侵入者
その夜のうちに私と姫様の入れ代わり計画は準備を整える事が出来た。
勿論、姫様は私を心配して反対なさってくれたけれども、私はもう、腹を固めてしまっていた。
こんなこと、叔母や父に言う訳にはいかないので、私は宿下がり(休暇)をいただいて、女房仲間と都でも有名な清水の観音様におこもり(寺に数日間の宿泊をして祈願を立てること)に行くという事にしておいた。これなら私と連絡が取れなくなっても心配されることはない。
万が一のことを考えて、私達は姫様がどちらに身を隠されるのかは聞かないことにした。余計なことは知らない方が安全かもしれないし、最悪、私達の身に何かがあっても姫様の身だけは守られることだろう。
翌朝には新しい寝所に姫様は入られ、その一番奥の、塗籠と呼ばれる四方をふすまに囲まれた、外から全く見えない小部屋の中で、私と姫様は衣装を取り替えて入れ代わった。
姫様は乳母の君と上﨟達に守られながら、そっと牛車に乗り、いずこかへと姿を消される。
私はしばらくの間、やすらぎと寝所の奥で、声も立てずにひっそりと暮らさなければならない。
その時間を利用して、やすらぎは姫様のしぐさや癖、お好み、さらにはお小さい頃の思い出話などを教えてくれた。
やすらぎの思い出話は、姫様の今の性格が作られた理由を知る手がかりになった。
帝が変わられ、中納言様に非難が集中していた頃、邸の外の噂話などを幼い姫様にお聞かせしないようにと、誰もが相当気を使っていたため、姫様は自分の周りの人々が冷たく感じられたらしい。腫れ物に触るような扱いに日々鬱憤も溜まっていく。そのうちにお顔の色も悪くなり、食欲まで無くされて、もののけでもついた様になってしまわれた。御心配された中納言様は、姫様を吉野のお寺へと連れて行かれた。御祈祷を受けるのは勿論のこと、ちょうど桜の時期でもあったので、お気が晴れるだろうとの御配慮でもあった。
その行きがけにお寺に向かう親子の姿があったのだが、幼い子供が足をくじいてしまったらしく、親は懸命に子供の足に濡らした布を当てている。それを牛車の中から見た姫様は子供を哀れに思い、従者に腫れを引かせる薬を親子に分け与えるように言った。薬を受け取った親は大変感激し、
「このようにお優しいお姫様の御父上である中納言様が悪い方であろうはずはない。世間のうわさなど当てにはならない。素晴らしい方々だ。もったいない、もったいない」
そう言って、いつまでも頭を地面にこすりつけていた。そうしてたどり着いたお寺で、姫様は御仏の慈愛について説法を聞くうちに、父上の評判や、周りの人間の接し方などに振り回されるよりも、自らの心を穏やかにする事が、巡り巡って、家の幸せにつながっていくのだとお考えになるようになったのだという。
それ以来、姫様は大きなお声を立てて人を威嚇したり、叱りつけるような事のないように、優しく、穏やかに日々を過ごすことに専念されるようになったのだとか。
私などは金持ちのの娘であっても、身分の低さを色々言う者は正面切って言って来るものばかりで、腫れ物に触る扱いも、あてこすりで白い目にさらされたこともない。田舎の人間は噂も嘘も真っ直ぐなものだ。
私は父に甘やかされて我がまま放題だったし、人の評判で、家の命運が決められてしまう心配もしたことが無い。しかし、高貴な方々ともなればそんな幼い頃から、人の目と家の名誉を意識して暮らし続けなければならないのだ。それは一生逃れられない宿命だ。
生涯連れ添うかもしれない結婚のお相手さえも、選ぶ事が出来ない。すべてが決められた人生。
それならばせめて、せめて、召し使える女房達の誠意や、友情だけは本物でありたい。
恋のときめきや、自由は無くとも、穏健で穏やかな結婚生活であっていただきたい。
やすらぎの話を聞くうちに、私は本気で姫君様の健やかな幸せを祈る気持ちになってしまっていた。
その夜私は早くに床についてしまった。おとといからあまりにも色々な事があり過ぎたし、緊張もつづいていた。なにも身体を動かしていた訳でもないのに(むしろ動けない!)心も身体もくたくたになってしまっていた。
だから綿のたっぷりと入った、真新しいふっくらとした夜具の着物を引きかぶって身体を横たえたとたんに、ぐっすりと眠りこんでしまったようであった。
真夜中過ぎの頃、小さな物音に続いて冷たい隙間風を肩口に感じて私は目を覚ました。
早春の都はまだまだ寒い。田舎の寒さとは違う、ぞっとするような冷気が特有の地形から襲ってくる。だから屋敷の建物は床が高く、御格子と呼ばれる戸を閉めて冷気を防いでいるのだが、何処からか冷たい風が入りこんでいるようだ。私は着物をかぶり直そうと寝がえりをうった。
突然人の気配を感じた。声を立てようとして口をふさがれる。
賊は一人ではない。なぜなら私は二人がかりで担ぎあげられていた。一人はふさいだ手を放そうとはしない。息が苦しくなった。必死にあがくが二人掛かりではどうすることもできない。
内部に裏切り者がいるわ。
こんな時だというのに、真っ先にその事が頭に浮かんだ。私達がここに移ったその夜に、警備を一層厳しくした中で、二人もの人間が忍びこんでくるなんて、誰か内通者がいなくては不可能なことに違いない。
息がとにかく苦しくなる。私は口をふさいでいる手に思いっきりかみついた。その手が緩み、声を上げる。
「誰か!」
助けてといい終えない内にまた口がふさがれる。いつの間にか開けられていた御格子をくぐって外へと連れ出される。風が冷たい。月もない夜なので辺りは真の闇夜だ。
もう一度かみついてやろうともがいていると、タッタと足音が聞こえて来た。
「御免!」
そう、男の叫び声が聞こえたかと思うと、別の男のうめき声がして、私の体が自由になった。
しかしすぐに誰かに抱えられて、屋敷の方へと引き返す。縁に下ろされて、その前に誰かが立ちはだかり、賊に斬りかかっていく。人の逃げ出す気配と足音がして、やがて辺りは静けさを取り戻した。
「失礼を承知で乱暴な真似を致しました。申し訳ありませんでしたが、場合が場合でしたので。お怪我は御座いませんでしたか? 姫君」
声を聞いて私は慌てていた。そこに、騒ぎに気付いたやすらぎが火を持ってやってきた。
私達の姿に光が当たる。康行が呆然と私の顔を見ていた。
「お前は……お前は一体何をやっているんだ?」
康行にかいつまんで説明をすると、いきなり質問された。今、説明したじゃないの。
「若君の前で顔を晒して琴をひいただけでは飽き足らず、姫君になり変わって大立ち回りをする女なんて、下女でも聞いた事は無いぞ」
「失礼ね。普通の下女だったら、こんな事に巻き込まれたりはしないわよ。それに大立ち回りをしたのは康行で私じゃないわ」
「そんな話をしているんじゃない。これは女房としての役目を越えている。超え過ぎているだろう。まして三日夜の宴まで入れ代わったままでいろだなんて、いくら身分が低いとはいえあんまりだ。なぜ、断らないんだ」
「私が断れば姫様の身が危険なまま、御結婚の邪魔をされてしまうじゃないの。それではお可哀そうよ」
「お可哀そう? お前今、自分がどんな目に会ったのか分かっているのか? 姫君の代わりに連れ去られそうになったんだぞ。お前がニセモノだと知れたとたんに、殺されていたかもしれ知れない。人に同情をかけている場合じゃ無いはずだ。こんなこと今すぐ断るんだ」
「それは無理よ。姫様はどちらにいらっしゃるか分からないし、急に呼び戻すことも出来ないわ。ここに姫様がいらっしゃらないと知られたら、それこそ、どんなことになるか。もう、後戻りはできないの」
「自分の身をさらしてまで、姫君を守りたいと本気で思っているのか?」
あまりそんな深いところまでは考えていなかったが、康行に問いかけられて、私は本気で姫様を守りたいと覚悟を決めた。
「そうよ」
私の覚悟が伝わったのか、康行は黙り込んだ。やすらぎはずっと黙ったまま、私達のやり取りを聞いていた。
「お前も都の人間になってしまうんだな」
康行はさびしそうに言った。
そうよ、私はずっとそれを望んできた。ただ、それが今、思っていたほど楽しいことではなくなってしまったけれど。
「今日は俺がここから離れずに見張っていてやる。明日には増員されるはずだ。お前は安心して眠っていい。ただし、日中は注意しろ。きっと内部に密通者がいる筈だ。それも下女や下人ではなく、お前達女房の中にいるかもしれない。十分に気をつけろ」
それは私も連れ去られかけた時から考えていた。私も真剣にうなずいた。
「今夜は安心して眠っていい。ゆっくり休め」
康行は珍しく私をいたわる言葉を言って、私とやすらぎを御格子の開いた所へと連れて行ってくれた。
部屋へ戻るとやすらぎが私の手を握ってきた。
「ありがとう。命懸けで姫様を守ると言ってくれて。私もあなたと姫様を命懸けで守るわ」
やすらぎは涙ぐんでいた。やすらぎにとって姫様は生まれた時からお仕えして来た、姉妹以上の大切な方なのだろう。彼女の必死さが手から伝わってくる。
「一緒に姫様を守り切りましょうね」
私もやすらぎの手を心をこめて握り返していた。




