと侵入してきた。これは身分の低い者が手引きをしたぐらいでは、出来ることではない。


 私がいる姫君様のお休みになる場所は、寝所の建物の中でも一層奥まった所に用意されている。縁に近い庭先の周辺の片方は女房達の宿泊する局が取り囲んでいるし、もう一方は高い塀から林の様な木々に囲まれた奥の庭に面しているので、外部からはかなりの距離がある。しかも今はそのいたるところに侍達が見回っているのだ。


 昨夜御格子が開けられていたのは女房達の局の近くだった。女人とはいえ、大勢の人が休んでいる目の前を、まして定期的に見回りがある中を、間隙を突いて寝所の奥まで入ってきたのだ。


 御格子はうちから掛金をかける仕組みになっている。それが外されて開けられていた。これは普通に考えて、下男、下女には入れない寝所の姫君の部屋の内側から女房の誰かが掛金を外し、賊を招き入れた可能性が高い。


 そうなると自分の同僚である女房達が、全て疑いの対象になってしまう。やすらぎが相手にしている普段見知った女房達の声を聞きながら、裏切り者はあの人だろうか? この人だろうか? と考えるのは気分の良い物ではない。


 当然女房達も同じように思っているらしく、寝所の中には重苦しい空気が流れている。


 中には私が宿下がりしていなければ、真っ先に疑うところだったのにと、やすらぎにこぼす人までいた。私がいない時にはこんな風に人のことを噂にしているのかと、腹が立つやらあきれるやらである。


 それを聞き咎めた桜子が私をかばってくれたりして、ああ、こんな時こそ人柄というのは分かるものだなあ、なんて思ったりする。


 結局その日は何事も起こらず、夜も一晩中警備の侍達の気配とたいまつの明かりの絶える事のないまま夜明けを迎えた。



 夜が明けるといよいよ姫君様のご結婚の日を迎えた。入れ代っている私としては、朝から緊張の真っ只中にいた。


 まず、偽物だとバレないように気を使わなくてはならない。さすがに結婚当日となると、姿は見せないとはいえ様子をうかがう女房達に気取られないように姫様のしぐさや癖を真似ながら気配を漂わせなければならない。


 中納言様のご挨拶は奥でじっとしたままやすらぎに任せておけばよかった。しかし、北の方が見えられると、母子としての振る舞いに気を配らなくてはならない。


 出来るだけの演技はしたつもりだが、御簾の向こうではどのような気配に感じられたのかヒヤヒヤものだった。姫の妹君もおこしになり、声を立てずにそっと談笑しているふりをする。二の姫とは初対面だというのに。


 二の姫はおん年十二歳になる少女なので、今度の件は事情を理解できている。だから不安を隠しきることはできず、心細そうな表情をしながらも、こっそりと姉の無事を案じ、私にお礼を言ってくださっていた。


 私はかしこまることもできずに、ただ、うなずきを繰り返すしかなかった。




 そして日が落ちると大将様は約束の時間通りにお見えになられた。当然、そっと忍んでこられることになるので、この部屋の周辺は人払いが行われて、警備も人の気配も薄くなってしまう。


 賊が狙うには絶好の機会だろうし、大将様がどんな心積りでおこしになるのかも分からない。さすがの私もここへきて身代わりになった事をちょっとだけ後悔してしまう。


 こうなったらせめて大将様に言いたい事だけは言わせてもらおう。身分が低い者にも、それ相応の誇りがある事を知っていただこう。これだけ大将様の思惑どおりに振り回されたのだから、これ以上いいなりになる必要はないはずだ。何が起ころうとも自分の意思だけはきちんと伝えたい。狙われた邸に通うのだからあちらも命懸けかもしれないが、こっちだって一生がかかってるんだから。


 忍びやかな人の気配がして、こっちに近付いてきた。大将様だ。私は頭を低くしてかしこまる。


「これはこれは。そんなにかしこまることはありませんよ。今宵、私はあなたの夫としてここに伺ったのですから」


 大将様は楽しげにおっしゃるが、こっちはそれどころじゃない。


「おとといの晩、私は姫様の代わりに連れ去られそうになりました。おそらくこの屋敷の中に内通者がいると思われます。大将様も狙われているかもしれません」


「それはあなたもですね。よく、こんな無理な事を引き受けて下さいました。まして恐ろしい目にあわれたというのに、あなたは逃げ出しもせずにきちんと身代わりの役目を勤めて下さっている。心から感謝していますよ」


「大将様のためではありません。申し訳ございませんが、私は姫君様のために今ここにいるのでございます。姫様と大将様が無事に結ばれる事を願って、この役目を引き受けているのでございます。康行と親しいのなら、大将様は私の身分の卑しさをご存じなのでしょう?」


 私の詰問するような問いかけに大将様はやや面食らったような顔をなされ、


「ええ、まあ」と答える。 


「私など姫様に見出していただかなければ下働きの下女として、この屋敷の庭先を駆け回っていたことでしょう。ひょっとしたら田舎につき返されて、成り上がり者の娘が馬鹿な夢を見た、と、笑い者になっていたかもしれません。姫様あっての私なのです。私は姫様が好きで、このお邸が好きで、だからこそ、こんな役目を引き受けているのでございます」


 大将様に顔を見られて、中納言様に見下げられて、仕方なくここにいるのではない。私は自分の意思と、姫様への感謝、もっと言えば、この邸に勤める事が出来て、色々な人達と友情を育む事が出来ている事に感謝しているからこそ、ここにいるのだ。それをどうしても大将様に知って頂きたかった。それさえ知っていて頂ければ、この先世間がどう言ってこようが自分の心のうちの誇りは守られるような気がしたのだ。


 大将様は私の顔を上げさせ、深くうなずいて下さった。



「あなたには、初めに私が考えていた以上に色々な難題を強いてしまったようです。初め、私が姫の身代わりを考えた時は、妹姫の二の姫や、やすらぎの事を考えました。二人とも姫のことをよくご存じですから」


 大将様のお言葉に私はどきりとする。いくら私でもあんな風に俗に連れ去られかけたのは、衝撃的で、恐ろしかった。もしかしたらあんな恐ろしい目に、やすらぎや、あの可憐な妹姫様があっていたのかもしれなかったのだ。

 やっぱり私が身代わりを引き受けてよかったと、つくづく思う。


「しかし二の姫では万が一連れ去られでもすれば、今度は中納言家の人質にされてしまう。やすらぎは姫の事を誰よりも思っている乳姉妹だから口外される心配が無い。だからお付きの女房として偽物の姫を守る役目に回ってもらった方がいい。そんな時に康行からあなたが夜、局の近くで琴を弾いている話を聞いたのです。あなたの人となりは康行から聞いていましたし、裕福な環境で育ったあなたは下手な貧窮した貴人の娘よりも精神的に余裕がある。いささか粗忽な所はおありのようですが」


 ここで大将様はクスリと笑みを漏らされる。私が扇を落とした事を思い出したのだろう。


「このような方なら、うろたえることなく、事情を呑み込んで下さると私は思ったのです。中納言殿は今、検非違使けびいし(現在の警察の様な組織)の強化に積極的で、前の帝に煙たがられている。今度の件もその流れで起こっている事なのです。本来なら昨日で本物の姫と入れ替わっていただくつもりだったのですが、何故か増築の進捗状況が外部に漏れ出して、前帝の動きが怪しくなってきた。仕方なくあなたには三日夜の宴までここに残っていただく事になってしまったのです」




 成程。私が今日、ここにいなくてはならなくなったのは、突発的な事情からだったのか。それに実際に私は襲われている。大将様のご判断は正しかったのだろう。


 中納言様は私に対して軽侮の念があった。これは疑いようがない。しかし、大将様の今の様子に私を軽んじられているような気配は感じられない。


「あなたが襲われたと聞いた時は本当に申し訳ないと思いました。てっきり私はあなたが康行やあなたの父親を頼って逃げていくものと思っていましたし、それも仕方がないと思いました。しかしあなたはそうしなかった。それどころか私の妻になる人のために命を張ると言って下さったそうですね。私はどれほどあなたに感謝しているか」


 そういって大将様が頭を下げられる。


「そんな、もったいない!」


 私は本当に恐縮してしまう。正直なところ、この場だけ手をつけられて、御結婚後は捨て置かれるか、最悪、適当な理由をつけられて郷里さとに返されるかと内心ハラハラしていたのだ。


「これはあなた次第なのですが、こういうことになったのも何かの縁。もしよかったら私の感謝の気持ちとして、私の妻になっていただけませんか? あなたのご一族の事は一生面倒見させていただきますよ」


 私は目を丸くする。ちょっと待った。話しがこういう方へ行くとは思っていなかった。




 男君は何人の妻をめとってもかまわない。もちろん主流の本妻はお一人になるが、社会的地位はどの妻も平等に与えられる。正式にお披露目のない愛人や、手近な女房に情けをかける情人とは訳が違う。順番も関係ない。妻はあくまでも妻なのだ。全ての妻に同じ格式が与えられるので、他の妻の家が良くなり、どうしても足を運べなくなると離婚ということもありえる。そうなっては困るので、夫を通わせる妻の家は邸中を上げて夫をもてなし、世話をするのである。


 ただ、それだけの経済力をかけて夫の世話をするのだから、夫になる人の身分や出世はそれ相応の物が求められる。身分が低く、出世の目が出ない男は妻を一人持つのも大変だし、逆に家柄もよく、出世街道まっしぐらな殿方は、各家から引く手あまたの申し出がある。


 大将様はまぎれもなく後者で、都中の権門の家が狙っている方だ。それに私と大将様とでは身分に大きな開きがある。この場合、たとえ私の家が裕福だといっても、大将様が私の家から経済的援助を求めることは無いだろう。その上で社会的、政治的援助は受ける事が出来るのだ。


 大将様は一族を一生面倒見ると言った。額面通りに受け取るのならば、たとえ夜がれる事になっても、離婚はせずに私の一族の面倒を見続けて下さるという事になる。女人なら一度は夢見る、大変な名誉だ。



 普通なら断らない。一族の事を思うなら、断れない。女の身の大出世だ。私はぼーっとなってしまった。


 大将様の感謝の念は本物だ。でなければ口が裂けても言っていい言葉じゃない。けれど。


 私は大将様から視線をそらした。姫君様の調度品が目に入る。そうだ、ここは姫様の寝所なんだ。


「その感謝は姫君様に捧げて下さいませんか? さっきも申しあげたとおり、私は姫君様のためにここにいるのです。自分の出世のためではありません。そのお気持ちだけで結構です」


 私はあらためて頭を深く下げた。さっきは自らの矜持から出た色合いの濃い言葉だったが、今は姫様への想いが言わせた言葉だった。


「あなたは優しい人なのですね。姫君には実は了解を得ている。あなたがどれほど命をかけているのか姫君は知っておられる。私は身分がらまだまだ妻が増えていく。それならば人柄の分からぬ姫よりも、あなたの様な方に感謝の気持ちを伝えたい。それを姫君も理解してくれている。その上での申し出なのです。受けて下さいませんか?」


 そーいうことじゃ、なーい! 勝手に話をすすめられても困る。私が妻になれば姫君様は私と友情を結んで下さるのが難しくなる。いや、あの姫様なら自分のお苦しみを胸におさめて、私を暖かく見守って下さるかもしれないが、私は姫様をそんな立ち場に追いやりたくない。やすらぎにだって顔を合わせる事が出来ない!


 大将様は物慣れた様子で私ににじり寄ってこられる。私の袴の裾を膝で押さえている。普段女房や女君の相手で、この手のしぐさには慣れていらっしゃるのだろう。私は思わず身を引いてしまった。それを見た大将様が膝から袴を放す。その拍子に私の懐からころりと何かが落ちた。櫛だ。康行が縁に置いて行った櫛。




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