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藤の花の匂う頃  作者: 貫雪(つらゆき)
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更衣の涙

 夜の参上まではまだ時があると、叔母の局で私達はくつろいでいたが、突然、役人が来て


「今夜は梅壺に主上がお渡りになります。命婦の方にお付きになられている方にも、お琴のご所望があろうかと思われますので、そのおつもりでお支度下さい」と告げていった。


 早速に主上のお渡りとは。帝はなかなか好奇心旺盛な方らしい。


 私達は大急ぎで、失礼のないように身支度をした。おかげで琴の調子を見る暇さえなかった。


 暇がないのは小侍従も一緒で、久しぶりの主上のお渡りという事で、人に言って辺りを片づけさせたり、自ら更衣様の身支度を整えて差し上げたりしている。私に声をかける暇など無さそうだった。


 間もなく先ぶれの声がして、お使者が帝の到来を告げる。そして主上が古式ゆかしくお渡りになられた。


 さすがの私も、主上をお相手に、顔をあげていられるほどの肝は無く、おとなしく深く頭を下げていた。



「こちらでは素晴らしい琴の名手を迎えられたようですね。楽しみにして、公務も手に着かず、うつけたようになってしまいました」

 そう言って笑われているのは、おそらく主上だろう。


「ま、そのような諧謔かいぎゃく(冗談)をおっしゃって」

 そう答えている声は小侍従。


「本当の事ですよ。私は梅壺の方のように、聞きわけの良い人間ではありませんから。年下の大将などにいつも諌められているのです」


「大将様もご一緒でいらっしゃられるなんて、お久しゅうございますわ」


 これを聞いて私はぎくりとした。大将様まで来ているの?


「少し、宿直が無かっただけで、久しいとは大げさだな。あなた方も、時には御簾の外に出てきて下されば、もっと、お話もできるんだが」


 確かに快活な声をあげているのは大将様だ。


「女人の身でそのような訳にはいきませんの」

 小侍従らしく、冗談にもそのまま真っ直ぐに答えている。固いなあ。


「私は梅壺にはめったに用がありませんからね。今日も主上に引っ張り回されてしまって。後で大納言家に宿下がりしている姉上の所にも顔を出さないと、ひんしゅくを買いそうですよ」



 そうか。大将様は姉君が中宮になられているんだから、後宮には仕事でなくても頻繁にいらっしゃっているんだ。知り人もいっぱいいるだろうし、これじゃ、梅壺から出て歩いたら、いつ、ばったり会ってもおかしくないわ。大将様も、結構型破りな方だから。


「いやいや、こちらの名手の琴と大将の笛を、どうしても合わせて聞いて見たかったんですよ。それが叶わぬうちは私は仕事を呆けたままになりそうでしたから」


 大将様の笛と合わせる。それも即興で。やはり、主上は好奇心がお強そうだ。


 帝と聞いて、ついつい天上かなたの方と恐れ入ってしまっていたが、考えてみれば、主上も聴衆の方のおひとり。 果してこの方は楽の音から何かを導き出そうとしている、心ざまの深い方か? それとも好奇心に駆られただけのただの男君か?


「大将が女君と合奏する顔も眺めてみたかったものだし」


 きまり。ただの男君。私はそう、判断した。


「して、その琴弾きは、どちらにいるのです?」

 主上はそういって女房達を見渡した。


「私です。私が命婦に付きしたがっている、琴弾きです」


 私は真っ直ぐ、顔をあげた。たとえ主上と言えど、私は扇を使わない。主上が私の演奏をご所望なら、主上は聞き手。他の聴衆の方と一緒だろう。私は琴弾きである時にはへりくだる必要はないと考えた。


「花房。扇はどうされました?」

 たまりかねたのだろう。小侍従が聞いた。


「私、琴を弾く時には、扇は使いません。たとえ聞いて下さる方が、どなたであろうとも」

 私ははっきり言った。




 私の噂通りの態度に、主上は一層好奇心むき出しの顔をされる。そのお顔は明らかにこの状況を楽しんでいらっしゃる。


「私の琴を、大将様の笛と合わせてお聞きになりたいとのことですが、さっそく演奏させてもらってもよろしいでしょうか?」


「勿論です。今夜はそのためにこちらに伺ったのですから」

 主上は何心もなく、明るくおっしゃる。


 すぐそばの御簾のうちには、長らくお渡りが無かった、更衣様がおられる。そんな事は一向にかまっていらっしゃらない。私への好奇心が勝ってしまわれている。


 よおし、それなら。


「では、大将様。この曲は御存じですか?」


 そういいながら、私は大将様の隣に行って、そっと耳打ちをする。大将様は、一瞬、驚いたお顔をしたが、私の顔を見て、にっこりとうなずかれた。



 私達は早速演奏を始めた。曲は「想夫恋」。妻が夫を慕う物語の伝えられる曲だ。


 私は以前のような大胆な弾き方などしない。あくまでも優しく、そっと、妻が夫に寄せる心はこんなものであろうかと、たおやかな響きが人の耳に残るように弾いていく。大将様は、私の琴の音を煩わせないように、静かに笛の音を添えて下さった。私も琴に、悲しみの哀切を添えて演奏する。


 すると、演奏に聞き入っていた更衣様のすすり泣くお声が聞こえて来た。御簾の内側に居られるので、私達にはお顔は見えないが、更衣様は明らかに泣いていらっしゃる。


 主上の角度からなら、そのお涙はおそらく見えておられるはずだ。唖然とその姿に見入られているようだ。


 やがて、演奏が終わると、主上は御簾のうちに入られた。更衣様の元に寄り添われる気配がする。


「今宵は梅壺の方と、積もる話がありそうです。二人でゆっくりしたい。大将には下がってもらっていいか?」

 御簾のうちから、主上のお声だけが聞こえた。


「勿論でございます。私も、帰りまして姉上のご機嫌伺いに参りますので」

 大将様も、そう、御答えになった。


 それを合図に、皆、そっとその場を離れていく。私も叔母につき従って、その場を離れた。



 そのまま叔母について、局に戻ろうとしたが、行く手に大将様が立っていた。


「先ほどは失礼いたしました」


 そういって頭を下げて、私は叔母とともに通り過ぎようとしたが、大将様が、袖で私の行く手をさえぎってしまう。叔母は目くばせをして、そのまま行ってしまった。いや、それじゃ、困るんだけど。


「先ほどは、良い機転を利かせて下さいましたね。これで梅壺の方の面目も、おおいに立ったことでしょう」


「たまたまです。主上がおおらかなお人柄でいらしたから。もし、御怒りを買っていたら、面目どころではありませんでした」

 私はそう言って、するりと身をかわしてその場を離れた。


 それでも私は軽く振りかえり、大将様にそっと会釈をする。大将様が私の考えを察して下さらなければ、さっきの演奏は成り立たなかったのだから、感謝はしているのだ。大将様も会釈を返して下さった。

 

 大将様も急ぎ足でその場を離れて行く。きっと、姉上の中宮様への御報告に、大納言家に戻られるのだろう。



 その夜、寝床に着いてから、私は眠れなくなってしまった。急に自分のしたことの大胆さに気が付いたのだ。


 本当に主上がおおらかな方でよかった。良く考えてみれば、顔も隠さず、あんな皮肉な選曲をした私は、あの場で御不興を買ってつまみ出されてもおかしくなかったのだ。


 そうなれば、梅壺の更衣にも害が及んだかもしれないし、叔母の立つ瀬もなくなってしまっていたに違いない。


 あの場では、主上がちょっと無神経な方に思えたし、あんな風に無視されて咎め立てもしない更衣様も、情けないような気がした。おまけに大将様がいらっしゃったから、私もついつい、強気になっていた。




 でも、相手はこの国の帝。お言葉一つで、私はどう扱われても仕方がなかったはずなのに、主上はお咎めにはならなかった。主上も一見、無神経に見えたけれど、きっと、御心のうちはお優しい、素直な人柄の方なのだわ。


 そういう方にあんな態度をとってしまうなんて、浅はかだった。


 私は一晩中後悔して、良く眠れぬまま朝を迎えていた。早く支度をして、更衣様に謝らなければ。



 ところがそんな朝早い時間に、叔母の局に女官が訪れた。叔母は大いに慌てていた。その女官は主上に直接仕えている、尚侍ないしのかみという大層位の高い女官が、召し使ってらっしゃる方なのだそうだ。その方から叔母あてに、美しいうちぎ(女性の衣装)が贈られた。


「これは。主上から花房に下賜されたものだわ。まあ、まあ、大変。こんな名誉な事があるなんて」


 叔母はうろたえながらも、私にお礼の手紙を書かせ、こういう時にちょうどいい、儀礼的な歌をつけて、女官に散々へりくだりながら手紙を渡していた。私は呆然としている。


「表面上は尚侍から、私への贈り物に、あなたがお礼をしたことにしているけれど、彼女は主上のお使い役よ。彼女があなたにお渡し下さいと言ったのだから、間違いなく、これは主上からあなたに贈られたもの。これは大変な名誉だわ。あなたのお父様に、さっそくお知らせしなくては」

 何だか、叔母の方が舞い上がっていた。


 この話は宮中にパッと広がった。私は初日の緊張で気付かずにいたのだが、私の事は後宮に住む人全てが注目をしていたらしく、昨日からの一連の話が、宮中の話題をすっかりさらって行ったらしかった。


 そんな注目を一身に浴びたまま、私は更衣様の元に参上した。


 小侍従は苦虫をかみつぶしたような顔をしていたが、更衣様は昨日とは打って変わった晴れ晴れとした面持ちで、私に近くに来るようにと言った。



「昨夜はあなたのおかげで、主上と本当に久しぶりに、ゆっくりとお話が出来ました。主上は、中宮や、大納言様に気をお使いになって、麗景殿にばかり足をお運びになっていたのではなく、最近は世の中の乱れが激しく、御公務でも、お気を回さなければならない事が多いので、つい、お親しい大将様がよくいらっしゃる、麗景殿の方に足が向かいがちになるのだと、おっしゃってくださいました。決してあちらの華やかさにひかれるのではなく、心をくつろがれる時間が欲しくて、同じ方にばかり通いがちになっていらっしゃったそうです」


 ふうん。男心と言うか、主上の様なお立場の方のお心と言うか、そういうものは分からないけれど、やっぱり精神的なお疲れがある時って、立場的な気遣いをしなくてすむ所に自然と足が向いてしまうんだろうな。特に、中宮様の弟の大将様は、主上とお親しくなさっているみたいだし。


「でも、梅壺にも、華やかさとは違う、落ち着いた静けさと、丁寧な心づかいがあるともおっしゃってくださいました。私は自分と、この梅壺が地味であることを気にしすぎていたようです。あなたの琴のおかげで、私は素直な自分を主上に知っていただけました。本当にありがとう。主上もあなたには感謝しているそうですよ」


 更衣様はそうおっしゃって、ご満足そうな頬笑みを私に向けて下された。


 昨夜は、完全に勢いに任せてしまっていて、浅はかな行動をとっていた私としては、こう、臆面もなく褒められても、居心地の悪い物がある。


 でも、更衣様が御満足して下さっているなら、これでよかったのかな?





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