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藤の花の匂う頃  作者: 貫雪(つらゆき)
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親心

 翌日、お父様は約束通り康行を私の邸に呼んでくれた。私は父が反対している事情をかいつまんで説明しようとしたが、


「その辺の話は聞いている」


 と、康行はさえぎった。どうやら昨日私が聞いた話とほぼ同じことを康行にも父は説明したらしい。


「お父様ったら、自分だってそれほどの思いをしてお母様と結ばれたのなら、私達の気持ちも分かってくれていいはずなのに。なんで都に行くなら別れろなんていうのかしら?」


 康行に言っても仕方のない事なんだけど、私は愚痴らずにはいられなかった。


「いや、俺は御父上の気持ちが分かるな。お前の父上の後悔は本当に深いものなんだと思う」


「どうして? お母様は絶対幸せだったと思うけど」


「そうかもしれないが、お前の父上の気持ちとしては満足はいかなかったはずだ。俺も身分のない男だから御父上の立場だったら、きっと同じような気持ちになる。身分のある方々は通う先の親たちに世話してもらうのは当然の権利かもしれないが、俺達の様な男はたとえ半人前に満たなくともせめて自分の身は自分で始末がつくようになってから、自信を持って妻を娶りたいものなんだ。財も身分もなく身体一つで生きている以上、自信が無ければ妻も我が子も守れないから」


「でも、お父様は命懸けでお母様を守ったじゃない。康行だって私を二度も助けてくれたわ」


「そういう守り方だけじゃ納得できないんだよ。男は特に。それは一時の勢いで情熱に突き動かされての事なんだ。俺、お前が俺をかばって太刀の前に躍り出た時、目の前が真っ暗になった。二度とお前をああいう事に巻き込みたくはない。ああいう時は理屈抜きに行動に走ってしまう事が良く分かった。だから普段からお前をもっと守っていたいんだ」


「ずっと見守ってくれていたじゃない」


「それじゃ足りないんだ。お前が笑ってのびのびと暮らせるように出来る男になりたいって願うんだよ。御父上だってそうだったと思う。お母上をもっと、都の噂や人の目、いろんな圧力から守って差し上げたかったんだと思う。お前の祖父殿の影にいるのではなく、堂々とお母上を慈しみたかったんだと思う」


「でも、それならお母様だって守られるだけではお辛かったと思うわ。お父様達と一緒に耐える事が出来て嬉しかったんじゃない?」


 足を引っ張るくらいならと川に身を投げられたお母様だもの。黙って守られていたかったはず、ないと思う。


「そうかもしれないな。でも、都の噂は本当に過酷なものだからな」


「それは私も知ってるけど」


 しかし康行は首を横に振った。


「いや、本当には分かっていないと思う。都には三種類の噂があるんだ」


「三種類?」


「一つは俺達庶民の噂だ。起った出来事を真正面からとらえ、憶測して次々と広まって行く。そこに男なら好き心を大袈裟に広めて面白おかしくする。そうやって仕事の息抜きに使うんだ。お前の噂だって町の男達からは女と夜忍び逢う時の枕詞のように言われているし」


「いやね。男って、どうしてすぐそっちの話にするのかしら」


「顔も姿も分からない人間を憂さ晴らしに使うんだからそんなもんだ。女だってそうだ。こっちは日々の暮らしの憂さ晴らし。手の届かない世界を羨んで、妬みから勝手なことを言いだすのさ。お前の様に御簾の内にこもっていたら、聞こえないような噂でいっぱいだ」


「聞こえないんならそれでいいわ。聞きたくもないしね」


「だが、そういう噂は高貴な方々の耳に入ると、さらに歪む。それが二つ目だ。今度は単純な羨みなんかじゃない。自己保身がかかっている。妬み方も普通じゃないから歪み方もひどく攻撃的になる。こういう妬みはお前の方が知っているんじゃないか?」


 言われると思いだす。桜子さんの妬み、憎しみ、他の女房達の冷たい視線。時にはわが身を滅ぼすほどの憎しみにさえ変わる。


「そして三つめ。さらに高貴な殿上人の方々に広まる噂だ。これは俺達庶民の耳に届く頃にはすべて終わっている事が多いが、コイツは相当タチが悪い。かなり意識的に話をゆがめて、都合のいい一人歩きをする。誰かの都合の良いところだけが伝わり、攻撃される本人にはギリギリまで耳に入らない。それも計画的に流しているから事が大きくなる。現にお前の祖父殿は失脚させられ、帝が帝位を御譲りになるくらいじゃないか。人や、国の運命さえも変えてしまう恐ろしい噂だ」


 国の運命までも。恐ろしいことだが確かにそうだ。そして公達と言うものは時に恐ろしく残酷な事も私は知っている。


「お前の祖父殿はそういう噂の矢面に立って、お前の御父上とお母上を守っていたんだ。しかもお母上はそれまで風にも当てないように育てられていたんだろう? 現実が見えてきたお辛さは相当だったはず。そんなお母上を守る祖父殿の姿にお母上が苦しんだことも想像できるし、そのことを御父上が後悔なされるのも無理はない。なにしろご自分では何もできなかったのだから。男としてどれほど悔しかった事か」


 そう言えば姫様……今のお方様がお小さい時に、ひどい噂やそれを気づかう周りの者たちの接し方にひどくお苦しみになって、もののけにつかれたようになったと聞いたっけ。都の噂の恐ろしさと言うのは、私が考える以上の物があるみたい。


「おまけにお前は前帝様から狙われた身。いくら今は幽閉状態も同然のお扱いを受けているとはいえ、親心としてはお前を都に行かせたくなくて当然だ。俺達の事を反対しているのは生き方が違う俺達の先々の心配も勿論だろうが、本当はお前が都に戻ることを諦めさせたいんじゃないかな?」


 親心。それを言われると私もつらい。お父様がどれほど私を大切に思って下さっているか聞かされたばかりなのだから。


 それなのにお父様は私が都で生きがいを感じていることを知って下さっている。頭ごなしには反対できなくて、なんとか康行とここで平和に暮らせるようにと、わざと私を煽っているんだわ。


「お父様も、お苦しいんだわ……」


「そうだな。どうする? お前はここで俺と生涯暮らして行きたいか?」


「ずるいわ。私だけに決めさせようなんて。康行はどう思っているのよ?」


 すると康行はいつものからかうような笑顔になって、


「どう思うも、お前が大人しく俺の妻だけでなんかいられるもんか。これだけ都の恐ろしさを教えられてもお前は都に戻りたくって仕方がないんだろう? むしろ都人たちがあっと驚くような演奏をしてやろうと、挑み心が湧き上がっているんじゃないか?」


 こっちの考えはお見通しなのね。康行ったら人が悪くなったわ。私のせいかしら?


「言っただろう? 俺はお前を縛らないって。お前がどんな世界に飛び込もうと、出来るだけの事をしてお前を守ってやるよ。若殿にどんな無理を言ってでもお前を見守るし、いつだってお前の帰る場所でいてやる。俺達はお前の父上達とは違う。もっとやり方があるはずだ。たとえ御簾の内と外に分かれていても、俺達は一人じゃない。俺には若殿がいるし、お前にはお方様がついていらっしゃるんだ。諦める事なんてないはずだ」


 そう私も思っていたけれど。そうするつもりで最初からいるのだけれど。


 それでも康行にこう言ってもらえるのは心強かった。そう、私達は一人じゃない。どんなに世界が離れてしまっても、心はずっと繋がっている。これは決して一時の情熱に浮かされているんじゃない。私達には分かっているんだ。


 だって康行は、私が忘れてしまっていた幼い日の約束を、叶えてくれたんだもの。


「あきらめないわ。髪が伸びたら私は必ず都に戻る。もちろん康行と別れたりなんかしない。お父様を呼びましょう。話を聞いてもらわなくっちゃ」




 私はお父様に髪が伸びたら都に戻ると断言した。もちろん、康行と別れる気もないと。


「それは許さん。どうあっても都に行くと言うなら、康行を花房の近くには近づけさせん」


 お父様はガンとして言い張った。しかし康行は、


「そうはいきません。私は御父上にお許しをもらって堂々と花房に通いたい。ですが、花房から自由を奪い、ここに逃げ込むような真似もしたくは無いのです」と言う。


「私の後を継ぐのは、逃げになると言うのか」


「私にとってはそうです。花房は都で自由に自分の力を試すべきだ。花房もそれを望んでいます。それをさせずに御父上の陰に隠れてコソコソと生きるような真似を、私はしたくありません」


「康行! なんてこと言うの!」


 私は叫んだ。まるでお父様の過去になぞらえて挑発するような言い方だ。


「自分の手の届かぬ御簾の向こうに花房を入れる事が花房の幸せだと言うのなら、何故花房と別れない? 御簾の内に入った花房にお前が何をできると言うのだ」


 お父様は挑みかかるように康行に喰ってかかった。当然だ。康行の方がお父様を煽っているんだから。






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