Chapter9_うッわ超可愛いじゃん。紹介してよ。
渋谷ベースはあくまで護神兵の施設であり、『会員制ナイトクラブとその事務所』とは登録上の存在に過ぎない。しかしその内部は基本的に体裁と乖離していなかった。
1階のエントランスから先に進むと、やや広めのジャズバーのようなフロアへと至る。低めのステージと向き合う形で複数のテーブル席が並べられ、端にはバーカウンターも存在する。
2階はDJブースとダンスフロアが設けられた、典型的なナイトクラブらしいフロア。そして3階は吹き抜けから2階を見下ろす形で、豪奢なボックスソファとテーブルが配置される。ナイトクラブにおけるVIP席に相当するだろう。
これら1〜3階のフロアに関しては、任務を控えた構成員の待機場所としての使用が主である。そのため内装はどのようなものでも構わなかった。数十名が一度に集合できるスペースと、機材や装備品を並べてチェックできるテーブルがあれば良いのだ。
事務所とされる4階フロアは会議室や幹部の執務室として使用されるため、一般的なオフィスと変わらない、あるいはより洗練された環境が整えられている。
5階は政府の高官や財界の関係者を招いた会合にのみ用いられ、幹部やその付き人以外の構成員が足を踏み入れる機会は少ない。客人に相応しい権威を感じさせる調度品が揃えられ、さながら上流階級が表裏を問わぬ社交に利用するラウンジである。そしてそのような場所の利用者に鉄砲玉と同じ空気を吸わせてはならないとでも言わんばかりに、1階のエントランスから直通する専用のエレベーターまでが設置されている。
地上階については総じて、仮に民間人が足を踏み入れたとしてもナイトクラブの施設であることを疑わぬ内装だ。実際、工事についてもクラブを運営する企業の名義で民間の業者に委託したという。
しかし地下1階は異なる。構成員が使用するシャワールームとロッカー、武装や弾薬の保管庫が並ぶ。そして簡易的な外科手術であれば遂行可能な機器が揃った医務室が設けられ、更には射撃場まで存在するのだ。また隣接する立体駐車場に繋がる通路があり、作戦の際は専ら此方が出入りに使用される。その立体駐車場も護神兵が所有するもので、人員や機材の移送に用いるミニバンやワンボックスカーが収められていた。
当然のことながらその工事は民間の業者に依頼する訳にもいかず、内務省と護神兵が直接手掛けている。
そんな渋谷ベースの地下1階。地上階とは異なる無機質な白い通路を歩き、理吹は医務室に向かっていた。
先ほどの戦闘におけるダメージは軽微なもので、肩や脇腹の掠り傷程度。魔族は魔力の影響――無意識に展開する念力の作用により傷の回復が早いため、これといった処置は不要であった。無論、あの神性に毒が含まれているならば話は異なるが。
常に魔力を纏って戦う魔術士にとって、肉体に接触されること自体が珍しい。返り血も浴びなければ指紋も残さないという、非合法任務に御誂え向きの特性だが、その本領は極めて重要な防御手段である。先ほどの戦闘で理吹が行ったように、魔力量と技量によっては障壁を展開して銃弾を逸らすことすら造作も無い。しかしそんな魔力の障壁を突破する手段――|退魔榴弾《Anti Wizard High Explosive》のような兵器を用いられたならば、一撃を加えられた時点で致命傷に至るだろう。よって魔術士が戦闘を伴う任務に従事した場合、無傷に近い状態で帰還するか、敗死するかという、両極端な結果に終わる傾向がある。
つまり今回、理吹自身への治療は不要。医務室への用件は、魔装として回収した少女――DIVAモジュールの容態の確認である。
理吹の視界に医務室の扉が入ったところで、背後から足音が近付いた。彼が認識すると同時にその規則性が乱れる。
「りーぶきっ」
護神兵の本拠地で響くには溌剌に過ぎる少女の声。そんな呼び掛けの主は理吹の肩から腕を回すように飛び付いた。彼女が提げていたビニール袋が理吹の胸元に当たる。
「色々買って来たわー。お腹空いてるよね?」
そう言って腕を解いた彼女は理吹の前に立ち、商品が詰め込まれたビニール袋を顔の辺りに掲げた。幼さを残した瞳が瞬き、自身より僅かに身長の高い理吹を見上げる。
夏凜明少尉。中華人民共和国出身の魔術士で、シーカー2のコールサインを与えられた実力者である。同い年の理吹とはプライベートで連む機会も多い友人同士だ。
ボブとミディアムの半ば程度に整えられた頭髪。溢れた魔力がその内側に作用し、ミルクチョコレートのような色合いが先端へ進むに連れて鮮やかなオレンジに染まっていく。そんなオランジェットのインナーカラーも理吹にとっては見慣れたものである。
先ほどの作戦では予備戦力として待機を命じられており、目立った役割は無かった。しかし東原仙一と同じく、理吹の同志として山下埠頭物流ターミナルから職員を退避させる計画に参加しており、施設内の工作を終えたオーソン時信の離脱を手助けしている。
なお報告会には出席したのだが、最後列で密かに居眠りを決め込んでいた。そして解散するや否や、近場のコンビニエンスストアに駆け込んだ次第である。
「ありがと。先に医務室寄らせて」
前方を指差して理吹が答えると、凜明は合点が行ったように「そっか」と発した。
「例の魔装?」
彼女の問いかけに理吹は首肯する。2人は自然と連れ立って進み、引き戸を開いて医務室に入った。
デスクに肘をついてスマートフォンを操作していた女性が理吹を認識し、「さっき振りだね」と言って立ち上がる。30代半ばと思しき彼女は正式な免許を持つ医師であり、渋谷ベースの医務室を任されて久しい。
部屋の奥に並べられたベッドの1台を囲むカーテンを医師が開くと、魔力で編まれた衣装のまま寝かされるDIVAの少女が現れた。白い枕が下敷きとなることで、赤紫の頭髪は一層際立つ。
「うッわ超可愛いじゃん。紹介してよ」
凜明が理吹の肩に肘を載せて言った。親しい人間に対する距離感が近い彼女であるが、理吹へのそれはバグの域に達している。
「起きたらな」
そう答える理吹だが、そもそもDIVAの少女に一般的な人格の類が存在する保証は無い。
「状態、どうでしたか?」
未だ意識を失ったままの彼女を見て、理吹は医師に問うた。そこには「人間なのか」という意味合いも含まれる。
「まず間違いなく人間、魔族の一種だよ」
医師が断言する。戦闘の際に理吹と融合し、無制限の魔力を供給した魔導兵装がヒトを保っているなど、それはそれで不可解であるのだが。
「症状の方だけど、医学的には大したことない。目立つのは発熱くらいだね。意識が無いのは強い薬物で眠らされた副作用と、肉体への急な負荷……君に使われた負荷の所為だろう」
彼女は続けた。その注意が既にスマートフォンへと移っているのは、本当に大した症状ではないことの証左だろうか。
「頭の中と、魔装としての仕組みは何とも言えないよ。目覚めた後に聴取してくれ」
カーテンを閉めて患者のプライバシーを回復し、彼女は理吹と凜明を退室へと誘導する。医師の所見を確認できれば良かった理吹と、偶々同伴しただけの凜明は大人しく従った。
「それと君自身も検査をした方がいい。彼女を使ったことで、体に影響があるかもしれないからね。明日……じゃなくて、今日の午後なら室谷さんが居るよ」
思い出したように付け加えられた提案。室谷とは護神兵に所属する医師の1人で、魔力に因る人体への影響を診慣れたベテランである。
理吹は「夕方に来ます」と返した。
「てかさ」
医務室の引き戸を閉めつつ凜明が言う。任務外の彼女にしては真剣な眼差しが理吹を射抜いた。
「あの魔装の子めっちゃ巨乳だよね」
続く低俗な発言を受け、理吹は笑って「それな」と返した。
†
東原仙一は魔族であるが、その魔力量は極めて少ない。護神兵においては魔術士として扱われつつも、その肩書きで戦闘に参加することは皆無である。上層部から事務や軍政面における能力を買われた結果、実務に必要な権限を与えるべく『実戦投入に足る魔術士』と看做され、准尉の階級を与えられた形だ。そのような形式に拘る辺り、暗部といえども国家に属する組織ということか。
渋谷ベースの運営と作戦の遂行を堅実に支え、昨年――2036年には昇進して少尉となった。最低ランクの魔術士よりは指揮系統の上位に置きたいという、鈴木三義中佐の意向である。未成年の魔術士といった『訳アリ』な人材も多い護神兵において、東原は貴重なタイプなのだ。専守防衛陸軍の正式な士官であった鈴木としては重用したくもなるだろう。
渋谷ベースの3階。東原はボックスソファに腰掛けて事務作業に勤しんでいた。大理石のテーブルに置かれたラップトップの画面には、作戦で使用された備品――弾薬や電子機器のデータが表示されている。消耗品であれば定まったルートから調達し、電子機器の類であればデータのバックアップやメンテナンスを担当者に依頼する。作戦の後には必ず発生するルーティンだった。
今回の作戦で交戦に至った人員は七川理吹中尉のみ。提出された戦闘記録を確認する東原の向かい側で、当の理吹がフライドチキンの入った紙袋を開封して言った。
「前より微妙に小さくなってね?」
理吹の隣に座る凜明が「やっぱそう思う?」と同意を示し、続けて惣菜パン2つとペットボトルのブラックコーヒーを対面の東原に渡した。
「これ仙一の。好きだったよね」
そう言いつつ、彼女はテーブルの中央に置かれた灰皿を手元に寄せる。
「悪いな。後で送金する」
東原はラップトップから視線を外し、コーヒーを手に取った。業務の中断に伴い、カラーレンズの奥にある瞳から力が抜ける。
「別にいーよ、これくらい」
濃緑色のボックスから引き抜いた煙草を咥え、凜明が返す。彼女の人差し指からオレンジに近い暖色の魔力が発せられ、ライターの代わりに煙草の先端を焼いた。
15歳の身には相応しくない慣れた様子で、凜明はミントの香る紫煙を肺に取り込む。中華に生まれ日本に亡命、愛煙するはアメリカン。彼女のスピリットはいつの間にか太平洋を横断していたようだ。
2037年現在の日本共和国において、18歳未満の飲酒と喫煙は禁じられている。しかし凜明達は政府の暗部に所属し、非合法任務に従事する子供兵。置かれた現状の全てが不正である。実定法にしろ不文律にしろ、今更社会規範の遵守を求められる道理は無い。
それを前提としつつも、東原は敢えて釘を刺す。
「店とか路上では吸うなよ。俺らは職質一つがマジで面倒な身分なんだから」
何らかの根拠を以て本格的な取り調べに至った場合、戸籍や身分証の類に問題が無くとも、家庭環境などに突っ込みを入れられた場合は大事である。また武器を携帯している際に所持品検査でもされようものなら、護神兵や内務省の上層部を巻き込む次元のトラブルに発展する。
煌条穂熾を始めとする高官連中への遠慮は持ち得ずとも、不祥事を処理する過程でプライベートにおける自由を失う事態は避けたい。それが彼ら彼女らに共通する認識であった。
なお、過去には路上喫煙を咎められた際に魔術で警察官を殺傷して逃亡、何食わぬ顔で護神兵に事後処理を丸投げした未成年の魔術士がいたらしい。その人物には内務省より『相応の処分』が下されたという話だ。
「分かってるって」
凜明をそう言って、煙草を保持していない方の掌で煙を払う。理解の程度には疑問が残る軽い口調だった。
眠気に襲われ、フライドチキンを咥えたまま天井の排気口に吸収される煙を眺めていた理吹が思い出したように口を開く。
「俺の専用サーベル、さっきの戦闘中に消し飛ばしたから補充したいわ。取り敢えず3本発注で」
戦闘記録にもその旨を記載したが、あのサーベルは特注品である。一般的な武器弾薬より調達には時間を要するため、発注はその都度口頭で依頼していた。無論、事情を承知している東原が遅れを生じさせることは無いだろうが。
「了解。別にお前の専用じゃないけどな」
そんな東原の返答を受け、理吹は思わず「え?」と聞き返す。
「京都の支部で同じのを使い始めた奴がいるんだよ。ほら、2月の模擬戦でお前と凜明がボコボコにしたチームのツインテ隊長」
東原は何食わぬ顔で言い、惣菜パンのパッケージを破いた。
今年の2月に京都で行われた模擬戦の折、先方の不手際で此方側の頭数に入れられてしまった東原は戦闘を放棄。フィールドにラップトップを持ち込んで上層部とのミーティングを開始した。理吹と凜明はそんな彼を守りつつ京都支部側のチームを圧倒したのである。
5対2という数の優位を覆され惨敗した面々。彼女らのプライドが甚く傷付けられたことは言うまでもない。
「終わった後に寸胴でぶぶ漬け作ってたあの子?」
当事者の1人である凜明も口を挟む。
「何それ初耳なんだけど。てか俺の特注パクられてる?」
そう言った理吹の脳裏に浮かぶのは、魔力を込めた蹴り1発で脱落させた直後に涙目で自身を睨む『ツインテ隊長』の姿。同じ仕様のサーベルを使い始めたのは対抗心故だろうか。
「経費も渋谷持ちだよな?護神兵的にはいいのかそれ」
続けて理吹は、一応の士官らしく予算と所属について言及した。
「鈴木さん達は構わないってさ。工房の土輪さんだって、お前しか使わない物のために材料を維持してられないんだし」
東原はそう答え、惣菜パンを齧った。
通常のサーベルとは形状も材質も異なる柄。魔術士個人のスタイルに合わせた備品のカスタムなど非効率であり、エースの理吹だからこそ稟議が通ったようなものだ。それは理吹自身も認識しており、突っ込みこそすれども異議は呈さなかった。
ジャンクフードの並べられたテーブルを囲んで内輪の話題に興じる様子は、部活動や趣味を共有する学生のそれと変わらない。後ろ暗い国家権力の下で殺し合いを生業とする少年少女にも年齢相応の姿があるということだ。
蓄積された疲労故か、不健全な時間帯に摂取した糖質故か、理吹と凜明は立て続けに寝落ちへ至る。
残された東原はラップトップに向き合って業務を再開した。程々のカフェインが手放せないポジションである。




