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藤の花の匂う頃  作者: 貫雪(つらゆき)
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失態

 私は口をあんぐりと開けた。私が御所に行く前にはそんな気配もなかったのに。いつの間に。


「驚いた! 誰? お相手はどなたなの?」

 私は勢い込んで聞いてしまう。


「それが……。忠光様の御子息で、今は大将様にお仕えしている、忠長様なの」


 忠長様なら私も分かる。何と言っても、大将様のいちばん身近なお世話係で、大将様からのお文係として、姫君様付きの私達の元へ頻繁に出入りしていたのだから。でも、忠光様の御子息とは知らなかった!


「あなたが御所に行かれた頃、忠長様からの文が届くようになったの。私もよく知っている忠長様の事だったから、しばらく文のやり取りをしていたのよ。そうするうちに気があってしまって」


 はあ。私が御所に行っている間に、そんな事になっていた訳。確かに身近な相手だし、気心も知れているだろうけど、慎重な人ほど、こういう時には思い切った事をするもんだわ。


「それじゃ、中納言家を離れてしまうの? 寂しいわ。あなたとはずっと一緒に姫様を見てさし上げられると思っていたのに」


 するとやすらぎは真底驚いた顔をする。


「私が姫君様の元を離れる? そんな事、ある訳ないじゃない」


「でも……。忠長様が」


 普通、男君は女君が結婚後も邸勤めを続けることを喜ばない。邸に勤めていれば、高貴な方々に接する時は、顔や姿を見せない訳にはいかないから。そういう「はしたない」と言われることをする必要に迫られる女房でいることを快く思わないのだ。


「忠長様は大丈夫。私に女房を辞めろなんていう訳ないわ。忠長様はね、私と姫君様のように大将様の乳兄弟なの。それも、形ばかりなんかじゃない、本当に心から大将様のことを思って仕え続けてらっしゃるの。私は忠長様の気持ちが分かるし、忠長様も私の気持ちが分かるのよ。そう言う方だからこそ私、忠長様と一緒になりたいと思ったの」


 すごい。


 私が御所に行っている僅かな時間のうちに、ここまで互いが理解し合っているなんて。


 さすがはしっかり者のやすらぎだわ。浮いた言葉や家がらに惑わされたりしないのね。忠長様も、やすらぎがどれほど姫様を思っているか知ってらっしゃるんだろう。その上で通り一遍ではない、やすらぎを理解していることをきちんと伝えるお言葉を送り続けたに違いない。そんな忠長様だからこそ、やすらぎの心をつかんだんだろうな。


 なんだかついでに惚気られた気もするけれど。


「私、決して姫様付きの女房を辞めたりしないわ。出来ればお母様のように、立派な姫様のお子様の乳母になりたいの」


 やすらぎは恥じらいながらも、嬉しそうにそう言った。


「おめでとう。それなら私も嬉しいわ。でも、よく、あなたがこんなに急に結婚を決めたわね? 以外だわ」

 こうとしか言いようがない。


「それがね、訳があるの。中納言様は一の姫様を大納言家の別邸に住まわせる事になさるの。大納言家でも、姫君様を正式に大将様の北の方になさるおつもりみたい。まだ、お歳若でいらっしゃるのに」


「ええ? もう、大将様は姫君様をご自分の身のうちにお引き取りになるの? 随分とまあ、早い事」


 本来、若いうちは婿として通いながら、女君の実家から様々な支援を受けて、自らの地位を確立していき、さらに、事実上の正妻として世間を認めさせてから、初めて自らの邸を用意して、そこに女君を引き取って北の方とするのが、通常の手続きだろう。それを結婚からわずか数カ月で北の方を据えると言うのは、異例な事だ。


 ただし、大将様は、すでにご出世を果たされているし、自らの御実家は都で一番の権勢を誇っている。おまけに姫様はご結婚の際の特殊な事情で、すでに一度、大納言家で幾日か暮らされている。普通のご結婚とはかなり事情が違ってしまっているけれども。


「これは大将様のご意思じゃないわ。きっと、大将様も今頃初めて中納言様から聞かされているはず。これは中納言様が大納言様にお願いされて、大納言様が許可された事なのよ」


「親同士で、突然、勝手に決めちゃった訳? なんだってまた?」


「これは、あくまでもまだ噂なのだけれども、大将様は三条殿の姫君を新たにお迎えになるかもしれないの」


「何ですって?」


 三条殿と言えば、こちらの中納言様と同格の方。その方の姫君を迎えられるとなれば、ウチの姫様とは、モロに妍を競う事になってしまう。まだ、こっちも新婚だって言うのに。


「今、三条殿は勢いがおありになるのよ。盗賊達を取り締まる立場に直接当たっておられて、役人の数が増えて以来、実績を積み上げてらっしゃるから。大納言様にとっても無視できない存在らしいの。でも、ウチの中納言様とも、長いお付き合いで、政務上の勝手も良く分かってらっしゃる仲でしょう? 決してこちらを軽んじてはいないという所を、お示しになりたいんじゃないかしら? 何より、大将様と姫君様は仲がおよろしいのだし」


 そういう事だったのか。それでは三条殿の勢いというのは相当なものなのだろう。長い間政務上の事では手を携えて来た両家の間に割って入る事が出来るなんて、かなりの勢いだ。


「だから、あなたの養女の話も、この事と無関係ではないんじゃないかしら?」


「なんでそこに、私が出て来るの?」

 

「あなたはご自分が、今、どんなふうに見られているか、分かっていないのよ。あなたはこの所都の噂の中心だわ。良くも、悪くもね。あなたが姫君様に仕えていると言うだけで、世の人々はあなたと姫君様に注目する。中納言家も自然と脚光を浴びているの。中納言様は大納言様との関係が世間に広く知らしめられる今のうちに、この勢いに乗じてその関係を一層密にしようとしてらっしゃるの。実際、朝廷でのご自分の立場も強めてらっしゃるみたいだし。三条様と言う手ごわいお相手が現れた今、あなたの様な注目を浴びる存在を中納言様は手放したくはないの。だから、ご自分のご家来の養女にしようとなさっているのよ」


 私が。私なんかが、中納言家にそれほどの影響を与えていたとは思ってもみなかった。


 でも、そう考えれば、中納言様の今にも手をスリ合わさんばかりだった態度も合点がいく。


「とにかく、大将様が姫君様を御身のうちにおかれるのなら、私は姫君様について新しいお邸に入る事になるし、そのお邸の主は大将様。忠長様もそこに住まわれる。姫君様達が落ち着かれるまでは私達も落ち着けないし。だったら今のうちに宿下がりして、せめて三日夜だけでも済ませてしまおうかと」


 成程。それで話が急に具体的になっちゃった訳ね。しばらくは同じ邸の部屋に通わせにくいし、その内通うにしても正式に一緒になっちゃった方が都合は良さそうだし、宿下がりのお願いもしやすそう。やすらぎも恥ずかしそうだが、聞いてるこっちの方が赤くなる。



「だから、あなたもこの件は良く考えた方がいいわ。決して、あなた一人の問題ではないんだから」


 うーん。これで私が養女になって、問題でも起こそうものなら、それはそれで厄介そうだ。


 養女になった以上は、決して今までのように自由奔放でいられなくなるだけではなく、養父の忠光様のために、中納言家が安寧に過ごせるように気を使わなくっちゃいけなくなる。


 おまけにやすらぎは忠長様が大将様の従者である以上は、その妻として大納言家とのつながりが保てるから、まあ、先々も安心だろう。姫様は正式に北の方となられるのだから、一生の保証を得たのも同然だわ。ただし、どちらも大納言家の権勢が崩れなければの話だけれど。まず、それは大丈夫だろう。


 でも、私は、もしも中納言様が三条殿に取って代わられることでもあれば、そして、何かと噂になりがちな私を悪目立ちする厄介な存在だと思われれば、多少強引な手を使ってでも、私を姫様から遠ざけるかもしれない。


 私は中納言様から用済みと見なされれば、忠光様の足かせになってしまう。大将様だって、私に何かとお味方下さったのは、私の身の上が気楽な下司だっただからこそ。普通の貴族の姫と同格になった時には、情勢次第では私への態度を変えられてもなんの不思議もありはしない。それを私は先日御所で学んだばかりだ。


 そして、ふと思う。信頼だけでは繋がる事の出来ない貴族の方々は、なんて孤独なのだろうと。



 翌日、大将様から私達に正式に大納言家の別邸へ姫君様の身を移される話しがあった。一応、私達はお祝いを申し上げる。三条殿の姫の話はまだ、ただの噂なのだし、姫様が正式に北の方になられるのだから、ご夫婦にとっては目出たいお話と言う事になるのだ。


 勿論、私達は三条殿の姫の話など、毛ほども姫様には漏らす事はない。それは大将様がごく、内密に姫様にお伝えすべきことだ。その事があるせいか、大将殿もどうも落ち着きが無い。懸命に姫様のご機嫌をうかがっている。


 そんな調子だったので、私は大将様に自分の養女の件など、言う訳にはいかなかった。


 だからその日の夜も遅くに、中納言様の碁のお相手に行っていた大将様が、そろそろ休もうと下がりかけていた私の元に吹っ飛んでこられたのには驚いた。


「花房、何故あなたは養女の件を私に話してくれないのだ」

 どうやら碁の席で直接中納言様から聞いたらしい。


「話すも何も、大将様にお話しなくてはならない事とも、思いませんでしたので」

 これは私の個人的な事だ。


「中納言殿は言っておられたぞ。一の姫は北の方となり、あなたは忠光の養女となる。これだけこの家と深く縁が結ばれるからには一の姫は勿論、あなたの事もゆめゆめ軽々しく扱うなと。私はあなたを一度たりとも軽んじた事はなかったはず。あなたはいつから、そんなに私を疎んじられたのか」


「めっそうもない! 私が大将様を疎んじたりするはずが、無いじゃありませんか」

 私は慌てて否定した。


 確かに私は大将様からの結婚の申し込みはお断りしたし、その手の仲になりたいとは思っていない。大将様自身も私に無理強いはなさらなかった。だいたい、大将様なら私みたいな風変わりな女人を相手になさらずとも、宮中にでも行けばもっと素晴らしいお相手は掃いて捨てるほどいらっしゃる。



「とんでもございません。誤解です。むしろ私は大将様が私に向けて下さる、友情や信頼に心から感謝しているくらいです」

 私は誠心誠意、心をこめて言う。


「これは、中納言殿にやられたな」

 大将様が苦々しげにおっしゃる。


「は?」


「中納言殿が焦り出したのだ。今、私があなたから離れては困ると」


「離れるも何も、私は姫君様の女房ですし」


「しかし、世間的には私の情人だ。あなたが忠光殿の養女になるなら、正式に妻の一人とするか、私とのかかわりを断たせてあなたに別の婿を取らせるか、どちらかはっきりさせたいはず。でなければ中納言殿は体裁が立たない。北の方の一女房にすぎないならともかく、きちんと婿取りが出来る姫を、ましてや中納言家が後ろ盾する気のある姫を、私が情人扱いする訳には行くまい。中納言殿は、何が何でもあなたを私の妻にさせたいらしい」


「そのために私をご家来の養女に?」


「あなたは私に色よい返事を下さった事はない。私はてっきり、あなたが私から離れるために養女の件を御隠しになっていたのかと思ったのです。あなたがこっそり婿を決めてしまえば私は手出しできませんからね。中納言殿はあなたにその気が無い事を勘づいておられる。だから私を煽ったのですよ。あなたを早く妻にしてしまえと」


 私はまたしてもカッとなってしまう。真実はともかく、そういう噂を姫様が快く思ってなどいないはずなのに姫様は全て聞き流して下さっている。なのに、一番お味方して下さる筈の御父上様である中納言様が、そんなことをなさるなんて、ひどすぎる!


「冗談じゃないわ! そこに私の意思も姫君様のお気持ちもあったもんじゃないじゃないの!」


「花房、声が大きい」


 大将様が私を落ち着かせようとする。でも私はその態度が余計はらただしい。


「実の御父上がなんてことなさるの? いくら女人は男君の道具のようだとはいえ、あんまりだわ! そもそも大将様が三条殿の姫君を迎えようとなさるからこんな事になったんじゃないの!」


 大将様が怒鳴り散らした私を見て鼻白んだ。それを見て私も我に帰る。ここは姫様の御簾の近くだった……。


「殿。それは本当の事ですか?」


 御簾の向こうから姫様の通る声が聞こえた。大将様が御簾のうちに入られる。


「皆、下がっていなさい」

 また、姫様の声が聞こえる。女房達が御前をそっと離れていく。


 やってしまった。ご夫婦の繊細な難しいお話を、私が勝手に暴露してしまった。


「花房さん、さあ」

 そう言ってやすらぎが呆然としてしまっている私を引っ張った。





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