6 幻香①
リュミエール王国の近衛騎士団は、王国随一の武力組織として知られている。
第一から第三までの騎士団に分かれ、それぞれが異なる役割を担っていた。
騎士団は、王国の安寧を支える大黒柱のような場所だ。
香術局は騎士団と直接の関わりがなさそうに思えるが、実は交流が多い。
香術には、魔力を整えるもの、防護効果を付与するもの、集中力を高めるもの──さまざまな効能があり、それらを込めた糸で作る“守り袋”は騎士たちの任務を支える重要な道具だからだ。
「守り袋の納品、ですか?」
ミアは先輩職員のユイナと並んで歩きながら、騎士団詰所へとつながる白い石造りの廊下を進んでいた。
窓の外では訓練場が見え、剣のぶつかる金属音や掛け声が風に乗って響いてくる。
「そうそう。騎士団には定期的に届けに来るからね。ミアちゃんもいずれ一人で届けることになるから、今日は顔合わせも兼ねてるんだよ」
ユイナが肩にかけた大きな布袋を軽く叩く。
その中にはぎっしりと守り袋が詰まっているらしく、ほのかに魔力の香りが漂った。
「この中、全部騎士団用。第一から第三まであるから、用途に合わせて種類も違うの」
「そんなにたくさん……」
「実戦部隊だからね~。消耗も激しいんだよ。重たいけど、騎士団の役に立ててるって思うと、誇らしい気持ちになるんだよね」
ユイナは布袋をポンポンと軽く叩いて笑う。
その表情からは、香術士としての誇りを感じた。
騎士団の詰所は訓練場のすぐそばにあり、外からでも活気が伝わってくる場所だった。
入り口を抜けると、革鎧と金属油の混ざった匂いがかすかに漂っており、ざわめきと笑い声が重なる。
訓練を終えた騎士たちが汗をぬぐいながら談笑し、鎧の隙間から逞しい腕がチラリと見える。
筋肉隆々の男性が多くいる場所に、ミアは少し怯んだ。
そんなミアの緊張に気付いたのか、ユイナが小声で笑った。
「大丈夫大丈夫。みんな優しいから」
ユイナが若い騎士に声をかけると、詰所の中で待つように案内された。
奥の部屋に向かう途中、壁に飾られた騎士団の紋章が目に入る。
青銀色の盾に描かれた聖獣の翼。その荘厳な意匠に、ミアは自然と背筋を伸ばした。
しばらくすると、足音が近づいてくる。
「ごめん、待たせたかな」
明るい茶髪の男性が詰所に入って来て、ミアとユイナに話しかけてきた。
軽やかな雰囲気と精悍さを併せ持った男性だ。
「いえ、いつもの守り袋を持って来ました。それから、新しく入った職員の紹介を」
「ミアと言います。よろしくお願いします」
ミアは緊張しながら頭を下げた。
「第一騎士団副団長、カイ・ロウウェルだ」
そしてカイは、ミアを見て笑顔になった。
「……?」
「あ、すまない。実は君と会うのは初めてじゃないんだ」
「え……?」
「と言っても、君は覚えていないと思う。あのときは意識がなかったから……」
「……あ。もしかして、森で?」
「ああ。レオンが倒れていた君を見つけて、俺が医務室まで運んだんだ。結局、あのときは意識が戻らないままだったし、その後は記憶がないって聞いてたから心配してたんだけど、元気そうで良かった」
心配してくれていた人がいることに、ミアの胸の奥が温かくなる。
「ありがとうございます」
「いやいや。香術局に配属されたってことだし、これからよろしくな」
「はい!」
緊張していた肩の力を抜いて、ミアは元気に返事をしたのだった。
「あと、君たちに、少し聞いてほしいことがあるんだが」
カイは表情を引き締め、少し声を落とした。
「時間を少しもらえるかな?」
「聞いてほしいこと、ですか?」
「ああ。ささいなことなんだが──少し気味の悪い現象が起きていてな」
ユイナとミアが顔を見合わせる。
カイは二人を部屋の奥へ案内すると、机の上から一枚の資料を取り上げた。
「ここ数週間、騎士団内で妙な報告が続いているんだ」
指先で資料を軽く叩きながら、真剣な声で続ける。
「──突然、強い眠気に襲われて、意識を失ってしまう。そんな報告が上がってるんだよ」
「眠気……ですか」
「ああ。だが奇妙なのは、その直前だ。ほぼ全員が“甘い香り”を感じたと言っている」
「甘い香り……」
ミアは息を呑む。
「眠っている時間は短い。長くても数分。目覚めた後は特に疲れもなく、むしろ……」
「むしろ?」
「“いい夢を見た”と言うんだ。心が軽くなったとか、懐かしい光景を見たとか、中には“もう一度体験したい”なんて言う者もいる」
ユイナは眉をひそめる。
「実害がなくても、なんだか不気味ですね……」
「そうなんだよ。害がないぶん、逆に扱いが難しい。放置していいのか判断に迷っていてな」
ミアは資料を覗き込みながら、胸の内で考える。
(甘い香り……突然の眠気……夢……)
香術に関係しているのかどうかは、調べてみないとわからない。
だが──
(ただの“香り”ではない。そんな気がする……)
ミアは、胸の奥に小さく芽生えた不安を手のひらで押さえるような気持ちで、唇を結んだ。
「調査に協力してもらえると助かる」
カイの真剣な視線が、まっすぐ二人に向けられる。
ミアは静かにうなずいた。
「……わかりました。自分に出来ることがあるのなら」
その返事に、カイの表情がほっと緩む。
「ありがとう。助かるよ」




