第1話 恋の始まり
「あの…お話がございます」
朝食中、妻であるラフィーニャが手を膝の上に置き、意を決したように話を切り出す。
「す、すまない、仕事がたまっているんだ。先に失礼する」
僕は慌ててナプキンで口を拭き、席から立ち上がった。
もう何度、彼女の言葉からこうして逃げただろう。
「ま、待って下さい! どうしていつもお話を聞いて下さらないのですか!?」
いつもは『わかりました』と悲し気に俯きながらも引いた彼女が、今日は声をあげた。そして潤む瞳で僕を見つめる。
「なぜ…聞いて下さらないの…っ…」
彼女の緑黄色の瞳からポロリと光るモノが落ちた。
そうだよな…何度も何度も話しを聞かずに逃げ続ければ腹も立つだろう。
それでも僕は……っ
「……いやだ…っ」
「え?」
「僕は…僕は受け入れられない!」
「……そ…んな…っ…」
僕の言葉に妻の目からとめどなく涙が零れる。
彼女が何を言いたいか分かっていた。
僕と離縁したいという話だろう。
君はまだ…兄上の事を忘れられないのか ――――――……
◇
僕はセネック・オルノアス。
オルノアス伯爵家の次男であるが、後継者でもある。
それは後継者であった兄ファビオが、婿入りしたからだ。
相手は侯爵令嬢。
そして兄上の元婚約者であったラフィーニャは、僕の婚約者となり結婚した。
たった数行で説明がつく現状。
それでも詳しく話したいから聞いて欲しい。
話は少し過去に遡る ――――――…
両親は、嫡男であり後継ぎでもある兄上をいつも優先していた。
次男の僕は、まさにいつでも二の次だ。
僕は自由という名の無関心の中で生きてきた。
けどそれは仕方がない事…と、物心ついた時から理解していたさ。
時折心の中に寂しさが通り過ぎる時もあったけれど、自分の立場に納得はしていた。
そんな日々の中、出会ったのがケレス伯爵家の長女ラフィーニャだった。
その時、僕が12歳、彼女は15歳。
彼女は兄上と同じ高等学院で同級生。
他の友人たちと一緒に遊びに来た時に出会った。
「初めまして、ラフィーニャ・ケレスと申します」
彼女は子供に接するように、腰を屈めて僕に挨拶をした。
彼女より僕の背は、ずっと低かったから。
まるで幼い子供に対するその仕草に腹が立ち、僕は何も言わずに立ち去った。
こんな行動が一層自分の未熟さを思い知らせる。
僕は自分の茶褐色の髪をかき上げながら、溜息をついた。
後で兄上にこっぴどく叱られたけど…
悔しかったんだ、恥ずかしかったんだ。
あんなきれいな女性に子供扱いされた事が。
屈んだ時に、彼女の銀色の髪がサラリと揺れ、深い緑黄色の瞳が僕を見つめ、薄紅色の唇が言葉を紡ぎ、金木犀の香りが僕の鼻をくすぐった。
そんな彼女に、見られたくなかった。
赤くなったであろう僕の顔を。
それから時々、他の友人たちと一緒に遊びにくるようになったラフィーニャ。
いつも僕に声をかけてくれるけど、会釈をしてその場を立ち去るのが常だった。
そんな彼女の大人の対応が、余計に僕の心を頑なにさせた。
彼女を前にすると心が落ち着かない。
体温が上がる。
言葉が出ない。
唯一できたのは彼女が帰る時、窓から見送る事だけだった…
初めてまともに彼女と話すようになったのは、兄上の誕生日パーティー。
実は一日違いで、翌日が僕の13歳の誕生日でもあった。
けれど、いつも兄上の誕生日とまとめてパーティーは開かれた。
一緒にお祝いされるけど、主役はいつも兄上。
そんな光景を友達にみられるのは癪だから、誕生日パーティーに招待した事はなかった。
今年もついでの誕生日を過ごさなければならないのは気が重かった。
そう思っていたのに……
「お誕生日おめでとうございます。セネック様」
ラフィーニャがリボンをかけたプレゼントを僕に差し出した。
「え?」
「ファビオ様にお聞きしました、明日がお誕生日と。気に入って下さるとよろしいのですが…」
「……っ」
僕は戸惑いながら、ラフィーニャの手からプレゼントを受け取る。
彼女とまともに話すのはこれが初めてだった。
いつも…彼女に見つめられると顔が熱くなって、うまく話せない。
だから今も、口籠り言葉が出なかった。
僕は無言のままリボンを解き、包装紙を広げるとそこにはクラヴァットとその色い合わせたピンが入っていた。
通常、クラヴァットは大人の男性によくプレゼントされるアイテムだ。
実際身に付けるのは成人してから。
まだ少し早いけど…なんだか大人として扱われた気がして嬉しくなった。
「これ…」
「セネック様のセピア色の瞳に合わせたんです。将来いくつあっても邪魔にはならないと思って、あ、でも、無理にお使いにならなくても丈夫ですからっ 好みってありますものねっ 私ったら…っ」
僕が黙っていたから気に入らないと思ったらしい。
いつも何も言わずに避けていた僕なのに、彼女は僕のためにこのプレゼントを選んでくれたんだ。
彼女にお礼を言いたい。
きちんと彼女と向き合いたい。
「…ありがとうございます、とても嬉しいです。あと…ずっときちんと挨拶もせずにいて、ごめんなさい」
僕はクラヴァットを胸に抱き、お礼を言い、謝罪した。
やっと伝えられた。
僕の言葉にラフィーニャは一瞬目を見開くと、嬉しそうに微笑んでくれた。
この時、自分の想いを自覚した。
もうとっくに君を好きになっていた事に。
けれど…この先、兄上とラフィーニャが婚約するなどとは思いもしなかった―――――…




