コウイチ/クロエ
のびきってうどんのようになってしまったラーメンを、美味しそうに食べていく少女。
「冷たぁ。まずぅ」
そりゃそうだ。冷めてのびたラーメンなんてラーメンじゃない。たとえ何処かの誰かが、それでもこれはラーメンだよと抜かしても、俺は断固認めない。
「まずいなら喰わなきゃいいだろ」
お前が来なけりゃ俺が喰ってたラーメンだ。
ちゃぶ台に肘をつきながらため息を零す。短い間にため息をたくさんついた気がする。
「きひひひ。ため息吐くと幸せが逃げるよ」
「知ってるよ」
あの不気味な笑い方は素なのだろうか。もしかしたら、さっきと同じく演技かもしれない。
「あ」
そういえば。
「名乗ってなかったな。俺は蜂谷晃壱だ」
さっきは演技に圧倒されて言えなかったし。
少女が食べる手を止め、箸を置いた。
「そうか、コウイチか。あちしの名前はな、クロエ」
無邪気に突き出された小さな右手。少し迷いながら同じ右手で小さな手を握った。
「クロエ? 日本人じゃないのか?」
「うん」
つないだ手をスルリと解き、再びラーメンを食べ始めるクロエ。
「じゃあ何処出身なんだ?」
「日本?」
「何で疑問系なんだよ」
日本人ではないが日本出身というわけか。まぁ最近は珍しくはない。よな?
「じゃあ言い方悪いけど人種は?」
「雑種」
「更に言い方悪いな、それ」
プラスチックのカップを傾けてスープを飲み始めたクロエ。かなり危なっかしい。
「ぐぺっ」
「お、おいっ」
案の定、傾けすぎて顔面からスープをかぶった。冷めてて本当によかったな。
「ぐぇ~」
「あ~あぁ、服ビシャビシャじゃねえか」
急いでタオルを取りに立ち上がる。
どうすんだよ、来たばっかだから着替えなんてもってねぇよな。仕方ねぇから俺のシャツを着せるしか…て。
タオルを取り出しかけていた手をそのままに固まる。
何考えてんだ俺は。何引き取る気満々で世話してんだよ。自己紹介とかしちゃったし、馬鹿か。
今日は一旦泊めて、明日社長の所へ連れて行こう。そうだ、そうしよう。
止まっていた手を動かし、クロエの方を向く。
「なぁ、明日社長んとこ…」
「ん?」
俺は目を見開いた。
どういうことだろう、さっきまで座っていたクロエが俺の真後ろに立っている。こいついつ立ち上がった? 否、
. . . . . . .
どうやって物音を立てずに近づいてきた?
いくら考え事をしていたとは言え、何かしら気づいていたはずなのに。
今の出来事にショックを受けてフリーズしていると、クロエが俺の服の裾を引っ張った。
「コウイチ、タオルちょーだい。ラーメンクサいんだよ」
「あ、あぁ」
俺の腰よりやや高い位置にある頭にタオルを被せ、乱暴に拭いた。
「いたいいたいいたいいたい」
「悪ぃな」
「きひひひ、くすぐってぇ」
さらに両手でわしゃわしゃとこする。
クロエが手で抵抗してきたが、あまり痛くない攻撃だった。
もういいだろうと思い、タオルを退ける。やはりというか、クロエの髪はとんでもないことになっていた。
「くさい」
「だよな」
当たり前だが拭くだけじゃラーメンのにおいまではとれなかったか。
「風呂…か」
「こんなちっせーアパートにもお風呂ついてるんだね」
「ちっせーは余計だよ」
間違っちゃいないがあまり言って欲しくはないしな。
風呂場へ向かいクロエを手で招く。
「せま」
「文句言うな。嫌ならそのままでいろよ」
「やだやだ」
タオルを渡し、シャンプーなどの指示をだしてから扉をしめた。
ちゃぶ台の横にゴロンと寝転がる。
どうして…。
どうして社長は突然やってきて、クロエを俺に押しつけたのだろう。そして、クロエは一体何者なのだろう。
俺を選んだのは理由があるようなことを言われたが、クロエが何処の誰でなぜ引き取らなければいけないかは聞いていない。
ぱっと見、小学生か幼稚園児か分からないくらいの年齢だ。他人の家に預けられるなんて、よっぽどの理由がない限り考えにくい。それともクロエはその"よっぽどの理由"がある種類の人間なのだろうか。親がいない、もしくは捨てられたか。もしそうで、あのお人好しの社長が引き取ったと言うならば頷ける。そして、あの人はなんだかんだ言って忙しい人だから他の人に世話を頼むと言うことにも、納得いく。
だがまだだ。まだ俺は納得していない。
明日社長に会いに行って断るんだ。
明日、ちゃんと…。
そのまま。
俺の意識は闇に塗りつぶされていった。