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藤の花の匂う頃  作者: 貫雪(つらゆき)
24/66

身分

 私は久しぶりに、本当は半月にも満たなかったのだけれど、気持ちの上では本当に久しぶりな思いで中納言家に戻ってきた。


 とにかく早く、自分の女主人であるところの、一の姫様にお会いしたかった。話したい事は山ほどあるけれども、何より先にお礼を申しあげたかった。勿論、女雅楽での衣装のお礼だ。


 あの衣装はただの衣装ではない。姫様は勿論、色々な方々の心使いや思いのこもった衣装なのだ。そして姫様が私を心から信じて下さった、友情のあかしでもあったはず。私は一刻でも早くそのお礼を述べたかった。


 しかし、姫君様の婿君でいられる大将様が、私に「護衛」と、おふざけになられながらくっついてきてしまわれたので、まさか私が先にしゃしゃり出る訳にも行かず、ただただ、お声がかかるのを待っていなければならなかった。


 当然、女雅楽での出来事は大将様が姫様に詳しくお話になって聞かせられているはず。


 一番おいしい所を大将様に取られてしまい、私はちょっぴり癪な思いを味わいながら待っている。


 すると、肝心の姫様からのお声がかかる前に、中納言様から声がかかってしまった。仕方なく私は中納言様の元へ先に参上する。



 普段はそもそもの身分が低すぎる上に、何かと人の口の端にも上りやすい私の事を、お世辞にも快くは思って下さらない中納言様ではあるけれども、さすがに御所からお呼びがかかった事で私への評価がぐっと上がっておられるらしく、以前のように軽んじた態度や視線を向けられるような事は無かった。


 むしろ、何だかひねこびた笑みを漏らされていて、手をすりあわせんばかりの態度でいらっしゃる。これはこれで何だか気味が悪い。


「いや、御所での務め、御苦労であった。主上からのお褒めのお言葉を我々も受ける事が出来て、中納言家としても大変鼻が高い。もう、お前は今までの身分という扱いにはしておくわけにもいかない。そこでお前には私の家臣の養女になってもらう事にした」


 コレまた、突然に、一方的な話だ。養女? 両親の揃っている私が?


「お前は高貴な方々に認められ、さらには御所で、主上にも認められた身の上。いつまでも下司の娘として扱う訳には行くまい。一の姫のもとでも、いつまでも小間使いと言う訳にはいかぬ。そこでお前の身分を相応のものにするために、私の乳兄弟の忠光の養女とする事にしたのだ」


「でも、私には里に立派に両親がそろっております」


 下司の娘。この言葉にカチンときて(仕方のない事なんだけど)つい、私は言い返してしまう。


「別に里の親を忘れろと申しているのではない。あくまでも形式上、お前の身分を整えるための事なのだ。一の姫も、これからは近衛の大将殿の正妻として身が重くなっていく。そこに、お前の身分があまり低くては置いておくにも具合が悪い。それではお前も困るだろう? 我々もお前を認めたからこそ、この話を勧めているのだ。まずはお前から父親に文を書いてやるが良い。その後、正式に養子縁組の運びとなる。お前にとっても悪い話ではないはずだ。一の姫の元にも長くいられるし、良い婿をとる事もできる」


 迷う事は無いだろう? そんな視線を私に中納言様は向けられた。


 確かに父は私の出世を望んでいる(はずだ)。そうでなければ、私を都に出してくれたりはしなかったはず。父の思惑をこれ幸いにと都に出て来たのは私の意思だ。


 私自身だって、これは人生の転機になる。この話を受ければもう、人に身分の事であれこれ言われるわずらわしさは無くなるだろう。大手を振ってここにいる事が出来るのだ。


 この話を喜ばない人は私の周りにはいないはず。やっかみは別にして。


 中納言様から解放され、ようやく姫君様からお声をかけていただき、私は姫様に頂いた衣装のお礼を言う事が出来た。そして、養女の件もご報告させていただく。姫様は早速私にお聞きになった。


「花房はその話、受けるつもりなの?」


「勿論でございます。ありがたい、もったいないお話でございます」

 私はそう、答えた。


「ご両親とは身分が違ってしまうのよ? それに」


「こんな話、もう、私の身には二度とない事でしょう。せっかく姫君様と長く共にいる事が出来る権利を得る事が出来るのです。私にとって、こんなに素晴らしいお話はありません」

 つい、私は言葉をひったくってしまった。


「……」

 姫君様は何か言いたげになさっていたが、何もおっしゃられない。すると、


「花房さん、ちょっと」

 やすらぎが私の袖を引いて、視線を御簾の外に向ける。


「お話中すいません。花房に相談したい事がございますので、少し、中座させていただきとう存じます」


 やすらぎがそういうと、姫様もうなずいて「下がってよろしい」と言われた。




「花房さん、あなた、本当にその話、お受けしてしまっていいの?」

 さっそくやすらぎは聞いてきた。


「仕方が無いのよ。中納言様にはお世話になっているし、姫君様の元に長くいるためにはこうするよりほかにないわ。むしろ、今まで追い出されずにいられた事の方が異例だったんだから。これで安心して姫君様につかえる事が出来るわ」


「康行はどうするの?」


 やっぱり。それを聞かれると思った。私の身分が上がると言う事は、康行とも身分が違ってしまうと言う事だ。下手をすれば顔を見せるどころか、口を聞く事さえ難しくなるかもしれない。


 親、兄弟とは身分が違っても、肉親の情までさえぎられる事はないだろう。今までのように気安くは行かなくても、肉親が気心を通わせる事に、そう、文句を言う人間は多くはないはず。ただ、養子先への遠慮はしなくてはならないだろうけれど。


 だけど、康行と私には、なんの特別な繋がりもない。身分が違ってしまえば、ただの他人だ。いや、今だってただの他人か。


「あなた、康行からもらった櫛を、肌身離さずに持っているでしょう? あなた達、何か約束しているんじゃないの?」


 約束。確かに遠い昔、幼かったころにした約束はあった。しかし、それももう、果された。今はなんの約束もなければ、康行からなんの言葉も受取った事もない。だいたい私はいつも康行をはねつけてさえいたのだから。



「康行は関係ないわ。約束どころか、私はあいつが苦手で、逃げ回っていたのをやすらぎも知っているでしょう?」


「でも」


「気にしないで。これは私が望んで来た事なの。都に出て来る時から、ずっと。憧れの都で、お姫様につかえて、御殿の中で一生を暮す。夢見て来た世界が目の前にあるのよ。康行の事なんか気にしちゃいられないし、康行だって私みたいなじゃじゃ馬に付きまとわれてちゃ、迷惑かもよ?」


「本気でそんなこと思ってはいないでしょうに」

 やすらぎはため息をつく。


「本気であろうと、無かろうと、私が大手を振って姫君様の元に仕える事が出来る機会を、逃すと思う? 姫君様に目を止めていただかなかったら、私はここにいられなかったし、御所で琴を披露する事もなかった。こんな養子のお話をいただくことだって無かったのよ。私は誰よりも姫君様が大事なの」


 私はここを力説した。やすらぎだって、姉妹同然の姫様が、何より一番大切なはず。私の気持ちが分からないはずはない。


「ねえ? あなたの気持ちは分かるけれど、ここは良く考えましょう。何故、姫君様があなたにお言葉をさえぎられても黙っていらしたと思っているの? 姫君様があなたに考え直せと言ってしまえば、お立場上、それはあなたに命じた事になってしまう。あなたの意思を無視する事になってしまうからよ。あなたには姫君様のご心配なさる気持ちが分からないの? 一度養女となってしまえば、もう、元には戻れなくなる事がたくさんあるのよ? あなた、本当にそれでいいの?」

 やすらぎは言葉の一つ一つに、力を込めるように言う。


 やっぱりやすらぎはしっかり者だ。私がその場の勢いで決断しないように慎重に物を考えている。私の心の中にある、ためらいや戸惑いを見抜いてしまっているのだろう。


 私もわずかな間に貴族の暮らしや考え方を垣間見てしまっている。都に出て来た時の憧れだけではどうにもできない部分を見せつけられてしまっている。私がこれから入ろうとしている世界は、そういう世界なのだ。


「ね、本当に良く考えて。この話を受けなかったからと言って、すぐにここを出される訳でもないでしょう? 第一、そんなこと姫君様がお許しにならないわ。この寝所で暮らしている限り、姫君様は女主人でいらっしゃるのだから」


 確かに私は、中納言様のおっしゃった「下司の娘」という言葉に、反発してしまっていた。少し、勢いに乗せられているのかもしれない。


「それにね、何故中納言様がこんなにあなたに固執するのかも分からない。実の親にもこんな大切な事を文一つで済ませろなんて、おかしいじゃない? 軽々しく返事をしない方がいいわ」


 言われてみれば確かにおかしい。「下司の娘」と言いながら、中納言様は頻繁に私に目を付けているような気もする。



「分かったわ。もう少し、良く考えてみる。お付きの女房が姫君様にご心配をおかけしちゃ、おしまいだわ」


 私の頭が少し冷えたようだと思ったのか、やすらぎは安心したようにほほ笑んだ。


「良かったわ。これで私も安心して、宿下がりできるわ」


「宿下がり? なあに? 長くお休みするの?」

 私は何気なく聞いたのだったが、やすらぎは言いにくそうにしている。


「実は、結婚が決まったの」


「へ? 誰の?」

 思わず聞き返す。


「私の」





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