疑惑の目
私の演奏が終わると、お二人とも感慨深げに私にお言葉をかけて下さったが、実は私は演奏に納得はできてはいなかった。
確かに私は大将様から、主上の心情を教えては貰った。そのお気持ちのありようも分からないでもなかった。
でも、やっぱり私には男君であり、この国の帝であらせられる主上の本当のお気持ちは分からない。
以前の更衣様のお気持ちを表す気持ちで弾いた時は、そこに自分だったら、という思いを重ねる事が出来たが、今度はそう言う訳にはいかなかった。思いをはせるにも限界がある。所詮は自己流の解釈だという、納得のいかない部分が残っていた。まるで自分の心に嘘をついたような気持があって、すっきりしない。
それでもお二人は、私への気遣いだけではなく、本当に何かを感じられて、お二人の心を寄せる事が出来たようなのだ。そこも私には釈然とは出来なかった。
居心地の悪さに、私は一人で先にその場を下がってしまった。
叔母の局に戻ると、局の前に大将様が待ち構えていた。私が先に戻る事を読んでいたようで、私は面白くない。
「女人の部屋の前でどうされたんです?」
「そろそろお戻りになる頃かと思ったので。演奏はいかがでしたか?」
「こちらにも聞こえていたんじゃありませんか? 主上にも更衣様にも、ご満足いただけたようです。お約束は果たしました」
琴の音というものは意外と良く響く物なので、同じ梅壺の敷地にいれば聞こえていたはずである。
「そのようですね。ただ、ご自分では満足されてはいないようだ」
大将様は私の顔色を見ていった。
「私などには主上のお心など、図れるはずもありませんから」
「そう、おっしゃると思いました。姫」
大将様が、私をまっすぐに見つめられる。
「物事を表現するという事は、決して自分の心をさらけ出す事ではありません。勿論心をこめる以上はそういう部分もありますが、それだけになってしまっては決して人に受け入れてはもらえないのです。私は人に歌を送る時は、その人の事を思います。どんなに儀礼的な歌であってでもです。それが私が歌詠みである時の心のありようなのです。そこには当然私の思いも込められます。しかし、歌とはそれだけではありません」
大将様は、あの、諭すような態度で私に話しかけられる。
「歌とは歌を詠む者と、それを受け取る者がいて初めて成り立つものです。一方的に詠み捨てた歌は歌とは言えない。それはただの独りよがりでしかありません。こちらがどう思おうが、受け取った側がどう感じるかによって、歌の解釈など変わってしまうのです。こちらが喜びを歌ったつもりでも、相手には悲しみに受取られるかもしれません。しかし、それこそが本当に生きた歌なのです。受取ってくれた人が、何らかの感動を覚える。それこそが歌の価値です。これは雅楽にも言えることではないのでしょうか?」
「受け取った人の感動……」
「そうです。自らの一方的な感情を相手に押し付けて、分かってもらうことだけを目的にしては、そこに本当の感動は生まれません。受け取る人が、自らの人生観や、心情に合わせて感じ入って下さる。そのことこそが大切なのです。あなたは物言えぬ女人の心を伝えるつもりでいるかもしれませんが、それではただのおごりになってしまう。人の心というのはもっともっと深い物なのです」
「大将様は、私が間違っているとおっしゃるんですか?」
「そこまでは言いませんが、あなたはもっと、視野を大きく持つ必要があるでしょう。それが難しいのであれば、中納言家の姫のお世話だけに明け暮れるか、郷里に帰って父上のそばで暮されるか、さもなければ私の庇護の下で暮らされるのがよろしいでしょう。そうでなければどこかできっと、人の心につまずく時が来るでしょう」
「ご自分は人の心につまずかれた事があるようにおっしゃるんですね」
わたしはついつい、皮肉で返してしまう。大将様のような方にそんなご経験があるとも思われなかった。
「ありますよ。政事も恋の道も人とかかわらなければ成り立ちません。人の心に流れる感情とはどうにもできぬもの。現に、あなたは私をそでになさったじゃありませんか」
大将様は笑いながらそう言われる。まるで幼子をあやすような口ぶりで。
そんな風に言われると、私も意地を張ってはいられなくなる。何よりも和歌の道ではこの方は一流の歌人。その方の言葉には重みがあった。
やはり私にはどこかにおごり心があったらしい。さっきの私の琴の音も、お二人がご自分達の立場に重ねられることが出来たのなら、それで十分な価値があったのだろう。
「ですからあなたは、今度の事を後ろめたく感じてはいけません。こう言う事が起こるのが後宮の定め。気後れしたり、強気に出過ぎた態度でいては、かえって人に付け込まれますよ。堂々としていらっしゃい」
言われて私は気が付いた。大将様は私をお諭しになるだけではなく励ましに来て下さったんだ。
やっぱりこの方は悪い方ではないわ。たとえ公達として私を戸惑わせることがあったとしても。
事が起こったのは、その夜も遅くなってからの事だった。
「火事だ!」
役人のそう騒ぐ声に皆が驚いて飛び出してくる。
「火元はどこです! 主上は? 更衣様はご無事ですか?」
小侍従が役人に叫んで聞いていた。
「お二人は御無事です。他の女御様方にも害は御座いません。火元は麗景殿の一部のようでございます!」
問われた役人も叫び返して、麗景殿の方へと走り去って行ってしまった。
御所中が騒然としている。どうやらけが人は出ていないらしいが、その騒ぎは結局夜が明けるまで続いてしまっていた。
京の街で火事は決して珍しい物ではない。むしろ、田舎よりも可燃物に囲まれた暮らしをしているので、ちょっとしたボヤから、邸を舐めつくす大火まで、火事は日常茶飯事だった。
勿論御所と言えども例外ではない。幾度となくボヤや火事騒ぎは繰り返されている。時には他の邸に御所の機能を移したことだってある。役人たちの速やかな処理により、大した大事にならずに済んでいるというだけの事だ。
しかし、御所での火事は色々な思惑をかきたてられてしまう。今回の火事もそうだった。
なにせ、中宮様がお帰りになる直前に、そのお住まいになるべき麗景殿で起こった火事である。しかも梅壺の更衣様の御父上の御謹慎中という、最悪の時。当然、一層冷たい視線が梅壺へと注がれた。
しかもその視線は、私への疑惑という形で現れたのだ。
私が梅壺の更衣様に心を寄せているのは一目瞭然だった。しかも、私は大将様と関係が深いという事になっている。その大将様の御父上である大納言様が、更衣様に圧力をかけられ、私が面白く思っていない事も、大将様に反抗的な視線を送っていた事も、皆が知っている。さらには言い争う声を聞いたという者までいた。昨日の話に尾ひれがついたに違いない。
その夜のうちに起こった火事。しかも私は他の女房よりも、先に退出しているのだ。
麗景殿では私が大将様との痴話げんかの果てに、麗景殿に火をつけたという話が持ち上がってしまったらしい。
私が更衣様に後ろめたさを持っていた事や、大将様に気強い態度を取っていた事が、さっそくあだになってしまった。大将様の気遣いが当たってしまわれた訳だ。当然麗景殿から私への苦情が来た。
「命婦に使われている、花房とかいう方を女雅楽から外していただけませんか?」
しかしこれは、小侍従がきっぱりと断ってしまわれた。私の琴は、主上も、更衣様もご所望だからと。
「何の証拠もないのに、言いがかりで主上のご所望を無視する訳には参りません。女雅楽は予定通りに行われますので、そちらもつまらない噂に浮足立つのはおやめ下さい。中宮様への御威光にかかわりますよ」
ドンと構えた小侍従にこんな事を言われたら、あちらもぐずぐずとは言えないらしい。やはり小侍従は優れた女房らしく、向こうもしぶしぶ承諾した。
こんな風に後宮での身の振り方を身につけ、周りの意見に振り回されず、更衣様の行く末にいつまでも心を傾けられ続ける。
これは思った以上に大変な、そして素晴らしい生き方だ。小侍従の姿を見て私は本当に恐れ入ってしまった。
小侍従は御自分の事を「今もって現役」と、胸を張っていた。私は下世話な皮肉で返したけれど、そんな事をして良いような言葉ではなかったんじゃないか? 主人と定めた方を愛し、守り、お育てし、我が子も育て、さらに男君にも愛される。その男君たちにどんな態度を取られようとも、女人の知恵とやらで乗り切ってきたのだろう。
小侍従は家庭に入らずにいまだに御所勤めをしている。おそらく男君とも色々あったに違いない。それでも自己を通しながら、他人の事も認めて生きている。これこそ、女人らしい、真心のある生き方なのかもしれない。
私は挑み心で凝り固まっていた自分を反省せずにはいられなかった。我を張ってばかりでは琴の音で人の心など表しようもない。大将様も、小侍従も、ここまでして私に琴を弾かせようとして下さっている。私の琴の音は、私ひとりの武器なんかじゃなかったんだ。
現実的な私への疑惑は、大将様が役人へ証言して下さったことで晴れたらしい。でも、火が出たのは私と大将様が会った後のことだし、証人が大将様という事で、人の目は一層厳しくなってしまったけれど。
それでも私は胸を張って麗景殿へと向かう。大将様とのお約束通り、自分の琴の音を信じるために。
大勢の好奇の目の中で琴を据えて練習を始める。
正直、お父様や、お義母さま、康行と言った故郷の顔が懐かしい。私はここで何をしているのだろうと思う。
でも、ここで私を認めて下さる方が一人でもいる限り、私は演奏をやめたくない。やめられない。
私は明日の雅楽で、琴の音に何を込めようか? そう迷いながら、ただひたすらに琴の稽古に励む。
外野の声に心を惑わせないようにと、集中をしながら、私は一心に琴を弾いていた。
当時は木、布、紙の可燃物を中心にした生活です。さらにこの頃の邸は寝殿造りと言って、あまり壁の無い生活空間を作った建物でした。
室内を区切るために、几帳(枠付きの移動できるカーテンのようなもの)、衝立、屏風と言ったこれも燃えやすい物で広い空間を適度に仕切って暮らしたのです。
火がつきやすく、燃え上がりやすい構造です。都は火事が多かったそうです。もちろん御所も例外ではありませんでした。
装束の禁色(位の低い人が着てはいけない色)の中でも、真の紅は火を連想させる事から避けられたりもしていました。
火事は身近で恐ろしい災害だったようです。