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藤の花の匂う頃  作者: 貫雪(つらゆき)
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帰郷

ここから「帰郷編」です。

 長い、長い旅だった。

 

 時には馬の背にゆられ、時には舟に乗り、時には自らの足で歩いて。


 京の都から武蔵の国までは途方もない長い旅路。その旅を私達はようやく終えようとしていた。


「お前の父上には必ず許しをもらう。一番最初にお前の事をお願いしよう。お前は父上に自分が生まれたいきさつを聞きたいだろうが、まず、先に俺からお前の邸に通いたいと言う事を伝えさせてくれ。俺は堂々とお前の元に通いたいんだ」


 康行はそう言って私と共に私の父の邸に入った。邸の前で私達の姿を見つけてから、顔なじみの使用人たちが皆、こぞって出迎えてくれる。父も建物のすぐ入口にまで出て来て私を出迎えた。


「おお、花房。長い旅でさぞ疲れただろう。早く中に入ってゆっくり休むがよい。食事もお前の好物をたくさん用意してある。都は意外に食べ物は質素だからな。ここでは滋養のある物を思う存分食べるといいだろう」


 そう言ってお父様は使用人が持ってきた足を洗うための水の入った桶をもどかしそうに奪い取って、私に麻布と共に差し出した。


「ちょっと待って、お父様。着いたそうそうで気ぜわしいんだけど、康行からお父様に話があるの」


 今にも私を座らせて、子供のように足元を洗おうとしている父に、私は慌ててそう言った。


「康行? いや、話なら後にしてくれ。今は花房と積もる話をしたいのだ。大将様との噂は耳にしたぞ。それに御所で帝からご衣裳を賜った話し、ゆっくりと聞かせておくれ。ああ、私は本当に鼻が高い。私のようなしがない者の娘が、このような立派な栄誉を受けるとは。お前は本当に素晴らしい子だ。良い子だ、良い子だ」


 父はそう言いながら私の市女笠を外し、私の頭を幼子のようになでて……その手を止める。


 何故なら、その拍子に私の切れてしまった髪が、衣装からこぼれ出て少し長めの尼削ぎ姿のように背中に広がったからだ。


「これは……なんとしたこと」

 事情を知らぬ父は仰天した。


「申し訳ございません! 花房の髪が斬り落とされたのは私のせいなのです。太刀で斬られかけた私を花房がかばって……」


「太刀? 斬られかけた?」


 父は目を白黒させ、手にしていた桶を落としてしまう。


「そうです。花房は私を命懸けでかばって、太刀でその髪を斬られてしまったのです。それほど花房は私を想ってくれているのです。私は御父上に、花房の元へ通う事を許可していただきたいのです」


 康行は必死な顔で父にそう告げた。が、途中から父の耳には届いていない。


 何故なら父は、白目をむいてそのまま気を失ってしまったから。


 使用人たちが父を支え、お義母様が奥から呼ばれ、邸中が騒然となってしまった。




 結局、康行は自分の家に帰り、お義母様はお父様に付き添い、私はその間に着替えを済ませ人心地ついた。やっぱり話があんまり急過ぎたかしら? これは事情をを理解してもらうのが大変そうだわ。そう思ってため息をついていたらお義母様が、


「お父様が気がつかれました。私とお父様に詳しい話を聞かせて頂かないと」

 そう言って私をお父様の前に連れてくる。


 お父様は顔色こそまだ優れないようだったが、気はしっかりとなさったようだ。


「で、一体どういう事なのだ? 康行をかばって太刀で女の命の髪を斬りおとされるとは」


 そこだけ話しても理解してもらうのは難しそうだ。


「待って、お父様。順を追って話をするから」



 私は上京してからの出来事を、事細かに説明した。


 途中、姫様の身代わりになった事や、賊に連れ去られた事のところでまた気を失うんじゃないかと思ったけど(お義母様は実際、気を失いかけたけど)、どうにか耐えて私の話を聞き続けてくれた。

 

 そして私は、康行がどれほど私を守ってくれたかを語り、彼がいなければ私は命が無かったに違いないと、康行を褒めそやした。


 ただ、お義母様はすっかりおびえてしまい、


「もう、そのような姫の元にお仕えする必要はありませんわ。いつ花房さんの身に危険が及ぶとも分からないじゃありませんか。それにいくら身分が低いとはいえ、お付きの女房は沢山いるのになぜ、花房さんばかりが身代わりにされたり、狙われたりしなくてはならないんでしょう?」


 と、顔色を青ざめながら言う。当然の疑問だわ。


 でもそれは私がお父様に聞きたい事の確信に触れてしまう。そしてその話はお義母様の前では持ち出しにくかった。


「その事で私、お父様にお聞きしたい事があるの。私の生みのお母様の事なんだけど」


 そう言って父の顔を上目遣いでうかがう。父も気まずそうにお義母様の顔を見た。


「……私は花房さんが持ち帰ったお土産物でも拝見させていただくわ。お二人でゆっくりお話して下さい」


 お義母様はそう言ってその場を離れた。



「お父様。中納言様は私に、お父様はお母様を邸から盗み出して強引に妻にしたとおっしゃいました。そして、お父様が財をなす元手を作ったと。それは本当の事なの?」


「中納言殿は約束を破られたのか」

 父は苦々しげにそう言った。


「私にお母様の事は告げないとでも、約束していたの?」


「その通りだ。私は中納言様が前帝様を惑乱させた僧侶に送った、『帝に御国譲りを促すよう進言せよ』と書かれた文を持っている。昔、お前の母の父上からから受取ったものだ。これを持っている以上、中納言様は私とのお約束を破られる事は無いと思っていたのだが」


「お父様は都から離れていらっしゃるからご存じないでしょうけど、今や、大納言家を後ろ盾に中納言様は大変な力を持っていらっしゃるの。康行が人一人斬り殺そうとももみ消してしまえるくらいにね。そんなお文、きっと今では簡単に無かった事にされてしまうわ」


「そうか。私が甘かった。田舎者の浅知恵などこんな物か」


「中納言様がおっしゃったことは本当なの? この髪は前帝様が私の御爺様を今も恨んでいて、孫の私を狙って斬り落されてしまったの」


 私は肩の下に広がる髪に手を触れながら、父の目を見た。


「中納言様は私の御爺様はお父様にお母様を売ったようなものだとおっしゃった。でも、大将様は御爺様は立派な方だったとおっしゃったわ。ねえ、本当は何があったの? お父様はお母様を無理やり妻になさったの?」


 聞く前は口にするのが恐ろしいとさえ思っていた質問が、矢継ぎ早に飛び出してしまう。一刻も早く父から否定の言葉を聞きたかったのかもしれない。


「中納言様の言うとおりだ。私はお前の母をさらって、妻にした。私がそんなことをしなければお前の母は中納言様の妻となっていただろう」


 聞きたくなかった言葉が、父の口から語られてしまった。


「そんな。それでは私は、お母様に望まれずにこの世に生まれてきてしまったの? 御爺様は私を疎んで都から私を追い出したの?」


 私は父を問い詰めるような口調になった。


「いや、違う。中納言様の言った事も本当だが、大将様がおっしゃったことも本当だ。お前の祖父殿は大変、立派な方だった。おそらく誰よりもお前の母を愛してやまなかったに違いない。むろん、お前の事もだ。あの方はお前達を愛するためなら身分も、都の常識も覆す事を厭わなかった。それにお前の母がどれほどお前を可愛がったか。お前が小さすぎて憶えていない事を私がどれほど残念に思っているか」


 父は私の切れた髪が広がる肩に触れ、まるで懇願でもするかのように言った。


「……詳しく、聞かせて下さい。お父様と、お母様の事」


「そうだな。話さねばなるまい」


 そう言って父は、真実を語り始めた。


 

                                        


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