上京
康行はしつこく食い下がっていた。私はうんざり声でさえぎった。
「いらない物は、いらないの。何よ、そんな安物」
康行は真っ赤になって言い返した。
「安物なんかじゃないぜ」
「嘘おっしゃい。侍で飼われ者のあんたが、たいしていい物を手に入れられる訳が無いじゃないの。あんたなんかにもらわなくても、私はお父様から素晴らしい螺鈿細工や、彫刻の櫛をたくさんいただいているの。田舎長者の娘と侮らないでほしいわ」
まあ、この物のいい方こそが、劣等感の表れなのは分かっているけど、康行があんまりしつこいので、つい、言ってしまう。
「今度の若君のご結婚は特別な事だからと、うちの殿様が禄(お手当)を大層弾んで下さったんだ。それを田舎にも送らずにお前のために買った櫛なんだ。若君だってこれは良い物だとおっしゃって下さった。受け取って、損は無いはずだ」
そう言って康行は尊大な顔つきをする。
ふん。しゃらくさい。
確かにあんたのご主人のお父様は、今、京の都を牛耳る大納言様でしょうけど、私の姫様のお父上だって御権勢が高まっている中納言でいらっしゃる。ご主人様の格を言うなら殆んど同格よ。
とっても長生きな方が上にいらっしゃるから中納言に甘んじていらっしゃるだけで、権勢の勢いなら大納言殿とそれほど遜色がないんだから。機会があれば権大納言になれるだろうって、もっぱらの噂だし。
私は康行を見下した。たとえではなく、本当に縁の上から見下ろしている。なぜなら私はこの、中納言家の一の姫様の女房(侍女)、と言っても女童(小間使い)に近い立場だけれど……であって、康行は武蔵の国から雇われてきた地方下級役人の息子で、下男同様の立場。邸を守る下級の侍だからだ。私はこの屋敷にいる以上主人の許可も用事もないのに、人前ではしたなく屋根の外へ出る事は出来ないし、康行は大納言家に飼われている立場なので、貴人や女人の上がる建物のうちへは入れない。
しかも、ここは中納言家のお屋敷だ。元の身分は康行と私は同じでも、ここでは私が何かと有利。だから私も強気で受け答えをしているのだ。
「京で男が最初に贈るのは、モノじゃ無くて和歌よ、わ、か。それに私だって国に帰れば武蔵で名をはせた長者の娘。あんたなんかに贈られたものを持っていたりしたら、いい赤っ恥だわ」
「たしかにお前の名前は有名だよな。じゃじゃ馬の花房さんよ」
「なんですって?」
私が康行にかみつこうとしていると、女房仲間で姫様の乳母の娘、乳姉妹の「やすらぎ」に声をかけられる。
「花房、こんなところにいたの? さっきっから探していたのに。早くしないと姫様に怒られるわ」
「ごめん。すぐ行く」
実はこれはやすらぎの助け船。私が苦手の康行に引っ掛っているのを見かねて声をかけてくれたのだろう。姫様の元に参上するのが遅れているのも事実だけど、姫様が私達をあからさまに叱ったり、たしなめたりするのを私は見た事が無い。
それでも康行は美しい漆絵の櫛を縁の上に置いて侍所へと帰って行った。私も結局そのままにはしておけず、その櫛を手に取ってみる。
へー……え。
確かにそれはみごとな漆絵の、櫛目の細やかなものだった。以外にも上質なものだと一目で分かる。
私の父は身分が低いながらも、金の力を借りて、私にありったけのモノを買い与えていた。だからモノの良し悪しくらいは分かるのだ。
あーあ。無理しちゃって。
でも、本当のところは、私こそかなり無理をし続けている。康行は苦手だし、武蔵の国の侍は乱暴者で有名だから、相手にするつもりはないのだけれど。それに、なんのために作法見習いに、ここに勤めたのか分からなくなってしまうのだけれど。物持ちの父に育てられたとはいえ、所詮田舎者。きらびやかな京の邸暮らしは何かと気骨が折れる。同郷の康行とちょっとした言い争いをするのは、実はよい気晴らしになってはいるのだ。
本来なら、こんな立派な方々にお仕え出来る身分ではない私が、下働きの下女ではなく、女房として一の姫様にお仕え出来るのは、父の金の力もあるのだけれど、私が何故か姫様に気に入られたのが一番の理由だ。
姫様は私の一つ下の十五におなりになる、愛らしい顔立ちの方で、一時は帝の女御様候補にも挙がられた。だが今は中納言様の政治的お立場が難しい時で、やむなく御入内はあきらめられたのだとか。
実際、帝には何人かの女御、更衣様方が寵を競っていらして、すでに后宮に男御子も儲けられているので、その後を追ったとしても、姫様が幸せになられたかどうかは難しいところ。中納言家にとって政治的なうまみもあまりなかった。
しかも、早々とその男御子様が赤子の身で東宮になられたので、これはむしろ、早く一の姫に女の子を産んでいただいて、お年頃になられたら東宮の元に入内させる方が、時も稼げて一石二鳥、と、中納言様は考えられたらしい。
そこで、今やこの京の都で最も権力を誇っている大納言様のご長男と、姫様の縁組が組まれる事になった。
そこそこの家柄の姫君や若様なら、評判を聞いて、和歌や手紙のやり取りをして(それでも互いの顔を見る事は出来ないのだけれど)几帳をはさんで会話をしたりして、気が合えばご結婚の運びとなるのだけれど、ここまで上流の、一度は帝の元へ嫁ごうかとされた方にまでなると、気が合うも合わないもなく、家柄と政治力と、親の相性がモノを言うので、お話が来た時点でご結婚が決まったも同然。
さっそく新しい女房や下女を増やそうと中納言様が当てを探していた所に、私の父が今は亡き私の母の妹につてを頼って私を推薦させたのだ。
父は今では地元に下ってきた地方官の娘と再婚して、長者としての地位を築いているが、昔は私の母の元に通い、そこで私が生まれたらしい。母は下流貴族の家の人だったらしく、父が財を築く元手になったのは、母の家の人間関係による援助があった事が大きかった。母は私を生んですぐに亡くなったが、普通女の子は母方の実家で育てられるのが常なのに、父は私を自分の郷里の武蔵の国へ連れていき、そこで私を育ててくれた。
郷里で成功を治めた父は私に都の様々な情報を与えてくれた。読み物、歌集、詩集、きらびやかな衣装、流行の和歌、美しい細工もの、絵巻物。私は自然と都に憧れをもった。
いつの日か、京の都で暮らしてみたい。
私は父に甘やかされて育ったせいか、地元で評判のやんちゃ者(お転婆)と言われるようになっていた。父と再婚した義母はその事に胸を痛めていて、
「いっそ花房さんをどこかのお邸にお勤めに出したらどうでしょう?」と、言いだした。
義母にしてみれば、地元の国守の邸に行儀見習いに出すつもりだったのだろうけれど(そう言う事は良くあることなのだけれど)幸い、私には母と仲の良かったという、母の妹である、伯母とのつながりがあった。都で暮らす絶好の機会である。
私は父に頼みこみ、叔母にきちんと連絡を取り続ける事を条件に、普通では無理であろう権門の家の女房候補として上京したのだった。
叔母の家で支度を整え、他の人たちと中納言様の正妻でおられる北の方、つまり姫様のお母上様と姫様にお目にかかる時、誰もがかしこまって顔も上げられずにいる中で、私はどうしても好奇心に勝てずに顔を少し上げてお二人のお顔を見ようとした。
そこを姫様の乳母、やすらぎの母親に見とがめられて、失礼だと叱られたのだが、つい田舎にいた時の勢いで、
「私は身分がいやしいですから、ここで追い返されるやもしれません。だったら都のお姫様のお顔を、一度くらい拝見しておきたいんです」と、言い返してしまった。
皆があきれて息をのむ中で、一の姫様がコロコロとお笑いになられた。そこで私と姫様は初めて目があったのだが、その一瞬で姫様は気丈な私を気に入られたらしい。問答無用で私を姫様付きのおそばの女房に決めてしまわれた。
姫様の周りには沢山の女房が仕えている。乳母や大人の実務を取り仕切っている女性達と、どちらかと言えば姫様のお話相手を要求される若い少女達。その中でも最も姫様に近いのは、乳母の娘の姫様と乳姉妹である「やすらぎ」だ。姉妹同然に育っているので、彼女が姫様の事を一番よく知っている。姫様のこれまでのいきさつを教えてくれたのもやすらぎだ。
本来なら、身分いやしく、知識も才も、優れているとは言い難い私なのに、やすらぎは
「姫様がお気に召したのなら、あなたは絶対いい人よ。都育ちではないけれど、決して頭の悪い人ではないわ。それに堂々と、のびのびとしたところがある。姫様はそういう方がお好きなの。きっと私達も気が合うわ」
と、言って私を受け入れてくれた。 姫様と同い年なのだから私よりも一つ下なのだが、とてもしっかりした人なのだ。
田舎者の私がそんな風に大出世したのだから、当然周りにはねたむ者もいた。じゃじゃ馬でならした私はそんな事歯牙にもかけないつもりでいたが、風当たりが強くてはいい気持ちはしない。ところがそこをやすらぎが救ってくれた。
「せっかく新しい方々がいらっしゃるのですから、今夜はにぎやかに過ごしたらいかがでしょう?」
やすらぎが姫様に提案した。
「それはいいわね。やすらぎの琴も聞きたいわ」
姫様も賛成して琴が用意されるが、やすらぎは琴を二つ用意した。
「花房さん。あなたも少しお引きになってはいかが? 合奏も華やかでいい物だから」
そう言って私の前に琴を押してくる。
私は驚いた。琴は得意中の得意だ。父が都から来た人を呼んで、私に習わせてくれていたのだ。和歌の応酬や、都人の礼義には弱い私でも、琴なら負けずに弾きこなせる。
私がやすらぎとの合奏を終える頃には、周りの見る目が変わっていた。私はあとでやすらぎに尋ねた。
「どうして私を合奏に誘ってくれたの?」
「手を見たのよ。あなたの手には琴を弾く時のタコが出来ていたの。よっぽどたくさん練習されたのね。これなら絶対に素晴らしい音を聞かせてもらえると思ったの」
そう答えて、姫様と視線を合わせてにっこりと笑った。どうやら姫様とは何でもピン!とくる仲で、姫様も承知していたらしい。
権門の家のお姫様ともなると、こんな召使の人間関係にまで心配りが出来るのか。私は感心してしまった。
後に、これはこの二人の独特の特性で、どこのお屋敷に上がっても同じとは限らないと知ったのだけれど。
だから本当のところ、私も和歌や、詩を吟ずるのは苦手で、康行に言った言葉はまるで当て外れなのだけれど、同じ田舎者の私としてはこの方法が康行を手っ取り早く遣り込める事が出来るので、つい、「歌の一つも詠めない」と言ってしまうのだ。
それに父が私を都に出したのは、当然、都人とのつながりを意識している。
私が都の身分が上の男とつながりを持てば、それが一番だし、そうでなくても私を経由して都人たちとの人間関係を父は持つことが出来るだろう。万が一にも、貴人のお手つきにでもなれれば万々歳だ。さすがにそれは無いだろうけど。
だから同郷で、身分が同じで、経済的には私よりも低いはずの康行なんかに私がかかわったとなれば、父はがっかりするはずだ。だから私は康行には辛辣になるのだ。