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藤の花の匂う頃  作者: 貫雪(つらゆき)
31/66

信頼

 私はいつものように姫様の元へと急いでいた。ところが、ひさしの下を歩いている途中、突然、何者かに衣の裾を引っ張られ、転びかけた体制を立て直そうとした途端に、ぐいと身体ごと近くの部屋の内に引き込まれてしまった。

 

 あまりの事態に何が起こったのか分からずにいると、そこに、大将様がおられた。私の衣の裾をつかんだままでおられる。私をここに引っ張ったのは、どうやら大将様らしい。


「どうなさったんですか? こんなところで」


 私はとりあえずホッとした。大将様はなかなか型破りな方なので、時にはこのくらいの、戯れ心をお見せになってもおかしくは無いから。


「どうもこうも。あなたを待ち伏せしていたんですよ。あなたの方こそ一体何があったのです? ずっと様子がおかしいじゃありませんか。姫ややすらぎも心配しておいでだ。私はてっきり康行の事だと思ってやきもきしていたが、どうやらそれだけではないようですね。あまりにも沈み過ぎています」


「何を勘違いなさっているんです? 別に何でもありません」


「いいえ。勘違いなどしていませんよ。今までに幾度あなたの琴の音を聞かせていただいたと思っているんですか? このところ、あなたの弾く琴には悲しい音が響いてくる。哀切を帯びているんです。まるであなたらしくない。さあ、何があったか教えてくれないと、この衣を離しませんよ。正直に白状しなさい」


「大将様には、関係のない事です」


「そんなおっしゃり方をしてはいけませんね。あなたは私の藤の花なのですから。藤の花が萎れてしまっては、ホトトギスはなすすべもありませんよ」


 そう言って、私に少し、にじり寄ってこられた。


「何だか思いだしますね。あの、初夜の時のことを」


 そう、懐かしそうにおっしゃられる。



 大将様がからかっておっしゃっているのは分かっている。いつもだったら、私もツンと澄ましてやり過ごすところだ。だが、私は嫌な記憶を思い起こしてしまった。


 あの身代わりの初夜の前夜、私は桜子さんと、前帝方の手の者に連れ去られそうになった。口をふさがれ、息もできずに身動きを封じられて連れ去られる恐怖。お母様もあんな恐怖の中で、お父様に連れ去られてしまったのだろうか? そして、強引にお父様に押し通されてしまったのだろうか?


 私はぞっとした。大将様のもの慣れたしぐさも厭わしくなった。思わずバッと背を向け、身を縮め固くなってしまう。自分が震えているのが分かった。


 大将様は呆然となされている。私自身も驚いていた。


「本当に、どうなされたのです? 何でもないとは言わせませんよ」

 大将様の言葉が、詰問するように変わった。


「男君って……みんなこうなんですか? 女人の気持ちなど考えず、自分の想いを遂げるためなら、平気でこんなことをなさるんですか?」

 私は裾を引きちぎれんばかりに引っ張っり、喘ぐように言った。


「私をさらった男達も! 大将様も! お父様も! みんな、女人のことなどお構いなしに、平気で傷つけたりなさるんですか!」


 いつの間にか涙がこぼれていた。


「その挙句に、望まれずに生まれて来る人もいるんだわ。私みたいに……」


 嗚咽がこらえきれなくなった私は、その場に突っ伏して泣きだしてしまった。





 大将様はさぞ、驚かれたことだろう。なんの関係もない事だったのに。


 私だってこんなこと、言うつもりなんかなかった。だけど、大将様のしぐさにどうしようもない恐怖を感じて、自分に抑えが効かなくなってしまったのだ。


 それでも大将様は、私に寄り添って下さった。まるで幼子をあやすかのように頭を優しくなでて下さっている。でも、決してそれ以上、私に近づこうとはなさらなかった。

 

 私は子供の頃、お父様にこうやって慰めてもらった事を思い出した。確かにお父様は私に心から優しかった。あんなにお優しいお父様だったからこそ、お母様になさったことが許せないと思った。


 でも、今こうしてお父様のことを思い出していると、やはり、お父様がお母様に酷い事をなさったとは思えない。私をあんなに慈しめる人が、困窮したお母様につけいるようなことが出来るのだろうか? そして、そんな女君を傷つけるようなことが出来るだろうか?


「少しは、落ち着かれましたか?」


 大将様にそう聞かれて、私はどうにか鼻をすすりあげながらも、「はい」と返事をした。


「とにかく話を聞かせて下さい。何か、私がお力になれることがあるかもしれませんから」


 そんな、大将様のお優しい言葉に促されて、私は中納言様から聞かされた、私が生まれてきたいきさつをお話した。




「そのような形で、ご自分の御母上の家のことを知ったのは、さぞかし驚かれた事でしょう。しかしその話、すべて信じる必要はありません。おそらく中納言様に都合の良い憶測が入っています」


「憶測?」


「たしかに当時、あなたの母上が下司の者にさらわれたと言う噂はありました。しかしそれは、怪しげなところへ連れ去られたと言う訳ではない。あなたの祖父殿のお身のうちの邸に、かくまわれていたそうです。ひょっとしてあなたの父上の身分では、あなたの祖父殿は表立って母上の事を許すわけにはいかないので、見て見ぬふりをなさったんじゃないでしょうか?」


「どうして、大将様がそんなことをご存じなんですか?」


 私が生まれる前の話なら、大将様もまだお小さかったはず。


「申し訳ありませんが、あなたの事は大納言家でも少し、調べさせていただきました。あなたは私の北の方となられる方の身代わりを勤めようとなさったんですからね。その時に大納言家でもあなたの素性を知っておく必要があったのです」


「では、私を妻にしたいとあの時おっしゃったのは、私が身分の低いお気楽な相手だったからではなく、一応、宮家の血を引いているからだったんですか?」

 血を引くったって、孫じゃ薄くなってるし、下司の血も混じってるけど。


「どちらも違います」


「じゃあ、どうして」


 大将様はあきれられたように目を丸め、ため息を突かれた。

 

「あなたは私にそんな野暮なことを言わせるおつもりですか? 私はあなたのホトトギスで、あなたには歌まで贈っていると言うのに」

 そう言って大将様はクックとお笑いになる。


「とにかくそのお話は、すべてが真実ではありません。あなたの祖父の大臣は前帝のことを最後の最後まで、真剣にお諌めなさっていたそうです。それは私の父も見ているそうですから間違いありません。むしろ、そのせいで大臣は本当に身の上が大変な事になっておられた。そのままではご自分の一族はおろか、ご自分に味方をして下さった他の大臣の方々にまで累が及びかねないと自ら官位を返上し、仏門に入る決心をなさった。一族を栄えさせる貴族としては良くない選択をなさった愚かな行為でしょうが、大臣たちを守り、政を硬直させなかった政治家としては立派な振る舞いであったと父は言っています」


 立派だった。私の祖父は。決して国を見捨てたり、母を見捨てたり、私を見捨てるような無責任な方じゃ無かった。


「父はこうも言いました。あの大臣の孫であるなら、中納言家の姫の身代わりを買って出るのも頷ける、と。父がそう思うほど、あなたの祖父殿は責任感のお強い方だったのでしょう」


 あの大納言様が。都を実質的に支配しているような方が、私のことをそんな風に言ってくれていたなんて。


「そのような方が、ご自分の大切な娘を粗末になさると思いますか? あなたの父上と、母上がどのようないきさつで結ばれたかまでは分かりませんが、決してあなたが誤解しているようなことではなかったと思いますよ。男と言うものは確かに愚かかもしれませんが、女人が思うほど、情け知らずな者ばかりではありません。私の事も、もう少し信頼していただきたいものです」


「申し訳、ありませんでした……」

 大将様は、こんなにもお優しいのに。


「謝る事はありませんよ。先に戯れたのは私ですしね。私には姉君と弟がおりますが、もしも妹姫と言う方がいたのなら、このような気持ちになるのかもしれませんね」


 大将様はそう言ってほほ笑まれる。私も明るい気持ちを取り戻す事が出来た。


「ありがとうございます。さあ、もう、姫様のところに参らないと」

 そう言って私が立ちあがると、


「そうですね。だが、お忘れにならないでくださいよ。いくら妹姫の様だと言っても、私はあなたに衣を着せかけた仲なんですからね」


 そう言って大将様は、快活にお笑いになられた。





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