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藤の花の匂う頃  作者: 貫雪(つらゆき)
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許し

 父から康行と引き裂かれてひと月。私は毎日のように琴を弾いていた。


 あれから康行は約束通り、毎日邸を訪ねてきた。気持ちの沈みそうなうっとうしい雨の日が続いてはいるが、どんなに激しく雨がたたきつけようとも、邸の庭先より奥に入る事が出来なくても、康行は一日も欠かすことなく通い続けていた。


 そして私は康行の声が聞こえると、琴を奏ではじめる。


 でも、私が奏でる琴は生みのお母様がお父様に奏でた琴とは違うものだった。


 きっとお母様が奏でたのは、お父様への感謝の気持ちと、お父様を想う一途な心だったんだと思う。


 でも、今私が奏でているのは康行への想いだけじゃない。もちろんそれも込められてはいるんだけど、私はもっと伝えたい事があった。


 私も康行の心を伝えるわ。必ずお父様の心を解いてみせる。


 私達はのぼせて自分たちの我を通したくているんじゃない。私は都の人々に伝えたい思いがある。都にはお方様のようにそれを求めて下さる人がいる。康行にだって私と同じくらい守りたい人がいる。その方々のために私達は闘う覚悟がある。決して誰も苦しめたりしないし、私も康行も苦しんだりはしない。


 私が苦しめば康行も苦しむ。康行が人を斬って苦しんだ時私も苦しんだように。だから苦しむようなことはしない。私達は幸せになるために、お方様や殿をお幸せにするために、都に戻るんだ。


 お父様は私達にはそれが必要だと言う事が分かっていながら、反対をしている。それはお父様の親心で理屈で割り切ったりは出来ないもの。それほど心配して下さっている。


 だけど、分かって頂かなければならない。私はもう、お父様の傍から離れる時が来ていることを。


 私達はお父様達のように、運命に流されて生きるんじゃない。それでもお父様達は出来るだけの事をして幸せだったと思うけど、私達は違う。


 そんな、お父様への思いも込めて、私は一日に何度も何度も琴を奏で続ける。



 

 そして髪が早く伸びるように、髪の手入れにも専念した。髪に良いとされる食べ物を、毎日残さずたいらげた。


 海で取れた物が良いと言うけれど、日持ちのしない今、なかなか取り寄せるのも難しかったが、茹でた貝や、海藻などに貴重な氷を詰めさせて、出来るだけ早く運ばせては懸命に食べた。


 頭を冷やし、髪を長くしてくれると言う米のとぎ汁を(当時はそう信じられていた)康行からもらった櫛に浸し、何度も丁寧に櫛といていく。


 一日も早く髪が伸びますように。私達の想いがお父様に伝わりますように。


 そう願いながらせっせと櫛けずり続けていた。



 だけど長雨の季節が終わり、夏の日差しが照りつける頃になると私は痺れを切らしてきた。もう、随分長く康行の姿を見ていない。


 実は何度か邸を抜け出す機会はうかがっていた。髪が伸びるまで信じて待つとは言ったものの、全く話もできなくなるとやっぱり不安もついて回った。


 でも、ここは田舎の邸。父は物持ちだが家族が共に暮らす事を望んで、部屋こそは分けているものの、私は父と同じ屋根の下で暮らさなければならない。以前はそれが嬉しかったのだが、事がこうなってしまうと抜け出すには厄介だ。気配がすぐ、誰かに気取られてしまうから。


 庭には出られても、門前には使用人がいる。裏口だって見張られているし、父に固く言われているのは分かっていた。ここは父の邸なのだから父の言う事は絶対だ。



 ある日私は邸の松の木に目がいった。子供の頃は良くあの木に登って、お義母様にしかられたっけ。松も立派に育って邸の塀の向こうまで枝を伸ばしてしまったのね。


 ふと、思いついた。あの木を登って邸の外に出られないかしら?


 登り方は身体がすっかり覚えてしまっている。あの枝をつかんで、あのあたりに足を引っ掛けて……。子供の頃の記憶が鮮明に蘇る。


 田舎での暮らしなので都にいる時ほど取り繕うような装いはしていない。しかも今は暑い時期なので軽く、薄い物を身につけている。今までよりはずっと動きやすい格好だ。


 着物の裾を紐でからげて見る。結構動きやすそうだ。一番重くて動きの邪魔になる髪も、皮肉なことに今は短い。何とかなりそう。



 康行が今日も邸の門で父に会いたいと言っている。邸中の注目が門の方に集っている。登るなら今の内だろう。


 私は思い切って松の木の枝に手をかけ、登り始めた。やはり身体はよく分かっていた。子供のころと変わらず、するすると上へ上へと登って行く。


 塀の向こうへと伸びる枝に手をかけた時、康行が私の姿に気がついた。慌てて枝の下へと駆けつける。


「なんて事をしているんだ! お前は!」


 康行が大声を出したので、皆も私に気づいてしまった。


「大きな声出すからみんな気がついたじゃない。大丈夫よ。この木には子供の頃良く登っていたから登り方のコツを知っているの」


「そういう問題じゃない! お前、子供の頃と身体の大きさが違うんだぞ!」


「へ?」


 そんな事を言っている内に枝がみしみしと音を立て、ついにはボキリと折れてしまった。私は前かがみに落ちて行ってしまう。


 康行は私の真下へ来て見事に私を受け止め……ると言うよりは、私の下敷きになってしまった。


「康行、康行、大丈夫?」


 私は急いで飛び退くと康行に怪我が無いか確かめた。


「大丈夫だが、本当にとんでもないなお前は。目が離せない」


 康行はいつものあきれ顔で私を見ていた。うん、この表情が康行らしいわ。



「まったくだ。私も育て方に自信が無くなった。甘やかしすぎにも程があったのかもしれない」


 気がつくと父が私達を見下ろしていた。


「お父様、これは私が勝手にした事なの。康行は関係ないわ」


 私は慌てて父に言った。だが父は、


「そんなことは分かっている。このような娘を田舎に大人しく閉じ込めておけるわけがない。私が育て方を間違ったのだ。これでは御簾の内の方々でも目の行き届きようがないであろう。康行に見張らせるしかないではないか」


 と、ため息交じりに言った。


「お父様?」


「会っても良いと言っているのだ。康行もこんな娘でよいのなら、しっかりと見張り続けてくれ。でなければこちらの寿命が縮んでしまいそうだ」


「御父上……ありがとうございます」


 康行がひざまずき、深々と頭を下げた。


「花房、何をぼやぼやしている。康行を邸に入れて、打ったところが無いか見てやれ。お前が原因なのだからな」


 お父様が、ようやく許してくれた。私達の事を分かってくれたんだわ。


「さすがは馬飼い。このようなじゃじゃ馬を良く手なづけたものだ」


 父はそういいながら笑ったが、私達に向けた背中は、少しだけ寂しそうにも見えた。






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