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藤の花の匂う頃  作者: 貫雪(つらゆき)
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好奇心

 主上のお戯れに、大将はややうっとうしさを感じた。本当のところ、花房を宮中に連れて来たくはないのだ。


 まさか花房が自分の顔を潰すような事は無いのだろうが、小娘に気を回す姿を主上に勘づかれたくもない。


 それに自分が花房に興味を持ったのは、主上と同じくもともとただの好奇心からだった。


 金持ちとはいえ極端に身分が低い父を持つ娘が、大胆にも中納言家に乗り込んで、一の姫の最もそばに仕える身となっている。しかも姫のお気に入り。さらには琴の名手だという。これだけでも好奇心をそそられた。


 さらに、馬の世話を任せている朴念仁な康行が、その少女の行動に振り回されている。目が離せず、気がそらせず、わずかな事でもうろたえているのが分かった。これは面白そうな娘だ。


 実際に会ってみると、田舎者らしく、粗忽で無遠慮で気が強い、そのくせ、おおらかで、慕わしそうな、明るく人を引き付ける、意志の強さを持った娘だった。


 女君と呼ぶには、まだ幼さが残るような娘なのに、明るい何かを一つ信じ、それを真っ直ぐに貫こうとする強い輝きが感じられる。そこには不思議な信頼感があった。



 役目がら、宮中にいると、沢山の女房達に囲まれている大将としては、ちょっとした恋のやり取りは日常生活のうちだった。


 若い女君には自分の寛容さと大胆さを見せつけて、華麗な歌を送っては時に冷たく、時に情熱的にふるまって見せる。年上には少し背伸びをしているように見せ、そのくせたどたどしい歌を細やかに、まめまめしく送っては、丁寧な気遣いを見せたり、甘えてみたりする。


 そうすると女君たちは、自分との程よい距離感を旨く見つけ出して、自分をくつろがせてくれたり、勇気づけてくれたりする。目上の方々のいる席で、さりげなく褒めてくれたり、話がまとまりやすいように助けてくれる事もある。


 朝廷では正論を交わして、自らの意見を通さなくては潰されてしまう恐れがあるが、後宮の行事や、私的な宴の席では、若い自分はあまり強くものを言う訳にもいかない。そんな時に自分に有利な雰囲気を作り出してくれる女君たちの存在は、大将にとっては必要不可欠だった。


 そんな暮らし方をして来た大将に、信頼感を寄せられそうだと思わせる少女。その真っ直ぐな気性は都の女君には無いものだった。



 何もかもに恵まれて見える大将にも、苦悩はある。父親の作り上げた地位に対する重圧だ。


 自分は長男である以上、父の作り上げて来た現在の権力を、受け継がなくてはならない。自分達の一族で、都を牛耳続けるのが、我々の悲願だ。自分はその中心とならなくてはいけない。


 そのために、幼い頃から努力はして来た。人に認められるように、遠い大国の最新の政事を学び、これまでの朝廷の出来事を学び、季節の行事や、管弦の遊びにすら、手を抜かなかった。


 そうやって自分を固めた大将が、何よりも必要としているのは信頼して話す事が出来る、身近な人物だ。


 主上は御信頼申し上げている。身分がら御自分の思うようにならぬ事も多いだろうが、それでも大将の事を全力で守ろうとして下さるに違いないと、大将は信じている。


 父もおそらくはそうであろう。長男の自分への信頼は、他の兄弟や役人たちよりは持って下さっているようだ。当然、生みの母からの愛も感じてはいる。


 では他に? と、考えると、乳兄弟と、康行ぐらいしか思い当たらない。他の家来たちもそれなりには信用しているが、安心して信頼できるかと言えば、物騒な今時のこと、多少の不安が付きまとってしまう。


 それなのに、花房には信頼できそうだという勘が働いたのだ。



 花房を妻にしても良いと思ったのには、勿論、一の姫を守ろうとする心根に対する礼の気持ちもあったが、これからも信頼を寄せられそうな女君と言う、心づもりがあったからだった。だから、彼女には自分が与えうる、最大限の条件を告げたのだが、何と、断られてしまった。そんな予感はあったのだが。


 容姿にも、恋の手管にも自信はあった。まして、最良の条件を告げたはずだった。


 やはりこれは普通の女君ではなかった。しかも、我々の顔を立て、一の姫の命を守ろうとする、物怖じをしない女人。


 まだ年若いというのに、何という手ごたえだろう。身分はいやしくても、この真っ直ぐさ、この自尊心の高さは、宮中の女官たちにも、決して引けを取ることはあるまい。


 これほどの手ごたえ、これほどの矜持。これは強引には奪えない。そんな事をすれば、彼女の最も素晴らしい部分を失ってしまうだろう。


 しかも彼女は康行を意識している。彼が送った櫛をその身から離さずにいる。悔しいが、彼女にとって私は康行と同列、いや、もしかしたらその下に位置しているのかもしれない。彼女の心のはかりにかけられれば、身分など何の役にも立たない。花房とはそういう女君なのだ。


 その花房に、主上は好奇心を向けられた。お会いになれば、彼女の持つ、独特の何かに気付かれるかもしれない。自分がそこに太刀打ちできずにいることにも。ましてあの琴の音を聞けば……。


 大将は気が気ではなかったのだ。




「その女房は身内を頼って上京しているのか?」


 主上は脇息に持たれながら、のんびりと聞いてきた。


「母親の妹が、御所勤めをしているそうでございます。梅壺の更衣につかえる女房で、命婦みょうぶと呼ばれているそうです」


「梅壺か。しばらく足を運んでいなかったな。女官に言って、その命婦とやらに話を通しておこう。女雅楽まではまだ、十日あまりある。その女房にはそれまで梅壺に滞在させるがいい」


「本当にお呼びになるおつもりですか?」

 大将は未練がましく聞いた。


「なんだ? 大将はいくらでも聞ける琴だろうが、私はこうでもしなければ聞けないというのに、嫌がるのか? これは余計に聞きたくなるな」


「彼女の身分では、役人の許可が下りないのでは?」


「親はともあれ、本人は今、中納言家の女房だ。お前の後ろ盾もある。そういうことはお前の方が得意だろう。その、命婦の女童めのわらわがわりに身の回りを世話する者として、一時的に宮中にあげればよい。雅楽の日には私が呼ぶ」


 そう無理な事を言って主上はすっかりその気になってしまわれた。こうなると父や、身の周りの役人たちに口をきいて、大将は花房を宮中に上げる事になるだろう。


「お前も笛の練習をしておけよ。女君の前で恥はかきたくあるまい」

 そういって主上は楽しげに笑われた。





 いつものように大将様が姫君様の寝所にいらっしゃった晩に、私は姫様がたの御前に呼ばれた。お二人お世話をしようとしたが、大将様がお話があるとおっしゃった。


「実はお前に宮中に上がって欲しいのだ」


 あまりの急な話に私はピンとこなかった。宮中? あの、御所の? そばにいたやすらぎさえもが動きを止めた。


 大将様は事の次第をかいつまんで説明された。私の噂が、そんなところにまで伝わっているとは思わなかったので、私もびっくりしてしまう。


「お前の叔母には明日、宿下がりをさせるから、お前の叔母のもとで支度を整えるといい。後宮の中の事は叔母が教えてくれるだろう。私も決して詳しくは無いのでね」


 大将様は淡々とおっしゃるが、私にとっては一大事だ。ただ人の中でもいやしい私が、後宮に上がって琴を弾く?


 私のような者にとっては御所は天の上にも等しい場所だ。ましてその奥深くの後宮なんて、いくら身内が勤めているとはいえ、まるで別世界だとばかり思っていた。上がるどころか、門前に近づく事も恐れ多いと思っているのに。



「私と父、中納言殿が後ろ盾になっているのだ。お前は余計な事は気にせずに、と言っても、お前が人目を気にしないのはいつもの事だが、思うがままに琴を弾いてくれ。主上もお喜びになるだろう」


 そういう噂を耳にしてのご所望じゃ、どのくらい真面目に聞いてもらえるか分からないけれど、まさか帝の命を断る訳にもいかない。あんまり恐れ多すぎる。


 そんな訳で私は全くの突然に、御所に上がる事になってしまった。これで世の人々は、一層私の噂を面白おかしく広めてくれるんだろうなあ。



「あなたのお父様に、雅楽の日のご衣裳と身の回りの物をお願いしなければなりませんね」


 叔母は突然の事にうろたえながらも、私の仕度を手伝ってくれた。


「ご衣裳は前日までに役人の手元に届くように手配しましょう。お化粧道具は今の物で事足りると思いますよ。あなたの身元を証明する書面は、明日、御所で役人に渡しますから、忘れないようにね」


 さすがに普段御所に勤めているだけの事はあっって、速やかに支度が整って行く。


「こんな突然の事に、色々手をまわしていただいて」


 私は叔母に礼を言おうとしたが、叔母がさえぎった。


「いいえ、とんでもないわ。これは私がお仕えする、更衣様にとっても、大切な機会になるの。ここ最近は中宮様(皇后)のご威勢がとても強くて、他の女御様は皆、かすみがちだったし、まして更衣でしかないうちのお姫様には、長らくお渡りもなかったのよ。あなたの事がきっかけになって主上が梅壺にも、こまめに通われるようになって下されば、こんな目出たい事は無いわ。あなたには是非、頑張ってもらわないと」



 頑張れって言われたって。あちらは噂話の好奇心で、私を見せもののように考えてるっていうのに、私が何を頑張ればいいのやら。そんな期待を背負わされても困るんだけど。



 そうは思ったが、お世話になっている以上口にも出せず、私は叔母に言われるがままにあれこれと準備を整えていった。


 正直、話を聞いた時は「御所ってどんなところだろう?」と、こっちの好奇心も掻き立てられたが、叔母にいきなり妍を競う話を聞かされて、ああ、またそういう世界が見えてしまうのかと、夢が一つ壊れた気分がしている。


 果して私は御所で、いったい何を見せつけられるのだろうか?




いくら帝でも後宮と言う所は、気まぐれに身分の低い人を「ひょい」と呼んで入れられる所ではありません。


あくまでもフィクションです。御了承下さい。

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