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藤の花の匂う頃  作者: 貫雪(つらゆき)
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守る

「花房!」

 大将様が馬を下り、私に向かってこようとするのを康行が慌てて止めた。


「やすらぎ!」

 忠長様もやすらぎに向かって駆けつけようとする。


「忠長! 大将様を止めて!」

 やすらぎが叫ぶ。言われて忠長が大将様にしがみついた。


「大将様! 姫君様を守って!」

 私もとっさに叫んでしまった。


 その拍子に大将様と私の目があった。その目に苦渋の色が浮かぶ。たぶんそれで分かってしまったのだろう。


「こっちか!」

 そう言って男は私を引っ張っていこうとした。


「あなた達、本当に私が大将様の想い人だなんて信じてるの? そんなの都人が好き勝手に立てた噂に決まってるじゃない。大将様とは何でもないわ。私は何の役にも立たないわよ」


 私は抵抗はし、ずるずると引きずられながらもそう言った。向こうでは忠長様がやすらぎを助けようとしているのが見えた。


「そんなこと、どっちでもいい。三条様の後ろには前帝様がついていらっしゃる」


「前帝様が?」


「前帝様は中納言とあんたの祖父を大層恨んでおいでだ。中納言家の顔を潰し、ちょろちょろとうるさい大将の動きを封じてあんたを差し出せば、前帝様はさぞかしお喜びになるだろう」


 前帝様が三条様を後ろ盾しておられたなんて。


「それじゃ、最初から姫君じゃなく私を狙っていたのね」


「そうさ。その身分で中納言家の姫のそばに仕え、身代わりまでさせるなんてただの女房とは思えねえ。ちょいと調べれば分かる事だ。生き残りの娘の方は御所勤めで後宮に引っ込んじまっているから手が出しにくかったが、お前は身分が低くて隙を狙えそうだったからな」


 叔母様も狙われていたのか。でも、御所の奥深くの後宮までは、さすがの前帝も手が出せなかったんだわ。


「だが、お前は前帝様が真底恨んでいる中納言家の女房だ。前帝様の恨みを、一身に受けちまったのさ。俺はあんたにゃ恨みは無いが、前帝様がお前をご所望だからな。都に出て来たのが運のつきだったとあきらめるんだな」


 なんてこと。私のせいで姫様達を危険な目にあわせてしまったんだわ。


 このまま黙って連れ去られてたまるもんですか。



 男は私を馬に乗せようと、私の身体を抱えようとした。私をつかみ直すためにその手が襟元にかかる。


「あきらめたり、するもんですか!」


 私は男が襟をつかんでいるその手に、思い切り噛みついた。

 

 男は「ギャッ」と言う声と共に私を離す。


「この、小娘!」


 その顔に怒りが現れ、私の頬を大きな手で叩いた。その勢いで私の身体が投げ出され、地面にたたきつけられた。


 そして男は大きな太刀を抜いていた。そのまま私に太刀を振りおろそうと構える。男は頭に血が上って見境なくなっている。斬られる!



 その時誰かが男に向かって斬りかかってきた。康行だ。何やってんのよ! バカ!


 男は私の身体を放し、康行と刀を合わせた。このままでは男と康行は斬り合いになってしまう。私は叫んだ。


「ダメ! 康行! もう、人を斬ってはダメ!」


 康行に人を斬らせてはいけない。これ以上、康行を苦しめさせてはいけない。今、人を斬ったりしたら、康行の心は壊れてしまう。まして、私のために苦しめたくなんかない。


「逃げて! 康行! 逃げて!」

 私はそう叫ぶが、康行は引こうとしない。


 二つの太刀は咬みあったままビクとも動かない。斬りに行く男の力を、康行がしっかりと押さえこんでしまっている。ギリギリという刃のこすれるような嫌な音だけがその場に響いた。


 ついに康行は男の刀を振り落とした。さすがは武蔵の男、力勝ちしたらしい。そのまま男を突き飛ばす。


 すると今度は別の男が私に迫ってきた。康行がすぐに気がついて男につかみかかろうとする。


 その時、さっき突き飛ばされた男が、康行に向かって斬りかかって来るのが見えた。康行は気がつかない。


「危ない!」




 何も考えられなかった。一瞬だった。全ての迷いも戸惑いも消えた。ただ、康行を守りたかった。


 私は賊に背を向け、康行を突き飛ばし、覆いかぶさった。私の背に向かって刃が振り下ろされる気配がした。避け切れない!


 康行が目を見張るのが見えた。太刀をつかみ直して私に斬りかかった男に向かおうとするのが見えた。


 私の長い髪が風に舞って飛んで行くのも見えた。背中にも冷たい風を感じる。衣装も斬られたのだろう。

 

 ああ、きっと、私の人生もこれで終わるのね。康行はあの下働きの少女と幸せに暮らせるかしら? 私のように迷ったり、意地を張ったりするばかりでなく、あんな風に一途に思いを寄せる人に想われていれば、きっと幸せになれるだろう。その時に、ほんの少しでも、私の事を思い出してくれるかしら?


 康行は私を守ろうとしてくれた。その康行を私は守る事が出来た。それで私は十分だわ。痛みもまるで感じない。ありがたいことだわ。このまま幸せな気持ちでお母様の元に逝けるのなら。




 しかし、それにしてはおかしい。周りの怒号や、悲鳴ははっきり聞こえるし、背中に通る風も感じる。ちゃんと五感は働いている。私は……斬られてはいない?

 

 思い切って背中に手を回す。髪はぶっつりと斬られ、沢山重ねられた女房装束は大きく斬り裂かれている。だが、自分の背中は無傷だった。とっさに逃げられ相手の刀に力が入らなかった上、間一髪、長い髪と分厚い衣装に守られて、わが身に太刀が及ばなかったらしい。


 目の前で康行が男に太刀をかまえていた。大きく降りかぶろうとしている。目が怒りで燃えていた。


「康行! 斬らないで! 私は無事よ!」

 とっさに、そう叫んだ。


 康行は太刀を止め、私を見つめた。そしてすぐさま男に殴りかかった。男が伸びてしまったのを見ると、私の所に駆けつけてくる。


 

「大丈夫なのか?」


「ええ、大丈夫。髪と衣装が切れただけ。賊も捕まったみたいね。役人たちが取り押さえているわ」


 私の周りで役人たちが、賊を次々ととらえて、縄をかけていた。康行が殴った男も縄をかけられている。どうやらやすらぎも無事らしく忠長様に寄り添い、その身を気づかっているようだ。


「主上がよこして下さった、応援の役人たちだ。ようやく駆けつけてくれたようだ」

 気がつくとそばに大将様がいらして、周りを見回しながらそう説明して下さった。


「三条殿が怪しいと探りを入れてはいたのだが、その事で私の動きを封じようとしていたらしい。しかし、姫ではなくあなたの方を狙ってくるとは。すまなかった」


 そういいながらご自分の着物をお脱ぎになったが、それを康行の方に差し出しながら、


「これはお前が着せかけるべきであろう」

 と言って、康行に着物を渡すと、姫君様のお車の方へと向かわれた。






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