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藤の花の匂う頃  作者: 貫雪(つらゆき)
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 いざ、こうなってしまうと、私はやはり寂しかった。康行は私の気を晴らしてくれるだけではなく、故郷の風を運んで来てくれる人だった。


 それでも私が姫様に仕えたい気持ちは変わることはない。姫様は御新婚だと言うのに、大将様が新たな妻を、それも、姫様と同格の妻を迎えられようとしていて、不安定になっておられる時だ。そんな姫様の元から、私が離れることなど考える事も出来ない。


 けれど、養女の話はまた、別だ。私は中納言様達の庇護のもとで姫様に仕えるのではない。私は私のままで、自由な心のままで、姫様をお守りするために戦うのだ。


 寂しい今だからこそ、戦わなくてはいけない気がした。



 私は中納言様の元に乗り込むと、はっきりと申し上げた。


「忠光様の養女の件、お断りさせていただきます」


「断る? お前は一の姫の元に長く居続ける事を望んでいたのではなかったか?」


 中納言様は意外そうに私を見た。私が断って来るとはつゆほども思っておられなかったらしい。


「お前は本気でこんな良い話を断るつもりか? お前の事など私の言葉一つでいつでも追い出す事も出来るのだぞ。いくら大将殿がお前の後ろ盾になっても、このままでは所詮情人。大将殿のお気が変わられればお前など、すぐに都での行き場を無くしてしまうだろう。それを承知の上で断ると言うのか?」


 中納言様は御不快な様子を隠そうともせず、あの、私を見下すような目つきをお見せになる。しかし私はひるまない。


「たしかに結構なお話では御座います」

 そして、中納言家に都合のいい話でもある。


「けれどもそれは、私の心の自由を失う道でも御座います。姫君様は私におっしゃいました。私は心の自由を失ってはならないと。私の琴は、私の自由な心のままに弾かれなければならないと」


「お前は、私に受けた恩をあだで返そうと言うのか。ただの下司の娘でしかないにもかかわらず、お前を姫の元に仕えさせてやった私に」


「私を選んで下さったのは姫君様でございます」


「お前を女房候補として、ここに来る事を許したのは私だ。そうでなければお前は姫の足元にすら近寄れなかった」


 よく、ぬけぬけとおっしゃるわ。どうせ、私のお父様にたんまりと金を握らされたくせに。


 そんな事を考えて中納言様を睨んでいたら、中納言様は妙なお顔の表情をなされた。


「お前、自分が何故ここに呼ばれてこの邸に入ったか、知らぬだろう? これでも私はお前を憐れんでやっているのだぞ」

 中納言様が、一層私への嫌な視線を強く投げかけられた。


「憐れむ? 確かに私は下司の娘ですが、中納言様にそこまでご同情いただく事は……」


「やはり、父からは聞いておらぬのだな。お前の生みの母の事は」


「お母様の事?」

 何故、この方が私の母の事を知っているの?


「お前の母は、本当ならこの私の妻となり、北の方の座を得る事が出来たはずなのだ。お前の祖父が我を張らず、お前の父が現れなければ」


「お母様が?」


 お母様が貴族の出なのは聞いていたけれど、中納言様の北の方になられようとしていたなんて、聞いてないわ。


「いいか、お前の母はあの、前帝の側近中の側近だった大臣の娘だ」


「あの、前帝の? まさか!」


「それにお前の祖母に当たる大臣の妻は、さらに前の帝の御皇女で尊い血筋の方だった」


「私のお婆様が、女宮様だった?」


「なんでも琵琶の名手だったと聞いている。お前の母親は琵琶よりも和琴を得意としたらしい。その評判を聞いて、私もお前の母を娶ろうかと思ったのだからな」


 私が琴を得意とするのは、祖母や母から受け継がれた血のなせる事だったのか。


「その大臣は前帝の激しいご気性を、きちんと抑え込む事が出来なかった。詔はロクに発せられる事が無くなり、世の中は荒れかけた。にもかかわらず、お前の祖父の大臣は無責任にも己の官位を返上し、無位無冠の身で仏門に入ってしまった。あの岩窟者は私からの援助も、お前の母との結婚さえもはねつけた。そのせいで家は貧窮し、お前の母と妹は苦しい生活を強いられていた。妹はつてを頼りにかろうじて後宮の女房として勤め始めたが、それではお前の母親の世話までは出来かねたに違いない」


 貴族の娘の人生は、父親の後ろ盾に寄って決まる。母は、あの梅壺の更衣様のような身の上になったのか。いや、更衣様はすでに後宮に入られていて、難しいお立場とは言え、その身が立っている。弱々しいながらも御父上の庇護もある。母の場合は未婚のまま父親が無位無冠になったのだから、その心細さは大変なものだったかもしれない。近頃は宮様のお血筋と言えども、お立場が弱くなって人が寄りつかなくなれば、いつともなく噂を聞かなくなったと思ううちに、食べる物にさえ事欠いて、はかなく亡くなられることだってあるのだ。


 傾きかけた家の、立ち歩くことさえまれに育った貴族の娘ほど、心もとないものは無いだろう。叔母の様に勤めに出られるほどしっかりした人など、そうはいない。


「そこにお前の父が付け込んで、お前の母に近づこうとした。当然一族はお前の父を拒絶しようとした。しかし、お前の祖父は仏門に入った身、俗世の事には疎くなっていたのか、お前の母をまんまと盗み出されてしまった」


「盗み出した?」


「用は、お前の父は母を無理やりさらって、妻にしたと言う事だ。後に母は返されたが、お前を身ごもっていては、すでにどうする事も出来なかったのであろう。一族の者たちを協力させ、お前の父が財力を蓄える元手を作り出した。まあ、彼らもお前の祖父母も、それ相応に利益は得たのだろうがな。まるで娘を盗人に売ったようなものだ」


 お母様が。顔も知らずに亡くなられたお母様が。


 今まで憧れて、慕わしく思っていたお母様が、そんな目に合っていたなんて。私を誰よりも可愛がってくれたお父様が、そんな事をしたなんて。


「そんな……。信じられない」


「お前にとってはそうだろう。しかし、おかしいとは思わなかったのか? 貴族になんの繋がりもなかったお前の父が、貴族の母と結ばれるなど不自然ではないか。それに、母親を亡くした娘は普通、母親の実家で育てられるもの。お前は父に、武蔵などと言うあらえびすが暮らすような田舎に連れられて育った。当然だ。このような事情のある娘、とても都には置いておけまい。お前は祖父母からも厄介者として追い出されたのだ」


 信じたくはない。信じたくはないが……確かに、おかしい。


 何か事情がなければいくら貧しいとはいえ、実の母の実家のある娘がわざわざ他の土地で父親に育てられるなんて事は無いだろう。中納言様のおっしゃっている事には筋が通っている。今まで、父のもとでは当たり前に思って来た事が、都人の考え方になぞらえてみると、とても不自然に思えた。


「心労がたたったのか、お前の祖父母は相次いで亡くなった。お前の母の家系はお前の叔母がかろうじて繋げているだけで、没落の一途をたどっている。にも関わらず、お前の父は厚顔にもお前を私の姫の女房にしたいと言ってきた」


 だから、中納言様は私をいつもさげすんだ目で見ていらしたのか。これでは私にいい感情など起ろうはずもない。だが、父には他に都でのつてなど無いのだろう。


「それでもお前は多少なりとも皇族の血を継いでいる。育ちのせいで田舎臭くはなっているだろうが、我が姫の元で磨かれればその血がお前を輝かせるに違いないと、私は考えた。現にお前はその才覚を現したではないか。今のお前があるのは、私の憐れみがあってこそ。その恩にお前は報いようとは思わんのか?」


 確かに、中納言様が私を女房候補として認めなければ、私は姫様に仕える事は出来なかった。だが、そこにあるのは私への憐れみなどではない。おそらくは昔、母に断られ、顔を潰された恨みを娘の私を召し使える事によって、晴らそうと思ったに違いない。だって、中納言様は私に危険な姫の身代わり役をさせたんだから。


 私は崩れかけた気概を奮い立たせた。母と祖父はこの方に信頼を寄せられずに断った。それをこんな形で恨みを晴らすなんて、中納言様のおごり心だ。そんなものにくじけたりなんかしたくない。


「私は……。姫君様の女房です。姫君様から離れたりはしません。でも、養女にはなりません」


 かろうじて、そう、言い返した。


「私はお前の主人の父親だぞ! 私に逆らって、ここにおられると思うのか!」

 中納言様は、顔を赤く染めて怒ってらっしゃる。しかし、私は言う。


「私の主人は、あくまでも女主人であるところの姫君様です。その姫君様が私の琴を求めて下さる限り、私はどこへも行きません。姫君様のおそばにいます」


 生意気で結構。どうせじゃじゃ馬と言われてきたんだから。ぐっと腹に力を込める。


「それに、本当は中納言様だって、私を追い出すわけにはいかないんじゃないですか? これだけ良くも悪くも都中の噂になってしまっている私を、急に追い出したりしたら、中納言家にも余計な傷がつきかねないんじゃないですか? 人の口に、戸は立てられないのですから」


 私はわざと強気に出た。姫様が私に琴を弾かせ続けているお心を思うと、弱気になんてなっていられない。


 私の弾く琴は、私一人の物じゃない。今、姫様が味わっているお苦しみも、私を支えて下さっている御心も、伝えるための物なんだから。私は逃げてはいけないんだ。


 中納言様は忌々しげにしてはいらっしゃるが、私に反論はなさらなかった。私の言葉は結構図星だったようだ。


「姫君様のところへ、戻ってもよろしいでしょうか?」


「お前が勝手にここに来ただけだ。勝手に戻ればいいだろう」


 中納言様は相変わらず不機嫌なままだったが、私を追い出すとは言わなかった。戻ればいいというのだから、私はこのまま姫様のそばにいて良いと判断した。


 

 私の主人は姫君様だ。私はそれを中納言様に宣言した。姫君様が私の味方でいて下さる限り、私は中納言家や大納言家に逆らってでも、姫君様について行く。私はあらためて決心がついた。


 これまで私は望んで琴を弾いてきた。今は望まれて弾く事を覚えた。


 そして、私は姫様に望まれてここにいる。康行も認めてくれている。私は決して孤独なんかじゃ無い。





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