Chapter2_シーカー1より司令部へ。
煌条穂熾の率いる護神兵司令部は、山下公園に面したホテルの一室に設けられている。当然の事ながら、山下埠頭物流ターミナルにおける爆発音は届いていた。
缶コーヒーを片手にモニターを凝視していた少年が顔色を変えて叫ぶ。
「ターミナル現地にて爆発、火災が発生!」
窓から見下ろす形で現場を視認した穂熾が舌打ちをする。施設の外壁から発せられる炎が、隣接する山下公園を照らしていた。
「消防、警察への通報が確認されました」
傍らの律華が、タブレット端末に届いた通知を見て言った。平静を装っているが、その声音からは若干の当惑が感じ取れる。
彼女が確認した通知は、内務省情報管理局からのものだ。護神兵を監督する部局でもあり、現在は山下埠頭及びその周辺に関わる行政機関の通信を全てモニタリングしている。
「こちら司令部。キーパー、状況を報告しろ」
鈴木がインカムに向けて言う。正規軍のキャリア故か年の功か。その声音には一切、動揺や焦燥の類は含まれていなかった。応答したのはキーパー1、山下公園に控えている東原仙一である。
『キーパー1より司令部へ。爆発の箇所と規模を確認。工作班がセットした事後処理用の液体爆弾と考えられる』
聴きながら鈴木は窓際に向かい、穂熾の隣で現場を見下ろした。
「了解。こちらも確認した」
そう返した鈴木に、穂熾が問う。
「鈴木中佐、どう見る?」
「恐らくは“ムーンフェイズ”の仕業でしょう。こちらの介入を妨害する目論見かと」
促された鈴木は所見を述べた。
“ムーンフェイズ”とは、運び込まれた魔装の受け手たる魔道組織の名称である。2020年代後半より東アジアを中心に活動を開始。密輸に違法薬物の取引、更には人身売買と、凡そ悪行とされる事柄の全てに着手している集団とされる。
「暗闘の隠匿に躍起な響理会はこんな真似をしない。ムーンフェイズ側だろうな」
穂熾の認識も鈴木と同様だった。
しかし破壊工作を専門とするチームによって仕込まれた爆発物が、マフィアの範疇を超えぬ組織であるムーンフェイズに発見されたとは考え難い。虎視眈々と魔装の奪取を狙っているであろう中共が現場に刺客を送り込んだのか、あるいは護神兵や内務省に内通者でも存在するのか――。
だがそんな考察は、今の時点で行うべき事ではない。
目先の事態への対処に向けて穂熾が思考を切り替えた時、東原とは別の端末から通信が入った。
『シーカー1より司令部へ。応答せよ』
清涼とも冷然ともつかぬ静かな響き。仄かに中性的で幼さを残した、少年の声質だった。穂熾の傍らに控える律華が「七川中尉――」と声を漏らす。
シーカーとは、実戦の主軸を担う魔術士に与えられるコールサインである。
鈴木が「こちら司令部、聞こえている」と返すと、声の主が続けた。
『本作戦に関し、セクションレッドへの移行を提言する』
作戦の進行中にイレギュラーが発生した場合に備え、状況に応じた分岐先のプランが複数用意されている。『セクションレッド』はバックアップ要員などを撤収させ、現場の実戦担当に裁量を委ねる形で最低限の目標達成――今回の場合は件の魔装の奪取を図るというものだ。
本来の手順を放棄して杜撰さと強引さを許容するため、已むを得ず選択する最終手段に程近い。進んで採用したい責任者は存在しないだろう。
しかし既に、消防及び警察への通報が確認されている。丁寧に状況を把握し、作戦の内容を修正する猶予は無い。また、魔装の奪取を断念する訳にもいかない。
それらを理解している穂熾の決定は早かった。
「作戦をセクションレッドに移行する。キーパー、ビーターは撤収。シーカー2のみ引き続き待機の上、施設より響理会、及びムーンフェイズの人員が離脱した場合は対処せよ」
インカム越しに命令を発し、続けて鈴木に視線を移す。
「鈴木中佐は情報管理局と公安に通信を繋ぎ、状況説明の上で隠蔽工作を進めろ。消火活動が本格化する前に介入させるんだ。私だけでなく、松澤局長の名前を使って構わん」
「了解」
穂熾から命令を受けた鈴木はスーツのネクタイを締め直すと、部屋の隅にあるテーブルでラップトップを広げた。こういった状況下における交渉や手続きこそ、彼の得意とするところである。決して現場の指揮が不得手という訳ではないが。
「さて、後は奴に任せよう」
皮肉めいた言葉を放ち、穂熾は近くのソファに足を組んで腰掛けた。束ねた黒髪の先を撫でつつ、促すように律華と目を合わせる。
「ではシーカー1、突入せよ。解っているだろうが、魔装の回収が困難である場合は施設内の敵勢力を掃討しろ。事後処理の際に運び出す」
穂熾のアイコンタクトを受け、律華が念を押すように言った。
『了解』
シーカー1から返答が届いて間も無く、その通信機のシグナルが消失した。現場への突入に際して、完全に破壊・投棄する手筈となっている。仮に彼が殺害ないし捕縛されて端末を響理会といった他陣営が回収した場合、不本意な形で護神兵の暗躍が露呈しかねないためだ。
かくして護神兵司令部は、早くもその役割の大半を終える運びとなった。
†
『第3フロアCブロックにて火災発生。全ての職員は、防災マニュアルに従って施設より退避してください。繰り返します――』
けたたましい非常ベルと機械音声のアナウンスが反響する空間で、オーソン時信は無骨なラップトップのエンターキーを叩いた。この施設――山下埠頭物流ターミナルにおける監視システムの機能が停止し、全ての記録が消去されていく。
スプリンクラーによる放水が容赦無くハードを襲っていたが、IP68の防塵防水機能は伊達ではない。一方、逆立てていたアッシュグレーの短髪は額に張り付いていたが。
滞りなく工作を終え、時信はサーバーに接続していたケーブルを抜く。手早くラップトップと纏めてバックパックに詰め込んだ。
「爆弾なんか専門外だってのに」
自然と小さな呟きが漏れる。
護神兵が仕込んだ液体爆弾を起爆したのは、他でもない彼だった。しかし彼は魔道組織“ムーンフェイズ”の一員でもなければ、何れかの国家に属すエージェントでもない。
この横槍は、単に施設の職員らを退避させる為のものだ。
山下埠頭物流ターミナルは機能の自動化が進められた施設であるが、当然ながら『無人』で稼働している訳ではない。エンジニアや保安要員など、夜間でも常に10名近くの職員が控えている。
新型魔装の受領を図るムーンフェイズ、破壊を狙う響理会、奪取を目論む護神兵。この中に職員の安全を顧慮する陣営は存在するだろうか?
答えは無論、否である。
本質がマフィアであるムーンフェイズと秘密結社の響理会は元より、日本共和国に属する護神兵すら、10名程度の人命は些末事として切って捨てる。そもそも国民の側を向いた組織ではない。
響理会が日本共和国に要請した隠蔽工作には、目撃者の死体の始末も含まれていた。此度の魔装争奪戦に際して、響理会はムーンフェイズの構成員だけでなく職員らも殺害する予定であったのだ。
液体爆弾の本来の用途は、事後に起爆してテロ事件を演出することにある。そして消防の介入を遅らせ、護神兵の制御下にある公安の部隊が戦闘の痕跡を隠滅しつつ死体を回収。響理会やムーンフェイズの構成員であれば処理し、施設の職員であれば死因を偽装するという手筈だ。
無人の区画に仕込まれた爆弾を事前に起爆させてしまうことで、施設の警報装置を作動させ、響理会とムーンフェイズの暗躍よりも早く職員らに退避を促す。それが時信と同志達による計画だった。
問題は、実行した時信自身の脱出である。
時信がサーバールームを出ると、丁度スプリンクラーの放水が止まった。
正方形を描くように幅3メートル程度の通路があり、その外側に貨物を保管する倉庫が配置される。通路の内側は吹き抜けで、クレーンやドローンを展開して各層から貨物の出し入れを行う仕組みとなっている。そのような構造のフロアが5層重なる形で、山下埠頭物流ターミナルの中央部は構成されていた。
山下公園側の非常口まで残り僅か。通路の端、正方形の頂点に当たる場所で、時信は区画を移動すべく偽名で取得した職員証をカードリーダーに翳す。
しかし、扉のロック解除を示す電子音の代わりに短い破裂音が響き、カードリーダーに小さな穴を開けた。それがサプレッサーで抑制した発砲音であることを、時信はよく知っている。
「振り向くな。何をしていた」
背後から片言の日本語が発せられた。その低い声の主は、時信がサーバールームから出る瞬間を目撃したのだろう。単なる職員という認識ならば、何も問い詰めずに射殺している。
銃火器を使ったことから、時信は彼が響理会の人間だと予測した。ムーンフェイズは魔術士による組織であり、魔術士であるならば発砲などせず、念力といった技で時信を拘束するだろう。
「誤解だ、俺は内務省の人間だよ。そっちが頼んできた仕事じゃないか。ポケットにIDが入っているから見てくれ」
両手を上げ、時信は英語でそう言った。
「分かった。A1KT3、どうぞ」
想定外の返事に、時信の思考は硬直してしまう。日本側と響理会で合言葉の取り決めがあったのか、それともブラフか。
どちらにせよ、答えに窮した時点で詰みだった。
時信はフルオート射撃の激しい銃声を聞いた――サプレッサーによる抑制は無い。そして、時信は被弾しなかった。
彼が振り返ると、通路に特殊部隊のような黒い装束を纏った2人の男が倒れていた。ゴーグルで覆われた顔面から首にかけて複数の穴が空き、血液を垂れ流している。死亡していることは自明だ。拳銃を大きくしたようなサイズ感が特徴のPDW――サプレッサー付きのMP7が2丁、転がっていた。
「ごめん、遅くなった」
声と共に、吹き抜けを介して上のフロアから少年が舞い降りる。ワインレッドの霧、あるいは光を伴って落下の方向と速度を変え、時信のいる通路に着地した。“魔力”によるホバリングだ。
N-2Bフライトジャケットのフードを脱ぎ、マスクを下ろして顔を見せた彼の右手には、マシンピストルが握られている。細長い銃身とトリガー前方に配置された無骨なマガジンが特徴的なそれは“シュネルフォイヤー”と呼称される、100年以上前に開発されたモデルだ。本来の仕様と異なるステンレス製――銀のカラーリングは、それがオーダーメイドであることを示していた。目元以外は童顔と言える涼しげで中性的な顔立ちとは、あまりマッチしない得物である。
「マジで死にかけたぞ、理吹。危険手当は?」
時信が言うと、理吹と呼ばれた少年はマシンピストルのマガジンを交換しつつ返す。
「あ綱の寿司、松でいい?」
額の中央で緩く分かれた長めの前髪。濃く抽出した珈琲を思わせる暗いブラウンが照明を受け、紅茶の赤みを滲ませた。
「オッケー。明日の夜な」
適正な手当か定かではないが、時信は同意する。
理吹はリーダーが破壊されてロックを解除できなくなった扉の前に進み、右の掌を当てた。魔力を纏っているので、厳密には直接触れてはいない。そして扉の表面が赤い光によって薄くコーティングされたかと思うと、鈍い音を立てて倒れた。
「ここから先は安全だ。凜明が待ってる」
理吹はそう言って時信に脱出を促す一方、自身は扉に背を向けて施設の中心部へ向き直った。言及した夏凜明少尉とは、シーカー2のコールサインを与えられて施設外で待機している護神兵の魔術士である。彼女も“こちら側”であった。
「ご武運を」
冗談めかして時信が返す。これから戦場と化す施設に留まる理吹への心配などは含まれない、軽い口調。『危険手当』の支払いが不履行となる可能性は考慮していなかった。彼は手を振りつつ歩を進め、離脱した。
シーカー1、七川理吹中尉。彼こそが此度の作戦において護神兵が投入した実戦担当の魔術士であり、横槍の主犯格でもある。
左肩の後ろにマウントした軍刀は、護神兵魔術士の非公式な象徴だった。
鞘に納められた刀身の形状は、かつての大日本帝国において将校が用いていたものと変わらない。しかし肩の上に突き出たカーボン製の黒いグリップは、シミターやククリのように軽く反っている。こちらは理吹が独自に取り入れた仕様だ。
また左腰にはピストルグリップが取り付けられた黒い筒――GLX160グレネードランチャーが、それこそ日本刀の如く吊るされていた。携帯性を考慮してストックが排されているのは、魔力を纏うことによって重量バランスや反動を無視できる魔術士らしいカスタムである。
趣味と拘り故に自弁で調達したような――事実その通りであるマシンピストルは兎も角、本格的な白兵戦を前提とした武装と言えるだろう。
自身に迫る複数の気配を捉えた理吹はフードとマスクを戻して顔を隠し、銀のシュネルフォイヤーを握り締める。軍用のコンバットブーツが床を蹴った。




