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藤の花の匂う頃  作者: 貫雪(つらゆき)
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身投げ

 私はその頃武蔵の国の豊かな恵みを都人たちにいい値で売ることはできないだろうかと考え、一念発起して京に出てきたばかりだった。


 もともと親の代からそこそこは豊かな暮らしだったので、郷里に居れば相応の暮らしは成り立っていたのだが、やはり一度は都人を相手に物を売ってみたい気持ちがあった。


 京の都は何でも物の値が張るのだが、田舎の物となるとどうしても見下げられるところがあって、普通に取引をしたのでは分が悪い。


 武蔵の国の物は決して都に劣らない。絹糸にしても、馬、牛と言った家畜にしても、十分都人に喜ばれるに値する価値があると私は思っていた。


 ある程度身分のある方々にその良さを分かっていただければ、きっと商売が成り立つ。


 そう考えていたが、肝心のそういう方々との繋がりが無い。田舎者と言うだけで都の邸では下人でさえも相手にされず、まして高貴な方々に仕える人たちに品物を売り込むなど到底かなわない。


 それに、郷里の品は質はよいのだがそれを生かす技術に長けているとは言えない。たとえば絹糸も、都の機織りの技術があればもっと立派な絹として通用するはずなのだが、織が稚拙なばかりに「所詮、田舎の絹」と言われてしまうのだ。


 だからそういった技術で良い立派な品を作り、高貴な方々に認めてもらえたら。


 若い私はそんな理想を抱いて都にやって来ていた。


 しかし現実は甘くなかった。どこに行っても、誰に声をかけても門前払い。話しすら聞いてはもらえない。どうやって当てを作ろうかと私は思案していた。


 そんなある夜、その日は暑い夏の日だったので私は外に涼みに出ていた。都の夜は物騒だと知ってはいたが暑さにはかなわなかった。


 川岸は少しは涼しかろうと川べりに向かって歩いていくと、向こうに白い何かがぼうっと夜の闇に浮かびあがる。いったいなんだ?


 どうにか闇に慣れた目をよく凝らして見ると、それは女の姿に見えた。


 こんな夜更けの川岸に女の姿? これは夢か? 幻か?


 京の都は庶民には過酷なところで、行き倒れた者がそのまま餓死して川に流れる事も多い。そんな者の魂がもののけとなってさまよい歩いているのだろうか?


 ひょっとしたらもののけに取りつかれるかもしれない。関わらない方がいい。


 頭ではそう思うものの、すらりとした女の姿に私は思わず近づいた。


 それはとても美しい女で、はかなげな姿に白い肌。とても質の良い衣を一枚身にまとい、豊かな黒髪が美しく流れ、まるで天女のように見えた。私はすっかり見とれてしまっていたが、天女のような女は目から一筋の涙を流した。



 これは幻でも、まやかしでもない。まして、もののけなどではない。生きた人間の女だ。


 そう確信した時、女が岸から川に身を躍らせ、飛び込んだ。身投げだ!


 私も慌てて川へと飛び込む。決して泳ぎが得意な訳ではなかったが、目の前の美しい女を助けたい。その一心で身体が動いてしまった。


 まず、自分が浮かび上がると、女の姿を探す。その身をつかんで自分の元に引き寄せようとするが、女の長い髪が川の流れに持って行かれてしまう。


 私は女の頭を支えながら無我夢中で岸を目指した。ようやく身体が水からはい出ると、ゼイゼイと息を切らしながら女の身を横たえ、頬をたたいた。


「もし、あんた、しっかりしろ。目を覚ますんだ」


 そう言いながら何度かたたくと、幸いにも女は意識を取り戻した。


「よかった、気がついたか。怪我は無い様だな。その衣や風貌を見ると結構な御身分の娘さんに見えるが、あんたが暮らしている場所はどこだ? いくら夏とはいえ濡れたままでは身体に悪い。送ってやるから早く着替えた方がいい」


 私はそう言ったのだが女は、

「何故、死なせてくれなかったのですか……?」


 そう言ってさめざめと泣きだしてしまった。


「何故も何も、目の前であんたのような綺麗な女が身を投げて、放っておけるわけがない。気がついたら俺も川に飛び込んでいたんだ」


「助けられても困ります。私はこのままではお父様達の足を引っ張るばかりです。私はお父様を追い詰めた憎い相手に娶られるか、死んでしまうよりほかに道が無いのです」


 そういう女の表情はまるで死人のような眼をしている。身を投げる以前に心がすでに冥土へと旅立ってしまったかのような顔だ。


「そんなことを言っちゃいけない。あんたのような身分のありそうな人たちの世界の事はよく分からないが、あんたに大事な親がいるならその親はどれだけ悲しむと思ってるんだ? 今は何も考えない方がいい。とにかくあんたを送って行こう。立つのが難しいようなら背負ってやる。そら、この背に乗ってくれ」


 すると女はためらうようなしぐさをする。


「怖がることは無い。俺はいやしい身だが、身投げしようとする女に手を出すほど愚かじゃない」


「いえ、そうではなくて。あなた、腕に怪我をしています」


「ああ、田舎者の俺でも夜の川に入ったのは初めてだから、もがくうちにどこかにぶつけたんだろう。この程度の傷、何でもない。さあ、しっかりつかまって」


 そう言って女を背負い、女の案内ですぐ近くの大きな邸の前に着いた。



 着いてみるとその邸は何処までも塀が続く大きな邸で、牛車や馬が楽に通れるような立派な門が構えてあった。一目でかなりの高貴な方が暮らす所と分かる。


 しかし、その様子はどこかさびしげで、うらぶれている。よく見ると築地塀の所々が崩れ、場所によっては夜目にも向こうが見通せるほどの穴さえあった。


「門は閉ざされていますが、この先に壁の大きく崩れたところがあります。私はそこから抜け出しました。そちらを回って下さい」


「これじゃ、どんなに門を堅く閉ざしても戸締りの意味が無い。塀をしっかり直さないと」


 そう言うと女は一層悲しげな顔で、


「今の私達に塀を直す余裕はないのです」

 と、ため息交じりに小さく答える。


 塀をくぐって広い庭を表に回ろうとすると、向こうから松明の明かりが見えてきた。


「ひ、姫君様!」


 背に載せた女の顔を見て、使用人らしき年老いた男が目を見開きながら叫んだ。


「心配をかけました。この方は私を助けて下さった方。決して怪しいものではありません」


 姫と呼ばれた女はさっきまでの頼りなげな姿とは違った、凛とした声で使用人にそう言った。


 明らかに人を使いなれた、自らに強い誇りを持つ人の言い回しだった。


「分かりました。すぐに殿にお知らせします。このままではいやしい者たちに御姿を見られてしまう。早く建物の中に入って下さい」


 深窓の姫君は決して位の低い者にその姿を見せたりはしないし、身分のないものも遠慮をして見ないようにするもの。私は戸惑った。


「私はここで……」

 そう言いかけたが、


「あなたは私の命を助けた方。それにあなたは姿を見るどころか、この身に触れているではありませんか。今更脅えたりなさらないでください。その傷の手当てもしなければなりませんし、きっと父はあなたにお礼を言いたいはず。このまま私の父に会って下さい」


 脅えるなと言われても無理がある。この姫の様子や邸の規模から考えてもここの主はかなりの身分のはず。だが、ここでこそこそと帰ったら、逆にこの姫に何かしたのではないかと疑われかねない。こうなったら腹を据えるよりなさそうだ。


 私は姫を背に抱えたまま、邸の建物に入った。すると姫に仕えているらしい中年の女房が真っ先に姫に駆け寄って、


「そのようなお姿では身体に障ります。早く、早く中でお召し替えを」


 そう言いながら姫を奥へと連れて行く。おそらくは姫の乳母なのだろう。姫は一瞬振り返り、私に視線を送ってくれた。さっきまでの死人のような眼の色が抜けて、鮮やかに華でも咲いた様な瞳だった。






おおいにフィクションで書いています。

当時は国司が各地方を管理し、荘園制度がしっかり確立していましたから、この話は無理がありますね。


封建制度の中では下々の者はあまり活躍できません。それではお話が動かしにくいので・・・

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