表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/8

第6話 静寂の刃、揺らぐ未来

【作者より】


ここから少し、物語の風向きが変わります。


当初のプロットでは、第6話以降ももっと「穏やかな歴史改変」を予定していました。しかし、執筆を進めるうちに、目の前の足利義昭が、明智光秀が、そして織田信長が、私の用意したレールを自ら蹴り飛ばして動き始めました。


彼らの声を聞くうちに、「この男たちがこんなに綺麗に収まるはずがない」と気づかされてしまったのです。


優しい歴史IFを期待されていた方には申し訳ありません。ですが、作者の制御を離れて牙を剥き始めた彼らの「生存本能」を、私は止めることができませんでした。


現代知識による経済戦と、それをルールごと粉砕しに来る信長の暴力。

予定調和ではない、剥き出しの戦国をここからお楽しみください。

◆ 二条城・朝の静寂 ◆


京の朝は、いつもより冷たかった。


二条城の石畳に薄い霜が降り、

兵の足音が吸い込まれるように消えていく。


──音が、薄い。


利三は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。


昨日までと同じ城のはずなのに、

まるで“何か”が空気を押しつぶしている。


その時だった。


廊下の奥から、

“音のない気配”が近づいてきた。


足音はない。

衣擦れもない。

ただ、空気が押し返されるような圧だけが迫ってくる。


利三は反射的に膝をついた。


──信長だ。


姿を見る前に分かった。

この圧は、他の誰にも出せない。


角を曲がり、

織田信長が現れた。


歩いているのに、音がしない。

影が滑るように進んでくる。


利三は息を止めた。

呼吸をすれば、気づかれる気がした。


信長は利三の横を通り過ぎ──

ふと、足を止めた。


利三の心臓が跳ねた。


信長は、ゆっくりと利三の方へ視線だけを向けた。


その目は、炎でも氷でもない。

ただ、底の見えない“空洞”だった。


数秒の沈黙。

耐え難い沈黙。


そして──


信長は、ふっと口角を上げた。


「……ほう」


その一言に、

嘲笑、興味、期待、殺意──

すべてが混ざっていた。


信長は何も言わずに歩き去った。


その瞬間、

廊下に音が戻った。


風の音。

鳥の声。

兵の鎧の擦れる音。


利三は、ようやく息を吸った。


「……死ぬかと思った……」


信長は怒鳴らない。

暴れない。

刀も抜かない。


ただ、視線を向けるだけで、

人の心臓を握りつぶす。


利三は震える手を押さえながら、

義昭のもとへ急いだ。


◆ 義昭、初めての“痛み” ◆


義昭は、机の上に置かれた木札を見つめていた。


昨日、村の子どもが渡してきたものだ。


「お侍さま、これ……お守りです」


その声が耳に残っている。


だが──

その村は今朝、焼かれた。


信長の軍勢が、

“合理的な理由”で。


義昭は木札を握りしめた。


角が掌に食い込み、

皮膚が裂け、血が滲む。


だが、

焼かれた村の熱に比べれば、

そんな痛みは無に等しかった。


「……わしが……余計なことをしなければ……」


声が震えた。


「わしが……救おうとしなければ……

あの子は……今も……」


胃が締め付けられる。

吐き気が込み上げる。


逃げ場のない罪悪感が、

胸の奥を焼いた。


その時、襖が開いた。


「御所様……!」


利三が駆け込んできた。


義昭は顔を上げた。

その目は、痛みと後悔で濁っていた。


「利三……

村が……焼かれた……」


利三は息を呑んだ。


「信長公が……?」


義昭は頷いた。


「わしが……救おうとしたのに……

わしの判断で……

あの子らは……」


言葉が震えた。


利三は、初めて見る義昭の姿に胸が締め付けられた。


「御所様……」


義昭は木札を握りしめたまま呟いた。


「わしは……甘かったのだ……

この国では……

“話せば分かる”など……

通じぬのだ……」


その声は、

現代人の痛みそのものだった。


◆ 光秀との密室 ◆


その夜。


光秀は、義昭の部屋を訪れた。


「御所様……」


義昭は机に突っ伏すように座っていた。


光秀はそっと近づき、

義昭の前に膝をついた。


「御所様……

何があったのです」


義昭は、しばらく黙っていた。


やがて、

震える声で言った。


「光秀……

わしは……怖い」


光秀は息を呑んだ。


義昭が“怖い”と言うのを、

初めて聞いた。


義昭は続けた。


「わしは……前の世界で……

守れなかった。

だから今度こそ……

誰も死なせぬと……

そう思っていた……」


光秀は、言葉を失った。


慰めの言葉が見つからない。

ただ、義昭の痛みに胸が締め付けられた。


義昭は、血の滲む手で光秀の手を掴んだ。


「それでも……十兵衛……

お前だけは……

死なせたくない……」


光秀の目が大きく揺れた。


その瞬間、

光秀の胸の奥で何かが決壊した。


「御所様……!」


光秀の目から、

熱い涙が溢れた。


「わしも……怖いのです……

信長公の前では……

息をすることすら……

許されぬように感じます……

だが……

御所様が……

わしを必要としてくださるなら……

わしは……

何度でも立ち上がります……!」


義昭は光秀の手を強く握り返した。


二人の間に、

静かな絆が生まれた。


それは、

主従を超えた“運命の共有”だった。


◆ 信長の影、迫る ◆


その時だった。


廊下の向こうから、

“音のない気配”が近づいてきた。


光秀の顔色が変わる。


「……御所様……

信長公の影が……」


義昭は立ち上がった。


廊下の灯が、

ひとつ、またひとつと消えていく。


音が消える。


風が止む。


空気が凍る。


そして──


襖の向こうで、

信長の影が立ち止まった。


義昭の心臓が跳ねた。


光秀は震えた。


信長は、

襖越しに、

数秒の沈黙を置いた。


耐え難い沈黙。


そして──


「……ほう」


その一言だけを残し、

信長は去っていった。


音が戻る。


光秀は膝をついた。


義昭は、

震える手で胸を押さえた。


──信長は、気づいた。


義昭の変化に。

光秀の揺らぎに。

そして、

この国の未来が動き始めたことに。


去りゆく信長の背後で、

その影が長く伸び、

光秀の足元を完全に飲み込んでいた。


まるで、逃れられぬ蛇の口のように。


——本能寺まで、あと二年。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ