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Scar§Red  作者: 織場アッサム
Phase1:DIVA
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Chapter5_獲らせるものか。

 神奈川県横浜市金沢区。根岸湾のマリーナに、1隻の大型クルーザーが停泊している。個人が所有し得る船舶として最高に近いグレードは元より、美しい流線型を描く全長30m近いパールホワイトの船体は人目を集めるものであるが、現在は間もなく日付も変わる深夜。不躾(ぶしつけ)な見物人の類は存在しなかった。

 船体の中央に存在したリビングを作り替える形で設けられたミーティングルームに、ホ短調の鼻歌が小さく響く。ハイスクール程度の教養がある者は、それが連作交響詩『我が祖国』第2曲、『ヴルタヴァ』であることを理解するだろう。まして、この場で長方形のテーブルを囲む欧州出身者であるならば尚更だ。

 旋律の主、上座に着席するイライジャ・ルカ・オーウェルⅢ等(さんとう)司教こそが、此度の魔装争奪戦において響理会(ユーフォ)の部隊を率いる人物であった。

 軍服と分類するにはやや優美な、左肩にペリースを掛けた黒いダブルブレストのジャケットと、同色のスラックス。内側から覗くシルクのタイで締められた白いシャツの襟には、十字架を象った銀のブローチが付けられている――。

 彼の纏っている司教用の制服は、僅かに誤ればサブカルチャーに傾倒したコスチュームとなりかねない。しかし均整の取れた体躯と美形ながらどこか世俗を超越した顔立ちを誇る彼は、それを十全に着こなしていた。尤も、今回のような市街地で行われる作戦中に着用を求められるものではない。現に彼以外の要員は制服ではなく、ビジネススーツや年齢相応のカジュアルウェアを選択している。

「シュタイナー特務司教が第3フロアに到達。敵エースウィザードとの交戦に入った模様です」

 イライジャに近い位置でモニターを凝視していた、黒髪の少女が口を開く。ヴェロニカ・ベルティーニという名で、イタリア共和国出身の響理会構成員だ。16歳にしてⅢ等司祭、一般的な軍事組織であれば初級の士官に相当する位階に達している秀才である。

「では、エースの相手は彼に任せましょう。各コマンドの状況をまとめてください」

 イライジャは鼻歌を止め、少量の白髪が混在した暗い赤毛を軽くかき上げて言った。やや高慢な声音には似合わない敬語で指示を受けたヴェロニカは、眼鏡のブリッジを指で押して位置を直しつつタブレットを操作する。イライジャの眼前にあるモニターへ最新の情報が転送された。

「コマンド1(ワン)の待機要員はコマンド2(ツー)と合流済み。ムーンフェイズとの交戦における損害は軽微ですので、魔装の破壊に向けて別ルートからの再突入も可能かと存じます。

 コマンド3(スリー)に関しては脱出経路の確保が完了しておらず、戦闘への投入は困難です」

 ヴェロニカの報告を受けたイライジャは、改めてモニターの情報に目を通す。投入できる戦力は15名。先ほど16名の戦闘員を殺害した魔術士は使徒が抑えているとはいえ、下手に踏み込んだところで二の舞を演じかねない。エースウィザードの中には使徒と互角以上に渡り合う者も存在するのだ。

「化け物が……」

 イライジャの発した彼らしからぬ直情的な言葉は、ヴェロニカをはじめとするこの場の人員に届きはしなかった。仮に聞かれたとして、共感しない者はいないだろうが。響理会の構成員はその活動を通した経験と、そもそも幼少期からの教育によって魔女や魔族への強い敵愾心(てきがいしん)を持つ傾向にある。主の創造した世界を超えた、摂理に反する能力を振るう存在。人間から派生した亜種であろうと、存在自体が罪であるという認識を植え付けられているのだ。

 無論、全ての者がそうなっている訳ではない。天変地異に等しい災厄である魔女は兎も角、魔族に関しては異能を備えただけの人間と捉え、あくまでその行為と脅威を以て判断を下す者も多い。それこそ、使徒の1人であるディートリヒ・パウル・シュタイナーのように。

「ひとまずコマンド2(ツー)には待機を指示してください。これ以上の損害は避けましょう。

 作戦目標についてはシュタイナー司教の勝敗に委ねる形となりますが」

 指揮官としての意思表示に続けて述べられた皮肉。イライジャは、ディートリヒという使徒を買ってはいなかった。それ以前に、彼の属する響理会(ユーフォ)親衛隊という組織が、ディートリヒのような比較的穏当な活動を心掛ける構成員とは折り合いが悪かった。

 

 親衛隊とはフランス共和国中部のシェール県に置かれる響理会本部の直属であり、現地の組織には荷が重い重要な案件を担当する。要は響理会の活動を統括する大司教達の信任が厚い、最も教義に忠実な構成員が集められた組織なのだ。

 そのような組織でありながら、響理会にとって至上の存在である(しゅ)から直接選抜された使徒との『折り合いが悪い』という状況は不可解にも思える。しかしそれは、使徒となった者達が必ずしも相応しい資質を有していなかったことを踏まえてのものであった。使徒は響理会の構成員から完全なランダムで選抜されている――これは16世紀から続く響理会の活動の中で結論付けられたことだ。

 過去の使徒には、響理会の教義や方針に公然と異議を唱える者も少なくなかった。それどころか、神性と権威を濫用して私利私欲を追求する者、魔女との戦いから逃亡を図る者、魔族を擁護する者すら存在した。闘争による殉教よりも老衰が身近な脅威であろう老人や、二次性徴が始まる前の子供が選抜された事例も確認されている。即ち、使徒であるからといって主の忠臣になり得るは限らず、従って無条件の信任には値しないということだ。


 以上の背景もあって、イライジャは公然とディートリヒへの不満を表明しているし、それ故に当初は待機を命じていた。その采配が咎められることも無い。使徒への選抜によって自動的に昇進した特務司教の位階より、正式なⅢ等司教の方が上位であることも理由だが。

 響理会は決して一枚岩ではない。

「しかし妙ですね……」

 そんなイライジャの呟きに反応したのは、彼の傍らに控える壮年の白人男性、キンバリーだった。彼はⅠ等(いっとう)司祭の位階にあり、東南アジア諸国と日本列島及び台湾における活動を担う組織、第9教団の所属である。今回の案件においてはオブザーバーに近い立ち位置だ。

「何かお気付きですか?」

 キンバリーの発言を受け、イライジャはモニターに表示された戦闘記録を指し示して言う。

「現在シュタイナー司教が交戦しているエースウィザード以外の敵戦力が貧弱に過ぎます。シンガポールの魔女から下賜された最新の魔装を受領するという局面において、これは(いささ)か不自然かと。

 ムーンフェイズは妨害を想定しないほど脇の甘い組織でも、人手不足に悩むほどの組織でもないでしょうに」

 無論、戦闘に関しては全てエースウィザードに任せてしまっている可能性も否定できない。現にコマンド1(ワン)の戦力を容易く返り討ちにしているのだから。しかしそのエースがムーンフェイズの刺客ではなく奪取を目論む日本共和国の尖兵――護神兵の七川(ななかわ)理吹(りぶき)であることは、イライジャらの知るところではない。

「確かに若干拍子抜けと言いますか、違和感がありますな」

 キンバリーは同意するが、今その真相を確かめる術はない。結局のところ、ディートリヒが敵のエースに打ち勝つか否かに懸かっていた。


 †


 使徒の周囲から高速で伸びた虹色の槍が、内壁や柱を破砕していく。理吹(りぶき)が走る通路に至っては複数回の攻撃を受け、原型を留めているとは言い難い状態だ。通路の側に折れ曲がった柵を飛び越えつつ、理吹は左手のGLX160を使徒――ディートリヒに向けてトリガーを引く。放たれた榴弾は両者の距離の中程(なかほど)まで直進するが、やはり虹色の槍に貫かれて爆散した。使徒の身体能力を強化する祝福は、動体視力も大きく向上させている。一般的なグレネード程度の弾速を捉えることなど造作もない。

 先ほど現れた地点から殆ど動いていないディートリヒを見て、理吹は歯噛みする。鉄筋を易々と貫く威力かつ、距離を取ったまま一方的に攻撃できる特性。魔力を通したサーベルであれば強度の面で渡り合えるとしても、まずは接近しなければ。

 役目を終えた槍が消失する。続けてディートリヒは理吹を挟み込むように通路の左右、そして上下に計4本の槍を飛ばした。自身に直接命中しない攻撃を認識した理吹は当惑しつつも立ち止まる。しかし内壁に突き刺さらんとした槍は一瞬にして90度近く折れ曲がり、4本全てが理吹目掛けて速度を落とさずに迫った。誘導ミサイルよりも露骨な追尾。理吹がこれに反応し得たのは、不本意ながら護神兵で受け続けた訓練で、動体視力を徹底的に鍛えられたためだ。彼の背後は分厚い壁であり、咄嗟の回避手段は前方――吹き抜けに飛び込むのみ。

「この――!」

 ――化け物が。

 使徒に対する罵倒は口の中に留めつつ、理吹はサーベルを構え、魔力で落下をコントロールする。自身の立っていた地点が串刺しになる音が背後から聞こえた。

 ディートリヒの攻勢は終わらない。落下する理吹を見据え、更に神性を放つ。宙に浮いた状態でも魔力の放出によって回避は可能であるが、追尾を警戒した理吹は「1本だけなら」とサーベルで受け止める選択をした。

 軽く反った刀身が槍の穂先から柄をいなし、ワインレッドと虹色、2種の光が交差していく。この神性は魔力に対しては無敵でないのか、サーベルは折れなかった。むしろ僅かに槍の方が削れ、虹色の粉塵が散ったように見える。

 ディートリヒと同じフロアに着地した理吹は、すかさず念力でGLX160に次弾を装填しつつサーベルを構えて突貫する。慣れた銃器の操作には目視すら不要だった。

 それを見たディートリヒも掌の光から槍を形成し、腰を落として両手で構えた。理吹がおよそ10メートルの距離まで迫ったところで、ディートリヒは槍を突き出す。その先端が高速で伸び、理吹の胴を貫かんとする。

 しかし理吹はそれを予測していた。左脚を軸に右半身を後方に逸らし、虹色の一閃をサーベルでいなす。そして左手のGLX160をディートリヒに向けて撃った。

 近距離からの急な発砲だが、つい先ほどと同様、ディートリヒはそれに対応してのけた。両手に保持した槍を手放し、右掌より新たなものを形成。伸ばしたそれを振るって榴弾を弾き飛ばすと同時に左側へ大きく跳び、爆発の余波も回避する。会敵時のように自身を籠で覆う選択をしなかったのは、視界が防がれる隙を理吹に与えないためだった。

 ディートリヒに抗し切れない理吹。

 理吹を押し切れないディートリヒ。

 同時に鳴らされた舌打ちが双方の耳に届くことは無かった。

 異能による単純な力比べとしてはディートリヒに軍配が上がる状況だろう。しかし予定より前倒しで隠蔽工作用の爆弾が起爆されたことにより、ある種のタイムリミットが存在している。素早く魔装を破壊する必要があるディートリヒと、逆にその時間切れを待てばよい理吹。爆弾の件はこれを目的とした訳ではないが、作戦目標の達成という観点では理吹が有利とも言えた。響理会(ユーフォ)は現場に踏み込んで来た公安職の人間を根回しも無しに片っ端から殺害するほど無謀な組織ではないし、少なくともディートリヒはそのような乱行(らんぎょう)を許さない。

 再び両者の間に距離が生じる。接近を試みる理吹に向け、ディートリヒは両()を向けた。左右から噴出した虹色の光が一体となり、巨木の幹のように太い一撃が放たれる。それは理吹の僅か5メートルほど手前で無数の棘へと変貌、四方八方に枝分かれした。

 回避させる気の無い面制圧。理吹は防御を選択する。前方に魔力壁――銃撃戦の時より分厚いものを展開し、サーベルの刀身を包む形で更に魔力を流し込む。同時に念力を伸ばし、フライトジャケットの背中側からとあるアイテムを抜き出した。そして左手をサーベルの棟に添え、自身の胸部を貫く軌道を描く棘を受ける。耳を掠めた別の棘が、マスクの紐を裂いて落とした。他の棘も脇腹や肩口を掠めるが気に留めない。

 理吹の体が宙に浮く。力負けしたのではない。厳密には力負けを見越し、敢えて脚部に魔力を纏って跳んだのだ。目を閉じて後ろ向きに進む先は2つ上の階層。最初に理吹がいた、例の魔装が存在するとされる第3フロアである。

 ディートリヒの心眼(しんがん)は、理吹が魔力を纏い、その推力を以て飛ばされる方向を制御しているのだと理解した。同時にヒトとしての視界が、自身の足元に置かれた何かを捉える。それは250mlの飲料缶に近いサイズの黒い物体。

「しまッたッ!」

 ――スタングレネード。

 ディートリヒが理吹の意図を理解した時、それは起爆した。激しい爆発音と閃光が放たれる。祝福で強化された使徒の肉体とはいえ、至近距離から浴びるそれらを完全に無効化するものではない。

 半壊した通路に降り立った理吹は目を開け、数箇所が破れて少量の血が滲んだフライトジャケットを脱ぐ。GLX160に装填する榴弾やシュネルフォイヤーの予備マガジン、スタングレネードが仕舞い込まれているそれを、念力を用いてディートリヒの方へ投擲。続けてサーベルを横薙ぎに振るい、魔力の斬撃を飛ばした。

 ワインレッドの閃光がカーキの塊を斬り裂き、装備品の炸薬が誘爆する。理吹は爆発に背を向け通路の奥へと走った。


 爆炎が晴れると同時に、虹色の籠も(ほど)けていく。その中から現れたディートリヒは無傷のままだった。しかし僅かに神性の展開が遅れていれば、軽傷では済まなかっただろう。

「こちらシュタイナー司教。敵エースが魔装の回収に向かった模様。追撃する」

 インカム越しに状況を伝える。返答は待たない。

 ディートリヒは再び巨木のようなサイズの槍を形成し、第3フロアの通路、理吹が消えた辺りまで伸ばして道を作った。そして急な傾斜には構わず走り出す。

 ――()らせるものか。

 瞳に宿る虹色の光が強まった。

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