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藤の花の匂う頃  作者: 貫雪(つらゆき)
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再びの京

最終編のスタートです。

 私と康行はようやく京の都に戻ってきた。本当ならもっと長い時間がかかったはずなのだからようやくというのはそぐわないのかもしれないけれど、都に戻れると分かってからは一日一日が本当に長く感じてしまっていたので、私の気持ちはようやくという言葉がちょうど当てはまるくらいになってしまっていたのだ。


 だから都の外れにまで辿り着いた時は感慨深くて二人で足を止め、


「ようやくお方様や殿にお会いできるのね」


「そうだな。皆、お元気でいればいいが」


 などと話しあっていた。


 ところがその時にいかめしい役人の集団が姿を現し、


「近衛の大将様の北の方の女房、花房殿でいらっしゃいますね?」


 と、尋ねられた。


 自分の名前に「殿」なんてつけられる事は無いものだから少し戸惑ったが、


「ええ、私は花房ですけど?」と、一応答える。


「大将様にあなた方の護衛を申し使ってまいりました。お邸に入られるまでくれぐれも御油断召されぬよう」


「はああ?」


 私達ははわけのわからない内に役人に取り囲まれる。


「待て、お前達が大将様の命で来ている確かな証拠はあるのか?」


 康行が私をかばうようにして聞いた。そうだ、以前私が襲われた時は役人の姿をした前帝側の人間もいたんだっけ。それこそ油断は出来ない。


「おいおい、いくら都を離れたとはいえ、もう俺の顔を忘れたわけじゃないだろう?」


 役人たちの中から少し下がったところにいた侍姿の男が康行に声をかける。その顔を見て私も思い出す。確か康行と一緒に中納言家の警護をしていた男だ。この人たちは確かに大将様からいい使ってきた役人に違いなさそうだ。


「とにかく俺達はあんた達を無事に邸に連れて行かなきゃならないんだ。詳しい事は邸に着いたら若殿から聞いてくれ。ここで何かあったりしたら俺達の責任問題だ」


 そう言って侍は私達を牛車に押し込めようとした。


「おい、花房はともかく俺は車に乗れる身分じゃ……」


「特別だそうだ。お前が徒歩でいて何かあったら花房様もおとなしく車の中になんかいないだろうから、二人とも車で連れてくるように言われてるんだ。おとなしく言う事を聞いてくれ」


 そうは言っても私だって大将様から牛車で迎えてもらうような身分じゃない。所詮お方様付の女房だ。何がどうなっているのやら。私達は何も分からないまま車に乗せられ、大将様のお邸に連れて行かれてしまった。


 邸につくとさすがに康行は庭先で車から降ろされる、私はひさし下の縁につけられた車からようやく降りると、そこには大将様とお方様、やすらぎまでもが待っていてくれた。


「無事着いたか。まずは良かった」


 大将様はそうおっしゃるが私はよくない。まだ化粧もしていないし、旅の壺装束のままで市女笠に押し込んだ短い髪にはかもじすらつけていないのだ。本来なら高貴な方にお会いするような姿ではない。


 しかも何も分からないままここまで連れて来られてしまった。出立する時も「特別」に扱っていただいたが、戻ったそうそうこれは特別を超えて「異常」な事態だ。


「このような見苦しい姿で申し訳ありません。でも、これは一体どういう事でしょう?」


「説明が後になってすまなかった。実は前の帝が嵯峨野のお邸から姿を消されたのだ」


「前帝様が?」


「お前は都を立つ直前にその身を狙われた。もしやの事が無いように、安全に邸に入らせたかったのだ」


「それは、御配慮いたみいりますが、それで私が狙われるかどうかは……」


「いや、その可能性はあると思う。先日、中納言家に呪いの言葉の書かれた文が届いたそうだ。お前の叔母の元にも同じ文が届いたと言う。これでは何も知らずに都に入ろうとするお前の身を案じない訳にはいかぬではないか」


 中納言様と私の叔母を恨む人。そんなの世の中広いとはいえ、前帝様くらいしか思い当たらないわ。


 私、とんでもない時に都に戻ってしまったのかしら?




 とにかく今の姿のままでは失礼過ぎるので、私は取り急ぎ局に戻り着替えと化粧をして髪にかもじを添え、どうにか見られる姿を取り繕って殿とお方様の前に参上した。


 そしてようやく殿から詳しい話を聞く事が出来た。


 私達がまだ武蔵の国にいる頃、ある野分の晩に今では仏門にはいられ、嵯峨野の院と呼ばれている先の帝様が行方知れずになった。


 色々あったとはいえ仮にも前の帝様。もしや不敬にもこの方の身を預かり、今の帝様に何かあだなそうとする輩がいるのかもしれない。初めは役人たちもそう考えて、院の御姿を必死になって探したそうだ。


 ところがいくら探しても院の御姿は見つからず、これと言って御所や帝に危険を感じさせる事が起こるわけでもなかった。


 そのうち都人たちは、


「あの院の事だから仏門に入ったのも渋々の事。いよいよ山寺での厳しい仏道修行を前にして恐れをなして自ら山に逃げられたのではないか?」


 などと噂し始めた。そして、


「院の御姿がいつまでも見つからないのは無謀にも山中に逃げ込まれたのでどこかで行き倒れて、すでに亡き人となっているのではないか?」


「御遺体も見つからないのは山の獣にその身を持ちさらわれてしまったからではないか?」 


 などと言われていたのだと言う。元は帝だった方にもかかわらず、悪事を働き人々に恐れられた方だったので、皆、そんな残酷な噂を平気で流していたようだ。


 しかしそんな噂が流れる中で、中納言家に何処からとも分からぬ文が届いた。誰が取り次いだ憶えもないのに、中納言様の寝所の縁にいつの間にか置かれていたのだと言う。


 文に気付いた女房はどこかの男君がここに勤める女房にでも届けようとした文が、使いの者の間違いでうっかり取り落としでもしたのだろうと思い、誰への恋文かと面白がって開いてみたそうだ。


 ところがそこには中納言様を恨む言葉と、中納言家の栄誉は長くは続かないと書かれていた。


 これを見た中納言様は顔色を青くされながらも、


「嵯峨野の院が姿を御隠しになったのをいい事に、このような文を送る輩がいるとは」


 と、この文はただのいたずらにすぎないという姿勢でいらしたそうだが、その日の内に御所の奥深く後宮にいる私の叔母の元にも元の大臣の娘を恨むと言うような内容の文が届けられた事を知ると、


「院が生きて私を恨んでおられる。いや、ひょっとしたらもののけとなって、一層恨みを深くしておいでかもしれぬ」


 と言って、寝所の中に引きこもり、震えてしまっているそうだ。


 大将様もこれを知ると私達に都に戻るのはしばらく待つようにとの文を送って下さったそうなのだが、遠く離れた武蔵の国。文はすぐにはつかずに、私達と行き違いになってしまった。


 そこで何も知らない私達の身に何かがあってはならないと、大将様が私達に護衛と牛車を用意してくれたと言うわけだったのだ。


「それでは郷里の父の元に、その文は送られてしまったのですね」


 あんな思いをして康行と都に戻る事を許してもらったのに。今頃郷里でお父様も、お義母様も死ぬほど心配してるんだろうなあ。


「とにかく早く御両親に無事についた事を文にしたためて差し上げなさい。それから当分この邸の外には出ないように。これであなたの身に何かがあれば、私はあなたの御両親に申し訳が立ちません」


 お方様も私を心配そうに見つめながら、そうおっしゃってくれた。恨む相手の孫の私より、娘のお方様の方がよっぽどご心配なお立場だと思うのだが、こう言って下さるのがお方様らしいところ。


 やっぱり今戻ってよかった。私の手で、お方様の身をお守り出来るんだもの。


 必ずお方様の身は、守り抜いて見せる。


 私は心の中でそう誓っていた。






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