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藤の花の匂う頃  作者: 貫雪(つらゆき)
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身代わり

 その夜、中納言家はにわかにざわめいていた。大納言家の若君、近衛の大将がおこしになっているのだ。


 只今中納言様とご歓談中で、後ほどこちらへも御挨拶に来るという。


 御挨拶と言っても、姫君と大将様は顔を合わせることはできない。奥に引きこもられた御姿も見えないし、もちろん姫君の御声をお聞かせするわけにもいかない。事実上、周りで働く私達との顔合わせのようなものである。


 果して姫君様のお相手はどのような貴公子なのだろうかと、私達はワクワクしながら待っていた。


 姫君は部屋の一番奥の御簾の中、さらに几帳を立てたその奥に脇息に持たれていらっしゃる。


 そのそばには乳母の君と上﨟と呼ばれる古参の女房が控えている。手前にはやすらぎ達若い女房。その中に私もいて、御簾のうちから出てきては、畳や敷物の用意をする。 


 実は私は身分がとても低いので、女房の中でも女童めのわらわ……小間使いとほとんど同じような仕事が多い。姫君や上臈の女房の人は几帳の中から姿を現すことがないので、身分が軽い私の様なものが直接客人のお世話をする。


 客人のお世話をするのに顔を隠す訳にはいかないので、私のように御簾の外に出るものは皆、かしこまる意味も兼ねて頭を低く垂れている。御簾の中の人ももちろん頭を下げているけど、御簾のうちから外はよく見えるのだが、外から内側はほとんど見えない。姫君や上臈の人たちはさらに几帳の向こう側なので、もっとお姿を見られることは無い。


 知らせを受けてしばらくすると、衣擦れの音とともに大将様がやってきた。私は一層深く頭を下げる。


「春とは言え、いまだ梅も咲き初めぬような冷やかな夜に、わざわざ足をお運びくださり、ありがとうございます」


 姫君の御言葉を声が良くて同じ年ごろのやすらぎが、大将様にお伝えする。


「本日は中納言殿にご相談があってお伺いしたのですが、こちらにも少し御挨拶をと思いまして」


 大将様の御声を聞いて、わたしは「え?」と、戸惑った。聞き覚えのある声だ。


 下女が運んでくれた酒と肴を御前にお出しするのに、私は思い切って大将様のお顔を見た。


 そこに座っておられたのは、昨夜、私をからかわれていた、あの上達部だった。私は唖然とした。



 どおりで「大将」と、軽々しく呼んでいらした訳だわ。だって当のご本人だったんだから。


 警備の間をすり抜けられたのも至極当然。姫様の部屋の周りの警備に侍を用意したのは大納言家。おそらく大将様ご本人だ。ここの警護に誰よりも詳しい。皆の前では私も大将様も知らんぷりをしていたけれど、私の驚く顔を見ておそらく大将様も、心の中では昨夜のように噴出していたに違いない。


 なんてばつが悪い。


 こんなこと、誰にも言えやしない。姫君様のご結婚相手に、夜、人気のない所で、顔を見られてしまったんだから。


 大将様がお帰りになられた後、皆がかしましく大将様をほめたたえる中で、私はつい、黙りがちになってしまった。


 姫様ややすらぎが心配するのは分かっていたけど、私の中で大将様は「変な公達」から「とんでもない公達」に格上げされてしまっていたので、とても口を開く気にはなれなかったのだ。


「どうしたの?具合が悪いのなら下がって休んでいいのよ」


 そう姫様に言われると、申しわけなくなるんだけど。


 そこへ今度は中納言様のお使者がいらっしゃって、私とやすらぎに話しがあるから参上するようにと言われる。


 乳母の君や、上﨟の方々を差し置いて、私達に話しなんて。昨日から異常事態のてんこ盛りだわ。




 中納言様の前に参上すると、中納言様は北の方とともに深刻な趣でいらっしゃった。


「実は今日、大将殿がうちに来たのには訳がある。このままでは一の姫の身に危険が及びそうなのだ」


 私とやすらぎは顔を見合わせた。どういうことだろう?


「今上の兄帝で、前の帝だった方を知っているな?」


 前の帝はお小さい頃から御気性が荒く、帝の地位につかれてからも、中納言様とのそりが合ってはいなかった。


 そのため何かと政務上の衝突も多く、国の人心も真っ二つに割れてしまった。


 そこで中納言様は一計を案じた。その頃、前の帝には大変ご寵愛が深い女御様がおられたので、その方がご病気になった際に、病気平癒の祈願に大変効果があるという、ある僧侶を宮中に招いて、日々御祈祷を続けさせた。


 その僧侶は日ごろから国の政策が二つに割れている事に心を痛めていて、女御様をご心配するあまり気の弱くなっている前の帝に、連日のように御国譲りをそそのか……いや提案していたという。


 その甲斐あってか、前帝は弟宮にその地位を譲られた。そして女御様も回復したかのように思われた。


 ところが女御様は翌年にあっけなく亡くなってしまった。


 当然中納言様は前帝に恨まれた。このような形で帝の地位を追い落とされた前の帝に同情が集まり、中納言様の信用は落ちてしまったかに見えた。


 それを追って今度は大納言様の力が大きくなっていった。世の流れは大納言様と今の帝へと移っていく。



 しかし中納言様もしたたかだった。大納言様が勢力を伸ばすのに、中納言様も自ら全精力をかけて協力していた。大納言様はとうとう都の権勢のほとんどを支配するにいたった。自らの娘を后に据え、東宮を産ませ、盤石の地位を築いたのだ。献身的に協力していた中納言様もそれに次ぐ力をつけた。


 一度、信用を落としているので、いまだに政敵も多く、一の姫様の御入内は叶わなかったものの、こうして大納言家との結婚にこぎつけて、両家の力と依存しあう関係はますます深まっている。これは国中の人間が知っていることだ。だから前の帝、と言えば、この邸では中納言家を恨む恐ろしい方、というのが普通の見方になっている。



「前の帝が嵯峨野の別邸に、怪しい者達を集めていると聞いた。色々と探ってみるとどうやらこの結婚を阻むために姫を拉致しようとたくらんでいるらしい」


「これ程警備が厳しい中をですか?」

 にわかには信じがたい。


「花房、先ほど大将殿に聞いたのだが、昨夜、お前は大将殿と会ったそうだな」


 私は思わず青くなった。男君が女房を相手にするのは許されているとはいえ、(むしろ、邸に引き留める理由は多い方がよいとはいえ)今は結婚前だ。間が悪い。


「も、申しわけございません!」

 これでは暇を出されても仕方がない。なにもなかったことをどう証明しよう?


「お前を責めるために呼んだのではない。詳しい話は大将殿から聞いている。実はお前に頼みがあるのだ」


「私に、ですか?」


「お前に姫と入れ替わってもらいたい」


 一瞬、私は息が出来なくなった。いったい何を言い出すんだろう?


「さっき、お前に聞いたとおり、大将殿は昨夜、姫の近くに忍び込む事が出来た。つまり、内部に詳しい者が裏切れば、姫をさらうことは決して不可能ではないということだ。昨夜、大将殿はそれを試されたのだ。今、この屋敷には大勢の人間が出入りをしている。このままでは危険だ。そこで姫を別の場所に移そうと思うのだが、姫がいないことを怪しまれては困る。そこでお前に姫の身代わりを務めてほしいのだ」




 身代わり? この私が? よりによって姫君様になり変われというのか?


「そんな事が出来るのでしょうか?」


 私はすぐには頭が回らなかった。隣でやすらぎも唖然としている。


「姫の新しい寝所には、明日にも移る事が出来よう。少し早まったが明日、さっそく引っ越しをする。その時にお前と姫に入れ代ってもらう。このことを知っているのは私達夫婦と乳母、姫のごく近しい女房達だけだ。上﨟の者達と乳母には姫について行ってもらう。お前には新しい寝所で、やすらぎ達と一の姫として三日夜を迎えてもらう。その夜の宴の時にまた入れ替わってもらう手筈にしようと思う。礼はどんなことでもする。これはぜひ、引き受けてもらいたい」


 ここでやすらぎが口をはさんだ。


「待って下さい。花房さんの身の安全は守られるのですか?」


「警備は今まで以上に厳しくする。もちろん花房は寝所の奥から動いてはならない。出来うる限り家人にも姿を見せずにいてほしい。やすらぎ、お前は姫の事に一番詳しい。いかにも姫がそこにいるようにふるまってほしい」


 姫様は寝所の奥でご結婚を待つ身。確かに黙っていればやすらぎの演技次第でごまかすことは可能だろう。しかし、私としては問題がもう一つある。


「三日夜の宴までの身代わりとおっしゃいましたが、その前の二日間に大将様は御寝所に通われる訳ですよね」


 それがどういうことを意味するのかは、知っていての依頼なのだろうが。


「結婚には三日間、通うのがしきたり。当然大将殿も通われるが、事情はすべて知っておられる。大将殿はお前の顔を見知っているのだし、勘違いなさることはない。大将殿なら決してお前を悪いようにはなさらないだろう」


 やっぱり。中納言様は私をかなり軽んじてらっしゃる。命は守って下さるだろうが、あとは大将様の御心次第か。身分のいやしい私が顔を見られている以上文句は言えないという訳だ。


 私だって、ここまでされればこんなお話はお断りしたい。身分は低くても低いなりに、女人としての自尊心はある。


でも、ここで私が断っても、他にこの役を引き受ける女房がいるとは思えない。こんなことまでするということは、本当に姫様の身に危険があるということなのだろう。


 やすらぎが心配そうな視線を私に向けてくれている。姫様がいなければ、私はここにいることは無かった。


「分かりました。お引き受けいたします」



「あなたは昨夜、公達を見かけたのではなく、大将様にお会いになったのね」


 姫様の部屋に戻る道々、やすらぎは私に問いかけて来た。


「やすらぎ、私、大将様とは」


「分かってるわよ。なにもないんでしょう? あなたは琴を弾いていて、引っ込み損ねただけ。それに女の部屋の前に忍び込んでこられたのは大将様のほう。あなたは何も悪くないわ」


「ありがとう。信じてくれて」


 中納言様に軽んじられたあとだけに、やすらぎの気持ちが身にしみる。


「あなたのような人が姫様を裏切るような真似が出来る訳が無いわ。夜がれ(夫が通わなくなる)の心配がある夫婦ならともかく、これからご結婚なさろうという方に、あなたの方から声をかける訳が無いじゃないの。こういう時は身分を気にしていてはだめよ。あなたは堂々としている時が一番輝いているんだから」


 こんな風にやすらぎに励まされていると、郷里に吹く、一陣の風を思い出す。向かい風に向かって何かに立ち向かっていく時の、湧きあがるような心を取り戻すことが出来た。


「でも、本当に良かったの? こんなことを引き受けてしまって」

 やすらぎは心配してくれる。


「ええ、大丈夫よ。両家とも面子をかけて私を守ってくれるはずだし、大将様も、昨夜お話した限りでは少し軽々しいところはあっても、いい加減な方とも思えなかったし。私がしっかりしてさえいれば、事はうまく運ぶはずよ」


 私は取り戻した自信を支えに、心がすっくと立ち上がったように感じていた。




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