第3話 婚約破棄と再婚約
ラフィーニャと兄上の婚約が破棄された。
兄上が侯爵家の一人娘と結婚し、婿入りする事になったからだ。
侯爵令嬢はもともと二人と同じ高等学院に在籍しており、その彼女と兄上が恋仲になったという。
なんだそれ!!
「兄上!」
「セネック…?」
兄上の部屋へ向かい、ノックもせずに飛び込んだ。
「本当ですかっ 侯爵令嬢と恋仲になったという話は! ラフィーニャ様と婚約破棄し、その侯爵家へ婿入りするという話は!!」
僕は部屋に入るなり捲し立て、兄上を問い詰めた。
「本当だ。だか…っ!」
ガン!!!
兄上が何か言おうとしたが、僕は構わずその頬を拳で殴った。
「なぜ婚約者であるラフィーニャ様を裏切ったんですか! 婚約破棄された彼女がどうなるか考えもしなかったんですか!! 彼女の気持ちは!? 兄上はそんな…そんな無責任な男だったのか!!!」
僕は肩で息をしながら、床に倒れた兄上を見下ろしていた。
「…考えたさ、だからこうなったんだよ」
「は? どういう意味ですか!?」
ふらりと立ち上がった兄上が口にした言葉に、疑問符が飛ぶ。
次の瞬間…
パ―――ン!!
「いっった!!」
右頬を兄上に平手打ちされた。
「な、何すんだ!」
「ふん、拳じゃなかった事に感謝しろっ」
「はあ?!」
「だから、あとは任せたぞ。後継者!」
そう言うと僕の肩をポンと叩き、兄上は部屋を出て行った。
「ま、待って下さいっ 兄上っ 兄上!」
『だから、あとは任せたぞ』
だからって、どういう意味だ?
あとはって、何が??
後継者!?!?
何を言っているんだ?!
っていうか、どうして僕が殴られなきゃならないんだよ!
兄上の言動の意味が分からず、おまけに殴られ、よけいに腹が立った。
けど気がついた時には、既に兄上の姿は消えていた。
その日の内に兄上は、侯爵家へと向かってしまわれたのだ。
もうっ 何なんだ! あの人は!!
兄上が屋敷を出て行った後、僕は父上に呼ばれ、そこで思いもよらない話を聞かされた。
「おまえはファビオの代わりに、ラフィーニャ嬢と婚約する事が決まった。そしておまえを後継者とする」
「はあああ???」
わっっっけ分からんっ この家の人間は!
僕は兄上の行動も、父上の言葉も、全く理解できなかった。
「な、何を仰っているのですか!? 兄上の有責で破棄になった婚約ですよ!? ケレス家はなんと…っ ラフィーニャ様は…っ! こ、後継者??」
わたわたする僕に構わず、父上は話を続けた。
「ケレス伯爵はオルノアス家と姻戚になれるのなら、弟のおまえでも構わないと仰った。そして、本来ならばファビオの有責で慰謝料を払わなければならないが、向こうの持参金と相殺する事となった。まあそれに…ファビオが結婚すれば侯爵家とも姻戚になれるしな」
「な……っ!」
た、確かに、貴族内で婚約者の挿げ替えなど珍しくもない。
そもそも、貴族同士の婚姻は個人で行われるのではなく、家門同士の繋がりを強める為に行われる。そこに当人の感情など関係ない。
分かっている! 分かっているけれど……
ラフィーニャは兄上の事を想っていたのに、こんな…っ
当人の気持ちなど考慮せず、すでに話が進んでいた事に憤りを覚えた。
けれど、僕はその事を覆す気持ちにもなれなかった。
ラフィーニャと婚約できるからだ…
浅ましい。
結局、僕も自分の気持ちを優先している。
兄上を責める資格など、僕にはない。
だが、もう他の男に奪われるのは絶対に嫌だった。
後日オルノアス家で、改めてラフィーニャとの婚約が取り交わされた。
今回は形式を簡略し、内々で済ませる事となった。
僕はラフィーニャがプレゼントしてくれたクラヴァットを身に付けてきたが、 彼女は気づいてくれるだろうか。
両家了承のもと、成り立った再婚約ではある。
だか、兄上の分別のない行動の結果、婚姻破棄となった。
その事でラフィーニャのご両親はやはり複雑な思いをかかえているだろうと思っていたが…予想に反して穏やかな雰囲気の中、会食は進んだ。
ああ…伯爵家に嫁ぐことは変わらないから安堵されたのだろう。父上もそのような事を話していたな。
子爵夫妻はそれでいいだろうが、彼女は違うだろう。
兄上の事を想っておられた。
どれだけ傷ついているか。
ずっと視線を向けられずにいたラフィーニャをチラリと見ると、目が合った。
薄紅色の唇がやわらかく動き、満面の笑みを浮かべるラフィーニャ。
「そのクラヴァットを身に付けて下さったんですね」
嬉しそうに僕の胸元に視線を移す。
僕は思わず、俯いてしまった。
耳が赤くなるのを感じる。
彼女と初めて会った時となんら成長していないな…カッコ悪すぎるっ
僕は膝の上で両手を握り締めた。
彼女は耐えているんだ。
兄上に裏切られ、その弟の僕と婚約を強いられ…
辛いはずだ。
悲しくないわけがない!
悔しくないはずがない!!
その屈辱を心の奥に閉じ込めて、今僕に必死に微笑みかけてくれている。
ガタン!!
「「セネック?」」
「「セネック君?」」
「セネック様?」
僕が突然立ち上がり、両親が子爵夫妻が彼女が…皆が驚きの声を挙げる。
僕はラフィーニャの席に向かい、片膝をつき、右手を差し出した
「どうか僕と結婚して下さい! 絶対に幸せにします! 決して兄のように裏切る事は致しません! 生涯あなただけとここに誓います!!」
もう婚約契約書は取り交わされた。
今更、僕が言う事ではない。
けれど、きちんと言葉にして僕の気持ちを彼女に伝えたかった。
室内は真夜中の湖畔のように静まり返っている。
その静寂の中、凛とした声でラフィーニャが言った。
「はい」
そして、僕の手を取ってくれた。
この瞬間、僕はこの世の幸福を独り占めした気持ちになった。
けれどその想いは、僕だけだった……




