小雪
正成は真面目で実直だと言うだけの事はあって、お方様への挨拶も実に折り目正しく、気持ちの良い青年に思えた。
私の噂も色々聞いてはいるはずなのだが、あくまでも尊敬する近衛の大将夫人の女房として、実に礼儀正しく接してくる。少しも元の身分や都の噂を勘ぐって軽んじるような様子は無い。
役目がらか、生真面目な性質からか、決して愛想がよいとか口がうまいとかいう事は無いのだが、その表情はいつも柔和で、近寄りがたいとか猛々しい所があるとかいうようなことはまったく無い。与えられた役目を誠実に黙々とこなす人間に見える。人柄は悪くないようだ。
去年まではあの、堀河殿の前任で蔵人頭を務めておられたそうで、邸内でお迎えした更衣様への御挨拶のための伝言役などを、滞りなく実に手なれた風にこなして下さる。
御蔭でこちらも戸惑うことなくお方様から更衣様への御挨拶を取り行う事が出来たし、私まで更衣様に御挨拶をする事が出来た。
久しぶりに更衣様に私の琴をお聞かせすることまで出来て、私は大満足。その間の正成の様子も控えめで、さりげなく手順よくお方様のご様子に気を配って警護してくれたので、とても心強かった。
それどころか、
「せっかくの秋の風情漂う御庭を、ゆっくりご覧になれない身の上となっておられますから、せめてものお慰みに」
そう言ってお方様に庭にある紅葉の落ち葉の美しい所を蒔絵の硯箱の蓋の上に美しく並べ、松の葉を散らして持ってきて下さった。蓋の上に施された蒔絵とも相まって美しい秋の情景が彩られている。御簾越しに私が受け取り、几帳の中でやすらぎがお見せするとお方様も、
「まあ、ありがとう」と、やすらぎを介さずに御自分でおっしゃった。
お方様はことのほか喜ばれた。このところ警護のために落ち着いてお庭もご覧にはなれずにいたのだ。
「いえ、見回りの途中で思いついて拾っただけのことですので」
「松の葉を共に散らされているのも、憐れ深いわ」
お方様は感慨深そうにおっしゃった。
「良い、思い出があると伺っていましたので。では」
そう言ってさっさと持ち場に戻ってしまう。
「一見無愛想にも見えますけど細やかな方ですね、正成は」
お方様はそうほほ笑んでいらっしゃる。
ただ、私はちょっと引っかかった。松の葉の思い出。殿が正成にお話になったのかしら? それとも忠長様から又聞きしたのかしら? この邸の人間なら誰でも知っていることだけど、わざわざ正成に話したりするものかしら? 小耳にはさむと言う事はあるだろうけれど。
普通なら何でもない事だけど、殿にくぎを刺されている事が気になって、変に勘ぐろうとしてしまう。悪い人間には思えないだけに、私はスッキリしない。
私は身内の気やすさで叔母のところを訪ねた。叔母は院に狙われるかもしれないと言う事で他の女房の方々とは特別に部屋を分けられている。周りの警護も厳しいが、私は身内と言う事で通してもらえた。
私は正成が松の葉の事を知っていたのが気になった事を叔母に言ったが、
「ああ、それは正成様にはこちらのお邸に親しい女房がいらっしゃるからじゃない?」
と、叔母が言った。
「親しいって、恋人として?」
「噂だけだから本当かは分からないけれど、そんな話を聞いたことがあるわ。妻にするほどの仲ではないのでしょうけれど、情人としては長い付き合いなんだとか。正成様はそんなに女人と付き合いが多い方ではないから本当にちらりと噂が流れただけですけどね。私もすっかり忘れていたわ」
御所勤めの男君と、この邸の女房。殿が何故か気にかけていらっしゃる。
まさか、まさか。
ただの偶然かも知れないけれど、私は康行にこの事を伝えた。
「正成様から目を離さないで」と。
正成のお相手は誰だろう? お方様の女房に若い方はいっぱいいる。お方様自身がとてもお若いから女房も若い女人が多いのだ。
こういう事は皆、あまり表ざたにしたがらない。もし男君がいると分かれば結婚して邸を辞めるかもしれないと噂が立ってしまう。上手くいけばそれでもいいが、こればかりは男女の事なので分からない。男君の存在はあまり大っぴらにはしたくないのが本音だろう。
場合によっては身分の違いや家の事情で、ずっと情人のままでいることだってある。むしろ邸勤めを続けるために後ろ盾になってくれる男君と関係を続けている人もいるだろう。そういう仲は秘密にされて当然だ。女同士の噂は一度歪むと厄介で恐ろしい。だから男君に利用されたりしやすいんだろうけれど。
そんな事をいつも考えていたからだろうか? それまでは気にも留めなかった女房達の様子にいつの間にかついつい目がいくようになっていた。
すると私は気がついた。若いが地味で、いつもお方様の目に留まる所にいる訳ではないけれど、いつの間にかお方様近くに寄り添っている小雪と言う女房がいる事に。
小雪は気がつくとお方様がどうしても思い出せずにいた御歌の一節をさりげなく口ずさんだり、物語を読んでいた女房の声の調子を察してそっとお水を渡したり、遊び事の後にちょっと気の抜けた間が開かないように、耳に障らない調子の琴を掻きならしたりしている。
だが、夕暮れ時のいつも決まった頃に「ふっと」消えるように姿が見えなくなるのだ。
それはほんのわずかな時間で、ほとんどの人が彼女が居なくなった事にさえ気が付いていないのだが、あまりに鮮やかに姿を消している様子に、私は胸騒ぎを覚えた。
彼女の気の配り方、たたずまい、なんだか正成がお方様に紅葉を差し上げた様子に似たところがある。お相手はきっと小雪だ。私は確信した。
二人が何かしでかすとは思いたくなかったが、油断はできない。私は小雪の姿を常に目で追うようになった。
ある夜、小雪がいつになく早くにお方様の御前を下がった。私は念のために康行に知らせておいた。そして一度私も御前を下がったが、皆が寝静まった頃にお方様の御簾の近くにそっと忍んでいった。
すると、お方様の回りにいるはずの女房達の姿が無い。外も警護の者の気配が感じられなかった。殿がいらっしゃらない夜にこんなに人少なげなのはおかしい。
そう思っていると、妻戸(寝殿に入る扉)の方から人の気配がした。小さな明かりがもれる。
誰かが御簾をくぐって部屋へと入ってきた。人の影は二つ。
小雪は私に気が付き、ハッとした顔をしている。その後ろにはやはり正成様がいた。
「花房さん。お願いだから見逃して。正成様に、一目お方様の御姿を見せてあげて」
小雪は泣きそうな顔で私に懇願した。
「頼む。決してけしからん真似をしたりはしないから。一目、初花の上の御姿を見せてくれ。そうしなければ私は恋死にしてしまいそうだ」
正成にいたっては私にすがりついてきた。目にいっぱいの涙をためている。
誠心誠意の御挨拶。驚くほど丁寧な仕事ぶり。そしてあの紅葉の心配り。これらはただの仕事としてではなく、お方様への恋慕が彼にそうさせたものだったのか。
あの紅葉は彼に出来る精いっぱいの捧げものだったのだろう。でも、
「小雪さん。あなたそのためにこんな大それたことをしたの?」
「お願いよ、私この人がこんなに苦しそうにしている所をこれ以上見てはいられないの。この人はお方様がお小さい時に吉野にいらした姿を偶然垣間見てから、ずっと長いことお方様に憧れていらしたの。手の届かない方なのは分かっていても、この邸にいる内に一度でいいから御姿をご覧になりたいのよ。それを一生の思い出になさりたいのよ」
正成が紅葉をお方様に捧げた時、小雪はどんな思いでそれを見ていたのだろう。
「小雪さんはそれでいいの? あなた、正成様を慕っているからこんなことしているんでしょう? 正成様も小雪さんの心を利用するなんて」
「私は正成様が苦しまずに済むならなんだっていいのよ!」
小雪がとりみだしたようにそういった時、突然、背後から男達が現れた。私達の事は無視して、一目散にお方様の御簾に近づこうとする。
だが、そこに突然役人が姿を現した。あっという間に皆を取り押さえてしまう。
「花房さん、これは……?」小雪が取り押さえられたままつぶやいた。
「ごめんなさい。私、あなたの様子が気になって康行に正成様の様子を見てもらっていたの。そして今夜は何かありそうだから、役人にここに隠れてもらっていたの。お方様には私の局にいらしてもらっているわ。こんな所をお見せしたくないから」
「違う! 違うんだ! 私は本当に一目、あの方にお会いしたかっただけだ! こんな奴等は知らない!」
正成様は顔色を変えて叫ばれた。男達は目をそらし、小雪さんも必死に頷いている。どうやら本当に知らなかったみたい。でも、それでお方様が危うく危険な目にあうところだったんだ。
「詳しい話は役人にして」
そう言って私はその場を離れた。二人とも悪い人ではない事を知っている分、いたたまれなかったのだ。
康行のところに行こう。事の成り行きを説明したい。そう思って妻戸を出ると、何かが飛んで来て身体に当たる。見ると紙を石で包んだ物らしい。紙には何かが書かれている。開くと、
『康行を預かっている。助けたくば誰にも言わずに西門の横に止めてある車に、一人で乗ってこられよ』
と書いてあった。




