Chapter7_お疲れ様。どうだった?
山下公園に面したホテルの一室。
七川理吹による使徒ディートリヒの撃退と時を同じくして、護神兵司令部はイレギュラーな事態に応じた隠蔽工作の修正を終え、落ち着きを取り戻していた。
「各所との調整が完了しました。爆発は予定通りテロ行為として扱い、消防は屋外からの消火活動のみを担当。公安の部隊が内部を処理します」
鈴木三義の報告を受け、煌条穂熾は頷いた。
「了解した。では鈴木中佐、撤収の準備に入ってくれ」
彼女の指示を受けて鈴木が下がると、傍らの彩堂律華がタブレット端末を差し出して言う。
「煌条大佐。響理会側から内務省に送られた情報が共有されています」
穂熾は「早いな」と呟きつつそれを手に取った。隠蔽工作に協力する都合上、響理会が進める作戦の状況は内務省へと逐一伝えられている。無論、響理会にとって知られてもよい範囲に限るが。そして内務省が、今のところ響理会に存在を把握されていない護神兵へと密かに転送しているのだ。
響理会が遭遇した敵戦力に関する情報もあった。護神兵が投入した七川理吹は、少なくとも記録上はムーンフェイズの一員と判断されている。
「彩堂大尉。少し妙だと思わないか?」
響理会側の記録を確認した穂熾だが、違和感を抱いて律華に問うた。
「妙、ですか。確かにムーンフェイズの戦力が貧弱……少ないように見えます」
律華の回答を受けて穂熾は首肯する。
「容易く一掃されてしまう程度だ。魔女から与えられた魔装を受領するというのに」
穂熾が述べたそれは、響理会側の指揮官であるイライジャ・ルカ・オーウェルと同じ疑問だった。無論、現時点ではその裏側を確かめようがない点も同様である。
†
戦闘を終えた理吹が向かったのは、山下埠頭に隣接する本牧埠頭の一角。作戦終了後の合流地点として、使用されていない事務所の裏側が指定されていた。移動に際しては全身を魔力で覆い隠し、DIVAの出力を活かして間の湾を飛び越えた。周囲の人間の注意は火災の方に向いているだろうし、仮に目撃されて魔力の発光を心霊現象のように扱われたところで、それは大した問題にならない。
DIVAを巡って短い激闘を演じた使徒もこちら側に離脱したので、鉢合わせる危険性は否定し切れなかった。しかし隠匿を優先させて退却する彼ならば、近場に留まりはしないだろう――という考えから、理吹は予定通りに動いた。
未だ警察と消防のサイレンが鳴り響いている。当然のことながら施設の外は大きな騒ぎになっていた。爆発と火災は兎も角として、問題は施設の内部だ。護神兵やその上の内務省情報管理局が隠蔽工作を行ったところで、自身と使徒が繰り広げた想定より遥かに苛烈な戦闘の痕跡を隠滅できるものだろうか。理吹はそんな疑問を抱く。
DIVAによる魔力の供給は止まらない。戦闘が終わった以上は不要――どころか肉体への負荷に悩むばかりである。理吹としては機能を解除したいところだ。スラックスのポケットに入れていた漆黒のグリップを握る。解除の手順は不明だが、試しにまたトリガーを引きながらスイッチを押下した。
すると理吹に供給される魔力の流れが止まり、全身を蝕む奇妙な痛覚から解放される。続けて背中――肩甲骨の辺りからヴェールやローブのように翻っていた魔力が分離し、形状を変化させていった。魔装本来の姿に戻るのだろう。どのような物だったのかは理吹も興味を抱くところだ。
しかし、全く予想外の真相が提示される。
そこに現れたのは人間、理吹と同年代と思しき少女だった。人種は判らない。魔力の影響により人種的特徴は薄れてしまうので、魔族にはよくあることだ。しかしそれ故に、顔の造形は万人が美しいと認めるものになっていた。肩まで伸びる赤紫色の頭髪は染めたところで際限のしようが無い煌めきを放ち、白い肌は模範的な潤いを保っている。
魔族は無意識のうちに魔力を使い、その肉体を理想の形へと誘導する傾向にあるのだが、彼女の理想はどれほど高いものだったのか。あるいは、どれほど高い理想を求められたのか。無論それは、彼女が魔族――人間であるという前提に立った想像だ。
そして裸体を無様に晒すことは無く、被服までが形成されていた。所々に宝石や結晶のような、それでいてどこか機械的な装甲が貼り付けられたドレス。足は光沢のあるブーツに包まれている。断じてチープなコスチュームではないことはその質感と、何より色濃く漂う魔力が証明していた。
総じて、一流のアーティストがデザインした美麗な一枚絵がそのまま実体化したような印象。衣装に備わった赤紫をベースとする色彩が発散するように一瞬の輝きを見せ、一転してダークグレーに染め直された。
愕然とする理吹だが、意識の無い彼女が倒れかかると反射的に抱き留めた。その体から伝わる魔力は、DIVAを使用している時に感じたそれと変わらない。
理吹は彼女の肩から爪先までを覆う、魔力で構築された衣装を観察する。彼が使徒に対する『ハッタリ』として行ったように、魔力を用いて物体を形成することは可能である。しかし精巧に組み上げたそれらを意識の無い状態で保つとは。少なくとも理吹にとっては初の事例だ。
「おい……」
続けて声を掛けようとした理吹だが、背後に人の気配を感じて振り返った。現れたのはキーパー1こと東原仙一少尉。理吹を回収しに来た護神兵の人員にして、爆弾の起爆を共に画策した同志である。
「七川、お前の荷物持って来たぞ」
そう言ってボストンバッグを掲げた東原。ネイビーのカラーレンズの奥にある瞳は、当然ながら少女についてもその視界に捉えていた。
「誰だ、その女」
警戒した東原の問いに対し、少女を抱えた理吹は「魔装だよ」と返した。他に答えようは無い。
「はぁ?魔装って……」
困惑してそう発した東原は、僅かに遅れて作戦の成功を理解した。
†
温かい水流が頭髪を通り抜け、胸のラインをなぞって落ちる。朝咲翠蓮はレインシャワーを止め、ボディソープを手に取った。
護神兵の作戦を見物しに来た彼女であるが、外側から施設を見下ろしたところであまり意味は無い。それを承知の上でやって来たのだが。
戦闘の前に施設職員を退避させるべく進められた理吹の計画。彼女としては、それを見届けるだけで十分だった。その後は駆け付ける警察と消防、深夜故に疎らな野次馬の様子を眺め、すぐに飽きてティーセットを片付けたのだ。
ウッディな香りを漂わせる液が白い肌に塗られ、再度水流が落とされた時、壁面のラックに立て掛けたスマートフォンが味気ない電子音を鳴らす。秘匿性が極めて高いチャットアプリの音声通話の着信。発信元は『理吹』と表示されていた。
「お疲れ様。どうだった?」
翠蓮は通話を受け入れ、スピーカーフォンに切り替えて言った。
『どっちも成功。これ何の音?』
シャワールームに響く七川理吹の声。やはり水音も彼の方に伝わったようだ。
彼女は何ら表情は変えず、「良かったね」と返す。
「シャワー浴びてるの。煩いかな」
ボディソープを洗い流しながら付け加えた。
『いや大丈夫。てか、それならチャットにするけど』
そう理吹に問われるが、翠蓮がシャワールームにスマートフォンを持ち込んだのは彼からの着信に応じるためだ。
「このままでいいよ」
彼女がそう答えると、理吹は『分かった』と言って本題に入る。
『例の魔装、1個は俺が直接回収した。それがちょっと面倒な形してて……これから渋谷ベースで報告と片付けって感じ』
日付は既に4月4日。重要な作戦であることに加え理吹の果たした役割の大きさを鑑みれば、事後処理には相応の時間を要するだろう。
欠伸を1回挟み、理吹は続ける。
『明日……じゃなくて今日だけど、14時からでいい?』
「分かった。場所は後で送るね。頼まれてた件は調べておくよ」
翠蓮が同意した。理吹の用件は以上であり、チャットではなく通話を選んだのは、口頭で済ませた方が手っ取り早いという判断からだ。14時から、とは待ち合わせの時刻である。2人は非公式な情報共有の場を設けていた。
密会の予定がある以上、この場で長々と話す必要は無い。通話が終了する。
無論、護神兵の任務は歴とした国家機密である。本来は外部に洩らすことなど許されない。しかし翠蓮は放逐されているとはいえ護神兵に深く関わる一族の生まれであり、元は『内部』に近い立場。活動を取り仕切る煌条穂熾の黙認あるいは放置もあって、翠蓮の動きは無制限でこそないものの許容されていた。
護神兵は建前上、国内で活動する魔道組織の掃討や、法執行機関等による対応が困難な性質の防諜と治安維持を担うとされている。しかしその存在からして法的根拠が皆無という、極めて後ろ暗い組織なのだ。一般的な次元のコンプライアンスが成立し得る筈がない。
そもそもの成り立ちは、大日本帝国における支配層の私兵に近い魔術士戦力、軍の諜報機関、特別高等警察などを米国が大戦後に再編したというもの。国家と権力に備わる雑多かつ膨大な闇が戦勝国に従属し、その管理下で整頓された姿。
中枢に居座る名家の恣意、政官財の上層から滴り落ちる欲望――言い換えれば国家という生物に備わる本能、そして米国が有形無形の強権を背景に齎す拒否権無き要請。
魔術士という、法と科学を超えた暴力を以てそれらに対応する装置。それが護神兵である。
つまり、所属する魔術士と朝咲家に生まれた少女が懇意にしていたところで、護神兵にまつわる利権や不正の総量を鑑みれば些事にすらなり得ない。
尤も理吹と翠蓮の関係性は、単なる交友や癒着とは大きく異なるのだが。
厚いバスタオルが翠蓮を包み込む。肌に吸い付くような柔らかい生地で水分を拭き取りつつ、彼女は洗面台の前に立った。
鏡がその上半身を映す。細い体つきと白い肌は兎も角として、仄かに藤色の煌めきを見せる銀髪と、エメラルドグリーンの瞳。染髪とカラーコンタクトレンズによるファッションではないし、人種――遺伝に因るものとも様子は異なる。そもそも彼女の血統は純粋な東洋人だ。
名家の中では珍しいことだが、朝咲翠蓮は魔族だった。微弱な魔力しか持たず、その大半が意図せず容姿への作用に消費されている、魔術士には到底なり得ないタイプの魔族。朝咲の箱入り娘が魔術士の青年に籠絡されて孕んだ私生児。
しかしそんな背景は彼女に何の感傷も抱かせないし、何らかの価値基準を構築させることもない。
行方知れずのままである父親にも、適当な相手と入籍させられて新しい娘を産んだらしい母親にも、関心を持ち得ない。
朝咲という家から放逐された経緯とも、一切関わっていない。
似通った生まれ方をした魔族であるという理由で、理吹に執着している訳でもない。
朝咲翠蓮には無いのだ。目的や志向を持つための前提が。トラウマも、プライドも、イデオロギーも。
場当たり的な試行の果てに偶然行き着いた理吹との共謀が、か細い指針となっている。




